好きです、変態。

ピコンピコン……♪
軽快な音がスマホから流れる。あ、やっときた。ガタリと椅子を引いて立ち上がり、鳴っているスマホを手に席を離れる。いつの間にか舞っている自分がいったことに気づいて複雑な心境にいたりながらも、真っすぐ足を進める骨ばんだ手に握られている液晶には、馬鹿名前と表記されていた。





「あ、凛月!!」
「おいーす」
「電話出ないから、来ないかと思ったよ」

廊下の曲がり角からすっと現れた凛月。手をひらひらと振りながら呑気に歩いてくる、その姿を見るや否や飛びつこうとすれば、顔面の位置に手を置かれて、防がれてしまう。そんな釣れない凛月も好きである。

「で、どうしたの?」

出禁を食らってはどうしようもないので、人気の少ない廊下に呼び出すようにしていた。ダメ元で頼んだ先日、面倒だといいながらも彼は足を運んでくれたから心底驚いた。眠そうに伏せられている目をゆるゆると擦っている凛月をみて、ぎゅっと拳を握りしめる。

「今日ですね、家に親いるんだよ」
「そうなんだ」
「……だから来ない?」

わかってる、わかってるよ。
誘い方が可笑しいってことくらい。





「と、いうわけで泊まりにおいで、と母が申しております」

うちの母と凛月は面識がある。まぁ言ってしまえば、私が無理やり会わせたわけだが。こんな男だらけのところに通っているのだ。お友達として家に私が男子を連れてくることに家族一同慣れているのだ。血の繋がっているせいか、それ以来母は凛月を心底気に入り、夕食に誘うこともしばしば。しかしその後帰りが心配で、娘であり女である私に彼を送れという始末。それはおかしいと抗議すれば、ならいっそ泊まっていってもらおうと意気込んだ母は何時のことだったか。

「そっかぁー、まぁおばさんの御飯好きだし、それならいつでも行くけど」
「うん、ありがとう」
「丁度最近、兄者が家にいるせいか、寝れなくて困ってたんだよねぇ」

彼に好意を抱いている私としては、願ったり叶ったりなのだが……

「凛月はよく、私がいる家に泊まろうと思えるよね」

自分でいうのもなんだか、そんな兄と似た類の変態と一つ屋根の下。恐ろしくないのだろうか?抱いていた疑問を思わず口に出す。

「なんかしでかしたら、おばさんに言えばいいんでしょ?」
「ははっ、よくご存じで……」

確実にしばかれる。その瞬間を想像しただけで背筋が凍りついた。凛月は目に入れても痛くない程に溺愛している母のことである。ぶっ飛ばされるに違いない。今日は急いで帰って部屋の片づけをしよう。凛月の写真フォルダを燃やされないよう隠しておかなくては。

「そろそろ責任取ってほしいし……」

ぽそりと蚊の鳴くような声は、私には聞こえなかった。

「じゃあ、7時に名前の家行くから」
「うん、あ……私はtrickstarとレッスンの約束してるから、少し遅れる」
「はいはい、頑張ってね〜」

それまで、私の部屋にある凛月の写真集に、彼が気が付かないといいのだが。







案の定遅れてしまって帰路を疾走する。スマホを付けて時刻を確認、揺れる画面に映った只今の時刻は7:38。どうも彼らといると真っすぐな彼らにつられて、つい集中してしまう。trickstarの溢れる活気というか、密かな魅力がそうさせるのだろうか。いや、きっとそれよりも、彼らといると楽しくてしょうがない、それが一番の理由なんだろう。頭の端でそんなことを考えながら、暗くなった道を走る。

「ただいま!!凛月は?!」
「あぁおかえりー」
「おじゃましてまーす」

玄関のガラス部分から明かりの漏れている扉を勢いよく開き、声をあげる。すると家の奥から呑気な声が返ってきて、ほっと肩を下ろした。よかった、帰ってなかった。乱れた前髪をささっと直して靴を脱ぐ。案の定、テーブルの上にはいつもとは見違えるほど豪華な食事が並んでいた。

