「本当に、俺も行かなくて良かったんですか〜?」
後方から聞こえる声に、うーんと唸り考える。顕現してから数刻経ったにも拘わらず未だに混乱気味だった初期刀、山姥切国広を半ば無理やり出陣させたのはつい先ほどの出来事。勿論、人の形を得たばかりの彼を、1人戦場へ送り出すことに不安がないわけではなかった。それでも刀装はしっかりと持たせたし、衣装にこっそりお守りも忍ばせておいた。
「初期刀は基本、初めは1人なんでしょ?なら初期刀らしく初陣はこう、ビシッと決めさせてあげたいじゃない」
「そりゃそうですけど……」
出来ることは全てした、あとは信じるのみだった。それでも、口ごもる鯰尾はどうやらまだ思うところがあるらしく、言葉を濁す。彼の歯切れが悪い理由、それには心当たりがあった。ちらりと後方の彼に目を向ける。そこで不満そうに口を尖らせている鯰尾の背中に舞う桜の花びら。そう、まさにこれである。
「初めからあんたと出陣させたら、あの子ろくに戦闘出来ないじゃない」
「な!?俺だってそこらへんはしっかりしてますって!」
「どうだか〜」
鯰尾を取り巻くようにひらひら漂う桜の花びら。審神者にしか見えない、ぼんやりと映るこれは、端的に言ってしまえば刀剣男士のやる気を表す目印である。これが付いているときの鯰尾の好戦的なことといったらこの上ないことを、私は知っている。この状態で出陣させれば、生まれたばかりのひな鳥である山姥切を無みして、まごうことなく誉をごっそり取って帰還するだろう。そんな鯰尾と共に新しさを感じさせない古風な縁側を歩いていた。しっかりと私の後をついてくるも、やはり納得がいかない様子で小言を続ける彼の言葉をうんうんと聞き流す。
「ちょっと、聞いてます?」
「うん、うん」
「……」
私たち以外誰もいない静かな本丸。ふと、覚えた寂しさを紛らわせるため、前の本丸も初めはこんな感じだったかと昔を懐かしもうとする。しかし、前の本丸は審神者が3人という、今までにも事例がないような極めて珍しい本丸であった。そこで迎えた初日は初期刀を含めて4人で過ごした。そのため、最初から寂しいと感じることはなかった。つまり、一から本丸を立てるのは初めての経験ではないが、今の、審神者が1人の状況は私にとって初めての体験だったのだ。故に懐かしさなど感じることもできずに、寂しさだけがどんどん膨らんでいく。
「誰もいないと本丸は広く感じるなあ……」
「そうですね」
先ほどの対応が気に食わなかったのか、いつの間にか隣を歩く近侍からは素っ気無い返事が飛んでくる。そのせいで余計に深まる孤独感。自然と顔が下を向く。あの頃はどこの馬の骨ともわからない野郎2人と共に審神者として暮らすなんて、と反発ばかりしていた。しかし、今になって思い返してみれば、騒がしかったり口うるさかったり、暖かく優しい彼らの存在が、どれだけ心強かったのかがわかる。
「……1人、かぁ」
そよ風が庭園の木々をざわめかせていた。木を時折軋ませながら縁側を歩む自分の足音が、侘しい音に聞こえて仕方ない。この空間で、ポツリ、一言呟いた言葉は、晴天の下の麗らかな空気に溶けて消えていくようだった。
その時。
「……このバカ」
「っ!?……いって!?」
突然、頭に衝撃が走る。痛みと同時にぐらんと揺れる頭を抑えて、叩いた犯人を振り返る。
「痛いじゃんか!何するの!」
「そんなしけた面して、何言いだすかと思ったら」
「だからって叩くことな――」
「俺がここにいる意味、忘れたんですか?」
深紫の真っすぐな瞳と視線が交わる。珍しくも、しかしながら今まで幾度も見てきた彼の真剣な表情。その一見抽象的でわかりづらい台詞の本意はわかっていた。
「……そうだよね」
鯰尾藤四郎は、前の本丸から共にこの本丸へ来た唯一の刀である。前の本丸の中でも特に仲が良く、私のことをよく理解してくれていた刀だった。私と一緒に新しい本丸に来るということは、親しみ慣れた本丸や仲間と離れるということ。それでも彼は、私と共に行くことを選んでくれた。審神者としては1人でも、今は鯰尾がそばに居てくれる、そう思えば自然と口許が緩む。「ありがとう」それだけ言って、僅かに怒っているようにも見える真顔の彼を見つめれば、彼は目をそらして一言「わかってるならいいんです」とだけ呟いた。
「ちゃんと覚えておいてくださいよ、俺のこと」
「もちろん、頼りにしてるよ」
「寂しい、なんて言わせませんよ。その為にここまで来たんですから」
にっと歯を見せて笑う鯰尾の明るい笑顔につられて、私も自然と口角が上がった。鯰尾と並んで再び歩き始める。ようやく見えた角を曲がれば、大きな庭園が見えてくる。後に、ここで短刀達が鬼ごっこでもして遊ぶんだろうか、なんてぼんやりと想像する。今は誰もいない寂しく感じる風景を見て、ふと、かつての本丸の庭でいつも短刀達が元気よく遊んでいた姿を思い出す。賑やかだった場所が今は誰もいない、しかし、これからまた賑やかになってゆくのだろう。それは、まるで時間が巻き戻ったような感覚だった。本当に振り出しへ戻ったんだなあ、と改めて実感しながら足をゆっくりと進める。
