魔性の子パロ

※モブが死にます


 海を背にして浅瀬に立つジェイドの足元からぬるりと水掻きのついた手が現れた。右手、左手と順に現れかと思えば、同じように足元から出てきたジェイドに瓜二つの顔に睨み付けられる。

「フロイド」

 ジェイドにフロイドと呼ばれたその生き物はヒレやエラ、何より長い尾びれを持ち、人間ではないことは一目瞭然だった。フロイドはジェイドの体にしがみつき、尾びれの先をジェイドの足に巻き付ける。トレイは初めて見た人魚とその様子を呆然と見ていた。


・・・


「俺、見たんだ」

 顔を真っ青にして震える声でそう言った学友へトレイは「何を?」と問いかけた。その学友は震える体を抑え込もうとしているのかその場にしゃがみこみ、身を縮こまらせる。トレイも目線を合わせようと学友の目の前に膝をついた。

「水掻きのついた手が……あいつを、水に引きずり込むところ……」

 あいつ、とは昨日川で溺れ死んだ隣のクラスの奴だろう。浅い川だ。今まで人が溺死したことなど聞いたこともない、地元では子供たちの遊び場として人気の場所だった。

「俺たち水になんか入ってなかった。川の横を歩いてたんだ。なのにあいつ、急に川に落ちて」

 興奮からか学友は早口になっていく。トレイは口も挟めずただ黙って聞いていた。

「何ふざけてるんだって思ったけど、何かに押さえつけられてるみたいに上がってこなくて……助けようとして俺も川に入ったけど何かに……足を強く叩かれて、転んで……その間にあいつ……」

 学友は口を閉ざした。本当に血が通っているのか怪しいほどに顔は白くなってしまっている。

「それを警察には?」
「……言ってない……俺、怖くて……」
「怖いのはわかる。でもちゃんと話した方がいい。な?」

 トレイがなだめるようにそう言うと、学友は
小さく頷いた。まだ手が震えているのがトレイにも見てとれる。

「……俺も死ぬと思うか?」
「え?」
「ぶつかっただけなんだ、あいつも。わざとじゃない……謝って、ジェイドも気にしてないって……なのに……俺も死ぬのか……?」

 ジェイドに近づく人間は死ぬ。学校では有名な話だ。以前はただの悪い噂の域をでなかった。けれどここ最近ではジェイドの周囲にいる人間が続けざまに死んでいる。その全員が水に関する場所で。
 トレイは殺されるかもしれない恐怖に震える学友へ「大丈夫だ」と声をかけることは出来なかった。ジェイド本人にすらどうして周りの人間が死ぬのかわからないのに止める方法などない。


・・・


 西日が差し込む教室で佇んでいたジェイドはトレイが教室に入ってきたことに気づいたのか振り返った。その顔からは感情を読み取れない。

「やはり彼は死んでしまいましたか?」

 まるで感情がこもっていないような平坦な声でジェイドはトレイに問いかけた。トレイはその問いに頷いて見せる。
 あの死に怯えていた学友は昨夜、入浴中に浴槽で溺死したのだという。これで何人の生徒が死んだのだろう。

「トレイさんは僕が怖くありませんか?」
「いや?ジェイドが殺して回ってるわけじゃないだろ」
「……やはりあなたは変な人ですね」
「俺は荒波を立てたくないただの普通の人間だよ」

 知り合ってから何度も繰り返したやり取りにジェイドはクスリと笑う。トレイはそんなジェイドに歩みより、「もう帰ろう」と腕を取りながら声をかけた。


・・・


 部屋にジェイドを匿って数日。軽く食べられるものを買いにコンビニに向かってトレイは夜道を歩いていた。

「すみません」

 突然かけられた声に内心驚きつつも、トレイは足を止める。街灯に照らされた男は黒ハットをかぶり、空色鼠のコートを肩にかけ、手には蛸の装飾がついた杖を持っている。服装は大人びて見えるが、顔を見ると年齢はトレイに近いように思えた。

「人魚を見ませんでしたか?」
「人魚?」

 男から発せられた言葉をトレイは思わず繰り返した。人魚とは架空の生き物の、あの人魚だろうか。トレイはふと最近聞いた怪談を思い出した。
 人魚を探す男。人魚を見てないか問いかけてくるものの、いつの間にか姿を消している。男が消えた場所には水溜まりができているのだと聞いた。