「それにしても凛月くん、またかっこよくなった?」
「いえ、そんなことないですよ」
「そうかしら、前よりかっこよく見えるわー」
「だとしたら、おばさんの作る料理が美味しいおかげですね」

私の恋敵が、お母さんになりそうでとても怖いのですが。ちょっと凛月「そんなおばさん口説かないでよ」すでにぽっと頬を染めている母に一抹の不安を覚えながら、ご飯を急いで口内にかきこむ。取りあえず早く自室の片づけをしよう、その一心だった。

「ところで凛月くんは好きな子でもいるの?」
「っげほ!?」
「うわ、名前汚い」
「お、お母さん急に何言いだすの!?」

丁度、胃に流し込むように味噌汁を呑んでいるところ、母が唐突にとんでもない質問をするから、思わずむせてしまう。かろうじて吹き出しはしなかったが、口から垂れた露がぽたりと足の上に数滴程垂れてしまった。

「だってそろそろそんなお年頃でしょ?」
「そりゃそうだけど……」
「気になるじゃない〜」

そうしておほほとセレブのような笑い方をする母。席を立ちあがってティッシュで足の上の濡れた部分を拭い取る。そういえば確かに聞いたことが無いな。こんだけ付き待っとっている以上彼女とかいられたらかなり困る。まあ付き纏ってきて今まで女の影なんて微塵もなかったからその面は安心しているのだが。それよりも好きな女の子とかいるんだろうか。そう考えた途端にチクっと小さな痛みが胸を刺した。

「で、どうなの凛月くん」
「ん、どうだろう……」

ぎこちない笑みを浮かべて、小さくぱくりと白いご飯を頬張る凛月。こんな色気のある話でも箸を止めないあたり流石というか。いや、そこもまた魅力なのだが。丸めたティッシュをゴミ箱に放り投げ、ゆっくりと席に戻る。

「でも、捕まえたい子はいます」

その瞬間、凛月がこちらを向いて、緩く微笑んだ……気がした。





「凛月ー、寝た?」

私より先にお風呂を上がり、私の部屋で漫画を漁ったりゲームをしたりと自由に遊んでいるであろう凛月に声をかけるが返事がない。寝てしまったのだろうかと、音を立てないようにそっとドアを開けた。

「あ……寝てる」

案の定人のベットに堂々と横たわり、明るい部屋にも拘らずスース―と寝息を立てている凛月の姿があった。それに私は悪だくみを思いついてにやりと口角を上げた。

これは、寝顔撮影のチャンスではないか。

スマホの無音カメラを起動させながら忍び足で近寄る。やはりイケメンの寝顔というのはどこからどう見てもイケメンで、長いまつ毛に薄っすら空いた唇は色っぽく無造作に顔にかかる髪すらもが愛おしい。その凛月の可愛い寝顔を撮ろうとするべく、ベットにそっと片膝を乗せた。

ギシリ

ベットが軋み、一瞬ヒヤッと肝が冷える。だけど常日頃から眠るのが好きな凛月。一度寝付いたらちょっとやそっとのことでは中々起きないことを私は知っていた。予想通り相変わらず穏やかな寝息を立てている。そこで私は、更に悪い悪戯を思いつく。いっそこのまま驚かしてやろう。再度口角を上げて、無音カメラを動画に切り替える。ゆっくり凛月の寝顔の横に手を置いて男性にしては細い腰を跨いだ。しかし今はもう夜が始まったばかりの時間。凛月がこんな時刻にぐうぐう寝るなんて珍しい。


ギシっ


2回目の音の直後、パチリと紅い瞳が開いて、口元が不敵に笑ったのが見えた。

「あ…」漏らした刹那、目を暖かい何かに覆われて暗転する視界。強い力に引き寄せられる。驚いて咄嗟に身を引こうとするが、後頭部に回っている手がそれを許さない。再びベットの軋む音がしたと同時。…ちゅっ、と軽いリップ音が鼓膜を揺らして、唇に触れた柔らかい感触にそれが何かを理解した。

