02

 隣にいる片割れからの視線が冷たい。顔を見なくても怒り狂っているのがわかる。フロイドはげんなりとしながらジェイドとトレイを交互に見た。
 いやでもオレのせいじゃなくね?小さなジェイドを連れて歩いていたら偶然ジェイドとトレイに出会って、小さなジェイドがトレイに甘えまくってるのはオレのせいじゃなくね?そうは思っても決して口に出せる雰囲気ではない。

「前より少し大きくなったか?」

 小さなジェイドはトレイの肩に乗り、頭をトレイにすり付けている。すごく嬉しそうに見えるが、表情が変わっているわけではない。ジェイドの凍てつくような視線に気づいていないふりをしているのか、気づかないほど鈍感なのか、小さなジェイドは機嫌良さげにトレイにじゃれついていた。

「ごめんな、今日は何も持ってないんだ」

 このハーツラビュルの副寮長もかなり鈍感なのかもしれない。どうにかしてくださいと視線だけで訴えてくるジェイドにフロイドは大きなため息をついた。

「ウミガメくん、ジェイドほったらかしていいの?」
「ジェイド?」

 ようやくトレイがジェイドを振り返る。ジェイドは澄ました顔でにこりと微笑んだ。そこには先程までトレイに向けていたような冷たい印象は全くない。フロイドはめっちゃ可愛い子ぶってんじゃんとは思いつつ口には出さなかった。

「拗ねてるのか?ごめんな」

 そう謝りながらトレイがジェイドの頬に触れた。その瞬間、「きゅう」とジェイドの口から声が漏れる。

「え?」
「えぇ?」

 フロイドとトレイの驚いた声が重なる。しかしこの場で一番驚いていたのはジェイドだった。両目を限界まで見開きながら両手で口元をおさえているが、それでも顔を真っ赤にしているのがわかる。

「あ、あの、違うんです、その……これは……」

 しどろもどろになりながら説明しようとするジェイドにトレイの反応が気になり、フロイドはちらっと見てみる。瞬時に後悔した。トレイはトレイで慌てているジェイドをうっとりと見ており、ジェイドは冷静でないからかそれに気がつかない。小さなジェイドはトレイの肩の上で首をかしげていた。

「かわいい声だな、ジェイド」
「かわっ!?トレイさん!」
「ちょっと待って!」

 フロイドは素早くトレイの肩にいる小さなジェイドを鷲掴みにした。
 小さなジェイドがぬいぐるみじゃなくて本物の生き物だったら無事じゃなかったと思う。

「あんまジェイドいじめないでよねウミガメくん!」

 フロイドは小さなジェイドを握ったまま走り出す。「フロイド!」と背中にジェイドから助けを求めるような叫びが投げつけられたが無視して廊下を走り抜けた。


・・・


「きゅう、だって」
「そうですか」
「アズール聞いてる〜?」
「今、仕事してるのが見えないのか?」

 カタカタとパソコンに何かを打ち込んでいるアズールの手元を小さなジェイドが覗き込んでいる。前に怒られたことを覚えているのか周りでうろちょろすることはあっても邪魔することは減った。だが全く無いわけではない。フロイドは小さなジェイドのいたらずらに怒るアズールを見るたびに遊ばれてんなぁと思う。

「お前にも仕事があるだろ」
「え〜飽きたぁ」
「ジェイドの代わりに働くと言ったのはお前なんだが?」

 稚魚が甘えるような声で鳴いたジェイドは思わず声が出たという感じで、トレイはその声がかわいいと気に入ってる様子だった。まさかオレも番が出来たらあんな声で鳴くわけ?と頭によぎった考えにフロイドは鳥肌が立つ。

「わかんねぇ〜〜〜」
「フロイド、働く気がないのなら部屋に戻れ」

 フロイドが渋々と座っていたソファから立ち上がると、それに気がついた小さなジェイドが短い腕を伸ばしパソコンのキーボードを押した。アズールが「あっ」と驚きながら目を見開く。小さなジェイドはどこか満足げにトコトコとフロイドに駆け寄ってきた。怒るアズールを無視して小さなジェイドをつまみ上げ部屋に戻れば、制服のまま呆然とした様子でベッドに座っているジェイドが目に入る。

