02アイス食べる?■■


「名前〜……。暇なんだけど」
「でしょうね。私もそうだよ」

さて、ならば何故。
君はここに腰を下ろしたのだろうか?

逃げ切ったと思っていた。迂闊だった。暇と言いつつ、なにか事を起こすわけでもない。くわぁっとあくびをしては目尻に涙を貯める隣の人間を怪訝な目をして見つめても、その矛盾した行動の意図を教えてもらえるわけではなかった。ベンチの上で一息ついた私の目の前に突如現れた彼。公道を全速力で走り抜けて、ここまでくれば安心だろうと高を括っていた数分前の自分を殴りたい。「どうしているの?」問いかければ彼は涙を拭うよう目を擦りながら「気分」と答えた。

「ねぇ?俺が暇って言ってるんだから、何かするのが常識でしょ?」
「それはどこの国の常識かな。名前わかんなーい」
「ちょっと、その棒読みやめてよ気色悪い」

あ、今の地味に傷ついた。

気色悪いといいつつ、すり寄るようにこの巨大な猫は頭を肩に押し付けてくる。凛月の頭の重さを受けて徐々に痛みだしていく肩に、耐えかねて少しばかり離れるように横にずれると、んー、と唸りながら合わせるようについてくる。もうベンチの余白はない。なのに先ほどよりも明らかに縮まってしまった体の距離に、密かにため息をついた。

「凛月……。ここ、どこだっけ」
「んー……。わかんない」

灰色のコンクリートでできた道路の上に、ポツンと用意されたベンチ。背後では、車両をびゅんびゅんと音を立てて通る車の音が絶えず耳に入ってくる。対照的に目の前を行く人々の足並みはゆっくりとしている。そんな彼らの視線が刺さるように感じられるのは、このカップルかのような体制が問題か、それとも、単に凛月の顔が綺麗であったからか。

どっちでもいいが、とにかく…。

「帰りたい」

ふと、思い浮かぶのは可愛い弟の砕けた笑顔。本来なら放課後の予定もない日、恒例の如く真っ先に自宅へ向かうはずの予定だったなのに、なんでこんなところにいるんだろう。knightsの専属プロデューサーに無理矢理されて、現実逃避して無我夢中に逃げて、逃げ切ったと思ってここに座ったら、隣に……。

「なんで君はここにいるのかな?」
「んー?名前がいるから」
「そう」

くわぁっと大きな欠伸をして伸びた後、次はぐりぐりと私の首筋に顔をうずくめる。どうやらこの質問に対して納得のいく回答は得られそうにない。ふと直接肌に感じる、暖かな吐息に思わずびくりと肩が跳ねた。

「あ〜……、首、弱いんだ」
「やめろ」

顔を上げて私を見つめる彼の口元が悪戯に弧を描く。少し頭を傾ければ額をごっつんこできる距離。端整な顔を前に普通ならば、ドキッ、だとか、キュン、だとか女子漫画ご恒例の効果音が付くものだが、何故だろう。捕食される寸前の小動物の気分だ。ゾクゾクぞわぞわしか感じられない。

「えー……?なんで?」
「……はぁ」

周りからの視線が一層と強くなった気がした。これなら校舎内で逃げ回ったほうがまだマシだったのではないか。頭を抱えそうな私とは対照的に少し弾んだその声に、ため息が零れた。珍しく上げられた口角は、凛月がこの状況を楽しんでいることを私に悟らせた。全く、私はどうしてこんな厄介なやつに好かれてしまったのだろうか。思えばこいつと関わらなければ、私はknightsの専属になんてならなかったのに。

帰りたい。

とりわけお腹が空いたわけでもなければ、家に帰らなくてはいけない用もない。ただこの状況から一刻も逃げたい。一刻も早くこいつから逃げたい、それだけだった。再度ぽつりと呟かれた私の言葉は、街の騒音に飲まれて消えていく。恐らく、隣でくつろいでいる凛月にも聞こえていないはず。

「……それ、本気?」
「わぁ」

いや、聞こえていた。
明らかに低くなる凛月の声。

「……名前」
「な、何かな」

私の肩に頭を預けたまま、呟かれた低い声色に内心ビビりながらも返事を返す。ここはどんな顔をしているのか伺いたいところだが、生憎この状態ではせいぜい艶のある漆黒の柔らかい髪の毛を拝むのが精一杯だった。

