雨降り零れた一粒は

「もう無理。席変わってよ千秋」
「だめだ」

瀬名と歌羽は隣同士だ。胸を張って言う千秋。「なにそれ意味が分からない」そう不機嫌をそのままに言葉をぶつけてみるが、目前の千秋は相変わらず高らかに笑うだけだ。

「その小学生みたいな悪ノリまじで要らないから!」
「泡瀬、そんなに席が嫌なら俺が変わってやる」
「あめええええええいじんぐ!」
「……結構です」

不機嫌そうな面持ちのまま眼鏡をくいっと上げている蓮見の申し出を即座にお断りする。彼の席で暴れている日々樹渉、彼の相手を務めるのも大概面倒であることはとっくのむかしに実習済みであった。大体なんであいつうちのクラスにいるんだ。日々樹はBクラスのはずでしょ。

「神出鬼没は瀬名だけで十分なんだわ」
「なんだって?」
「なんでもなぁーい」

じとりと向けられる視線をかわして、ふと窓の外へ目を向ける。あんなことを言われたばかりだというのに、こうしてつっかかってくるのはいつもと変わらないから調子が狂う。目が合わせられないのはコイツの目つきの悪さ故なのか、先ほどの気まずさ故なのか、これじゃあ分かったもんじゃない。どうして瀬名はこうも平常心でいられるんだろう。こういうところやっぱり肝が据わっているというか図太いというか。

「雨……」

先ほどの熱を振りまく晴天とは打って変わって、どこまでも広がる曇天。ざあざあと荒々しい音を立てて窓を叩く雨は、暫く止まないだろう。頬杖をついて窓を見つめていた。帰りまでには止んでくれるといいのだが。だって今日、傘を持ってきていないもの。

「ったくプロデューサーなんだから天気予報ぐらい毎日確認しておきなよね」
「うっるさいな」

というか心読まないでよ。どうして窓を見ていただけで私が天気予報見てないのわかるんだよ。ずっと避けていた目線をついに瀬名に向ける。すると頬杖をついてこちらを凝視していた瀬名と視線がかち合う。

「帰りまでにはやむといいね」

にやりと口角をあげた台詞に心など籠っていないのはすぐにわかった。しかし、それを咎める気になれなくて。憂鬱な気持ちを吐き出すように重く息を吐いた。今日は放課後の予定どうなっていたっけ。今のうちに帰りそうな時刻の天気予報確認してみよう。スカートのポケットからスマホを取り出しては日暮れの天気を検索してみる。ああ、やっぱり。ブルーの傘マークと降水確率の高さに思わず2度目のため息がこぼれた。



「やっぱり止まなかったかぁ〜」

昇降口、熱っぽい湿った空気が身に絡みつく。夏の雨ってこれだから嫌なんだよなあ。窓から見えて想像していたよりも数倍強い降り方にどうしようかなと曇天の空を見上げる。レッスンを一緒にしていた衣更くんが、レッスン中に頻りに窓の向こうを気にしているのを察したのか「帰り、送りましょうか」なんて声をかけてくれたが、大人しくお願いしておくべきだった。先輩だしプロデューサーだしなんて変な見栄はらなきゃよかった。

「ほら」

隣に並ぶ人影。見るとそこにはぶっきらぼうに傘を広げた瀬名が立っていた。主張するように傘をくいっと前に動かす動作をみて、反射的に手を伸ばす。

「ありがとう」

受け取ろうとするが、瀬名は傘を手放す気配がなくて。引っ張ってみても、力強く握られているせいかそれはまるでびくともしない。

「え?」
「いや。え?はこっちの台詞なんだけど」
「貸してくれるんじゃないの?」
「そしたら俺が濡れるでしょ」
「だめなの?」
「駄目に決まってんでしょ」

なに、馬鹿なのアンタ。訝しげに見下ろす視線が肌に刺さった。まあそうだよね、瀬名だもん。傘を失くしてずぶ濡れで帰るだなんて絶対しないよね。他人に傘とか絶対あげるわけがない。相手があの遊樹くんだったとしたって、相合傘でいくだろう。いや、遊樹くんだからこそ相合傘するか。なんて考えていると、瀬名が大きめな傘の中に私をいれる。自然と身を寄せ距離が近づく。

