本丸の中で見上げた時となにも変わらない澄んだ青空が、辺り一面に広がっている。それなのに、どこかピリピリと張り詰めた空気を刀剣男士達が感じ取ってしまうのは、ここが本丸の外だからか、それとも目の前にいる邪気を纏った彼らのせいなのか。
「これで、最後だ!」
自身よりも遥かにたっぱのある大太刀を持った遡行軍。鯰尾は自らの手にある脇差しで、その腹を盛大にかっさいた。弾けたように飛ぶ血しぶきに、あふれ出る黒雲のようなおどろおどろしい邪気。それをものともせずに、頬にこびり付いた血痕を拭って見せた鯰尾の瞳孔は、完全に開ききってしまっていた。
「兄さんやばぁ……」
「おいおい、なんだありゃ……」
「2人共、ぼうっとするな、まだ終わってないぞ」
明らかに頭一つ抜けている鯰尾の戦いぶりに、驚愕し顔を青くしている乱と獅子王。キィイン、無機質な高音を放ちながら敵と刀を交えつつ2人に注意を促した山姥切も、内心ではその豹変ぶりに動揺していた。いつも屈託なくいたずらっ子の様な笑みが印象的な鯰尾藤四郎。温厚そうなイメージの強い彼が、今では戦場の鬼と化している。初めに彼と握手を交わした際、感じ取った強者の纏うような刺々しい雰囲気の正体はこれだったのか。そう思えばあの時抱いた違和感も、自然と腑に落ちた。
「ほら、もう終わりですか……?立てよ」
ゆらり、ゆらり……。既に瀕死のでかい図体に向かって、ゆったりとした足取りで近寄っていく。刀をずどんと地響きが鳴る程に強く突き刺して、必死に立ち上がろうとしている敵。それを射抜くような視線で見据えている鯰尾は、自ら襲い掛かることなく、彼が立ち上がるのを待っていた。静かに、そして確実に、その首を狙っている姿を見て、味方でさえも背筋を凍らせる。
「あ……え、兄さん顕現されたばっかじゃないの……?」
「いや、違う。あいつは――」
「っ山姥あぶねぇ!!」
俺が顕現される前からいた。決定的な言葉を言わせんとするように、槍兵と対峙している山姥切へ襲い掛かるのは、骨の身体を持つ龍のような形をした人ならざるものが咥え込む短い刃。間一髪のところで獅子王が滑り込み、ギラリと怪しい光を放つ刀を受け止める。
「その話はいったん後にしてこいつら何とかしちまおうぜ!」
「っそうだな」
獅子王の生み出した隙に山姥切が大きく飛び退き、再度槍を持つ遡行軍へと対峙する。太刀にしては少々細目である刀にぐっと力を込めた獅子王が、刀を口に加えているその小さな身体を空高くへと弾き飛ばす。
「っ乱!」
「油断大敵!」
あっけなく宙に投げ出された骨の身体、その身に暗い影が降りる。空高く飛んだ乱の刃が白骨へと突き刺され、瞬間噴き出る禍禍しい邪気に乱は僅かに顔を顰める。離れた方が良い。本能的にそう察して離れようとする乱、そのせいか乱の刃は深くまで刺らずに離されてしまう。
「やったか?!」
「違う……!まだ……、っ?!」
それがいけなかった。頭蓋骨にぽかりと空いていた二つの風穴、瞬間ギラリと燃えるような赤色が怪しく光ったと思った刹那、それは刃を乱へと向けて襲い掛かろうとする。龍のような体をグネグネとうねりながら素早く近づいてくる鋭利な刃。瞬時に対処しようとする乱だが、その距離は僅か一メートルにも満たない。それでは受け止めきれない、誰が見ても明らかだった。
「乱!!!」
まずいと察した獅子王が駆け出すが間に合わない。目の前まで迫った真紅の双眼に自身の終わりを察して強く目を瞑った乱、その刹那。
「お触り禁止!」
目にも止まらない速さの何かが走り抜ける。瞬く間に乱の横に現れた人物はそう叫ぶや否や、自分の弟を勢いよく突き飛ばし、敵の刀がその腕を深く切り裂く。それに怯むこともなく、鯰尾は敵を目掛けて本体を深く突き刺した。噴水のように吹き出した、先程とは桁違いな量の邪気を残し、今度こそ双眼が光を失い地にどさりと落ちる。