「それにしても……静か……」
静まり返っている本丸に、ギシリと時々足元が音を鳴らす。なんとなく縁側に面しているふすまを開いてみる。すると、ふすまを開けた拍子に舞ってしまったのか浮かんだ塵が、部屋へと差し込んだ太陽光でキラキラと輝いていた。
「そりゃ、50以上もいた前の本丸に比べれば広いですよ」
「そうだよねえ。前なんて拡張しても直ぐ手狭になったっていうのに、これじゃ手に余るくらいだよなぁ」
「そのうち前みたいに狭くなりますよ」
「かな〜……」
「そうそう、過去なんか振り返っちゃだめですよ」
目の前にあるのは家具も何もない、生活感など皆無な畳の匂いが仄かに香るだけの和室。地図を見ても思ったのだが、部屋の広さや配置など、構造自体は前の本丸とさほど変わりないらしい。これなら馴染むのも早いかな、そう呑気に思いつつ部屋をぼんやり眺めていた。
すると、一向に目的地へ足を向けることなく、歩みを止め、ぼけっとしている私にしびれを切らしたのか、「ほら!」と声を上げた鯰尾に肩を掴まれ、強引に方向転換させられる。あっという間の出来事に抗う間もなく、そのまま背を押す手に急かされて歩みを進める。
「部屋の見学は後ですよ!取りあえず手入れ部屋確認するんでしょ!」
「ちょっと、わかってるわかってるって」
「なら足を止めないでください!」
ぽかぽかとお日様のおかげで、暖かい陽気に満ちている本丸の縁側は、少し熱をもっている。その上をバタバタと2つの足音が響く。どうやら私はせっかちな刀を連れてきてしまったようだ……なんて思ってみるが、声に出してしまえば最後、怒られてしまうので口には出さない。
「引っ越しはまだ始まったばかりですよ!」
「っふふ、そうだったね」
足裏に木材のぬくもりの恩恵を受けながら、急かされるままに進む。先ほど歩みを止めた理由、それには一つ理由があった。初日、ということもあって、数回しか着たことのない正装、袴姿をしていた私。そのせいで歩きづらいったらありゃしないのだ。ずるずると引きずる袴に気を奪われながらも、地図とにらめっこして手入れ部屋を探す。
「ねえ鯰尾」
「なんですか」
「これ終わったら自室、先行ってもいい?」
いますぐ慣れたジャージに着替えたい。
「だめですよ!どれだけすることあると思ってるんですか!」
「だってぇ、袴動きづらいんだもん」
「だめです、それは後!」
そう言って、鯰尾は心なしか背中を押す力を強める。増々早足になってしまって、結果、自分の首をさらに絞めてしまっている現状に溜息を零す。後悔の念を抱きながらも、せめてもの抵抗でぐぐっと足裏に力を込めてブレーキをかけてみる。
「いいの!審神者転んじゃうよ!?」
「俺が受け止めるんで大丈夫です」
「そうか、なら……」
いいか。言おうとしてしまった言葉をぐっと呑み込む。しまった、危うく丸め込まれてしまうところだった。違うんだ、こうじゃないんだ。頭の中で必死に着替えを許してもらうための言い訳を探す。
「えと……、鯰尾ごと転んだら、困るじゃん?」
「空を受け止めることぐらい朝飯前ですよ」
「そう、かもだけど」
「だから、安心してくださいね」
にこり、中性的な整った顔が屈託なく微笑む。振り返った先にあった笑顔。私の背中を彼が押していたせいもあって、その顔との距離は思ったよりも近かった。至近距離でむくれっ面のまま睨んでみても、鯰尾はなんともないというように目を細めたままだった。
「そもそも、突然空の姿変わってたら、帰還した山姥切さんもビックリしますよ」
「あ……確かに……」
「空だって早く覚えてもらいたいでしょ?」
そう言われてしまえば最早ぐうの音も出なかった。山姥切国広はこの数時間、私と全く目を合わせようとしなかった。元々彼の性格を知ってはいたので、こうなることはなんとなく予想してはいたのだが、あれでは私の顔を覚えている確率は低そうだ。格好を変えてしまえば、敵かと勘違いされて切られることもあるかもしれない。いや、そんなわけないとは思うが。
「……このままいる」
「そうそう、そうしましょ」
そう言えば、背中を押すのをやめて隣に並んだ鯰尾がまたにっこりと笑う。どこか有無を言わせないような笑顔は、一期一振の笑い方に似ていて、無意識に背筋が伸びてしまった。一期一振、鯰尾の兄である彼に、どちら側と言えば怒られる側のことが多かった私としては、その笑顔には怖い思い入れの方が多いのだ。
「兄弟っていらんとこまで似てしまうよな」
「なんのことです?」
「なんでもないです」
ははは、笑って誤魔化す。そうすれば「なんですか」と頬を膨らませて再度聞いてくる鯰尾の表情は、子供っぽかった。よくみる鯰尾藤四郎らしいその顔に、こっそり安堵の息を零した。一期みたいな堅物は、一家に一振りで十分なのだ。