「例の魔女、戻ってきてるらしいぜ」
「んな、まさかぁ」
青年の安楽な返答を、すれ違いざま耳にする。
「そうね、まさか……ね」
口角をあげた。彼らが噂をしているその“魔女”とやらが、まさに今、すれ違った男子の恰好をしている私であることなど、彼らは夢にも思っていないのであろう。優越感を胸に、カツカツと皮靴で固い床をリズムよく叩けば、その楽しそうな声も次第と遠ざかる。
外廊下へと差し掛かれば、外から直接差し込む太陽の明るい光。この摩訶不思議な世界へと来る前からも変わらないそれを身に浴びて、ふと、歩みを止めた。
元居た世界で起きた異変、そして原理のわからない異世界トリップ。あれからもう一年も経ったのか。当時こそ“帰りたい”その一心でひたすらに足掻いていたものだったか、四季を超えてしまえば最早、その感情もだいぶ薄れてしまっていた。
素より、所謂ハプニングという類に対しての耐性は高い方で。突如知らない世界に放り込まれたところで、生れたときから魔法やら魔物やら蔓延る世界に身を置いていれば、異世界に飛ばされるぐらいのことが起こったところで、なんら不思議ではない。とりわけあの世界に大した未練や執着があるわけでもないのだ。私らしく、いつも通りに、のらりくらりと現状を楽しみながら生きていけばいいはず、なのに。どうしてあんなにも焦っていたのか。きっとそれは、最後に見た忘れることのできない地獄絵図が、深く強く、脳裏に焼き付いていたからなんだろう。しかし、それもこの世界を生きている今となってしまえば、あの時見た命の大樹の崩落も、夢にすら思えてしまう。……否。そもそも、あの世界にいたときの記憶全てが、今となってはもう……。真実であったことを証明する術など、どこにも。
「……グルル」
「……」
唸り声をあげている足元の豹模様の猫。屈んでそっとその頭を撫でる。その首元で魔力の込められた石が日光を浴びてはギラギラときらめく。魔法石の首輪によって猫に姿を変えてはいるが、この子は、キラーパンサーと呼ばれる列記としたモンスターである。恐らくこの世界にはいない唯一無二の存在。私と同じく正真正銘あちらの世界の存在である。私の胸の内を感じ取ったのか、擦り寄っては私を見上げるその姿は、しっかりしろ、そう言っているようで。それと同時に、こちらの世界には存在しないこの存在自体が、私にあちらの世界は夢などではなかったと、訴えかけてくれているようにも思えて。
「……そうね、ごめんね」
だめだ。迷ったりしては。そのために、この1年間必死になってきたんじゃないか。猫の喉元にやさしく触れれば、気持ちよさそうにゴロゴロと声を出す。
「グニャァ」
「……うん」
このナイトレイブンカレッジへと誘われ、鏡によって魔力の波長が一切感じられないと断言され、あんぐりと口を開いたのはちょうど1年前のこと。かつて賢者と謳われた魔法を扱う天才が、よもや、魔力の波長が一切ないなどと言われる日がこようとは、夢にも思わなかった。
しかし、その鏡の言うことはあながち間違いではなかった。それも、この世界の魔法を使う力が私にはないらしいのだ。この世界の人間達があたかも当然のように使っている魔法。それは私が賢者であったとしても、使うことができなかった。それはこの1年かけて嫌というほど思い知らされた1つの事実である。そしてもう1つわかったこと、それは私が元より扱っていた魔法は、こちらの世界でも唱えることができるということである。勿論、勝手が違うところはいくつがあるが……。要するに、私が扱うあちらの魔法と、こちらの世界の魔法。同じ魔法と呼ばれるものでも、その本質は全く別物、ということである。
「なあ、聞いた?例の魔女のうわさ」
背後を行き交う人々の言葉に、またか、とため息がこぼれる。当時、女というせいか、魔力を持っていないというせいか、はたまたその両方のせいなのか。この学園に通う者の中では異質な性質を持っていたせいで勝手に魔女と呼び名をつけられては、あちこちで取り沙汰される羽目になった。そうして、姿を変えて密かに戻ってきたにも拘らず、これだけ噂をされてしまうとは一体全体どういうことなのか。この1年間、やっとの思いで手にした魔法石。足元でぶるぶると体を震わせている猫と同じものが、私の耳元で同じように輝いている。性別も見た目も変えられる稀少なこの石さえあれば、ひっそりとここで生活を送れる。そう思っていたのだが。どうやら現実というものは、そううまくはいかないらしい。
「聞いた聞いた、戻ってきてるんだってな」
「でも、それらしい女子生徒の姿なんて見かけねえよな」
「そうなんだよなあ、隠れてんのかなあ」
「まあ魔女って言われるくらいだし、それぐらい朝飯前かもな〜」
