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Hard to Get ……と言って。
思春期の丸五年を通して憎み合ってきた相手である。素直に助けを求めたとして、またリリー経由で頼んだとして、自分なら警戒する。絶対に、今度は何の罠かと疑う。どうお近づきになれば良いのか、さすがのジェームズにもさっぱり分からなかった。
「スネイプ」
朝、大広間の前で見かけたので呼びかけた。ただそれだけで、スネイプは右手をロープの中に入れるのだ。杖を取り出される前に慌てて両手を振って、敵意がないことを示しても、ひどく胡乱な顔つきで一瞥されるだけだった。
「あー……」
「何やってんだ、ジェームズ。あいつに何か用か?」
隣を歩いていたシリウスが問う。
「あー、や、うん、ほら、シリウスも、最近弟くんと仲がいいし」
「それがどう関係ある」
「僕も少しは大人になろうと思って」
「へえ?」
くすりと笑われた。「傲慢な子供は卒業するのか?」
「そーうーでーす」
なんだか恥ずかしくなったのだ。リリーだけが理由ではない。共に子供だったシリウスが、ここしばらく、様々なことに客観的で、一歩引くようになったことで、一人だけ置いて行かれたような気分にもなっていた。
「シリウスはどうやって弟くんを手懐けたの」
「は? いやあいつまだ全然冷たいぜ? 二言目には気持ち悪いって罵られる」
「餌付けかな? それとも懐柔? あ、泣き落とし?」
「………まぁ全部かな」
「うっわぁ」
そこまではしたくないなぁとぼやいた。したところで事態が進展するとも思えない。泣き落としなど、女の子かシリウス・ブラック(の容姿で)くらいしか許されないし、何かを贈っても、毒物・危険物と判断されて即捨てられるのがオチだ。
ジェームズ自身、謝罪だけは絶対にしたくなかったし、スネイプもまたそうだろう。受け入れられるはずがない。自分たちは憎み合っていた。片方の非を認めれば、必然的に、反対側の正義も否定する。
「ムーニーから秘密を打ち明けてもらって、本当の友達になるのだって、出会ってから二年近くかかったんだ。いわんやスネイプをや」
「俺は多分二十年かけても無理だ。生理的に不可能だ」
「君はそういう奴だねぇ」
しかし自分たちは学生で、若者で、一年先ですら遠すぎる未来なのだった。何かきっかけを、と思いつつ、その日も授業と自主的な研究とクィディッチの練習であっという間に過ぎた。夕食の後も、就寝時間ギリギリまで、生徒立ち入り禁止の薬品庫に籠り魔法薬の調合を試みた。さすがに根を詰めすぎて、欠伸をしながら寮に戻ると、人の少なくなった談話室の片隅に、一人の少女が蹲っていた。
ジェームズはシリウスと顔を見合わせた。あまり親しくもない年下の異性だ。視線だけで、「君が行くといいよ、校内女生徒人気ランキング一位の顔面なんだし」「いや、緊張されても何だし、ここは気安い三枚目キャラを装ってお前が行けよ」などと言い交していると、女子寮からリリーが現れた。
「エル? そろそろ部屋に戻ったら、……どうしたの?」
リリーは少女に近づき、そっとその背に手を置いた。様子を伺う、そのリリーの顔色がさっと変わった。
「……誰に?」
彼女は啜り泣きながら首を振るだけだった。黒髪が揺れ、少女の小さな横顔がジェームズにも見えた。白い頬に、火傷のような爛れが広がり、それは一連なりのアルファベットの形をしていた。「mudblood」。
「言って。誰に?」
リリーは震える声で更に問い詰めた。少女が小さく囁いた。
「スリザリンの……」
リリーは立ち上がった。いつもの彼女ではないようだった。いつもなら、後輩を慰め落ち着かせることを優先するだろう。
「あなたたち、エルを医務室へお願い」
しかしリリーは、ジェームズたちの顔も見ず、吐き捨てるようにそう頼み、そして駆け出した。談話室の外、グリフィンドール塔の外へ。
「シリウス、頼んだ」
「え、おい、ジェー!」
