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蝮は夜明けの夢を視るか [1/24] 福沢が登場すると、黒岩はまだ手元に残っていた紙袋を持って彼の元へ近づいた。 「涙香、来ていたのか」 『ご挨拶が遅れてしまいましたね。お邪魔しております、福沢さん。こちら皆さんでお召し上がりください』 「嗚呼、済まない」 紙袋を福沢に渡すと、黒岩は一つ瞬きをして何か思い付いたように言った。 『あ……。福沢さん、空いているデスクを貸していただけますか』 「無論だ。此処を使うと良い」 『有り難うございます』 黒岩は頭を下げてから、示された場所に着席し、持参していた自分のPCを開く。程無くして軽やかなタイピング音が響き渡った。 福沢は近寄ってきた国木田に視線を投げる。 「国木田、軍警と市警の動向は?」 「既に複数の隊が検分を始めています。マフィアの隠蔽の甲斐あってか身元までは割れていませんが……」 「指名手配は時間の問題か。――身元引受人が居れば別だが」 報告に静かに頷いて、福沢はこの場には異質とも言える少女――泉鏡花に振り返る。周囲は固唾を飲んで其の様子を伺っていた。 沈黙を破ったのは、鏡花本人だった。 「……、此処に置いてください」 「え!?」 少女の言葉に、ガタッと、大きな音を立てて椅子から立ちあがり声をあげたのは何故か中島。鏡花の横に近付いて眉尻を下げている。 「何でもします」 「でも……そんな簡単には、」 「止めておけ。元マフィアだからではない。仕事が無い訳でもない。だが、止めておけ。甘い世界では無いぞ」 「……」 国木田が厳しく指摘する。其れでも、鏡花の強い眼差しは変わらない。 「そうだよ。それに此処にいたらいずれマフィアに見付かる。むしろ遠地に逃げたほうが……」 中島も鏡花を心配する気持ちから、声を掛けるが、 「私には、殺人の他には何も出来ないとあいつは云った。そうかもしれないけど……、違うと自分に証明したい」 鏡花は今まで聞いたことの無い程の大きな声で、ハッキリと述べた。瞬間的な沈黙が訪れる。 「……」 「―――僕からもお願いします」 隣に立っていた中島も、一歩前に進み、頭を下げた。 其の姿に勇気付けられたらしい鏡花は、祈りの様に指を組み、正面に立つ福沢へ強い視線を投げる。 そして、可愛らしい駄目押しをひとつ。 「お願いです」 と。 「採用」 福沢は様々な感情が混ざった顔をしながらそう、断言。 「「「「え!?」」」」 『ふふっ』 社員全員の驚きの声と、黒岩の小さく吹き出した声が重なった。福沢は羽織を翻し、社長室へと歩みを進めながら言う。 「敦、面倒を見て遣れ」 「!!?」 僕の時とは大違いだ、等と嘆きつつ、驚きと喜びが入り雑じった顔をして、中島は福沢の背を見つめる。そして其の背に声を掛ける者が一人。 『其れでは福沢さん、』 「?」 黒岩は社長室前で振り返った福沢に、 『此れが必要かと』 小さなカード状の物を差し出した。 福沢は暫し其れを眺め、ふ、と口の端を優しく緩める。 「……そうだな。」 『データベースの方はこの後、直ぐに処理します。完了次第僕は撤収します』 「頼んだ」 『はい』 福沢は黒岩の返答に一つ頷いてから、社長室へと姿を消した。途端、―――― コンコン、 探偵社の扉がノックされ、ガチャリと開く。 「失礼します。お約束の書類を届けに参りました」 入室してきたのは、不精髭を生やした男と、敬礼した若手の婦警だった。 「ああ!ご苦労さまです」 宮沢が笑顔で迎え入れ、そして……、 「あれ?この前部下が逮捕された箕浦くんじゃない」 「うっ……」 乱歩は大変無神経な指摘で、箕浦と言うらしい男の表情を曇らせた。 「今日は別件だ、名探偵。依頼があってな」 其所まで言うと箕浦は視線をあげる。その先には中島と並んでジッと見詰めてくる鏡花の姿があった。 「その娘……、ここの関係者か?…似た人相の手配書きが来ていた。元孤児の少女で凄腕の殺し屋とか……、世も末だ。嬢ちゃん、親は?身許を証明できる物は有るか?」 箕浦は険しい顔で溜め息を吐きながら、鏡花に声を掛ける。鏡花は質問に答えず、ジッ、と箕浦を見詰め続けていて。当然ながら其れに疑念を覚えた箕浦は眉を寄せる。 「……、おい?」 「あーと!その娘はですね、話せば長いので……、」 中島がやり取りに割り込んできたものの、どうにもしどろもどろで。見兼ねた黒岩はそんな中島の肩をポン、と叩いて自分より一歩後ろに下げながら言った。 「…黒岩さん?」 『ほら、雛子。先刻僕と一緒に風邪薬を貰いに行ったから、保険証、此処にあるよ。お巡りさん済みません。この子かなりの人見知りで…』 「あ、ああ……」 黒岩は鏡花を真っ直ぐ見詰め、小さなカードを差し出しながら"雛子"と呼び掛け、そう宣った。箕浦がたじろぎ、黒岩は更に加える。 『こちらご確認ください。あ……其れで一応、保護者もおりまして……』 黒岩が箕浦にカードを見せ、ゆっくりと背後を振り返ると――― 「私の孫娘だが、不服か」 福沢諭吉が、登場した。 「お孫さん?」 「孫だ」 「しかし――――――、」 箕浦は、福沢迄もが"孫"と断言するのにもまた戸惑う。しかしながら、 「―――、これは失礼」 ……其の目付きの悪さ、寡黙な様子が襟二つだった様子。背後に"そっくりだ!"と言うテロップを出して仕舞いそうな程の閃きを得て、探偵社を後にして行ったのだった。 「あ…あの、黒岩さん、何を見せてたんですか?」 箕浦達の背を見送り、中島は黒岩に尋ねる。黒岩はにこ、と微笑んでから手元のカードを中島に見せた。 「ほ……保険証、だ」 『うん、正解。中島くん』 黒岩は中島の頭をフワフワと撫でる。そして視線の先の国木田の言葉を待った。 「黒岩、其れは」 『先刻福沢さんにはお伝えしたけど、此れがあれば"表"の世界では難を逃れられるようにしてある。まあ、"裏"に関しては、前所属先故に色々あるだろうけどね』 そう言い切ると黒岩は、一心に自身を見詰める鏡花に微笑む。 「ありがとう」 鏡花は真っ直ぐな瞳のまま、黒岩に礼を述べた。 『どういたしまして。……中島くん、鏡花を宜しくね』 「はっ、はい!」 『ふふっ』 中島の前のめりな返事に、黒岩は吹き出す。そして、目の前に二つ並んだ白と黒の愛らしい頭を優しく撫でたのだった。 [前へ][次へ] 15/24ページ [Back] [Home] |