喧嘩のち献花
温かい日差しが窓から射しこみ、教室の温度を上昇させる。教室に辿り着くや否やカバンを乱雑に自分の机の上に投げるようにして置き去りにする。予め出しておいたシャーペンと5色入りのカラーペン、数学のノートを手にして、席で読書に没頭している人物の元へと向かった。
「それでさ、倒したんだよねネイバーを」
「……ああ」
「私のメテオラで」
「……そうか」
数学のノート写させて。防衛任務で授業を休んでしまった翌日には毎回御馴染みになってしまった台詞を吐いて、前の椅子を借りてどさりと座る。そうすれば、彼はああ、とだけ呟いて自分のノートを引き出しから取り出してくれた。お礼を言って彼の机でそれを書き写し始めれば、三輪は呆れたような声で「ここで写すのか……」と小さく呟く。それに「うん」と一言だけ返せば、彼は何を言っても無駄だとばかりに、あからさまに大きなため息をついて、その手にある読んでいた本をぱたんと閉じた。この光景も、今となっては恒例行事のようなものである。
「そしたらアイツ、俺が仕留めた!とかほざくわけ」
「そうか」
「どっからどう見ても私のメテオラなのに!」
「そうか」
しかし大人しく作業をすることがどうにも苦手な私は例の如く口を開いて、それに三輪が粗雑な返事を返す定番の流れになっていく。込み上げてくる苛立ちをそのまま声に吐き出すが、三輪はそんなの気にも留めずに、いつもの淡々とした様子で相槌を打ち続ける。冷めた視線は私のノートから固定されたように動かない。
「だから言ったのね、今のは私がやったんだーって」
「ああ」
「そしたらなんていったと思う?」
「知るか」
棘のある言葉は、とっとと書き写せ、という意味を秘めているような気がした。しかし、そんなことお構いなしで話を続ける。彼には悪いが誰かに聞いてもらわないと気が収まらないのである。ノートを写す手をそのまま動かしつつ愚痴を続ける。
「お前のメテオラより俺のバイパーが強いっていうの!」
「そうか」
「そんなわけないじゃんあのバカ」
「そうだな」
流石、真面目な三輪である。黒板に入り乱れていたはずの大量の数字を、しっかりと色分けまでして綺麗に自身のノートにまとめている。その仕上がりは女子も顔負けのレベルである。
「普通バイパーよりメテオラが強いし、ましてや私のメテオラなんだから負けるわけないのに」
「ああ」
「あ、間違えた。三輪消しゴム貸して」
「……お前」
ごめんね、両手を合わせ笑って誤魔化す。元々の目つきの悪さも相まって、般若のような形相になっている三輪は、数秒固まった後に筆箱から消しゴムを取り出してぶっきら棒に投げてくる。それを慌ててキャッチする、なんだかんだ貸してくれる優しい男である。
「そういう話は陽介とかにすればいいだろ」
「えー」
「朝ぐらい静かにさせてくれ」
「米屋隣のクラスだし、あいつ人が真剣に話してるのにゲラゲラ笑うんだもん」
それになにより、米屋に会いに行くためにはこうして愚痴っている原因である出水本人の顔を見なければいけない。そんなのごめんである。わざわざストレスを晴らすためにストレスを溜めに行くようなものだ。
「三輪がいい」
「都合よく俺を使うな」
「そう言いつついつも聞いてくれてる三輪優しいよね」
「黙れ」
再びギロリと鋭い瞳で睨みつけてくるが、生憎三輪に睨みつけられるのは慣れている。自分のハートもだいぶ鍛えられたな、と感心しながらノートを書き写す作業に戻る。あ、この問題答えが合わない。数回試みても、三輪のノートと異なる数字が=で導き出されている問題を指差して、「三輪、これどうやるの?」目の前の彼に問うべく視線を上げたその時、視界の端に映る学ランに、机の横に誰かが立っているのに気が付いた。
「よっす、水戸」
「米屋じゃん……って、うげぇ」
笑みを浮かべて挨拶をしてきた米屋の横、今もっとも会いたくない人物、ジャージを身にまとっているつり目が立っていて思わず椅子ごと後ずさる。そうすれば、不機嫌そうに口角を下げていた人物は、チラリと此方を見て真っ赤な舌を出して挑発してくる。
「は、うざ」
「うっせ」
「はは、お前ら相変わらず仲いいな」
どうして早朝から顔を合わせなければいけないのか。対面早々にらみ合っている私達を見て、面白そうに米屋が笑い声をあげた。笑い事ではない。そんな様子に三輪は厄介なのが増えた、とため息を吐きながら、不愛想に自分のチームメイトへ「何しに来た」と訊ねる。
「ジャージ忘れちゃってさ、D組今日体育ないだろ?」
「またか」
「わりい!ちゃんと洗って返すからさ〜」
「これっきりだと、前に言っただろ」
応じない構えの三輪を傍目に、これは中々骨が折れそうだと思いつつ、両手を合わせて懇願している米屋に対してご愁傷様と胸の中で唱える。
「で、あんたは何しに来たわけ」
「付添い」
「いらない、帰れ」
「お前の許可なんていらねえよ」
「は?ここ私の教室なんですけど?」
