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 休みの前日は仕事上がりにふらりと立ち寄る場所がある。
 橘香にとって江戸で数少ないお気に入りの店だ。
 今日はまだ早い時間で店は準備中。
 店先を竹箒で掃いていた猫耳熟女に橘香は親しげに声をかけた。

「こんにちは、キャサリンさん。お店辞めたんじゃなかったんですか?」

「オ前ノソレハ嫌味ナンデスカ!何度モ同ジコト聞キヤガッテ!イイ加減ニシロヨ!!」

「だってオモシロイんだもん」

 手で口元を隠しながらププッと橘香が笑うと、右手の中指を立てて「フッザケンジャネーゾ、クソガキ!!」とさらにいかるキャサリンは田舎のなつかなかった野良猫に似ていて、やり過ぎると嫌われると分かっていながらもつい、橘香はちょっかいを出したくなってしまうのだった。
 キャサリンは天人あまんとという別の星から来た所謂いわゆる宇宙人でオバサン顔の上に付いた猫耳は自前だ。
 地球へ出稼ぎに来たはいいものの『スナックお登勢』で働きつつあちこちで泥棒をした為、刑務所に入れられた。
 お登勢の所からも金品を盗もうとしたそうだが、何故か彼女はまたここにいる。

「なんだい、こんな早くに。忘れたのかい?ウチは夜からだよ」

 騒ぎを聞きつけてスナックのママであるお登勢が顔を出した。
 腕を組んで気怠げに煙草を吸う黒い着物の立ち姿は歌舞伎町の女帝と言わしめるだけの貫禄がある。

「こんにちは、お登勢さん。お手伝いしますから早いですけど入れてくれません?」

「図々シイ奴デスネ。アト少シガ待テネーノカ!!」

「…ったく、しょうがないねェ。入んな。とりあえずテーブルでも拭いとくれ」

「はーい」と返事をしてお登勢や文句を言うキャサリンの後に続いて橘香も店の中へ入った。
「あんまりイジメんじゃないよ」とお登勢は橘香に布巾を手渡してたしなめた。
 それは決してキャサリンには聞こえないように配慮されていてしばらく来ない内にすっかり馴染んだなと思いながら橘香は黙って頷いた。

 一月前ひとつきまえの橘香が江戸へ来た日。
 歌舞伎町ですっかり迷子になった橘香は見晴らしのいい墓地にいた。
 遠くに見えるターミナルを眺めながら途方に暮れていると旦那さんの墓参りに来ていたお登勢と出会ったのだ。

「おや、こんな所にまたずいぶんとふてぶてしい野良がいるじゃないかい」

 そう言って世話を焼いてくれたお登勢の顔を見に店へ通うようになり、今に至る。
 橘香やキャサリンがせっせと開店準備をしていれば、お登勢が思い出したように口を開いた。

「そう言えば、あのバカの昔馴染らしいじゃないかい。アンタが探してるってのは奴だったのかい?」

 あのバカが誰なのかはすぐに分かった。

「…ええ。落ち着いてから探そうと思ってたのにあっさり見つかっちゃって、正直拍子抜けでした」

 灯台元暗しとはまさにこのことで、まさか探していた人物が行き着けの店のすぐ上に居るとも知らず、橘香はお登勢に何度も愚痴を吐いていて、今ではちょっと恥ずかしいくらいだった。
 橘香がカウンター回りをきっちり拭き上げると、お登勢はオレンジジュースの瓶とコップをカウンターの一席に出した。
 実は橘香はスナックに通っているが、飲み慣れない酒が苦手なのだ。
 いそいそと椅子に座ってチビチビとジュースを飲みながら注文した冷奴が橘香の目の前に出された時、店の引き戸が大きく開けられ、オッサン二人が入って来た。





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