「一緒に入ればいいでしょ」
「えぇ……」

苦い声をこぼすそんな私の様子はお構いなしに雨の中へ足を進める瀬名。でもこの足は止まったまま。

「なに、濡れたかったらそのまま帰ったっていいんだよ」
「いいよ、羽風とかに入れてもら……」
「早く、行くよ」

振り返った瀬名は無愛想のまま私の言葉を遮った。三年間、一緒に帰ったことなんてなかったのに。それなのにどうしてか、その姿が懐かしく思えて仕方ない。私は以前にも瀬名にこうして促されたことがあったような。

「うん」

渋々その傘の中に潜り込む。身長の高い瀬名が持つ傘は私の頭よりも当然高い位置にあって、瀬名との身長差が顕著になる。人1人はいるだけであれば余分が出る程の広い傘。瀬名のことである。自身だけではなくその少ない荷物が濡れるのことすら嫌悪するため、広いものを選んだのだろう。しかし、いくら大きめな傘とはいえ、人2人を入れるには些か窮屈なようで。外側にある私の肩がぎりぎり収まるほどであった。一方瀬名はどうだろうと、わずかに前のめりになって様子を伺おうとすると「あんまりうろちょろしないで」そう言って定位置に押し戻される。

「瀬名、肩……」

一瞬だったけど、見えてしまった。瀬名の肩から腕に伝う雨水。

「なに?聞こえない」
「……ううん」
「あそ」

少し強い口調の瀬名に、言いかけた口を閉じて、なにも見えなかったことにした。

「そういえば迫ってきたね、夏の大型ライブ」
「ああ、そうね」
「仕上がり具合はどう?」
「まぁそれなりには。細かいところはまだ調整が必要だとは思うけどおおまかなところはだいぶできたかなって感じ」
「そっか、最近見れてないからなぁ」
「まぁアンタの場合、グループかかわらずあちこちで引っ張りだこだもんねぇ」

ほんと、どこのグループ所属なんだかわかったもんじゃないわ。嫌味をこぼす瀬名にすみません、と謝ることしかできなかった。現時点でプロデュース科は私のみ。舞台演出や衣装など、ほかにいないからとは言え、自分のグループないがしろにして他グループに気を回し過ぎた自覚はあった。

「まぁいいけどさ。それがアンタの仕事だし……昔っからそういうやつだったしね」

見上げる横顔はまっすぐに前を見据えているが、懐古しているのかその表情は穏やかだった。

「ねぇ、瀬名」

思わず、足を止める。おいてく瀬名の足並みに合わせて傘と離れて、頭に雨が降りかかる。それに気が付くや否や「ちょっと、濡れるでしょ」だなんて、呆れ交じりに言いながらも、すぐに傘へと入れてくれた。

「あの日も、雨が降ってたの。覚えている?」

あの日もそうだった。溺れた私を助けてくれた時も、幼い顔で眉間にしわを寄せるように歪めては「なにやってんの」って咎めるような言い方してるくせに、仕草はすべて優しくて。

「……うん、覚えてる」

同じ傘の元、アイスブルーの澄んだ瞳と視線が至近距離で交じり合う。

「私、瀬名のこと私を助けてくれた王子様みたいなかっこいい子。確かにそう思っていた」

昼下がりに言われた通り、記憶の中の優しくて幼い王子様。幻想かもしれないほど曖昧だった記憶の一欠片である瀬名泉という人物に恋いをしていた。

「確かにこんな生意気でひねくれていてムカつく奴だったのは記憶になかった。想定外だった。でもだからって幻想だけで何年も1人の男の子に憧れていられるほどじゃない」

瀬名は黙って私の声に耳を傾けてくれる。雨音でちゃんと届いているのか不安になりそうだった。傘を無数の水の矢が降り注いではバチバチと音を立てる。真正面向きでハッキリ見えるようになった瀬名の肩はやっぱり濡れていて。半袖の白いシャツが引き締まった腕にべったりと張り付いてしまっているのが良く見える。

