壱.本丸の長閑な朝

「あるじさん、ブラック本丸ってなに?」
「ぶふっ!?」

穏やかな気持ちで味噌汁を啜っていたところに、突然、投げかけられた衝撃的な疑問。予想だにしていない出来事に、思わず具材ごと味噌汁を吹き出しそうになる。何とか堪えて、具材は吹き出さずに済んだものの、僅かに零れてしまった出汁の効いた露が、口の端から流れ落ちてしまっていた。「空、きたな〜い」なんて言う愉快そうな鯰尾を睨みつける余裕もなく、気管に迷い込んでしまった味噌汁に咳込んでいた。

なぜこんなことになってしまったか。それはありふれた日常的な朝のこと。何の変哲もない会話から始まった。





カチャカチャ、箸を動かす音が頻りに聞こえる。特に、隣でふっくらと炊けた白米を口の中に勢いよくかき込んでいる鯰尾なんかは特にうるさい。そんな近侍のいつも通りな様子を横目に、周りから聞こえる雑談に静かに耳を傾ける。

「兄弟、今日のご飯どうかな?」
「いつも通り美味しい」
「へへ、そっか。良かった」

まるで新婚夫婦のような会話をする者達。

「ん?鶴丸、唐揚げ食わないのか。俺がもらってやろうか?」
「馬鹿言うな!これは俺が最後に食おうと楽しみにとっておいたんだ!」
「なんだ。楽しみは最後にとっておく派かぁ。なんか意外だな」

片方は悪戯な笑みを浮かべ箸を構え、片方は皿を持ち上げて死守する構え。まるで給食を食べている小学生のような会話をする者達。

「……」
「……。どうした、食欲がないのか」
「は、長谷部さん。……いえ、そういうわけじゃ……」
「朝はしっかり食べておかないと、後に後悔するぞ」

ピシャリと言い放ち、綺麗に背筋を正して食事を再開する長谷部。チラリ、その若紫色の瞳が再び五虎退に向けられると、箸を中途半端に浮かせた姿があった。皿のに散らばる緑色の野菜があからさまに残されている。それがどういうことを示しているのか、大体の者がそれを見れば察することができるだろう。

「……嫌いなのか」

長谷部の言葉に、わかりやすく五虎退の肩が跳ねる。元々色白の顔から、更に血の気が無くなっていく。長谷部は刀剣男士には……というか私以外には基本厳しい。そのため五虎退にとって長谷部が畏怖の対象であってもなんらおかしくはない。寧ろ当然であった。怒られる、そう思っているのか今にも震えだしそうな五虎退。それを見て、長谷部は呆れまじりに嘆息をつき、五虎退の皿からひょいと苦みの強い野菜を箸で持ち上げる。

「……お」
「ん?」

長谷部優しい。思わず感嘆の一文字だけ声を零せば、頬にご飯粒をつけている鯰尾が、不思議そうにこちらを振り向く。教えてやろうかとも思ったが、中々滑稽なのでこのままにしておこう。ぱくり、自五虎退のの皿から何も言わずに取った野菜を無表情に食べる長谷部を、つぶらな瞳がまじまじと見上げている。

「後は自分で食べろよ」
「……っはい!!」

その様子に思わずくすり、と笑った。口では厳しいことを言っておきながら、優しさの垣間見せたその姿は、まるでお父さんのようだ。頬を血色良い色に染めて微笑む五虎退の顔。まるで一期に褒められた時のような反応に見えた。

「あぁ!いいなあ五虎退!長谷部さんボクのも!」
「おい乱、行儀が悪いぞ。せっかく堀川が作ってくれてんだ。ちゃんと自分で食え」

勢いよく名乗り出た乱に隣で苦言を呈する薬研。「なぁ、大将?」不意にその視線がこちらを向いた。ぱちぱち、数回瞬きをした後、ゆっくり首を縦に振る。

「うん」
「ほら、大将だってこう言ってるんだし――」
「私のも食べてほしい」
「大将……」

薬研や鯰尾の口から重そうな息が吐き出された。

「主さん?」
「っひ……」
「僕が一生懸命作ったんだよ?食べて、くれないの?」

にっこり。屈託のない微笑みを向けてくる堀川君。なのに、なんで私の口から怯え切った声が零れたのか。答えは簡単だった。堀川君の背後にどす黒い靄が見えているのである。こんな状態の堀川君に逆らえばどうなるか、そんなのする前からよくわかっているので。

