
もらうだけでは悪いので
「あ、歌羽〜」
「あ……、奏汰」
朝、人通りもそこそこの廊下に出たところ、隣の教室から出てくる水色の頭とぱちりと視線が交わる。今日は晴れているが、これから噴水に浮かびに行くのだろうか?尋ようと口を開きかけるが、奏汰が嬉しそうに顔をほころばせて、手元のビニール袋をぶらぶらと揺らしながら、此方に駆け寄ってくるものだから、そっと言葉をしまい込んで、彼にゆっくり歩み寄った。
「ちょうどいま、歌羽のところにいこうとしてたんですよ」
「そうなの?」
「はい」
「えっと、なんか用?」
ゆらゆらと、まるで波にでも漂うかのように揺れている奏汰が、重そうに膨れたビニール袋を両手で前に出す。突如、突きつけられた得体のしれないコンビニの袋に目を瞬かせていると、奏汰がどうぞと微笑んだ。
「えっと、これは……?」
「このまえの、おわびです」
「このまえ…?あ、もしかして噴水の?」
「はい。あのとき『ぱん』を、たくさんおとしていきましたから」
「なるほど」
そういえばすっかり忘れてしまっていたが、パン、落としていったな。大量に。さりげなく顔の角度を変えて、袋の中を覗き見る。中には、あの時私が持っていたような菓子パンがたんまりと、そこに紛れてチョコやクッキーなどお菓子もあるようだ。
「ありがとう。でも、大丈夫だよ。もともとあれは千秋が奏汰にあげる予定のものだったし」
「え…?ちあきが、ですか」
「そうそう」
「そうなんですか。…ふふ、あんしんしました。でもせっかくですからもらってください」
再度高くあげられた腕に、これ以上断るのも悪いので、おずおずとその袋を受け取る。
「ありがとう…あ、これ」
「すきなもの、ありましたか〜?」
「うん、このチョコクッキーすごい好きなんだ」
良く見てみれば、お菓子系は私の好きなものばかり。奏汰は意外にこういうものを選ぶのが得意なようだ。てっきりおさかなにしか興味がないと思っていたのに、意外だ。
「本当にありがとう」
「ふふ、よろこんでもらえてよかったです。かおるに『おねがい』したかいがありました」
「……薫?」
「はい、かおるです」
なるほど、そういうことか。この前「チョコ好き?」とか「お菓子何が好き?」とかいう質問攻めに、隣にいた瀬名がうるさいと怒ったことがあったが、それはこのためだったのか。
「そっか、じゃあ羽風にもお礼用意しなくちゃね」
「はい、かおるもよろこびます」
にこっと穏やかな笑みを浮かべた奏汰の髪の毛は相変わらず濡れている。また噴水にでも使っていたのだろうか?奏汰は嬉しそうに笑みを浮かべたまま、ふわふわと揺れ始めた。
「なんだか、歌羽、ふんいきがかわりましたね」
「そうかな?いつも通りだと…思うんだけど」
「なんだか、ひょうじょうがあかるくなりました」
ふと、夏にしてはひんやりとした手のひらが頬に触れて、びくりと肩が跳ねる。奏汰の優しく弧を描いている瞳に見つめられると、気恥ずかしくなって視線を逸らした。
「よかったです」
「え?」
「ふふ、じゃあぼくはいきますね〜」
「え、うん。いってらっしゃい」
この場合、送り出す言葉はこれであっているのだろうか。若干の違和感を覚えながら遠ざかる背中を見送る。ふわふわと飛んで行ってしまいそうな程重力を感じないスキップをして去っていく背中を見つめながら、ふと大量に受け取ってしまった菓子パンをどうしようかと考えていた。
*
「はぁ!?聞いてないんだけど!」
「当然だ。今言ったからな」
「意味わかんない!俺、絶対嫌だから!!」
「まぁそう言うな、仲間じゃないか」
教室に戻るや否や聞こえてきたのは、瀬名の怒声と、千秋の元々大きな声。ビニール袋の中身をつぶさないように注意しながら自分のカバンにしまい込む。その間もその会話はますます音量を上げていく一方で、初めこそ放っておこうと思ったものの堪らずについ口を開く。
「うるさいんだけど」
「ちょっと今はまじでやめて」
「なにそれ、いつも人のことうるさいうるさい言ってるくせに」
「あぁあ!!見てわからないわけ!?今はまじで腹立ってんの!!」
クーラーの冷風を腕に感じながら、隣で机を指先でコツコツ叩く瀬名に視線を向ける。なんでこんなにも苛立っているのだろうか。不機嫌なことはいつもだし千秋に向かって声をあげるのも良くあるが、普段とは何かが違うような気がする。
「本当あんたって空気読めないよね!!」
「はぁ!?なに急に!大体瀬名が短気過ぎるんだよ!」
「あぁ〜……。お取込み中悪いんだけどさ、歌羽ちゃん借りていい?」