「俺達はお前じゃなくて三輪に用があるんです〜、はいばーか」
顔の筋肉が引きつる。わなわなとシャーペンを握る手を震わせていれば、座る私を見下すキツネ目野郎は、満足そうに口角を上げて笑みを浮かべるのだ。
「あっそ」
吐き捨てて再び机のノートに視線を戻す。もう、こんな奴気にした方が負けである。そこにはイコールの後に間違えた回答が続いている状態のままだった。しまった、そこで聞くタイミングを逃してしまったことを思いだす。しかし、頼りの三輪は今も米屋と交渉中である。
「なに、お前が勉強とか珍しいじゃん」
「うるさい」
「へいへい、そうですか」
必死に頭をフル回転させて問題を解こうと試みるが、まるで見えてこない。どこが間違っているのか、三輪の奴め、途中式もしっかり書いてくれたらいいのに。これだから頭の良い奴は。理不尽な苛立ちを覚えながらも、文字を書くこともできず、硬直してしまったシャーペンを握る手のひらが徐々に汗ばんでいく。
「もしかしてお前……わかんないの?」
「別に」
ちらりと、視線を三輪に送るが、彼はいつもの仏頂面で米屋から顔を反らし続けている。とても聞ける状態ではない。そもそも聞いてしまえば、わからないことがばれて出水に馬鹿にされてしまう。どっちみち積んでいることに気が付いて、仕方なくノートを閉じようとする。
「待て」
しかし、それは突然伸びてきた腕によって阻止される。なんのようだ、怪訝をそのまま表情に映して腕を伸ばしてきた人物を睨むが、彼の視線は真っすぐノートへと向けられていて、私と交わりそうにない。
「なに」
「ここじゃね」
「ここ?なんでよ」
「ほら、ここの計算が違うだろ」
そうして彼の太めの指が、式の一部を指し示す。しかし、その指は手入れを怠っているのがバレバレで、爪が痛々しいほど伸びてしまっていていた。これでこれから体育行くつもりなのか、もし爪がボールに当たったらと考えてしまい、ぞわっとした。
「出水、そんなに爪伸ばしたら危ないよ」
「うるせえ、それよりこっちを見ろ」
「せっかく注意してやったのに……」
「わかったから、ほら」
不満に口をとがらせながらも、言われる通り彼の指先の数字を見つめる。
「ほら、ここの分数の計算ミスしてるだろ」
「あ、ほんとだ」
「後ここも違うじゃん、この掛け算すっ飛ばしてる」
「え、どこ、ちょっと待って早い」
出水の説明の速さについていけず、あわあわとペンを彷徨わせていると、ああもうめんどくさい、と吐き出された嫌味と同時にシャーペンを奪われる。
「は?ちょっと」
「ここと、ここな」
そう言って私のノートに勝手に線を引き出す出水。勝手に書かないでよ、止めようと慌てて声をかけるが、彼は聞く耳を持たない。それと同時、大きな嘆息と同時に三輪が立ち上がる。ありがとー!と米屋が付いていくのを見る限り、三輪が折れて、ジャージを出しに行ったのだろう。やはり優しい。
「よし、これなら流石のおバカな南ちゃんでもわかるだろ」
「は?馬鹿じゃないんだけど?」
「おーい、出水行こーぜ」
「おう!」
「あ、ちょっと、出水!」
「じゃそういうことで」
そういって憎たらしい笑顔のまま、ひらりと手のひらを振って駆け出す出水を、唖然として見つめる。ノートの間違っているらしい部分に雑に引かれた線だけを残して去っていく。数字の上にまで描かれている線に、これではあってる部分まで消さなければいけないではないか、大きな嘆息をこぼす。出水とすれ違った三輪が、ゆったりとした足取りで戻ってきた。
「三輪、お疲れ」
「ああ……」
椅子に腰を下ろした三輪の表情には、まだ1限すら始まっていないというにも関わらず、既に疲れの色が表れていた。
「お疲れ様」
「お前も早く書き写せ、いつまでここにいるつもりだ」
「何だかんだ三輪優しいよね、やっぱり」
「聞け、おい」
彼も中々の苦労人だなと思いつつ、静かにノートに視線を落とす。気が付けばそろそろホームルームが始まってしまう時間だ。私が占領している席の住人のためにも、そろそろ戻った方がいいだろう。
「ごめん、ホームルーム中借りてもいい?」
「好きにしろ」
「おけ、ありがとう」
消しゴムにくっついてしまっているカスを払って、彼の机にそっと置く。席を立ちあがって、ページをそのままに自分の机へ戻る途中。
「おい!南!」
その時、教室の入り口から聞きなれた叫び声が聞こえて、なんで戻ってきた、と思いつつ振り返れば、ジャージ姿のまま、教室の扉に手をかけて此方をみているあいつの姿があった。
「さっきの貸しだからな!」
「は!?」
そう言って、にやりと意地悪い笑みを浮かべてどこかへ駆け出していく出水に、思わず目を見開いた。ノートに視線を落せば、そこには先程と変わらず乱暴に走らせられた黒い線。全くなにが貸しだ、心の中で悪態をついた。
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