「ジェイド?何してんの?」
「おや、フロイド。お疲れ様です」
「顔真っ赤じゃん」

 ジェイドは顔どころか耳や首まで真っ赤になっていた。体温も上がっているのかうっすら汗もかいている。

「ウミガメくんは?お菓子食べてくるんじゃなかった?」
「……逃げてきました」
「まじ!?ジェイドが!」

 フロイドは声を出してゲラゲラと笑い転げた。あのジェイドが顔を赤くして恋人から逃げ帰ってきたと言う。本人もこうなるとは思っていなかったのか赤い顔のまま悔しそうに歯を噛み締めていた。

「……声が……」
「あのきゅ〜ってやつ?」
「ええ……声が出てしまうんです……」
 
 ジェイドは両手で顔を覆う。小さなジェイドはフロイドの手からぴょんっと飛び降りると、うずくまるジェイドを無視してテラリウムを眺めに行った。

「ウミガメくんはかわいいーって言ってたじゃん」
「この恥ずかしさはきっとフロイドにはわかりません……あんな、稚魚のような……」
「うんうん、ジェイドの声、稚魚みたいだった〜!」

 フロイドがまた笑い出すと、ジェイドは唸るような声を上げた。小さなジェイドもさすがに気になったのかキョロキョロと部屋を見回している。その声出してるのお前の本体だよ、とフロイドはより笑う声を大きくした。

「ウミガメくん嫌がってないんだしいいじゃん」
「ですが……」
「もージェイド悩みすぎ。明日は出ないかもしれないし考えすぎだって」

 ジェイドはやっと顔を上げたが、まだ納得はしていない様子だった。それでもフロイドの言葉に小さく頷く。フロイドはこの話はもうおしまいと、手近にあったお菓子の袋を手に取りベッドの上に座った。


・・・


「フロイド!」
「え、なに?」

 叫ばれた悲痛な声にとっさに後ろを振り替えれば、廊下を走ってきたらしいジェイドにがしっと力強く肩を掴まれた。その勢いに驚いたのかフロイドの肩の上にいた小さなジェイドが首あたりにくっついてくる。

「ジェイドまた顔赤いよ?ウミガメくん?」

 昨日と同じように顔を赤くしたジェイドは言葉もなく何度も頷いた。フロイドは少し呆れてジェイドから目を外す。すると廊下の奥からトレイが小走りで駆けてくるのが見えた。

「ジェイド!」

 びくりと肩を跳ねさせたジェイドはフロイドの肩を掴んだままトレイを振り返ろうとしない。その間にトレイの登場に喜んだ小さなジェイドはぴょんぴょんとフロイドからジェイドの頭をつたい、トレイに飛びついた。

「フロイドと、お前もいたのか」

 小さなジェイドを手の上に乗せたトレイは指先でその小さな頭をうりうりと撫でくりまわす。それが嬉しいのか小さなジェイドは腕をパタパタと忙しなく動かしていた。

「ねえ、ウミガメくん取られちゃうよ?」

 ジェイドの背後で戯れるトレイと小さなジェイドを見ながらぼそりと呟くと、ぐるりと勢いよくジェイドは後ろを振り返った。フロイドからはジェイドの顔は見えない。けど、嫉妬しているのだということはひしひしと伝わってくる。

「トレイさん?」
「なんだ?逃げ出したのはお前だろ?」

 どこか拗ねたように、でも意地悪な顔でトレイは笑いながらそう言った。小さなジェイドを撫でる手は止まらない。待って、オレ痴話喧嘩に巻き込まれてる?とフロイドは呆然とする。周りの状況に気づいていない小さなジェイドだけが無邪気にトレイの手に頭をすり付けていた。

「あなたのおふざけが過ぎるだけでは?」
「俺は最初にお前から許可をもらったことしかしてないけどな?」
「ちょっと待って!」

 フロイドは火花を散らし始めた二人の間に割って入り、トレイの手から小さなジェイドを奪い取る。

「二人でやってよね!オレはもう行くから!」

 二人を順に睨み付けてから歩き出そうとした時、フロイドの手の中で小さなジェイドが暴れ始めた。とっさに手を開くとぽとりと床に小さなジェイドが落ちる。拾い上げようとフロイドが屈んだ瞬間、

「ぬーーーーっ!!」

 廊下に小さなジェイドの悲鳴が響き渡った。フロイドはその声に体の動きが止まる。ジェイドとトレイも驚きから動けないようだった。

「ぬい!ぬっ!ぬー!」

 小さなジェイドは鳴きながらトレイの足元へ駆け寄り、その足に抱きついた。トレイは驚いた顔のまま小さなジェイドを手に乗せてやり、顔の前まで持ち上げる。小さなジェイドは鳴きながらぶんぶんと腕を動かしていた。

