お日様も眠る頃。涼しい風が寝巻の短パンからむき出しの足を優しく撫でていく。そんな春らしい夜であった。ふかふかの布団の中に潜っていても、どうしてか、いつもすぐ来てくれる睡魔が何時まで経ってもきてくれない。なかなか寝付けず、そこで、水でも飲もうかと暗い本丸を歩いていた時、ふと、金髪の青年が縁側から足を投げ出して放心しているのを見つけたのだ。
「あれ?獅子王、まだ眠ってなかったの?」
「ん、あぁ……主か」
「幽霊かと思ったじゃん、やめてよー」
「わるいわるい」
「ダメだよ?獅子王疲れているんだから。早く寝ないと」
「はは、なんか寝付けなくってな」
はにかみながら頬を掻く獅子王。その姿は寝るときの格好だからか、とても無防備なように見えた。いつもは一つに束ねられている柔らかそうな金色の髪が、今では下ろされて背中に広がっていた。いつも内側に着ているキャミソールのようなインナー。その一枚しか纏っていない獅子王の身は、太陽の恩恵がない今の時刻には、些か心許なく肌寒そうであって。見ているこっちが寒さを覚えてしまう。
「はい、これ掛けてな」
「え、いや……そしたら主が寒いだろ」
自身の羽織っていたお気に入りのカーディガンを、男らしい筋肉のついた身体にそっとかける。獅子王の言う通り、私もカーディガンを取ってしまえば肌寒そうな格好をしていたが、彼ほどの薄着ではなかった。慌てて返そうとする獅子王の腕を強く掴む。
「いいの!風邪でも引いたら困るでしょ」
「それは主だって、同じだろ。それに……女、なんだから身体冷やすのはダメだって……」
「なんで今口ごもった?」
気まずそうに言葉を千切れさせた獅子王。そこで、ピンとくる。思い出すのは鯰尾の小馬鹿にするような悪い顔。人のことを女の子と中々認識してくれない失礼極まりない近侍を連れてきてしまったばかりに、きっと獅子王も私のことを女の子かどうか怪しんでいるに違いない。
「どいつもこいつも、人のこと馬鹿にしやがって……」
確かに、この本丸には沢山の美形が揃っている。まんばや薬研のような男前を初め、鯰尾や堀川君のように中性的な顔立ちのイケメン。極めつけには男にも拘わらず女の子顔負けの美少女乱ちゃんと来た。最早、刀剣男子全員を捕まえて粗を探せと言われても、容姿に関しては1つもみつけることができないんだろう。そんな中、私のような凡人が霞んで見えるのも仕方がないことは重々承知している。しかし、だ。
「せめて、女の子って認識してくれるぐらいいいじゃんか……」
「え?いや、してるぞ!?してるからこそ――」
「もういい」
遮るように声を上げて、獅子王と並ぶように縁側に腰を掛けると、立っていれば顕著に表れる身長の差もそう変りなくなる。その理由を察してしまい泣きそうになった。ぴったりと肌が触れ合うまでに身を寄せる。密着した二の腕から、人肌の温盛を感じて、なんだかほっとする。
「主、近くねぇか……?」
「こうすれば寒くないかなって。カーディガン羽織るよりもっといいでしょ」
少しだけ得意げに言ってみる。しかし、意外なことに獅子王は重たそうな息を吐くばかりであった。
「鯰尾があんだけ心配する意味が分かった気がする」
「女らしくないってこと?まだ言うか?」
「違くって……。というか、主こそ、こんな時間に何してんだ」
「うーん、寝れなくって……。眼が冴えてるというかそんな感じで。水でも飲もうかなと思って出てきたんだけど」
獅子王がいたから、お話したら眠れるかな〜と思って。身体を寄せ合いながら、獅子王の長い後ろ髪を手元に持ってきて、三つ編みを作り始める。前に無理矢理持ってこようとしたせいで僅かに頭皮を引っ張ってしまい、慌てて髪を元の位置に戻そうとするが、獅子王は私に遊ばせようとするかのように頭を少し前に屈めてくれた。
「……いいの?」
「ん?」
「髪の毛で遊んで」
「別にいいけど」
「その体制、苦しくない?」
「平気平気」
これくらい、どうってことないって。笑い気味に零す獅子王。なんだか本当のお兄ちゃんのようであると頬が緩む。ふと、昔のことを思い出す。夜、不意に寂しさを覚えてよく本丸を徘徊していたことがあった。月明りだけを頼りに進む静まり返った本丸は、いつも、いつも、怖かった。なのに今は、そんな頼りない月の光や静かな闇、肌寒いような冷たさすらも、なんだかとても心地が良い。
「夜っていいね」
「どうした、急に」
「人と一緒なら怖くも寂しくもないんだよね、夜って」
天然物とは思えない程に艶のある綺麗な金髪。よく触れる乱ちゃんの髪よりとは違って少し癖の強い獅子王の髪は、色彩の濃いように思えた。組を編みながらぼんやりと考える。真っ暗な庭の向こうで、夜風がざわざわと草木を揺らす音が聞こえる。
「何時も怖かったのか?」
「んー、たまにね。本当は誰かと寝たいんだけど、私は年頃の女だから、もうダメなんだって。前の本丸の刀剣とか鯰尾に怒られてね」
「まぁ……そうだろうな」
「ひどいよね?いつも、女ですか?とか言ってくる癖にこういう時だけさ」
居もしない相手への不満を表すように唇を尖らせる。初日からいた刀であり初鍛刀の太刀。そして、元来の頼りがいのある面倒見の良く明るい性格のせいで、つい気を許して何でも話してしまう。