「……もう行く」

言葉と同時、ゆらりとした動きで立ち上がる。良かった。どうやら帰ってくれるみたいだ。これでゆっくり休める!内心歓喜だが、それを悟られてはいけない、本能的に察することができる。表に出さないよう唇を固く結んで、進んでいく彼の背中を眺めていると、彼が少し苛立った様子で振り向いた。

「……何やってんの?」

意外な彼の言葉に、思わずは?と疑問符を漏らすと、何も言わずに足早に戻って来て私の手を勢いよく引いた。





「ちょっと!!どこ行くの!?」

これで何度目になるのか、繰り返し問いかけた言葉に、相変わらず返事は帰ってこない。腕を引かれたまま、黙々と進んでいく彼の背中には、若干の怒気が垣間見えた。無言で進むこと数分後。相変わらず凛月は何もしゃべらない。眠たさ故か常日頃から静かな彼だが、いつもは眠たくなるような無言が、今は居心地が悪くて堪らない。

「……ねぇ。悪かったから、せめてどこに向かってるのかだけでも……」

固い地面が、灰色から色鮮やかなレンガに変わったとき、彼はようやく足を止めた。

「……着いた」
「え?どこ。ここどこ?」

彼が見上げていたのは、白を基調とした清楚感のある小さな店で。透明な扉から覗けた中には、スカート丈の短な女子高生が何人もいた。何が起こっているのかさっぱり理解できないで、そわそわとする私に彼は向き直ると、先ほどの機嫌の悪さはどこへやら、僅かに口元を緩ませて、「イイ子で待っててね」と言って私の頭を撫でると、躊躇いもなくその中へと足を進めていった。

まじか、あんなキャピキャピとした女子高生の群れに突入するとか、同性同世代の私でさえ躊躇するというのに。ましてやあの騒がしい場所が苦手な凛月が自らあんな場所に行くなんて……。飛んで火に入る夏の虫、そんな言葉が頭に浮かぶ。あ……早速絡まれているよ。徐々に女子高生に埋もれて見えなくなる凛月の姿。ご愁傷様です、とその後姿に唱える。勿論、助ける気はみじんもない。……というか今なら。


逃げれるのではないか?
いや、逃げる絶好のチャンス。
これ、逃げなきゃダメじゃない?


待ってて、と言われたけど、それを素直に聞いて待つ理由、ないよね?うん、そうだ。自問自答を繰り返しては意を決する。踵を返し元来た道を帰ろうと、足を進めた瞬間。

「名前?」
「っひぁ!?」
「…?……どうしたの?」

振り向けば、いつの間に出てきたのか扉を片手で押し開けて、もう反対の手にカップを持って不思議そうに小首を傾げてこちらを見つめる凛月の姿。背筋が凍る。

「…そ、そこに猫がいたんだ!!!」
「猫?」
「そう!!撫でようと思って近づいたんだ!!」

あぁあ逃げちゃったなぁあ!そう叫ぶ私をじーっと見つめる凛月に、冷や汗が止まらない。目を逸らしたくなる症状を必死に抑えながら、はははと恐らく引きつっているであろう笑みを浮かべ続ける。すると、納得したのか、していないのか。ふーんと興味なさげに呟いて、また私の宙を漂っていた手を掴んで歩き出す。

「ところで何それ?」
「ふふ……。気になる?」

今度は私の小さな歩幅に合わせるようにして、ゆっくりと足を進めてくれている。のんびりとして歩く2人して広々とした歩道。足並みの緩さのせいで余裕ができたのか、今更指を絡ませながら並んで歩いていることに気がついた。

「いまね、有名なんだよここのお店」
「有名?」
「そう、女子高生に人気なジェラートなんだって。せっちゃんが言ってた」
「なるほど。ということはそれ」

ジェラートなんですか?
私の問いかけに、凛月はこくりと頷く。
どうりであんなに女子が多かったわけだ。
というか、アイスならば早く食べないと、溶けてしまうのではないか?

