収集癖

「やっほう名前!!今は何して……」
「スバルうるさい」

スマホをひたすらいじっている名前。彼女が朝、自教室である2-Aにいることは極めて珍しかった。スバルは彼女の姿に驚きつつも、これは面白いと好奇心の赴くまま声をかけたのだったが、見向きもされないまま綺麗に一喝されてしまう。その様子を見て隣の席の北斗と真は苦笑を零していた。

「今は話しかけない方がいい」
「おおホッケ、これどうなってるの?」
「出禁を先生から言い渡されたらしい」
「ああ、この前の抜き打ちテスト」

0点はインパクトあったよねー、あははと呑気に笑うスバルの声に反応したように、彼女の眉がピクリと動く。凛月のクラスに行けなくなって3日間。登校時も巧みに避けられているおかげで、全く凛月に会えていない彼女の機嫌はすこぶる悪かった。

「それで意中の相手に会えないから、写真を見て癒されてるそうだ」
「そっかそっかー」

スマホに写る青年を見つめ、悲しそうに眉を下げたり、にやけたり……くるくると変わっていく表情を見て、スバルはなるほどなと大きく頷いた。一体何枚あるのだろうか、画面をスライドしても次々と出てくる同じ顔に、若干恐れを抱いた一同。

「えっと、名前ちゃん……」
「なに」

おずおずと真が名前に声をかける。ぎこない笑みを浮かべながら、数冊のノートを抱いているメガネの青年の姿は、いささか情けなく名前の目に映った。それに対してピクリとも笑うことのない彼女の表情は、相変わらず不機嫌そうだった。

「次のテストで満点取れば、流石に出禁も解かれるだろうし……」
「……?」

その言葉にゆっくりと彼女が首を傾げていく。

「どうかな、一緒に勉強しない?」
「……!!」

その瞬間、彼女の顔がパァッと花開いたように明るくなる。しばらく見ていなかった彼女の晴れやかな笑顔を見て、スバルと北斗の2人は思わずおぉっと驚嘆の声を漏らした。

「したい!!」
「良かったぁ、確か図書館に古文のわかりやすい解説が……」
「行こう!!」
「わっ、待って名前ちゃん!!」

真が言い終わるのも待たずに彼の手を引っ掴んで教室を飛び出す彼女。取りあえず元気になって良かったと喜ぶべきなのか。残された2人の心の中にそんな疑問が生まれていた。

「ウッキーも名前の扱い上手くなったよね」
「まだ振り回される側だがな」

真が引きずられていった扉の方に2人の視線が注がれる。ふぅっと重く溜息をついた北斗は困り顔で笑っていた。まだ朝のホームルームまでは時間がある。残り10分くらいになったら、振り回されてぐったりとしてしまうであろう遊木のためにも、2人を迎えに行こうかと机のプリントに視線を戻した。





「くまくんいるー……ってうわぁ、なんなの」

教室に入った瞬間、怪訝そうに顔を顰めて声を漏らしたのは、凛月の同じユニットに所属する3年、瀬名泉だった。用があって渋々足を運んだ2年の教室、そこで見るからに不機嫌な様子で頬杖を付いた目的の凛月がいたからだ。

「……セっちゃんか、何か用」
「珍しく機嫌悪いね、まぁ理由は聞かないけど」

どうせ名前関連なんでしょ。そう口には出さずに瀬名はぶっきら棒に凛月の頬杖を付いている机に資料を投げる。数枚のホチキスで纏められた紙束は、バサリと音を立ててそこに落ちた。

「……はぁ」
「ちょっと溜息吐くとか、辛気臭いからやめてよね」
「セっちゃん……」
「なに」

紅い瞳が瀬名に向けられる。見上げてくるいつも通り眠そうだが、稀に見ない弱弱しい瞳に、瀬名は呆れつつも前の席に腰を下ろした。こんな状態で午後のユニットの集会に来られても迷惑だ、仕方ないから話しぐらい聞いてやろう。そう思ったのだが

「ストーカーするってどんな気分」
「帰る」
「まぁまぁ、落ち着いて」

立ち上がり迅速に去ろうとする瀬名の腕を、眠そうな表情に反して機敏な動きでガシリと掴む。あぁ?と低い唸り声に似た声の瀬名、どうやら彼の機嫌を怒らせてしまったらしいが、しかしここでこの人物を返すわけには行かない。

「言っておくけど、俺は名前と違うからね」
「うん、わかってる」
「じゃあ用はないでしょ」
「でも同じ変態だよね」
「ぶん殴るよ?」

わかった、聞けばいいんでしょ、聞けば!!いくら振りほどいても離れない腕に、瀬名は苛立たしげな様子で声を上げ、先程座っていた席にどさっと座る。彼の口から出された声は思ったより大きかったようで、近くでイヤホンを付けて予習をしていた真緒が、チラリと心配そうな視線を向けた。

「で、何?今度はストーカーでもされたわけ?」
「いや、逆」

「最近、ぱっと来なくなっちゃった」ついに机に顔をうずめて呟かれた凛月の声は、こころなしか覇気のないように聞こえた。その姿もいつもの眠た気に突っ伏されたものとは違って見えて、寂しさにうずくまっているように映った。

「なんで、願ったり叶ったりでしょ」
「そうだけどさ……」
「メールとか電話とか来ないわけ?」
「2か月ぐらい前から拒否してある」
「話したいのか話したくないのかどっちなのさ」