目の前の短期男が噴火の如く飛び散らす悪態にそろそろ私も声を荒げ始めた頃、羽風が気まずそうにも面倒くさそうにも見える面持ちで、ひらひらとプリントを振りながら現れた。羽風を一瞥した後「勝手にすれば」といってそっぽを向く瀬名。
「どうしたの、羽風」
「ごめんね、ここの休憩がライブ開始時間と矛盾してて」
「ん?あぁ、本当だ。…ちょっと待って」
そういえば、明日はUNDEADのライブが行われるんだった。確かファイルの中にプロデューサー用の詳細資料があったはず。机の端のカバンを持ち上げてチャックを開き中を探す。
「まじでうざい…」
「まぁ瀬名、そう怒るな」
「もとはと言えばあんたのせいで怒ってるんだけど」
瀬名の背中をバシバシと叩く千秋が視界の端に映る。膨らんだファイルの中のかさばったプリントを一枚一枚、めくっていると、目当てのプリントを見つける。指で問題の個所探るように指を滑らせれば、それにつられるように羽風がぐっと屈んでプリントを覗き込んでくる。
「あった。…えーっと、あ、此処だ。こっちが正しい予定だと思う」
それに合わせるように彼に見えるようにプリントの向きを変えた。
「んー?あ、本当だ」
「取りあえず後で問い合わせて、今日のレッスン時に報告に行こうと思うんだけど、それでいい?」
「うん、全然大丈夫。ありがとう歌羽ちゃん」
「いえ、こちらこそ。……あの修羅場に巻き込まれないで助かった」
未だに不機嫌そうな瀬名を一瞥して、心からそう感じた。
「あはは、歌羽ちゃんも大変だよね」
「俺だったらまいっちゃう」そう言ってしのび笑う視線の先は、もうあえて見ないことにした。つられるように空笑いする。
「そういえば羽風、ありがとう」
「え?俺なにかしたっけ?」
「奏汰のお菓子、羽風が選んでくれたんだってね」
そうしてつい先ほどのことを思い出す。再度カバンのところへ手招いてこっそり中を開けて見せると、何のことだかわかってくれたのかバツの悪そうな顔で薄く笑みを浮かべた羽風。
「あぁ〜……。奏汰くん言っちゃったんだ」
「ははっ、うん。言っちゃった」
この反応を見る感じ、彼は奏汰を立てたかったのかもしれない。
「好きなもの多くて吃驚しちゃって。お礼言ったら羽風が選んでくれたんだよ〜って」
隣で「大体あんたっていつもそうやって」と小言を唱える瀬名と「そう怒るなって、いや悪かった」と謝っている通常運転の2人の会話が耳に入ってくる。
「羽風にもお礼言ったらきっと喜ぶよって言って奏汰が教えてくれたんだよ」
「はは、なるほどね。奏汰くんらしいっちゃらしいけど……」
いやぁ恥ずかしい。そう言って珍しく頬を赤くている彼は大きな掌で口を覆って視線をそらす。まさか私にばれるとは思ってなかったんだろうか。その意外な反応に思わずにやにやが止まらなくて。
「ありがとう、羽風」
「ちょ、歌羽ちゃん追い打ちやめてって」
「流石羽風、女の子への贈り物をよくわかってるねぇ?」
「もう、キミってほんとう意地悪なんだからー…」
そう言って困ったように笑う羽風の目は優しくて、ちょっとドキッとした。からかってもこんなに優しい人っているんだな。覚えておこう。そう言いながらはっとしてカバンごと机の上によいしょと乗せる。
「まぁ、可愛い女の子に意地悪されるのは嫌いじゃないけどね」
「はいはい。ねえ羽風、この中でほしいのあったらあげるよ」
「え、いや、いいよ!?」
「遠慮しないで、お礼ってことで……こんな食べれないし、ね?」
そうして断るように手のひらを左右に振り身を引く彼を引き留めるべく、その手を掴んだその時。
「ねえ、何やってんの?」
いつの間にか机の真横に瀬名がいて、先ほど通りの不機嫌面で羽風に伸びた私の腕を凝視していた。先ほどまで一生懸命に千秋に怒っていたのはもう終わったのだろうか。辺りに千秋の姿は見当たらない。返事しない私と、やばい、というように顔を引きつらせている羽風に対し、その顔は一層般若に近づき「ずいぶん仲良さそうじゃん」とさらに低い声が降ってくる。
「羽風にお菓子あげようと思って」
「お菓子?」
怪訝そうに顰められる眉。
「そう、瀬名もいる?」
適当な箱を1個選んで瀬名に向けて差し出してみる。いる、と問いつつもきっと瀬名なら「太るからいらない〜」とかなんとか言ってそっぽ向くんだろうなあ。そう思ってたのに。
「……もらうわ」
そう言って箱を受け取る彼に羽風と2人で目を開いた。
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