「人魚を見ませんでしたか?」

 男はもう一度トレイにそう問いかけた。トレイは怪談が目の前にいることに狼狽えたが、どうにか「知らない」と一言答えた。

「そうですか」

 その時、トレイと男の横を車が通りすぎる。車のライトに目が眩んだ一瞬の間に男の姿が消えたのがトレイには辛うじてわかった。男が立っていたはずの地面には水溜まりができている。


・・・

 ゆらりと水面が揺らぎ何かが見えた気がした。トレイは水を止めようと洗面台の蛇口へ手を伸ばす。その瞬間、洗面台に溜められた水の中から出てきたヒレのついた手に手首を握られた。

「なんだ!?」

 その手をぐいっと引かれ、前のめりになるともう片方のヒレのついた手に喉を掴まれる。物凄い力で首を絞められ、片手で抵抗するも逃げられそうにもない。トレイの意識が朦朧とし始めた頃、洗面所へジェイドが飛び込んできた。

「ダメです!その人はダメ!」

 トレイの首を絞めていた手が緩む。その隙にジェイドがその手からトレイを引き剥がした。

「大丈夫ですか……?」

 咳き込むトレイの背をジェイドがさする。洗面台から伸びていた手はいつの間にか無くなっていた。
 トレイがジェイドの周囲の人を殺している何かに狙われたのは初めてだった。自分の知らぬ間に気に障ることをしたのか。それか、いよいよ見境がなくなりジェイドを害する人間だけでなく、近くにいるだけの人間すら殺すことにしたのか。トレイにも、ジェイドにすらわからなかった。


・・・


「トレイさん、ここは危険です。嵐が来ます。さあ、避難してください」
「ジェイドは……ジェイドはどうするんだ」
「全部思い出したんです。僕はあなたと一緒には行けません」

 トレイはとっさにジェイドへ手を伸ばした。それをフロイドが容赦なく叩き落とす。

「ジェイドに触んな」

 思い切り叩かれた手が痺れる。フロイドは鋭い歯をむき出しにし、恐ろしい形相でトレイを睨み付けていた。

「フロイド、やめなさい」

 今にも襲いかかって来そうなフロイドを止めたのはジェイドではなかった。トレイは背後から現れたその男を見て目を見開く。

「アズールも来ていたのですね」
「ほらやっぱオレのが先にジェイド見つけたじゃん」
「お前は騒ぎを起こしすぎだ」

 ジェイドにアズールと呼ばれた男はトレイが夜道で人魚のことを問いかけてきた男だった。三人はトレイを置き去りにして親しげに笑いあっている。

「さあ、トレイさんはここから離れて」
「ジェイドは……」
「僕は一緒には行けません」

 風が強く吹き付け、雨も降り始めた。規模の大きな台風が近づいていると今朝、ニュースで見たばかりだ。

「海も荒れ始めています。人間のあなたは溺れてしまいますよ」

 そう言うアズールの体は徐々に姿形を変え、あっという間に二本あったはずの人間の足は吸盤を持つ八本の蛸の足へとなっていた。トレイはその光景に唖然とする。

「ジェイドも、人間じゃないのか?」
「ええ。恐ろしいですか?」
「いいや。お前が人間でもそうじゃなくてもいい。一緒に帰ろう」

 トレイは必死だった。しかしジェイドは首を振り、それを拒む。トレイがなぜと問いかけるよりも早く、ジェイドの体は変化を始めていた。
 人間の肌から人魚の肌へ。足から尾へ。トレイはただ人魚の姿へと変わっていくジェイドを見ていることしか出来ない。ジェイドはトレイの目の前でフロイドと瓜二つの人魚へ姿を変えた。

「お別れです、トレイさん。今までありがとうございました」
「ジェイド」
「ジェイドが言ってることわかんねぇの?」

 苛立ちを隠そうともせずフロイドがトレイに言葉を投げつける。それでもトレイは諦めきれずにもう一度ジェイドを呼んだ。

「ジェイド」
「ここに居ては死んでしまいます。逃げてください」
「ジェイド!」
「さようなら、トレイさん」

 人魚のフロイドとアズールに挟まれた、人魚のジェイドが人間のトレイに微笑みながらそう言った。トレイはぐっと唇を噛みながら三人に背を向ける。それからはまるで魔法にかかったかのように安全な場所までひたすらに走った。