
不器用の中に
「歌羽熱心に頑張ってるなぁ〜」
「あっ、なずな」
「やぁ」
チクチクと、針を布に通す作業を延々と続けている昼下がり。聞き馴染んだ明るい声に顔をあげた。3-Aの教室へ堂々と入ってくるなずなの後ろに、縮こまっている小さな姿を見つけてハタとする。
「あら、柴之くん?」
3年生の教室にすっかり委縮しまっているその姿はまさしく怯えた野兎のように見えた。
「お……おじゃまします」
「いらっしゃい、そんな怯えなくていいよ」
「ははっ、そうだぞーはじめちん」
正しくグループ名であるRa*bitsらしい様子であると思えば、当の本人には申し訳ないがその姿が微笑ましく見える。なずなの背後に未だ隠れるその姿は、私たち2人の歓迎する声かけがあってもなお変化する様子がない。
「ありゃ〜…、まぁ、3年生の教室だし無理もないかぁ」
「す、すみません校内アルバイトで来ることは多々あるんですけど改めて遊びにくるとなると…」
「そうだよねえ」
ましてや3-Aは曲者だらけだもんな。瀬名や日々樹などクラスのキャラ濃いメンツを思い出しては、思わずため息をつきたくなった。
「そして、今日はどうしたの?」
「歌羽の様子を見に来たんだよ」
「様子?」
そうして目前にやってくるなずなが「はい」と言って水のわずかに滴るお茶を机に置いてくれる。「ありがとう」そういえば「頑張ってるからな!差し入れだ」といって頭を撫でてくる。子ども扱いはやめてっていってるのに。意を込めて目を細めてみるが、彼はそんな私の控え目な意思表示に気づいてはくれない。
「お前のことだろうからきっと休むのも忘れて頑張ってるんだろうと思ってな」
「そ、それはまぁ……」
ぐうの音もでない。全てを見透かすような笑みから逃げるように目を反らす。
「やっぱりな〜。駄目だぞ、ちゃんと休まなきゃ」
「でもほら、もうすぐだしライブ」
「そんな急くほどないだろ」
「そうだけど、でも何時仕事が増えるかわからないし……」
できることはしておきたいの。そういえばなずなは呆れたように息をつく。こんな会話も気が付けば何回か経験済みであった。なずなは心配性なのだ。しかし、このライブが終わり卒業まであと1年もない今、恒例となりつつあったこのやり取りもあと少ししかできないんだろうな。そう思えば寂しさをおぼえる。「あの、先輩」そんな中なずなの隣にいた紫之くんが口を開く。
「僕にできることがあれば何でも言ってください。裁縫とかは得意ですから……!」
そう言って若干頬を赤らめつつ手伝いを申し出てくれるその姿はとても可愛らしい。
「ありがとう、嬉しい」
「歌羽先輩にはたくさんお世話になりましたから、少しでも恩返ししたくって」
「ふふ、大げさだよ」
「はじめちん、歌羽が最近忙しそうなのを心配してなにか手伝いたいっていうから連れてきたんだ」
だからここに紫之くんがいたのか、ようやく理解する。本当にいい後輩に恵まれたんだね、なずな。恥ずかしそうに笑う紫之くんをみつめるなずなの目は、慈しむようなお兄ちゃんの優しい眼差しだった。もっとも、そんななずなや後輩たちに出会えた私もまた、きっと恵まれているんだろうな。そう痛感する。
「まぁ、ちょっと息抜きしてきたらどうだ」
「ありがとう、でももうちょっと頑張る」
「こら」
そうやって根詰めすぎるの、お前の悪いところだぞ。そうして抗う間もなく手元の衣装と針を没収される。「あ、ちょっと」そういう私を無理やり立たせると、教室の入り口に向かってぐいぐいと追いやるなずな。その普段とは違う強引さに困惑する。
「その間、はじめちんと俺が進めとくから」
「でも、悪いよ」
「いーの、たまにはお前も甘えていいんだ。外の空気でも吸って涼んできな」
そう言っていつものように明るい笑みを浮かべているなずな。その後ろの紫之くんをちらっと見れば、また優しく微笑み「任せてください」とほほ笑まれた。「じゃ行ってらっしゃい」その台詞に見送られ、半ば締め出される形で自教室を離れる。……とはいうもののどこへ行けばいいのだろうか。涼んできな、といってもこの暑さの中じゃ涼しい場所なんてどこにも……。と思いつつも、足はまるでいく先が決まっているかのように自然と動いていった。
