
触れた熱揺れた熱
「歌羽……」
木々の間から差し込む木漏れ日が、ゆらゆらと揺れている。
今、何が起きたんだろう。
*
木々の間から差し込む木漏れ日が、ゆらゆらと揺れているベンチに彼はいた。夏の肌に張り付く様な暑さの中で、ぐったりとした様子の瀬名に慌てて駆け寄る。
「う……」
なんでこんなになるまで放っておいたのだろうか。自己管理には他人も絶句するほどうるさい彼が、動けなくなるまで無理をするなんて、有り得ない。もしや夢でも見ているのではないかと疑わざるを得ない現状に、目を瞬かせていると、うっすらと開いた唇からくぐもった声が洩れた。
「瀬名?瀬名!?」
「起きてるの!?」
「しっかりしろ!!」
ベンチにぐったりとしてうなだれている瀬名。モデルだからか常時ピンとしている背筋も、今ではだらしなく猫のように丸めれている。ぐらつく肩をゆすってみても、銀色のくせ毛がふわふわ動くだけで、相変わらず起きる気配がない。赤くなった頬にそっと触れてみると、走ったせいで冷たくなってしまった手のひらに、ダイレクトに熱が伝わる。まるでホッカイロのような高温に、全身から血の気が引いた。
「嘘…」
「……ぁ」
「瀬名?」
木の葉のこすれる音に混じった、蚊の鳴くような低い声を聴くためそっと耳を澄ませる。鋭い太陽光のせいで熱を持った地面に、そっと膝を付き俯き気味な瀬名の顔を覗きこむ。伏せられた瞳のせいでわかってしまった、私よりも長いまつ毛に目を奪われたその時――
「…ば……か…」
「…え?」
見惚れていた私が悪かったのか。首裏に回った熱い腕、がっしりとした男のそれに引き寄せられて、反動で瀬名の太ももに両手をつく。見かけとは裏腹に、硬い筋肉質な感触がして驚いたのもつかの間。視界に瀬名の長いまつ毛だけが映っているのは何故か、止まり掛けた頭で答えを導き出す。
その瞬間、唇に柔らかい何かが押し付けられた。
瀬名の柔らかい髪の毛が私の額を掠めて、ゆっくりと開かれたアイスブルーの瞳と視線が絡み合う。突然の出来事に頭は真っ白になり、思考回路が停止する。澄んだ瞳の空色の奥に、燃えるような何かがゆらゆらと揺れているように見えた。
「歌羽……」
彼の口から紡がれた名前、初めて聞くはずのそれが何故かひどく懐かしかった。あっという間の出来事。刹那的な出来事のはずなのに、まるで時が止まってしまったかのような錯覚が起こった。胸の中で反響する瀬名の呟いた言葉。木々の間から差し込む木漏れ日がゆらゆらと地を照らしているのが、視界の端に映る。視界の大半を独占する映った赤く染まった頬、アイスブルーの瞳、銀色の猫っ気。その熱籠った瞳がそっと離れて、私の首に回った熱い腕が、力無く垂れさがる。
「…っぁ……」
「…せ、瀬名?」
聞こえる苦しそうな呼吸音に、一気に現実に引き戻される。慌てて声をかけるも閉ざされてしまった瞳はびくともせず、手足からは力が抜けきってしまっていた。その姿に嫌な予感が頭を過ぎる。早く保健室に連れて行かなければとその腕を自らの肩に回してみるが、鉛のような瀬名の身体は、全く動いてはくれない。
「瀬名、ちょっと動いてよ」
「聞こえてんのちょっと」
「……まじか…」
これじゃあ背負うことだって横抱きだって出来ない非力な私は何もすることができない。すぐ横で荒い息をしている瀬名を前に、何もできない自身の力不足が切なくなって、ぎゅっと拳を握った。とりあえず先生を呼んでくるしかない、このままにしていくのは心配だけどそれしか方法ない。
ギラギラと青空から照り付ける鋭い日差しが、サイレンのようにけたたましい蝉の音が、“急げ”というように私を急かす。戻らなければ、と踵を返した刹那。
「っ歌羽ちゃん!」
「……え?羽風?」
「貧血なのにっ…走り出すのは、どうかと思うんだけどっ……ん?…あれ、瀬名君?!」
息を乱しながら駆けてきた羽風は私の後を追いかけて来てくれたのだろうか。何にしろ助かった。私が安堵の息を漏らすと同時、ベンチにぐったりとしている瀬名を見たのか、羽風はギョッと目を見開いた。視線の先にいる瀬名は、顔が赤く息が切れ誰が見ても異常だ。
「わ、これヤバいんじゃ」
「私じゃ抱えられなくて」
いつもへらへらと笑っている印象が強い羽風も、流石に驚いたようでその顔からは笑みが一切消えていた。私を一瞥した直後、瀬名の脇に手を伸ばす。