ジェームズはリリーの後を追った。しかし動く階段に阻まれて、少々時間をロスした。赤い髪を勢いよく揺らしながら、リリーは全速力で走っていく。その背が一度視界から消える。行き先はおそらくスリザリン寮と目星をつけて、再接続された階段をジェームズも駆けた。途中で一度、徘徊中のゴーストと正面からぶつかって、その体の中を頭から通過してしまった。
「失敬!」
一言詫びたが、背後から憤慨した声をぶつけられた。幸い管理人をはじめとする教職員には出くわすことなく、スリザリン寮の近くまでやってこれた。そこで見つけた。壁の松明に照らされた人影は二つ。ジェームズの足が止まる。柱の影に、思わず身を隠した。
仁王立ちになったリリーが拳を握り、相対しているのはスネイプだった。彼の、珍しく焦っているかのような早口が聞こえた。
「リリー、僕は……」
「エルにしたことを見たわ」
冷たい声だった。スネイプは咄嗟に声を上げる。
「僕はしていない!」
「そう。じゃあ、あなたがいつも一緒にいるお友達が?」
冷笑に、スネイプは押し黙った。それが答えだった。リリーは低い声で続けた。
「そしてあなたも、彼女を、私たちのことを、『穢れた血』と嘲笑ったの?」
スネイプは凍り付いたように固まった。リリーと彼はしばし見つめ合った。随分と長く、リリーから発せられる激しい怒りだけがその場を支配していた。
「…………そう」
やがてリリーは、笑おうとしたのか、唇を引き攣らせた。奇妙な表情になった。そしてそのままで息を吐いた。諦めかけたのだと分かった。彼女は彼を諦めかけた。その瞬間、スネイプが大きく頭を振った。
言葉はなかった。何も言えずにただ激しく頭を振った。次に顔を上げたとき、彼は泣きそうに悲痛な表情で、やはり物言わぬままリリーの両肩を掴んだ。指の先が白くなるほど、それは強い力だったのだろう。
だけどリリーは痛みゆえに彼を拒否することもしなかった。
「セブ」
「僕は……」
少年は、不器用に、やっと声を絞り出す。「僕は、違う……。止めようとしたんだ……」
弱弱しい声音だった。リリーは悲し気に眉を寄せ幼馴染を見上げた。
「止めようとした? 何としてでも? 本当に? あの人たちの行いを、偏った思想を、あなたは本当にこれまでも止めようとしてきたの?」
「リリー」
「とても、とても悲しいわ。あなたの言葉を、信じられない」
「リリー、どうすれば、」
「それくらい分かるでしょう! もう子供じゃない、自分の意志で択ぶべきなのよ!」
ずっと掴まれていた肩の手を振り払い、リリーは数歩後ずさった。激昂した自分を落ち着かせようと、彼女は自分の胸元に右手を置いて深呼吸した。
「セブ……セブルス。あなたの友情に口は出せない。エイブリーやマルシベールと絶交してとか……私には理解できない人たちだけれど……言う権利はないわ」
怒りを宥め、そうするとと分かる傷付いた目で、リリーはもう一度スネイプを見上げた。
「だけどあなたは、マグル生まれや、別の寮の生徒や……違う意見や世界を持った人とも友達になるべきよ。私にそうであるように、あなたはきっと、優しくあれる」
一歩、またリリーは後ろに下がり、情けなく垂れた眉で何とか微笑んだ。
「よく考えてみて。そして択んで。彼らと共に行くというなら……私はもうあなたの友達ではいられない」
じゃあ、おやすみなさい、と囁いて、リリーは踵を返した。ジェームズの横を通り過ぎるときちらりと視線を寄越したが、何も言わなかった。
残されたスネイプは立ち尽くしていた。涙が見えるわけではないが、泣いているようだった。途方にくれた、迷子の子供のようにも見えた。択べと、正しい彼女は迫ったが、常に誰しもに選択の余地があるとも限らないのだ。……自分たちは恵まれている。彼の寄る辺なき風情を眺めていると、なぜかそう思われた。
「スネイプ」
声をかける気はなかった。本当になかった。だって自分なら、あんなシーンを目撃されていたと、それだけで恥だと感じる。ましてやこの相手だ。
果たしてスネイプもそうだった。はっと振り返り、その顔が憎悪に染まった。
「高みの見物とはご趣味がいい」
「そんなつもりはなかったんだ、ごめ」
謝罪の言葉は強制的に遮られた。いつの間にか杖を手にしたスネイプが呪文を唱えていたのだった。腹に重い何かをぶつけられたような衝撃だった。吹き飛ばされ、背中から倒れた。痛かった。それでも起き上がり叫んだ。
