拾伍.へし切長谷部は飴

麗らかな一日の始まりだ。ちゅんちゅん、愛らしい小鳥のさえずり声に、今日も平和だと息をつく。食器を運び終えた乱と五虎退が、小走りに居間の定位置につくのを待ってから、ゆっくりと口を開いた。毎度のように、すぐ横の獅子王から感じる期待に満ちた眼差し。再三その肩が本日の隊長を伝えると同時に、がっくりと落ちるのを見てきたが、今日、やっと、彼の希望に応えることができる。いつもは気づかないふりをして逸らし続けた視線を、ようやく合わせて微笑みかけることができた。

「今日は隊長まんば。副隊長を獅子王にやってもらうよ」
「よっしゃー!俺、副隊長!」
「副隊長はね、隊長のサポートだったり、帰還後の書類提出だったり……まぁ色々あるから、鯰尾から教えてもらってね」
「うおっ、意外と大変そうだな」

強張る表情に、その横にいた鯰尾がにやりと、悪い顔をしているのが見えた。ああ、なんだか嫌な予感がする。副隊長の仕事だから、と言いつつ、どさくさに紛れて近侍である自身の仕事まで押し付けなければいいが。

「隊員は鯰尾、おじいちゃん、乱ちゃん、堀川君ね」
「隊員かあ、楽しみだなあ」
「鯰尾。獅子王初めてなんだから、サポートしてあげてね」

声をかければ、鯰尾は明るい笑顔で「わかってますって」と返してくる。そう言って馴れ馴れしく獅子王の肩に手を回せば、それに対して獅子王は「よろしく頼むぜー先輩」なんて八重歯をむき出しにしながらおどけているもんだから、面白くってクスリと笑った。初日に顕現されただけあって、今ではすっかり仲良しであるようだ。

「今日は兄弟と一緒に出陣か。兄弟、頑張ろうね」
「あぁ」
「おい君。そのおじいちゃんっていうのは、まさか俺のことじゃないだろうな?」
「え?ごめんわかりづらかった?おじいちゃん1人しかいないから、わかると思ったんだけど……」
「よく考えてくれ。こんな伊達男に向かって、おじいちゃんはないだろ?」

ぱちくり、瞬きを繰り返す。テーブルに肘を乗せたまま、自分の顔を見てくれと言わんばかりに端正な顔を指差す鶴丸。儚さの余る白色のまつ毛を揺らして「な?そう思うだろう?」必死に訴えかけてくる。対して私は、碌に手入れもしていない自身の髪を、無造作にくしゃりと握りながら、がやがやとした中で考える。

「今日は短刀、僕だけかぁー」
「俺っち達は留守番だな。まぁ頑張れよ、乱」
「ふふ、任せてよ!これを機に薬研よりもっともっと強くなっちゃうんだから〜」
「はは!そいつは頼もしいな」

音符が付きそうな乱ちゃんの台詞に高笑いしている薬研。それを、近くにいた五虎退がどこか嬉しそうに微笑みながら見つめている。そこで不意にピンときた。

「なら、じじいでどうだ?」
「君は本当ブレないな!」

何故か鶴丸は笑っていた。

顔をこわばらせながら声を上げると思っていた。戸惑う鶴丸の期待していた通りの反応にほくそ笑む――そんなお決まりのパターンが、あっけなく崩されてしまったことに驚きを隠せないでいた。ぞろぞろと部屋を出ていく出陣組の刀剣男士達。最後尾であった山姥切が「おい、行くぞ」と、動く気配のない鶴丸に声をかける。鎖を鳴らして腰を上げた鶴丸が、瞬きすら忘れて阿呆面しているであろう私に、一言。

「まぁ、君のそんなところ嫌いじゃないがな」

これは流石に想定の範囲外だった。



「長谷部ー、この書類やってー」
「はい」

「長谷部、のどが沸いたぁ」
「畏まりました」

「はせべー」
「おい大将」

先程長谷部が用意してくれた麦茶をストローで勢いよく吸い上げる。からんからん、氷とガラスで音を立てながら大声で呼べば、背後からかかる長谷部ではない別の声。それが誰のものかは直ぐに分かった。

「薬研。どうしたの?」
「どうしたの、じゃない。長谷部の旦那に甘え過ぎだぜ」
「そう?」
「そうだ」

書斎で机に向き合っていた私のすぐ横に腰を下ろした薬研藤四郎。その口から重そうな嘆息がこぼれた。無造作に白衣を踏んでいるのも気に留めず、呆れた表情のまま胡坐をかいている薬研に、嫌な予感を覚えた。これはうちの薬研が説教を始めるときの前兆とよく似ていたからだ。

「これで何回目だ?長谷部を呼んだの」
「んー……7回ぐらい?」
「11回だ」
「あ、惜しい」
「多すぎだ。ついでに言えば、惜しくもない」

そしてそれは案の定始まる。空気も読まずに、ぱちん、指を鳴らして笑顔でいれば、間髪容れずに飛んでくる薬研の言葉。喜んでいる場合じゃない、とでも言いたそうな冷えた視線が向けられる。そんな彼の背景で、ちゅんちゅん、機嫌良く鳴く鳥が、庭の木に止まってバタバタと騒いでいる。