大体どこから戻ってきてるってバレたんだ。いささか疑問は残るものの、それでも、もはや別人の姿となった私自身に対して視線が集まることはない。今の私は一見すれば、平凡なナイトレイブンカレッジ新1年生であるからだ。この状態を継続していけば、私の平和な学校生活は守られる。要するに私が女ということ、魔力がないということ。そして、例の“魔女”ということがバレなければいいのだ。しかし、その点は心配しなくてもいいのだろう。先ほどの彼らの如く、すれ違った皆が皆、私のことなど気にも留めずに通り過ぎていく。これならば、誰もその正体に気が付けるわけが。
「普通、わかんないっスよね。可愛い1年生に成りすましてる、なんて」
「……っ!?」
「ねぇ、ニアちゃん?」
心臓を背後から捕まれたような気分だった。慌てて振り返ろうとするも背後にいる誰かがそれを阻止するべく、両肩を押さえてくる。力強い腕に、思わず息をのむ。近距離で伝わる威圧感。しかしながら、その声には聞き覚えがあって。
「……なんの事かさっぱり」
「隠したってもうバレてるッスよ。それともなに?白状するまでしつこく言及されたいッスか?」
知ってるとは思うけど、ハイエナの狩はしつこく執着深く、時間をかけてじっくりと。そうして確実に、行われるもんなんスよ。
「……なぁんて、ね」
「……はぁ。分かった。分かったからそれはやめて」
ラギー。いたずらな台詞を吐く背後の彼。その名を口にすると、彼は「シシシッ」と特徴的な笑いをこぼす。
「また会えてうれしいっスよ」
「……驚かせないでよ」
「なぁに、久々の再会なんス。サプライズっスよ〜」
猫と戯れるためにしゃがんでいた私を、見下ろすように背後に立っていたのは、このナイトレイブンカレッジ2年生であるラギー・ブッチである。あのまま、私がここで生活していれば、同級生として学校生活を共にしていたであろう人物だ。
「……うん、久しぶり」
「いやぁ、まさか1年生に紛れているとは思わなかったっスよ。流石っスね」
「……そう?」
「もう、水臭いじゃないっスか。帰ってきてたんなら教えてほしかったっス」
「えぇっと〜……、あはっ」
視線を思わず反らす。なんせ彼に言わなかったのは、故意だったからだ。
「あれ、どうして目を逸らすんスか?」
「いあぁ……」
ピクピクと動く獣の耳は、彼の所属するサバナクロー寮に多い獣人特有のものである。その耳の人並み外れた聴覚によって、いち早く噂を聞きつけたというところか。近距離でかち合う目は、垂れ目で一見優しい色をしている。しかしながら、まっすぐにこちらを覗き込むそれは、心まで見透かしてきそうなほど鋭くて。明後日の方向に視線を逃がし言葉を濁していれば、目前の彼からため息がこぼれる。
「はぁ、やっぱり信用無いんスね」
「……」
「……そう」
否定も肯定もしないで、目を反らす。獣人は耳ざとい分、噂話が大の好物である。そんな彼に存在を知られようものなら、瞬く間に私のことが学校に広まってしまうと思った。“魔女”といわれた素性を、男に扮することによって隠し、せっかく密かに帰することができたのだ。その努力をそう簡単に水の泡にできるわけない。彼のことは多少なりとも信用しているが、今までの努力を、これからの平安を、そう安々と危ぶませるわけにいかなかったのは事実。黙り込む私に対して「悲しいなぁ」そう零し、彼は長いまつ毛を揺らした。
「俺とアンタの仲じゃないっすか。もう少し仲良くしましょうよ」
「そうね、約1か月席がお隣さんだっただけの仲ね」
「シシシッ、えげつねぇ〜」
そう言って笑う彼は嬉しそうで、相変わらず飄々としている。
「でも、俺。アンタのそういうところ好きっスよ」
「そりゃどうも」
昼下がりの廊下である。午前の授業が終わってからまだそう時間は経っていない。ラギーの背後、食堂へと進む多くの人々の流れを見るに、これから昼食を取ろうとして足を運んでいる生徒が大半。そんな中で、しゃがみ込んでいる1年生とそれをにんまりとして見下ろす2年生。その姿は異質であり浮いていた。チラチラと一瞥する通行人たちの視線が刺さる。目立ちたくない私の心中を知ってか知らずか、彼は悪戯に口角をあげるばかりで、動く気配がまるでない。
「ラギー……」
「ん?」
察してといわんばかりに名前を呼ぶ。勘の良い彼のことだ。後方へと視線を仕切りなく向け、気まずそうな顔をしているだろう私が、何を言わんとしているかはすでに気が付いているはず。それなのに、笑顔をそのまま、いつの間にか掴んだ腕もそのまま。彼は首を傾げてしらを切る。嗚呼、これは、逃がしてくれないパターンだ。観念してふうっと重たい息を吐いて重い腰をあげる。
「場所……変えようか」
「シシシッ、ウッス」
確信犯である、御満悦そうな笑顔を見て確信した。