脳裏を過ぎった

生緒と烏丸が走り去っていった廊下を、残された2人はじっと見つめていた。辺りは先ほどの騒動なんてまるでなかったかのように、ガヤガヤと賑わいを見せている。

「にしても、緑川。お前本当生緒のこと好きなのな」
「別に……」

ぷいっと顔を反らしてしまった緑川。素っ気ない返事に一瞬怒ってしまったのかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。癖毛のせいで隠れ切れていない耳が真っ赤に染まっているのを見て、陽介はにやけるのをこらえることができなかった。

「そんなこと言ったら、よねやん先輩だってさ……」
「ん?」
「ただ、次は俺も黙ってないからな、だなんてさ」

オレより怖いわ。なんて耳を赤く染めたままじろりと睨みつける緑川。

「あぁー……まあ、なんつーか、ほっとけねえよなあ……」

そうして彼女の隣にいた京介のことを思い出す。暫く本部で姿を見ることのなかったにも関わらず、今日こうしてわざわざ彼女に付き添い本部へと赴いた彼もまた、恐らく同じ気持ちなのだろう。

「金太先輩とか響先輩もなにしてんだか……」
「あいつらはアイツらで忙しいんだろ」
「保護者がちゃんとついてないから」
「保護者ってお前、生緒のこと好きなんだよな?」

陽介の質問に「え?」と緑川はきょとんとした顔をする。なんだ無自覚か、と苦笑いをこぼした。子犬のような子供らしい行動が目立つ彼にまで、保護者がいないとだめと思われてしまった彼女は、どうやら相当頼りがいがないらしい。もっとも本人が聞いたらぎゃんぎゃん喚きそうであるが。

「まあ、気持ちはわかるけどな」
「……」

彼女たちが去っていった、今はもう誰もいない廊下を見ながら呟けば、隣の緑川が口を閉ざした。不思議に思って彼を見れば、マジマジとこちらを見つめる、濁りのない澄んだ翡翠色の瞳と視線がぶつかる。

「どうしたよ」
「ずっと気になってたんだけど、よねやん先輩ってさ」

「先輩のこと、好きなの?」陽介に送られている瞳は、真意を見透かそうとしているように真っすぐと陽介の瞳の奥に向けられていた。不意打ちの質問に、一瞬はて、と目を瞬かせるが、すぐに彼はうーんと唸り始める。

「そう見える?」
「わりと」
「そっか、そう見えるかあ」

彼女は、ボーダーの仲間であり、クラスメイトでもある。接点も多い方だろうし親しいことには間違いないだろう。それでも、先程の件と言い少々過保護すぎるのではないか?というのは正直彼自身にもあったのだ。それは何故なのか、真っ先に浮かんだ感情は……。

「やっぱり緑川はまだまだお子様だな」
「は?」

1年前の出来事を思い出す。当時高校1年生だった自分は、今と同じく彼女と同じクラスだったのだ。高校に入学した当時から、彼女とは学校内での時間も共に過ごすほどの仲であった。だから先程、あの野郎2人組が言っていた事件が起こったときのことも、よく覚えていた。

「まあまあ、お前にもそのうちわかるって」
「なにそれムカつくんですけど」

にやにやとしてそういえば、緑川は口をとがらせた。





蘇る一年前のある日のこと。

(今日もアイツ学校来てねえんだなあ……)

つまんねえの、誰も聞いていない悪態を机に向かってついてみる。今日は、いつも賑やかな生緒の姿はおろか、出水の姿すら見えない。これでは昨夜の腹筋崩壊したテレビの話も、ハマっているゲームの進み具合についても、三輪の面白話も、何一つできないではないか。おもむろにカバンから取り出した財布を後ろのポケットへとガサツにつっこみ席を立つ。通り過ぎた彼女の席、その机の中は何も入っていない。強いて言えば出水が悪戯で一週間前に置いていったメモ用紙がその中にぽつりと置いてあるだけだった。


一週間前……?


そうか、アイツもう一週間も来てねえのか。ふと脳裏に浮かんだのは屈託のない間抜けた笑顔を浮かべる生緒の姿だった。

一週間前のある日、彼女は忽然と姿を消した。学校でも、ボーダー基地でも、毎日のように見かけたその姿を一切見なくなった。気まぐれな彼女のことだ。そのうちひょっこりと姿を現すだろう。そして俺は笑って「どこいってたんだよ」と返しながらその肩を叩いて、そして彼女が「いったい」と叫んで……。そんなふうに再会して、また何事もなかったかのようにいつも通りの会話が始まるんだろう。その時はそう思っていた。当たり前のように、またいつもの生活がすぐくるもんだと思っていた。

「陽介!!」
「うっわ!?!」

飲み物でも買いに行こうと、廊下へ出たその瞬間、耳に入るのは切羽詰まったような出水の声。それと同時に身体に勢いよく何かがぶつかる衝撃に危うく倒れそうになる。振り返れば額に汗を浮かべて、ぜえぜえと息を切らしている出水がいて、その明らかに異様な友人の様子に何かが起きたんだと瞬時に察する。

「やばいんだって、生緒が…!!」





陽介は当時のことを、ぼんやりと思い出していた。あの時出水から彼女の名前を聞いた瞬間の、冷水を浴びせられたかのような気分は、出来ればもう二度と味わいたくない。気が付けば拳を強く握りしめていた。隣から「先輩、先輩!」と呼ぶ声がして、ハッとする。

「どうしたの先輩、考え事?」
「ああ、ちょっとな」
「へえ、らしくない」

緑川はまた、納得がいかないようで口をとがらせて歩き出してしまう。その背中は少し拗ねた子供のように陽介の目に映った。先程の人を射抜けそうなほど鋭い瞳を持つことや、A級隊員という実績のせいで時折忘れそうになるが、彼も14歳なんだなと。その低い位置にある肩に手を置いてさらにそのことを実感する。

「よし、緑川!今日勝ったらアイスおごってやる」
「ええーアイス?焼き肉がいい」
「ばっか、こちとら金欠なんだよ」

少し拗ねたような顔をしている緑川の背中に腕を回せば、彼は衝撃で少しだけふらつくが、その足元はしっかりとしているようで、ちゃんとまっすぐに歩いてくれる。財布の中に残った金銭は残り僅か。今回の試合には絶対に勝たなければ。陽介は密かに気合を入れた。