「食べます食べます!!」
「ふふ、ちゃんと全部食べてね」
「もちろん!!」

主菜もお米も、均等に食べていくルールも忘れて、苦手な野菜にひたすら食らいつく。残念でしたね。そう言っているかのように意地悪い笑みを浮かべて私を見てくる鯰尾。お前、未だ頬にくっついているご飯粒のせいで、そのきめ顔も残念なことになってんだからな。心の中でツッコみつつ、睨んでお返しする。

「……ん?おい鯰尾。口の端にご飯粒ついてるぞ?」
「え?本当ですか?」
「あ、ちょっと獅子王!」
「ん?」

口の端を長い指先でぬぐい、「あ、本当だ」といってご飯粒を見つめる鯰尾に、思わずバンと机を叩いて獅子王に声を上げる。すると、横にいた堀川君がごほん、と咳払いをするので、反射的にすぐさま手を引っ込めた。それに伴い声も抑えて、再度口を開く。

「せっかく黙ってたのにどうして教えるのよ」
「どうして、って言われても……」
「空気づいてたのに教えてくれなかったんですか?!」
「そっちの方が面白いじゃん!」
「はあ?!」

困ったような顔をしている獅子王を背景に、鯰尾が眉根を寄せて机に身を乗り出す。

「ひどくない?俺いっつも教えてるのにさ!」
「それはそれ、これはこれ」
「じゃないでしょ?!一緒です!」
「しつこいな!そんなこと言ったら鯰尾だって私がピーマンに苦戦してるの見て見ぬふりしてたでしょ!苦手なの知ってるくせに!」
「それは、空のためって……」

一瞬、鯰尾の視線が私から外れて、私の頭部に向けられる。まるで私の後ろに誰か立っているかのように。

「2人共」

もしや、察した瞬間、真後ろから聞こえた穏やかな声色に、背筋が凍り付く。あ、これやばい。直感的にそう感じたとき、きっと同じことを思ったのか、目の前にある鯰尾の口角がピクリと引き攣るのが分かった。この声は先程までまんばの隣でご飯を食べていたはずの人物。不気味な程優しい彼の声が間近で聞こえるとき。次に何が起こるかは大体決まっていて。

「主さん」
「…!?はい!!」
「ふふ……。いけない子ですね」
「えへへ……」

次の瞬間、堀川君の人差し指が唇に触れてくる。堀川君の弧を描いている鮮やかな水色の瞳と近距離で視線が交わり、二つの意味で心臓がどくんと跳ねる。

「ご飯中に喧嘩しちゃ駄目ですよ」
「はーい……」

当然、逆らえるわけなどないので。鯰尾に言いたいことはまだ山ほどあるのだが、我慢して仕方なく返事を返す。そろそろ優しい堀川君の笑みが、閻魔様の御尊顔に見えるようになってきた。

「堀川さん、こわぁーい……」
「堀川は相変わらず大将に容赦ねぇなあ」
「あるじさんだけに特に厳しいよね」
「大将にだけ優しい長谷部とは真逆だな」

そんな私たちをしり目に、小声で話している薬研と乱ちゃん。聞こえないように小声にしている辺り、配慮されているのだとは思うが、どうせならしっかり聞こえない音量で会話してほしい。静かな場所では丸聞こえである。

「ちゃんと、良い子にご飯食べれますね?」
「もちろん」

その問いにぶんぶんと首を上下に振る。そうすればニッコリと偽にも思える笑顔を張り付けながら、そっと自分の席へ戻っていく。その後姿を見届けて、ふっと安堵の息を漏らした。何故か何も言われなかった鯰尾は、まるで何事もなかったかのようにお味噌汁を啜っていた。

「堀川さんはあるじさんのこと、好きじゃないのかなぁ……」
「それはない」
「どうして?だってあんな真っ黒な笑顔浮かべて……あ」

鯰尾につられるようにして、未だ口も付けていなかったお味噌汁を持ち上げ、口をそっと付けたその瞬間。

「あるじさん、ブラック本丸ってなに?」
「ぶふっ!?」


そうして冒頭に至るわけである。
| もくじ |
back to top▽
- 17 -