「早く食べなよ。溶けるよ?」
「うーん、そうだね。いただきまーす」

そう言って、透明なプラスチックのスプーンで少し溶けかかった淡いピンク色のジェラートを口へと運ぶ。春の日だまりが暖かいせいか、既にカップの中のそれは日を浴びてツヤツヤと輝いている。おいしそうに頬張り、至極幸せそうな表情をする凛月に、食い意地の張った脳が反応しているのか口内で唾液が湧き出る。

「ふふ、おいしーな」
「……っ」
「あれ?どうしたの名前。そわそわして」

目を逸らして気持ちを落ち着かせる私の顔を、にやりと厭らしく口角を上げて覗き込む彼は絶対に確信犯で。

「……食べたい」
「ふふ。そう言うと思った」

そういってまた一口、見せつけるように甘さの香るそれをパクリと口にする。
くそ、こいつ楽しんでやがる。

「……凛月のばか」
「あぁーごめんごめん。怒らないでよ。ほら、あーんして?」
「あ!?」

穏やかな微笑みを浮かべながら何を言うんだ。しかし、彼は本気なようで。春に沿うような桃色の溶けかかったジェラートをたっぷりと無機質なスプーンですくっては、私の口元に差し出した。本来なら、ここで理性が働くのだが、生憎今の私に、その甘い誘惑は耐え難いもので。

「うん、いい子」

控えめに開いた口に、ひんやりとしたものが躊躇なく差し込まれる。優しく口内に広がったイチゴの甘さに、口もとを緩めると同時、やってしまったと頭を抱える。満足そうに横を歩む腹黒は目を細めている。

どうせあれでしょ。一口食べたからって全額払わせるんでしょ。

「じゃあ、一口食べたんだから…それ相応のことしてもらわないと」

ほら見ろ。思った通りだ。

「わかってますよ、払えばいいんでしょ」
「さすが名前、わかってるじゃん」
「出来るなら、わかりたくなかったけどな」

ああ、もう馬鹿。
意外と高値だったらどうしよう。
肩を落として、中身のスカスカな財布の小銭の数を調べていると、突如強い力で肩を抑えられると同時、ぐるんと体の方向を変えられる。

「!?」
「じゃあ、払ってもらうから」

目の前に映ったのは、今までに見たことのないくらい、輝いていた凛月の顔で。珍しく上げられた彼の口角からは、もう嫌な予感しかしない。

「お題は何円でしょうか……?」
「480円。……でも俺は優しいから」

名前をくれたら、特別に許してあげる。
ね?安いでしょ?

にこりと笑う彼に、一瞬思考が停止する。

誰が、安い、だと……?

そう反論しようとしたが、言葉が喉元でつっかえる。緩やかに弧を描いた彼の目が、冗談ではない、そう私に悟らせるからだった。穏やかそうに見える笑みに潜んでいる、何も反論させないような威圧感。これでもかという程ビシバシ伝わってくる。これ、相当ヤバい。

「ほら、ありがとうは?ないの?」
「ま、待って落ち着いて」

徐々に私の肩を掴んだ手に、力が入っていく。次は物理的な圧迫感に短く悲鳴を漏らすが、彼はそれでさえも楽しんでいるように笑いを零していた。

「…はやく、名前……」




その時。「やっと見つけたわぁ!」聞き慣れた声と同時、見覚えのある金髪が私達の間に割って入る。捕食される間一髪のところで、心配して私達を探してくれた嵐ちゃんが、私と凛月の間に飛び込んでくれたのだ。本気で神様に見えた。

「いいところだったのに……」
「もう!!凛月ちゃんってば、名前ちゃんで遊ばないの!」
「私はおもちゃですか?」

計画が妨げられて機嫌が悪くなってしまうかな。なんて思っていたが、意外にも凛月の顔は嬉しそうだった。いや、余裕がある顔、という言い方が合っているのだろうか。

「まぁ、でも。これで俺と一緒にいる時に『帰りたい』なんて言えないよね?」

さぁ、帰るわよ。と前を歩いていく嵐ちゃんの背中に続こうとしたその時、追い越しざまに横から聞こえた言葉に思わず首を振った。

(増々、もう2人っきりにはなりたくない)