「ふざけないで、ちゃんと聞いてくれ。大将」
「うん、わかった」
「よし、いい子だ」

ポンポン、見てくれは幼いように見えて、手袋をはめた意外と大きい手が、頭を軽く撫でる。本来であれば、自分より幼さない容姿にこうして諭されるようにするのは中々複雑な気分になるはずだが、薬研の場合、不思議とそうは思わない。慣れてしまったのだろうか。それとも薬研という刀の大人びた雰囲気のせいなのだろうか。ふと柔らかい笑みを浮かべた薬研の慈しむような視線から、そっと目を逸らす。

「長谷部の旦那は、大将の言うことなら何でも聞いちまうっての、わかってるだろ?」
「うん、わかってる」

長谷部が主命とあらば何でも叶えてくれる刀だということは、とっくの昔に学習済みであった。また、主命を与えられることが彼にとって喜ばしいことだということにも気が付いていた。「だから、いいんじゃないの?」問えば「良くねぇ」と即座に返ってくる。

「それじゃあ大将にとっても長谷部にとっても毒にしかならん」
「どうして?私は願いが叶うし、長谷部も主命もらえるのに?」

こてんと首を横に倒してみると、いよいよ薬研が頭を抱え始めた。サラサラの前髪がグローブの合間から飛び出て、無造作にかきあげられる。なめらかなおでこに見惚れていれば、紫色の瞳がパチリと開いた。

「あのな、甘え過ぎてちゃいけないぞ。大将は俺達の主なんだから、もっとしっかりしてもらわ……」
「主、お呼びでしょうか」
「あ、長谷部」

真剣な顔をしている薬研の後ろで、内番姿のジャージを身にまとっている長谷部が現れた。背筋を真っすぐピンと正して座っている長谷部、その姿勢の良さは一体どうやったら身につくのだろうか。顔を隠そうとしているせいなのか、いつも猫背気味なまんばに伝授してあげてほしい。「ちょっと遅かったね」世間話感覚に言えば「申し訳ございません」と謝られてしまった。

「長谷部の旦那、丁度良い。そこに座ってくれ」
「薬研……ここで一体何を……」
「長谷部、こっちおいで」
「畏まりました」

薬研の存在を確認すると、微かに驚いた素振りを見せ、次の瞬間、切れ長の目を更に細めて訝しそうな視線を送る長谷部。中々部屋へ入ろうとしない長谷部に言えば、二つ返事で私が手で示した場所に座ってくれる。主ということにちょっとした優越感を覚えてしまったのは、内緒だ。

「で、これは一体何ですか?主」
「うーん、なんかね。私が長谷部に甘え過ぎだねって話」

三角形を作るように三人で座る。正座している長谷部の背筋は、相変わらず背中に定規でも挿しているかの如く、真っすぐしていた。長谷部の首がゆっくりと回って、藤色の瞳が薬研に向けられる。

「俺はそんなことお前に頼んだ覚えはないぞ、薬研」
「別に頼まれちゃいないさ。ただ、2人のことを思ってだな」
「俺は主のために働けることを誇りに思っている。お前はそれを妨害するというのか」
「そういうわけじゃなくてな」

明らかな長谷部の敵意に、困ったような顔を浮かべている薬研。いけない。私にはいつも優しい長谷部だったために感覚が鈍っていたのだろうか。こうも険悪な雰囲気になってしまうとは予想していなかった。ピリピリと張り詰めていく空気に息苦しさを覚える。

「大将だってもう大人なんだ。子供じゃない。そうなんでもホイホイ聞いてやるのは大将のためにならんだろ。長谷部だって今も自分の仕事ほっぽりだしてきたんだろ?もう少し限度を覚えた方がいいって話をしているんだ」
「主が俺を呼ぶのであれば、いつ何時であろうとも駆け付ける。当然のことだろう。俺は主の求めるままに動くまでだ」
「こりゃ、まいったな……」

断固として譲る気配のない長谷部。薬研が難しそうな顔をして考え込み始めた。もしも、長谷部に物申すのが獅子王や乱だったら、少しは変わったのかもしれない。元々は同じ主、織田信長の元にいた刀同士。本音を言い合えるというか、ついぶつかってしまうところがあるのかもしれない。いつもより強気の長谷部を見て、ふと思った。

「長谷部」

少し怒っているような様子の長谷部に向かって、恐る恐る声をかけてみる。ぱっとこちらに視線を向けた長谷部は、優しい笑みを向けてくれる。「はい」返事してくれる長谷部。一方、薬研は眼鏡の奥にある瞳に心配の色を浮べつつこちらを窺っている。薬研。ごめんね。

「甘えてもいいよね?長谷部」

首を傾げて長谷部を見つめる。

「もちろんです」

そうすれば、長谷部の背後に舞い始める桜の花びら。はらはらとしたそれは春風の舞い込む暖かい今の季節にぴったりだと思った。満足そうに微笑んでいる長谷部に思わず抱き着けば、長谷部は「あ、主!?」だなんてわかりやすく焦り始める。恐らく背後で落胆しているであろう薬研に心の中で謝罪する。生憎、やっとみつけた甘やかしてくれる貴重な存在を手放すなんて真似、精神年齢が低い私にはできないのである。

「……まぁいっか。俺がその分鞭になりゃ」

そんな台詞は、聞こえなかったことにしておこう。
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