「スネイプ、僕は……!」
また魔法が飛んできた。防ぐことはできた。その時間はあった。だけど無防備に呪いを受けた。体中に痛みが走り、目の前がチカチカとした。
「……僕は……僕に……何か、できることが、あるなら……」
スネイプの顔が嘲笑に歪んだ。
「なるほど、それならばやることは一つだ、ジェームズ・ポッター。今すぐ退学届を提出し、僕の目の前から永遠に去れ」
冷ややかに言い捨て、スネイプはスリザリン寮へと戻っていった。ジェームズはひとり、いたたたた、と声に出しながら起き上がった。顔に手をやると滑った感触が指を伝い、鼻血が出ていることを知った。
服で隠れる体の痣はともかく、これはどうにかして帰らなければ、おそらくシリウスあたりが物凄くうるさい。しかし流血はなかなか止まらない。
「うわあ、スプラッタ」
嫌そうな声が耳に届いた。壁にもたれ蹲ったままだったジェームズは顔を上げた。
「やあ、レギュラス」
スリザリン生であるシリウスの弟だった。声の倍くらい本気で嫌そうな表情だった。前々から思っていたけれど、この年下の少年はどうにも小生意気で癇に障る。
「それ呪いですよ。反対呪文知ってます?」
「ええと、知ってるはずなんだけど頭が回らない。くらくらして」
だから助けを求めるのも癪ではあったが、ジェームズは素直にそう告げた。放置されてこのまま出血多量で死ぬよりはましだ。レギュラスは杖を小さく動かし、呪文を唱えた。鼻血が止まった。
「ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして」
「でも君、どうして?」
「外にいるって言われて」
「誰に?」
「寮の入り口の前でスプラスティックな死に方されるのも目覚めが悪いし、って」
「誰が?」
重ねての問いにも、レギュラスは小さく肩を竦めただけだった。
翌日も、スネイプは相変わらずジェームズたちを無視した。しかし、彼が一人でいることにもジェームズは気付いた。偶然かもしれない。元々、仲間とつるむよりは落ち着いた静寂を好む性質だった。
数日後、大広間にて、リリーがごく自然にジェームズの隣に腰を下ろした。
「前言ってたトリカブトね、クツクツワームウッドモドキの葉っぱと一緒に煮ると温度調整がしやすいって、セブが」
「彼が?」
「最初は私が困ってると思って教えてくれたんだけど、さすがに騙してるみたいで気が引けたから、あなたたちからの相談だってちゃんと言ったわ。だけど、教えるなとは言われなかったから」
「……ありがとうって言っておいて」
「自分で言いなさい」
リリーは笑った。あの夜を境に、明らかに大人びた、より美しくなった微笑みだった。彼女もまた択んだのかもしれない、しかし何をだろう、とジェームズは思った。
まったくそんな実感はないけれど、もしかして自分は失恋をしたのかな、と思った。
それから時折、試薬の調合にスネイプが付き合ってくれるようになった。改めてスネイプは魔法薬学のエキスパートだった。シリウスは良い顔をしなかったが、リーマスとピーターは、戸惑いつつも喜んでくれた。
「あー……大分ましになったけど見た目酷いねこれ。そもそも正解が分からない。あー……」
スネイプ経由でスラグホーンの実験室を使う許可を得て、その放課後も大鍋と格闘していた。
「成分的には、十三世紀の魔術書に見る解毒と鎮静剤に大分と近づいている。絶滅種の代替品も、これまで試した中ではベストだろう。何を焦っている?」
「別に」
「そうか。満月が近いな」
鍋の中身をかき混ぜながら、さらりとスネイプが口にした。ジェームズは一瞬息を止めた。
「……それが?」
「リーマス・ルーピンは入学当初から、毎月一定期間姿を消す」
「それが?」
「別に。独り言だ」
スネイプは馬鹿ではない。むしろ頭はいい。ヒントを与え過ぎていた。しかし不思議と危機感は湧かなかった。ジェームズは、試薬をガラス瓶に移し替えながら部屋の窓から外を眺めた。太った月が明るかった。
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