「まぁ、なんだかんだ言ってアイツは主のことが大事なんだって」
「そうかなあ」
「そうだって、主のこととなるといつも目が変わってんだから。主も何となくでもわかってんだろ?」
「……だからって、1人にさせなくても……」
遠くで夜を生きる鳥の鳴き声が響いている。疎かになっていた手元から、綺麗に編んだ黄金色の束がするりと抜け落ちる。ふと、蘇るのは幼い頃の儚い記憶。ふわふわな肌触りの毛布の中、抱き寄せられながら眠る暖かい夜が、突然失われてしまったのは何時のことだっただろうか……。言葉を失くした私のせいで、流れる沈黙。「まぁ……」そう獅子王が口を開く。
「寂しくなったら何時でも来いよ。殺されちまうから一緒に寝てはやれねぇけど。こうして話し相手くらいには、なってやれるから」
その台詞に、ゆっくりと顔を上げる。闇色を背景に、獅子王の瞳が月のように輝いて見えた。二カッと八重歯を惜しげもなく見せて笑う彼。まるで太陽のように暖かい。つられて笑い返し、硬い肩に頭を預けた。突然の動作に獅子王の肩がピクリと跳ねたので、思わずふふっと声を零してしまった。こんなにも頼もしい獅子王だが、どうやらまだ初心なところは健在らしい。
「ねぇ、獅子王」
「どうした」
「獅子王は、今、楽しい?」
身体を彼に委ねたまま、訊ねてみる。暗がりの中、近くにある池の水がちゃぷんと跳ねる音がした。その音の原因は私にはわからない。涼しい風が頬を撫でる。しかし、身体の温度は下がらない。獅子王の身と触れ合う箇所が温かいからだと思った。
「あぁ、楽しいぜ。本丸の生活も、皆で戦場に赴くことも、どれもこれも新鮮なことばかりだ」
「そう」
「乱と鯰尾の兄弟喧嘩は時折ハラハラするけど見ていて飽きないし。山姥切も初めは無口だったのが、徐々に話してくれるようになってるし。堀川や長谷部は掴みどころがないせいでまだよく分からないけど、良いヤツだってのはよくわかるしな」
「……うん」
徐々に意識が曖昧になってゆく。あぁ、私眠いんだ。そう悟るのは、獅子王のどこか楽しそうな声に、途切れかけていた意識が呼び戻された時だった。獅子王の肩に頭を預けたまま、腕から伝わる温もりの心地よさにきっと眠りにつくのもそう遠くはないと察する。しかし、わざわざ楽しそうに話す獅子王を制して自室に戻る気にはなれなかった。
本当は冷たい金属なはずの彼ら。その身は私と同じ人間のモノのようで、実は違う。そっくり、人の身体をしているが彼らの正体は刀であり神様なのだ。それだというのに、どうしてこんなにも寄り添うのが心地良いのか。どうしてこんなにも安心してしまうのか。それは私が彼らに慣れているから、という理由だけではないはず。
彼らが元から暖かい存在だったから。そう思った。
「薬研はしっかりしていて物知りだから頼りになるし、鶴丸は生まれた時代が近いからか話が合うんだ。五虎退も弟みたいでさ。そういえばこの前……主?」
気が付けば夢の中。
「いつの間に寝て……しょうがねぇなあ、運んでやるか。……って、主の寝室ってどこだ……?」
暗い本丸を、暫くの間私を横抱きにしながら彷徨う獅子王だったが、如何せんこの広い本丸だ。結局私の寝室が見つからなかったために、獅子王の布団で寝かされた私。仕方なく雑魚寝をしていたが、寝相の良さゆえに私の横で寄り添うように寝ていた獅子王。疲れていた彼が、私のせいで夜更かしをした翌朝、早朝に目覚められるわけもなく。私が寝室にいないと本丸を走り回る鯰尾と、獅子王を起こしに来た乱。このメンバーでひと悶着あるのは、また別のお話である。
*
じめじめと、湿った熱が肌に纏わりつく不気味な夜だった。ほーほー……暗闇の中、どこからともなく何かの鳴く声が木霊する。閑寂に響くその声は、ただ鳴いているだけなのか、悲しいのか、誰かを呼んでいるのか。長く繰り返される声の真意を誰も知ることはできない。三日月が赤く輝く空を見上げ、男は神妙な面持ちで、目の前にいる刀剣へと、静かに声をかけた。
「本当に、良いんだな」
ざわざわ、生ぬるい風が肌を撫でてゆく。月がふと、流れゆくくすんだ色した雲の中へと姿を消した。張り詰めた空気が2つある人影の間に流れる。暗闇に飲み込まれた世界では、声をかけた刀剣男士の表情を見ることができない。故に男は気が付けなかったのだ。その刀が怪しく微笑んでいることに。
「任せておけ……主よ」
「……信じてっからな」
「あい、わかった」
無機質な音を立てながら、ゆるりゆるり。重たい動作で刀が鞘から抜かれて行く。丁度、その時であった。雲の切れ間から赤い月が顔を覗かせる。男の目にはっきりと映ったのは、刀剣の笑みであったか。それとも、鋭利な矛先の閃光であったか――
「後は、任せたぞ」
囁くほどの弱弱しい声であった。しかし、それは諭すような暖かさ、そして内に秘めた強い決意の強さを感じさせる音色であった。刀剣は応えるかのように、吸い込まれてしまいそうな程に深い藍色の瞳で弧を描いた。弱風がまた、熱を纏いながら2人の間をすり抜けて行く。遠くの方で鳴いていた鳥の声は、いつしか消えてしまっていた。影のかかった刀剣の顔、微笑んでいる彼の双眼には怪しく煌めく三日月が映っていた。そしてまた、夜のしじまへと帰るのであった。