「好きなの」

堪らずに零れてしまっていた。

「不器用なのに優しくて、優しいのに素直じゃなくて。私を大事にしてくれたこと、痛いほど覚えてる」

濡れている肩に手を伸ばしてそっと触れれば、僅かばかりにひんやりとした感覚が伝わってくる。

「こういうところ全然変わってないの」
「……」
「好き」

泣きそうだ。積年の想いをようやく口にしたせいか、想いは溢れて息すら苦しくなる。瀬名は口を開かない。無表情のまま私をまっすぐに見つめているだけで、その真意は読み取れない。それでも、一度出してしまったら最後、想いは湯水のごとく言葉となってとめることができなくて。ずっと瀬名が好きだった。再会したときは嬉しかった。でも記憶との瀬名のギャップで瀬名を嫌いになった、と思っていた。そんな瀬名に恋をしているのだと自覚したのは最近だったけど、恐らく私はずっと。気が付いていないふりをしていただけで、認めたくなかっただけで、きっと。

「ずっと好きだったの、瀬名のこと」

瞳にも雨が降る。瀬名が傘をさしてくれているのに、一滴が零れ落ちる。

「もう、本当勘弁してよ」

次の瞬間、しびれが切れたかのように重く呼吸をした瀬名が、自身の肩にある私の手のひらを握る。大きな手は暖かくて知らないうちに私の手も冷えていたのだと実感させた。僅かな温もりを残したのち、頬を伝う涙を親指で拭って見せた。参ったとばかりに眉を寄せる瀬名の顔。

「俺だって男なんだけど」
「そうだろうね」

だってこんな女の子嫌だもの。そう言えば「はぁー?」といつもの調子で返される。

「なにそれ意味わかんないんだけどぉ」
「好き」
「わかったって……」
「瀬名のこと、ずっと……」
「あんた……ねぇ、もう、わかった」
「だって……すきだかっ……んっ!?」

揺れる傘から落ちる雨。足元がしとどに濡れるが、そんなことどうでもよくなるほど唐突な瀬名の行動に、呆気にとられていた。見開いた視界には映る長いまつ毛が揺れて。身を引こうにも頭に回ったてのひらがそれを許してくれなくて。咄嗟に熱い胸板を押すが動いてくれる気配は微塵もない。それどころか唇が余計力強く押し付けられた気がして、思わずくぐもった声がこぼれる。

「んっ……ふぁ、ちょっな……」
「最初からこうすればよかったわ」
「……っ」
「今度からその減らず口、聞けないようにいくらでもこうして塞いであげる」

そうしていたずらにその口元で弧を描いて見せた瀬名は、つくづく悪い顔をしていた。ついいつもの癖で身を引こうとする私を、すかさず瀬名が腰に回した手で止める。あんまり離れると濡れるでしょ、なんて。それどころじゃないのわかっているくせに。

「ずるい……」
「ねぇ、歌羽」
「……なによ」
「ちゃんと見ててよ、俺のこと」

そして瀬名は初めて私にやさしくほほ笑んだ。嬉しいとか楽しいとかそんなのじゃなくて、尊ぶような慈しむようなそんな優しい眼ざしで見据えられて、思わずかかとをあげて背伸びをする。頬にそっと口づけると、そのやわらかい猫毛が僅かに頬をかすめた。

「……っ!」
「……見てるよ、ずっと」

多分私も、彼とおんなじ顔をしているのだろう。

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