「…ふふ、不意打ち、成功」

ゆっくりと大きな手のひらが瞼から離れ、開けた視界。そこで悪戯な瞳が弧を描きながら私を見ていた。突然のことに驚き固まる私を他所に、悪い笑顔を浮かべている凛月は、ぺろりと妖艶に唇を舐める。お風呂を上がってから髪を乾かすのを蔑ろにしていたのだろう、少し髪が濡れてるせいで邪心が元々大きい私にとっては、その姿が物凄くいやらしくに見えた。

目の前にいるのは凛月のはず、私を鬱陶しがる凛月のはず。彼がこんな肉食動物のような瞳を、今まで私に向けていたことがあっただろうか。記憶を漁ってみるが、考えれば考えられるほど、今の状況があり得ない気がしてならない。夢なのか現実なのかわからない。上半身を起こしている凛月に跨ったまま唖然とする私。

「襲えるとでも思った?」
「り、りつ…何して……」
「ん、仕返し」

言い終えた瞬間、ぐるんと視界が反転する。先程から続く予想外の出来事に、すっかり思考回路がショートしていた私は、いとも容易くひっくり返された。見慣れた天井を背景に、凛月の整った顔。抗う間もなく腕をベットに縫い留められて、今度こそ絶句する。

「な……は……へ?」
「ねぇ、名前、どうしてくれんの?」
「な、なにが……?」
「俺、いますごいドキドキしてるの、意味わかる?」

初めて見るオオカミのようなギラギラした凛月の瞳。いつもは活気のない赤い瞳が熱い熱を帯びて私を見下ろしている。現実味のない景色にこれはやはり夢なのかもしれない、そうも思ったが、凛月がそっと顔を近づけてきて、湿り気を帯びた黒髪が私の頬に張り付いて火照った頬を冷やす。その冷たいリアルな感覚にこれは現実なのだと静かに悟った。ふと考えてみたが、実際に強く掴まれている手首は熱い。その鋭い熱がこれが現実だと暗に示しているように思えた。

「あんたのせい」
「私?」
「そう……?責任取ってよ、ねぇ」
「それって……」

凛月は何も言わず、ただ不敵に笑っているだけ。

「ふふっ……捕まえた」

意地悪く口角を上げて笑う凛月の唇の合間から、人のそれにしては鋭く尖った八重歯が垣間見えて思わず息を呑む。ようやく状況を把握してきた脳が、ドドドと鼓動を走らせた。もしかしたらこのまま本当の意味で食われてしまうんじゃないかと感じてヒヤリとする。

「今まで通りにいくとは思わないでよね」
「どういう……」
「俺を落としてくれたこと、後悔したって知らないから」

頭の上に疑問符が次々と浮かんでくる。これは、もしかして、もしかしてだけど。

「凛月…それって……」

凛月の手の拘束が強まり、手首に僅かな痛みが走る。強張った身体がついビクッと跳ねた。その瞬間、勢いよくベットが揺れてスプリングが音を立てた。手首の拘束と身体の上の重みもすべてが無くなる。離れていく凛月を目で追いかけると、彼は何事もなかったようにスタスタと扉に向かって歩いていく。

「じゃ、おやすみ〜」
「っえ?あ……おやすみ」
「髪、ちゃんと乾かしてから寝なよ」
「は、はい」

まるで何事もなかったかのように凛月はひらひらと手を振って出て行ってしまう。凛月の寝室は、母の丁寧なおもてなしのため、別部屋にしっかりと設けられていた。パタンと音を立てて閉まった扉を呆然と見つめる。ただ私一人が部屋に取り残されて、握られた未だに熱のこもる手首を撫でながら、散らかった記憶の整理していく。

「…あれって」

うぬぼれてもいいのだろうか?

今頃、思い出して1人勝手に頬を染める。テーブルの上には一緒に遊ぼうと思っていたテレビゲームのコントローラーや、凛月が弄んだと思われる小型ゲーム機が置いてある。先程落としてしまったスマホの画面に映る時刻は、寝るにしてはまだ早いようだ。扉の向こうで危なかったと頭を抱えて立ち尽くす人がいることなんて、この時の私は知る由もしなかったのだった。