「え?ちっこいジェイドしゃべれんの?」
「これは話しているというより鳴いていますが……」
「すごいな、どこから声が出てるんだ?」
「ぬぃ〜」

 トレイがお腹をつつくと小さなジェイドは鳴きながら身をよじった。まるでくすぐったくて笑っているような様子にトレイは目を細める。

「ははっ、かわいいな」

 フロイドが恐る恐る隣のジェイドを見れば、怒りと悲しみがない交ぜになったような顔でトレイを睨み付けていた。フロイドはとっさにトレイの手から鳴いている小さなジェイドを奪い取り、今度こそその場から離れる。「フロイド!」と昨日と同じ様に叫ばれたが無視して走った。


・・・


 小さなジェイドが鳴き始めた理由ははっきりとはわからなかった。アズールはジェイドのトレイへの気持ちが大きくなっており、それが小さなジェイドにも影響を与えているのではないかと考察していた。
 まあ、ジェイドに悪いことがなければいいかとぼんやり思いながら歩いていたフロイドの前に突然トレイが現れる。誰かを探している様子のトレイはフロイドを見て困ったように笑った。

「……なに?ジェイドのこと?」
「ああ。昨日フロイドが走っていなくなった後からずっと逃げられてる」
「ウミガメくんが意地悪ばっかするからじゃん」

 また声のことでからかったのだろうか。ジェイドが本気で恥ずかしがっていたことを思い出しながらフロイドはトレイを睨み付ける。トレイは頬をかきながら気まずそうに目を伏せた。

「いや、まあ……そうなんだけどな」
「で?」
「ジェイドがどこにいるか知らないか?」

 とことん避けられているらしい。まあそうだろうなとフロイドはどこか呆れながらも、じとりとトレイを睨み続ける。その時、

「ぬぃ〜〜〜っ!」

 今朝、珍しくジェイドについて行きたがり、そのまま好きなようにさせていた小さなジェイドが絶叫しながらフロイドたちめがけて駆けてきた。その腕にはジェイドのマジカルペンが抱き抱えられている。

「フロイド!捕まえてください!」

 遠くからジェイドの叫びが聞こえた。小さなジェイドの短いその足でどうしてそんなに速いのかわからないが、追いかけているらしいジェイドとはかなり距離がある。全力でこちらに向かっているジェイドに手を振りながらフロイドは小さなジェイドの前にしゃがみこんだ。

「ちっこいジェイド何してんの?」
「ぬい!ぬい!」

 立ち止まった小さなジェイドは腕を伸ばし持っているマジカルペンをフロイドではなく、トレイに差し出している。トレイはフロイドと同じようにしゃがみ、困惑しながらもそれを受け取った。

「ぬー!」

 満足げに見える小さなジェイドの上に影がかかり、フロイドはとっさに地面から小さなジェイドを拾い上げた。次の瞬間には小さなジェイドがいた場所へジェイドの足が落とされる。

「おや、フロイド。なぜ助けてしまったんです?」

 どれほどの距離を走ったのか、ジェイドは肩で息をしている。フロイドは立ち上がり、小さなジェイドを肩にのせた。

「なぁにジェイド、ちっこいジェイドにペン取られたの〜?」
「……ええ、少し目を離した隙に」
「ちっこくてもジェイドはジェイドだね〜」
「フロイド、小さな僕をこちらにください。それから僕のマジカルペンも」

 ジェイドはフロイドに手を差し出す。けれどそれと同時に、手にジェイドのマジカルペンを持ったトレイの存在に気がついたらしく目を見開いた。いつの間にか立ち上がっていたトレイはペンをジェイドへ差し出すこともなく、にっこりと微笑んでいる。

「……おや、トレイさん」
「今日は初めて会うな、ジェイド」
「そうですね。ペンを返していただけますか?」

 すっと真顔になったジェイドはフロイドに差し出していた手を今度はトレイへ向けた。トレイは拒否するわけでもなく素直にペンを差し出す。意外だと思いながらも流れを見守っていたフロイドの目の前でジェイドがペンを持った瞬間、トレイはジェイドの手首を掴んだ。