わかんないなぁ、椅子の背もたれから乗り出した瀬名が、つんつんと凛月の頬をつつく。これは以前に名前にもされた。小さい指でされるのと、男のごつい指でされるのでは全く感覚が違うらしい。そこでまた思い出してしまう彼女の顔。

「……はぁ」
「くまくんさぁ、本当はアイツのことどう思ってんの?」
「え、どうって?」
「その様子だと、本当に嫌いじゃないんでしょ?」

「好きなの?」その言葉の意味を理解するのには少し時間がかかった。俺が?いやいやいや。知らずのうちに避けてきた核心の部分に、初めて触れられて戸惑う。硬直している凛月に関心無いはないようで、瀬名はそのまま言葉を続けた。

「まぁ、それはどうでもいいけどさ」
「……うん」
「もし大事なら、離れる前に捕まえて置いたら?」

「あいつの興味の対象が、いつまでもくまくんとは限らないんだから。もう手遅れかもしれないけど」その言葉が何故か心に深く突き刺さる。嫌な予感がしてならない。なんでこんな気持ちになるんだろう、もしかして本当に……。

「早く、早くってば!!」
「待ってよ名前ちゃん!!」

廊下から聞こえた声に瀬名と凛月が、勢いよく振り向いた。注がれた視線の先にいるのは、楽しそうに人の手を引いている名前と、焦っているのか困っているのか、眉を下げて引かれるままに付いていく真の姿。突如瀬名がガタリと立ち上がる。

「ちょっとゆうくんに何してるわけ!?」
「ひっ……泉さん!?なんでここに!!」
「え?あ……」

瀬名がドスドスと廊下を踏みしめて歩いていく。威圧感マシマシな泉の迫る様子に顔を青くした真は速攻踵を返して、一目散に走り出す。呆然と瀬名を見つめる名前を置き去りにして。





「瀬名先輩、こんにちは」
「ちょっと、くまくんの次はゆうくんなわけ?」
「え、次?」

いつの間にか目の前まで来ていた瀬名先輩、なぜこんな鬼のような表情をしているのだろうか。

「聞いたよ、あんたくまくんのこと見切っ」
「はーい、セっちゃんそこまでー」

さぞご立腹な様子の瀬名先輩をはてなを浮かべたまま見つめていると、突然目前の先輩の口がふさがれ、顔が勢いよく後ろに持っていかれる。ひっくり返るんじゃないかって思ったが、助けはしない。それよりも

「ああああ凛月だあぁああ!!!!」

その白い手その声、この持ち主は絶対に彼なわけで。間違いなく私がここ数日会いたいと震えるほど懇願し続けてきた彼であるわけで。瀬名先輩を半ば強引に押しのけて、後ろで先輩の口を覆う凛月の横腹に抱き着く。

「うわっ、ちょっとなに」
「あーいたかったああああ!!」
「あんたが来ないからでしょ」
「テストが0点で出禁だったから」
「は、出禁?」

ぽかんと口を開いた凛月、その口から間抜けた声が零れた。凛月の手の力が緩んだ隙に、瀬名先輩が煩わしそうにそれを振り払い抜け出す。「いや馬鹿でしょ」と呟いた先輩の言葉は聞き逃せないが、この際それよりも優先するべきことがあるため見のがそう。

「なんだ、紛らわしいなぁ。っていうか0とか馬鹿にも程があるでしょ」
「うわぁ、本物の凛月だぁ……やっぱり写真より本物が良い……」
「ちょっと馬鹿力で腹回りにしがみつかれると、苦しいんだけど」
「うわぁあ暖かい凛月だぁ……」

だめだこいつ、達観してる。可哀想な見る目をされていることもこの際ご褒美である。瀬名先輩がじゃあ俺は行くからー、と言葉を残して去っていった。引きはがそうと肩にある手、服から香る柔軟剤の香り、贅肉のない硬い身体。すべてが懐かしく思えて離れられない。グッと押し返されるが、負けずと回した手の力を強める。

「……心配させないでよね」
「え……凛月?ぐぇっ」

思わず女子らしからぬ声が出てしまう。

あれ、何が起こっているんだろう。背中と後頭部に回された大きい手。身体が凛月の腕の中に閉じ込められているのだ、とようやく気が付いた。心臓がドクンと大きく跳ねる。あの凛月が?跳ねる程喜ぶべき展開になっていることはわかっている。わかっているはずなのに弱い頭が驚きのあまり思考を停止して何も考えさせてくれない。

「……それならそうって言ってよ」
「……はい」

だけどそれはほんの一瞬の出来事。私が状況を理解するよりも早くに離れた彼から、いつも通りの冷たい視線が降ってくる。そうか、言わなければいけなかったのか……いや、違う。

「着信拒否してるの凛月だよ!?」
「あ」

惚けた声と同時に薄い唇を開いた凛月。そうだよ、私がどれだけ“おかけになった電話番号への電話は………”で始まる綺麗なお姉さんの声を何回聴いてきたことか。未だに耳に残る音声を頭の中で再生すれば、再度虚しい気持ちがよみがえる。

「……というか凛月」
「なに」
「もしかして、会いたかった?」
「……んなわけ、ないでしょ?」

彼が一瞬口ごもったのを私は見逃さなかった。そうかそうか、自然と上がってしまう口角をそっと手で隠す。やっぱり朝のテスト頑張ろう、私の楽しそうな視線に気が付いたのか、気まずそうに眼を逸らした凛月を見て密かにやる気をみなぎらせていた。

「私も会いたかったよ」
「俺何も言ってないんだけど」

やはり、彼のそばが一番心地いい。