「ははっ……なんてね」
「な、鯰尾にいさん……」
「似てたでしょ、乱のモノマネ」
鯰尾に突進された勢いで、しりもちをついてしまった乱。すっかり怯えた様子の空色の幼い瞳には、うっすらと涙が浮かんでしまっていた。いつものように穏やかな笑みを浮かべている鯰尾は、しゃがみこんでその目に浮かんだ涙をそっと親指で拭う。その一部始終を見ていた獅子王は安堵の息を零した。
「怪我はない?乱」
「大丈夫……だけど兄さんが……」
「これぐらい慣れてますって」
小さな唇をふるふると震わせている乱、その瞳が釘付けになっているのは鯰尾が自分を突き飛ばすために犠牲にした腕だった。衣装は大きく切り裂かれており、そこからぱっくりと裂かれた皮膚が垣間見えた。深紅が暗い色の衣類が浸食していき、それは徐々に広がっていく。その様子だけでも、鯰尾の傷が深いことを察するには十分だった。
「……もう敵はいなさそうだな」
いつの間にか戦闘を終えていた山姥切が、兄弟を心配の眼差しで見守っていた獅子王の横に並ぶ。一度戦地を経験していた山姥切、その身体の傷は単騎で出陣した昨日よりは減っていた。周りの視線を追うようにして山姥切の目が鯰尾の腕へと向けられ、一瞬大きく見開かれる。
心配そうにしている初陣組2人を交互に見た後、懐から包帯を出しゆっくりと鯰尾へ歩み寄っていく山姥切が、傷口がぱっくり開いてしまっているその腕に包帯を巻きつけていく。
「いたっ!?」
「大人しくしてくれ」
「別に大した怪我じゃないのに……俺なんかより自分に使った方が良いんじゃないですか?」
「ここまで大きな怪我はしていない」
恐らく、昨日手入れ部屋で主にやり方を教えてもらったのだろう、その不器用ながらも手当てしようと一生懸命奮闘している山姥切の姿を見て鯰尾は小さく笑った。ぐるぐるぐるぐる、加減というものを覚えていないであろう彼は、手当ての方法を熟知している鯰尾が見ても必要以上の量を延々と巻いていく。
「兄さん……」
手当てを受けている様子を、不安いっぱいといった表情で見つめ続けている乱。今にも落ちてしまいそうな帽子を正すように、大きな手のひらがその上にポンと置かれる。その手の持ち主である獅子王は乱に向かって八重歯を見せながら微笑めば、次に鯰尾へ明るい声色で話しかけた。
「しかし、鯰尾。お前本当につえーな」
「ごめんね、兄さんボクのせいで」
「いや、俺こそ前に出過ぎた……怖い思いさせちゃってごめん」
乱の頬を優しく触れている鯰尾の顔は、先程の戦闘中のものとは異なり、すっかり兄が弟を慈しむような優しいものに変わっていた。鯰尾が前に出ていた理由、それは彼が強いから、やる気があるから、そうではないことをその場にいる刀剣男士達は皆なんとなく察しがついていた。
「……主か」
山姥切がポツリ、呟いた言葉に鯰尾の肩がわかりやすく跳ねる。そのあからさまな反応に危うく吹き出しそうになってしまった獅子王はなんとか自らの手で口を抑え堪えてみせた。薄っすら涙を浮かべていた乱も、その言葉と同時にゆっくり口角をあげていく。
「主が1人でいるのが、心配なんだな」
「な、別にそんなんじゃ……!」
「兄さん、来るときすごく心配してたもんね!」
「こっち来てからもずっとそわそわしてるしな!」
「〜〜っ!!!」
明らかに動揺を見せている鯰尾に、多方面から更なる追い打ちがかけられる。みるみるうちに赤く染まっていく鯰尾の顔。見開かれた瞳は右往左往としていて、動揺している、そう彼らが察するには十分だった。にやついた顔で徐々に詰め寄ろうとする獅子王を、恥ずかしさゆえに今にも暴れだしそうな鯰尾を見かねた山姥切が肩を抑えて制す。