「瀬名君、立てる?俺、男をお姫様抱っこしたくはないんだけど」
「それがさっきから返事が無くて……」
「じゃあ仕方ないか、よいしょ」
「羽風ありがとう。助かった……」
横抱きにされている瀬名の表情は、終始苦しそうに顰められている。悪夢にでもうなされているように、荒く吐き出される息と時折洩れる唸り声に、こちらまで苦しくなりそうだ。
「はは、ちょっとは見直してくれた?」
「うん、すごく」
「え…、すごく嬉しいんだけど」
「私だけじゃきっと……」
足早に足を進める羽風の横に付いていく途中、言葉を紡ぐことと共に歩みを止めた。“もし羽風がこなかったら”そう思うだけでゾッとする。
「じゃあ、お礼はデートでどうかな」
「ちょっと」
「ごめんごめん、瀬名君の一大事にこんなこと言うのはだめだよね。もし彼に意識があったら、後でいろんな意味で怒られちゃいそう」
いろんな意味?それを問う間もなくその瞬間、瀬名の指先がピクリと跳ねたらしい。もはや戦力0の相手に「ごめんごめんて」と謝りだす羽風が面白くてくすりと笑った。それと同時によみがえる数分前の記憶。
「歌羽ちゃん?」
「え?えっと……佐賀美先生いるかな?」
「え、あぁ…どうかな…」
「私、先走って見て来る。鍵閉まってたらまずいし」
羽風の返事も聞かずに駆け出す。きっとあのままいたらいずれボロが出て、染まった頬がバレてしまう。パニック状態になっていたせいでいつの間にか塞がれていた記憶の栓が抜けたように蘇り、フラッシュバックされた先程の出来事のせいで頬が熱くなってゆく。沸き上がってくる熱を塞ぐように口元に手の甲で蓋をした。
はらはらと自身の内の何かに急かされながら靴を履き替えて、必死に廊下を駆ける。日が当たらない分、廊下は涼しいように思える。それなのに嫌気がさすほどに相変わらず頬は熱を帯びたまま。
瀬名の呟いた声が耳にこびりついて離れない。振り払いたくて走ってるのに、熱籠った水色の瞳も、紅潮した頬も、熱混じった吐息も、何もかもちっとも頭から離れてくれない。
「佐賀美先生!!!」
保健室の扉を乱暴にノックして、ドアを引くと同時に先生の名を叫ぶが、何時まで経っても帰ってこない返事に、ああ、またいないのかとため息をついた。だらしのない保険医のせいで、覚えてしまった各道具の収納場所。保冷材を冷蔵庫から取り出して支度をはじめる。まず体温計を用意しなくてはと透明な入れ物に刺さってある体温計を手に取ると、いつの日か、いつもの仏頂面で体温計を渡してきた記憶がよみがえって、何故か胸が締め付けられる。
「……本当に、最悪だ」
ちっとも冷めてくれない火照る頬に苛立ちながら、手の甲で唇を押さえた。蘇る映像の中で確かに触れ合っいた私の唇と瀬名の唇。あれってやっぱりキスだよな。願いとは裏腹に頬の熱は一層強まるばかり。あれは熱のせいでたまたま起きてしまった事故だったのか?それとも…。
“歌羽……”
どこか切なそうな声で、呟かれたのは確かに私の名前だった。彼は一体、夢の中で何を見ていたのだろうか。ドクドクと心臓が忙しなく音を立てる。おかしい。走ったせいで乱れた息はもうとっくに治まったはずなのに、鼓動はまだ早いままだ。
「歌羽ちゃん、先生いた?」
「あ…ううん、いなかった。悪いんだけど、幸いベッドはどこも空いているから適当に寝かせてもらえる?」
「りょうかい」
羽風の声にはたと我に返る。慌てて保冷剤をタオルに包んでいく。それから体温計を持ってベッドに駆け寄る。横たわった瀬名の頬は相変わらず赤みを帯びている。
「よし、これで俺はお役ごめんかな」
「それが…その。……羽風」
「ん?」
「体温計…、差してもらえますか?」
申し訳なさ、気恥ずかしさが混ざって、目線を反らしながら体温計をおずおずと差し出すとくすりと羽風が笑った。
「いいよ。瀬名君ー、聞いてないだろうけど、ボタン少し外すからねー」
「ごめん、男の服脱がす趣味ないだろうに」
「いや、歌羽ちゃんにさせるよりは…。というかそのいい方止めて」
もう少し彼に看病を手伝ってもらわなくては困る。真っ赤な瀬名の頬と、熱を冷ますため関節部分に挟む予定の保冷材たちを見比べて、ふと息を吐いた。
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