*
「……あいつももう少し、素直に甘えられたらいいのにな」
「に〜ちゃん?」
中途半端なところで作業が止まっている彼女から奪い取った衣装を、早速手にし縫い始めようとする紫之に対して、いまだに彼女を追い出した廊下を覗き込みながら言葉をこぼしたなずなを、紫之は不思議そうに見つめていた。恐らく泡瀬先輩のことなんだろう、目前の先輩がよく彼女のことを口にして心配をしていることを彼はよく知っていた。自身の隊長は本当に心優しいと、口を緩めては視線を再び手元へと落としては針を動かし始める。なのでその先でなずなが誰を見ていたのか、紫之にはわからなかったのだ。
*
水の流れるような、はじけるような、そんな音。いつの日か吸い込まれるように辿り着いたこの場所に、気が付いたら足を向けていた。開けた広場の中央で今日もきれいな純水の噴き出す噴水を見上げてみる。今日は奏汰はいないようだ。そして思い出すのは先日の出来事のこと。あのときは予想外の出来事の連続で大変だったなあ。奏汰に引っ張られて落ちたこと、瀬名が慌ててやってきたこと、ジャージを貸してくれたこと……。あれから何日も経っているというのに、昨日のことのように鮮やかに蘇るのはどうしてか。
「何やってんの?」
その答えにたどり着くよりも先に声を背後からかけられる。振り向けばちょうど考えていた人物がそこにいた。
「瀬名」
「また落ちても今度は助けてあげないからね」
「落ちないわ」
ホントにこいつは1日1回人を馬鹿にしないと死ぬ病にでもかかってるんだろうか。口をとがらせながら噴水の淵に腰を下ろす。大体そう何度も何度も落ちてたまるか。石でできたそこは日中陽ざしに晒されているせいで、素手で触るには少々暑かった。かすかに触れてはそっと手を引っ込める。背後に水の音でも聞いて少し休もうと思ったのだ。日焼けが嫌いな瀬名のことである。どうせ通りかかったついでにからかってきただけで、すぐに立ち去ることだろう。しかし、予想は外れて、瀬名は私と同じく隣に腰を下ろしたのだ。
「え?」
「なにさ」
「いや、座るんだと思って」
「なに、俺が座ったら悪いわけぇ?」
すぐ隣に目を向ければ思いのほか至近距離で。いつも通りに口角を下げては不機嫌そうな表情のまま、じとりと視線が向けられた。
「俺だって休みたいときぐらいあんの」
「そう」
だからってわざわざ日差しの強い屋外で休まなくてもいいんじゃないの。そんな疑問を再び投げかければ苦虫を噛み潰したような顔で無言の圧をかけられたので、そっと口を閉じた。はぁとため息交じり、おもむろに手をついた瀬名は、思った以上の熱さに驚いたのか、即座に手を離しては「あっつ!」なんて珍しく声をあげるものだから、それが可笑しくてつい、ふっと息を漏らしてしまう。
「笑うな」
「いや、だって……ふっ」
「マジあっつ、なにこれ。アンタこんなところによく座ろうと思ったよね」
よほど熱かったのがたまらなかったのか、大げさに手のひらをふっては背後の噴水に躊躇なく手を突っ込む瀬名。大げさだって笑えば「いやアンタが鈍いっていうかリアクション薄いだけでしょ」って。
「別に普通だよ」
「いっつも事あるごとにオーバーなぐらい騒ぐくせに、こういう時だけ澄ましてんだから紛らわしいったらないよね」
「瀬名こそ、いつも澄まし面なくせにこういう時だけ……っくふ」
「だから笑うなって!」
じわじわとこみ上げる笑いを抑えきれずに噴き出してしまう。すると気恥ずかしさを覚えたのか、焦ったように言う瀬名が人差し指をくの字に曲げては咎めるように私の頬をぐにぐにと押してくる。
「ふふっ、ごめんごめん、にしても瀬名がこんなところにくるなんて珍しいよね」
「だからそれは、休もうと思っただけって……」
「ほんとは何かしに来たんじゃない?」
「……」
地面に視線を落とす横顔はどこか真剣なように見えた。
「答え合わせしようと思って」
刹那吹く荒れた風が水しぶきを運んで、熱い身体をわずかに叩いた。
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