「本当兄さんは主さんが好きなんだね!」
「別にそんなんじゃ……」
「えぇ〜嫌いなのか?」
「それも違くって……あぁあああもう!とにかく違うんです!」
「……鯰尾は俺が顕現される前から主の近くにいた。その分、主への思いが大きいのだろう」
やり方がわからないのか、難しい顔をして包帯の大量に巻かれた腕を凝視している山姥切。相変わらずいいように弄ばれている鯰尾に内心同情しながら、彼が渋々といった様子で口を開いた。静かに紡がれたその台詞に、獅子王と乱2人の目は大きく見開かれる。
「え?でも山姥切お前初期刀だろ?」
「そうだよ!……でも確かにそれならあの強さも納得がいくけど……」
すると鯰尾は気まずそうに視線を逸らしながら頬を掻く。あわゆくば、鯰尾へ向けられた冷やかしの声が少しでも軽減されれば。そう思って言った山姥切だったが、増々彼らの好奇心を引き出す結果となってしまい、きゅっと唇をしめる。
「あぁー……、どうしよう」
「お兄さんなんで?」
「教えろよ、水臭いじゃねぇか!」
困惑している鯰尾に申し訳ないと心の中で謝罪する。しかし、彼らが聞き出そうとしていることは、山姥切自身もずっと気にかけていた疑問であった。自分が顕現した当初、そのおかげでどれだけ混乱したことかわからない。考える、ということを覚えた瞬間、慣れない思考を必死になって張り巡らせど、わからなかったその答え。
「空…俺らの主は、元々別の本丸の主だったんです」
「別の本丸……?」
「そう、今の本丸とは違う本丸。俺はそこの本丸の刀だったんですよ。それで――」
鯰尾は言葉を続けようとしていたその時だった。
『本丸より緊急警報を受信致しました。審神者様の霊力放出が警戒レベルに到達致しました。直ちに本丸へ帰還してください』
繰り返します。そうして無感情な音声でリピートされるアナウンスに、刀剣男士達は絶句しながら目を見開いた。
*
「重たいなぁ、もう……」
「どうした陸、もうお手上げか」
「鶴……見てないで手伝ってよ」
どすっ、手元の負担に耐えられず、重い音を立てて手にあった段ボールを地面に下した青年。それを木の上から涼しげな表情で見下ろしているのは鶴丸国永だった。青年はその姿を見るや否や、眉を寄せて睨みつける。しかし、女性にも間違えられてしまいそうな童顔と、穏やかな口調や性格が災いしてか、その姿はちっとも怖くは見えなかった。
「俺だってこれでも頑張ってるんだから。……鶴、どうせ暇でしょ。手伝って」
「やれやれ、いくら近侍だからってこき使ってもらっちゃ困るな」
ずっと遊んでたくせに。口には出さずとも、そんな思いを込めて、再度、白い視線を送る青年。それに対していたずらに笑う鶴丸は、その数メートルという高い位置から、突如飛び降りるものだから、青年は心臓をヒヤリとさせた。しかし、流石は鶴、といったところか、彼は難なく着地する。そうして青年の足元にあった大きな荷物を軽々しく持ち上げた。
「どこまでだ?」
「ありがとう、厨にいる歌仙まで――」
刹那、本丸中に響き渡る音量でアナウンスが流れだした。すっかり気を抜いていた青年は、突然聞こえたそれに「うわぁ!?」と間抜けた声を出して驚く。一方でその音声に顔を上げた鶴丸は「なんだなんだ?」と声を弾ませていた。
『本丸〇〇〇番より救援要請を受信致しました。本丸〇〇〇番審神者空様の霊力放出が警戒レベルに到達致しました。緊急システムによりゲートを接続致します』
その言葉に目を見開いた青年。対してなんとなく察しがついた鶴丸は「早速か」と笑みを浮かべていた。その顔は、青ざめている自身の主とは反対に、どこか嬉しそうであった。