迅に連れられて行くおてんば娘の後姿を見守りながら、彼女が所属する隊のオペレーターである白石雪は、密かに頭を抱えていた。全く、どうしてあの子はいつも突拍子もない行動に出てくれるのだろうか、と。
「そういえば宇佐美さん」
「ん、雪くんどうしたの?」
「今朝、生緒ちゃん。なにかメモとか置いていかなかったかな」
ふと、お昼のやりとりと出来事を思い出して、トリオンの量が膨大な少女と共にソファに座っている宇佐美に声をかける。彼女であれば知っているかもしれない。
「メモ……ああ、あれかな?」
ちょっと待っててね〜。心当たりがあるのだろうか。そう言って小走りにいく宇佐美の後姿を見届けて、やってしまったなあ、と額に手を当てた。彼女があらかじめメモで教えてくれてたのであれば、先ほどのように正座なんてさせる必要なかった。自分はひどいことをしてしまった。ただでさえ戦闘やら本部での出来事で疲労の溜まっているであろう彼女に、なんてことさせてしまったのかと自責の念に駆られる。
「あ……あの……」
「……へ?っあぁ!?はい!?」
だから彼は、今居る大きなリビングには、自分ともう1人。雨取千佳がいることをすっかり忘れてしまっていたのだ。突然かけられた声に飛び跳ねるようにして反応する。
「あ、ごめんなさい、驚かせてしまって……」
「いや、とんでもない、こちらこそごめんなさい……」
一方で、雪に声をかけた大人しい性格である彼女もまた、困惑した顔を浮かべていた。雪は自他共に認める人見知りである。その上、異性との交流など尚更慣れていなかった。女性の比率が高いオペレーター職に就いてから、それは多少軽減されたように思えたが、元々がひどすぎたせいか、そのコミュニケーション力は一般男子高生のそれよりも遥かに劣っている。
「えっと、叶さんの隊の方ですよね」
「う、うん。そうだよ」
宇佐美に少しばかりの勇気を出して声をかけたのは良かったが、彼女と2人っきりになることまで頭が回っていなかった。自ら自分の首を絞めてしまったことに密かに青ざめる。しかも、目前の彼女はどういうわけかトリオンの量が異様な程大きい。それも今までに一度しか見たことのないレベルでだ。彼女の心臓部分に映る暖かい色をした莫大なキューブが、彼の顔をさらにこわばらせる。
「その、叶さんの隊は物凄く強いって聞いて……」
「う、うん」
雪自身も、自分が動揺していることに勿論気が付いていて。頑張ってはっきり喋ろうと意識はしているものの、どう意気込んだとしても、上手く言葉を紡いでくれない震える声帯に、情けなくて泣きたくなってしまう。
「良ければ、その、お話を……」
聞かせてほしい。恐らくそう続けたいのであろうが、目の前の少女は雪が余りにもぎこちないせいで、神妙な面持ちをしながら口を閉ざしてしまう。そこで、先ほど生緒から言われた “人見知り、治った?” という台詞は脳裏を過った。あたかも自分のことのように、自身の成長を喜んで微笑んでくれた彼女が今の光景を見たらどう思うだろうか。
「……もちろん、喜んで」
「……え?」
「聞きたいことが、あったら、何でも、聞いて」
もし、僕がしっかりと、この少女とお話できたなら。彼女も、蒼井隊のみんなも、笑ってくれるのだろうか。ゆっくりゆっくり、少し遅すぎるぐらいのペースではあるが、一つ一つを確実に、一言ずつ紡いでいく。言い切った後、目が合った千佳は、雪を見て嬉しそうに大きく頷く。それが嬉しくて、自然と笑うことができる。ああ、なんか幸せだなあ、と思いながら雪は手のひらを握りしめた。
「雪君!あったよ〜……ってあれれ〜?」
「あ、宇佐美さんありがとうございます!」
「なになに、千佳ちゃんと雪君。嬉しそうに微笑み合っちゃって」
もう仲良くなったのかね?そう言って意味深にも見える笑みを浮かべながら、メガネをくいっと上げて見せる宇佐美に、照れ笑いをしながらそのメモを受け取る。それは手紙というには些か小さすぎる、付箋程度のサイズであった。そこに書いてある台詞を呼んで絶句する。
“夕飯までには帰ります、タブン”
……これのどこが手紙なのだろうか?再度頭を抱えたくなる気持ちを抑えて、付箋に視線を落とし続ける。もしかして、と期待を込めて裏返してみるが、残念ながらまっさらなそこには何も書いない。
「これ……」
「今日はそれしか置いてなかったかなあ、ごめんね」
「いや、宇佐美さんが謝ることじゃ……」
先ほどまで叱ってしまったことを悔いていた自分を、今度は悔いる。これではどこへ行くのか、何しに出かけたのか、肝心なことが何一つわからないじゃないか。こんなことならもう少し厳しく言っておけばよかった。そう思う雪であった。
*
それからしばらくして、雪は再度頭を抱えることになる。ボーダーのことであったりとか、自分の隊のことであったりとか、つい喋りすぎてしまった、と後悔をしたせいであった。あまり聞かれることが無いせいか、自分の隊への愛着からなのか、はたまた少女の好奇心に満ちた瞳のせいなのか。いやきっと全てのせいなんだろう。しかし、そんなことを今更考えたってもう遅い。
「う、宇佐美さん。僕ちょっとお手洗いいってくるね」
「うんー。いってらっしゃい」
気付けば、目前の少女は目を大きく輝かせていた。あれ、これまさか。なんて危惧するころにはもう手遅れで、少女が口にした言葉は “ボーダーに入りたい” の一言。しかも、オペレーターではなく防衛隊員がいいというのだ。
「やっちゃった……」
別に間違えた知識は何一つ与えていない。嘘などひとつも付いていない。しかし、あんな小さな少女に防衛隊員なんて危険と隣り合わせの世界に興味を抱かせてしまったこと自体が、悪に思えてならないのだ。それを証拠に、三雲が千佳の希望を聞いた時の冷や汗を浮かべ衝撃を受けていた時の顔が忘れられない。
「あれ、雪どうしたの?」
「生緒ちゃん……」
そうして廊下の片隅、壁に額を押し付けながら絶望していると、聞きなれた声が彼の耳に入る。生緒の声だ。一見異様とも思える雪の深刻そうな佇まいを見ても、生緒は平然とした様子で歩み寄る。それもそのはず、雪がこのように落ち込んでいるのは珍しいことじゃない。生緒にとって、蝉の抜け殻の如く壁にくっつき微動だにしない様も、もはや見慣れたものであった。
「なにかあったの?」
「……」
「どしたー?」
首をかしげる一方で、目頭に涙を浮かべる雪。しかし、男士たるもの、これしきの事で泣くわけなんかいかない。ぐっとこらえて黙りこくってしまえば、異変を察した彼女が心配そうに顔を覗き込んでくる。その優しい色の瞳に縋りつくように、雪はゆっくりと口を開き、胸の内を吐露する。
「女の子が……ボーダー入りたいって……」
僕色々話しちゃって、そしたら食いついちゃって。震えそうになる声を必死にこらえながら、ゆっくり話せば、彼女は相槌をうち背中をさすりながら「それで?」と聞いてくる。
「三雲君が……」
そのまま先ほどまでの会話を彼女に伝える。すると彼女は何かに撃たれたかのように突然僕の手を引いて駆け出す。何が何だかわからずに、引かれるままついていく雪は、前を走る彼女が楽しそうに笑っていることなど知る由もなかったのだった。