「離していただけますか?……きゅ……」

 凍てつくような視線と冷ややかな声とは裏腹に、甘えるような声が漏れ出たジェイドは悔しそうに唇を噛んだ。トレイはそのことへ何も言わず、ただ一歩ジェイドへ歩み寄り距離をつめる。

「悪かった。ごめんな、ジェイド」

 トレイは真摯な様子でジェイドを見つめていた。謝罪されるとは思っていなかったのかジェイドはぱちぱちと瞬きを繰り返している。フロイドはこの場からどうやって立ち去るか考え込んでいた。

「それから、俺もジェイドが好きだ」
「えっ?」

 突然のトレイの告白にジェイドは顔を赤くする。トレイ本人もじわじわと顔を赤く染めながら、それでもジェイドから視線を外さなかった。

「からかってたわけじゃないんだ。お前が恥ずかしがってるのはわかってたんだが……好きだって言ってくれてるみたいで嬉しかった」
「……きゅう……」

 うつ向いたジェイドの顔は見えない。けれど赤くなった耳と消え入りそうな声でどんな状態なのか想像はつく。フロイドは自分の肩の上で嬉しそうに体を揺らしている小さなジェイドを軽くつついた。

「仲直りさせたかったんだぁ?」
「ぬ!」

 きゅうきゅうと鳴くジェイドへ今にもキスしそうなトレイを尻目に、フロイドは大股で歩き出し二人から離れる。小さなジェイドはご機嫌な様子でぬいぬいと歌うように鳴いていた。


・・・


 それから数日後、中庭のベンチでジェイドは機嫌よく楽しげにトレイの隣で笑みを浮かべていた。トレイはジェイドに寄りかかられながらも小さなジェイドを手の上に乗せ、つんつんとお腹をつついている。

「は?ジェイド前まで嫉妬で狂ってたじゃん」

 偶然通りかかったとはいえ、以前とは違いすぎるその姿に無視することが出来ずフロイドはつい声をかけてしまう。一緒に歩いていたアズールは呆れたように肩をすくめた。

「ふふふ、あの声を操れるようになりましたから」
「はぁ?」
「きゅ〜」

 ジェイドが甘える声を出すと、トレイはきまりが悪そうに目線だけをジェイドへ向ける。その様子にジェイドの口角はつり上がり、よりいっそうきゅうきゅうと甘い声で鳴いた。
 フロイドはなんだこいつらと心の中で思うに留めたが、横にいたアズールの「なんだこいつら……」という小さな呟きははっきりと聞き取れた。そんな呆れるフロイドとアズールの存在などお構い無しにジェイドはトレイへすり寄り、トレイはそんなジェイドを受け入れている。

「きゅるるる……」
「なんか……こう……俺が照れるな……」
「でもトレイさん、嬉しいですよね?」
「いや、うん……嬉しいんだけどな……」

 トレイは頬を染めながら苦笑する。フロイドとアズールは一瞬顔を見合せ、ジェイドたちに背を向けた。

「はぁ、フロイドそろそろ行きましょう。ラウンジの開店時間に遅れます」
「ん〜」
「ジェイドも遅れないように」
「はい」

 一歩踏み出したフロイドたちをトレイが呼び止める。フロイドはアズールと共に眉をひそめながら後ろを振り返った。真っ先にトレイの膝の上で包みを抱えながらぴょんぴょんと跳ねている小さなジェイドが目に入る。

「ぬぃ〜!」
「ちっこいジェイド何持ってんの?」
「お詫びだよ。フロイドにも。迷惑かけたな」

 トレイはフロイドへ紙袋を差し出し、フロイドは遠慮無くそれを受け取る。小さなジェイドは中身が気になるのか既に包みを開けていた。

「もう開けてしまうのですか?あなたは食べれませんし、僕がいただきます」
「ぬ"っ!」

 小さなジェイドは伸びてきたジェイドの手を弾く。それからいそいそと包みからクッキーを取り出し、ぱくんっと口に含んだ。
 その場にいた全員が絶句し、ただ小さなジェイドがクッキーを咀嚼するのを見つめる。ごくんっとクッキーを飲み込むと小さなジェイドは美味しかったと言うように両腕をぶんぶんと振った。

「ぬい!ぬいー!」
「お、美味しかったか……?」
「ぬーっ!」

 トレイの問いに頷きながら、小さなジェイドは包みからもう一枚クッキーを取り出しては先程と同じように口に含む。

「いや、なんで食えんの!?」

 ついに叫んだフロイドの声が中庭に響き渡った。