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蝮は夜明けの夢を視るか

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「おお〜!涙香じゃあないか!僕に会いたくなったんだろう!充分解っているさ!」

武装探偵社事務所――――
扉を開けた途端に駄菓子を手にした乱歩から愛の籠った襲撃を受け。抱擁と言う名の羽交い締めにされ、呼気の出入口を塞がれた黒岩の瞳は瞬間的に雲の上の世界を見た。

『え……、ええ、乱歩さん。……一先ず、中でお話ししましょうか』
「そうしたまえよ!」

黒岩の首元に巻き付いていた乱歩は、身体を離す代わりに、けほ…と小さく咳き込む黒岩の細い手首を引いて室内へと促した。

嗚呼……、今日も武装探偵社は平和に忙しそうだ。黒岩がそう思ったのは、探偵社事務所中央付近のソファに腰掛けたと同時に開いた扉から、眼鏡を額に掛けた国木田独歩が出てきたからだった。

「ところで小僧。先刻から探しているんだが、眼鏡を知らんか?」

医務室の中に向かって問い掛ける国木田の背中の間抜けなこと…この上無く秀逸な笑いの種。黒岩はついつい、揶揄したくなって仕舞う衝動を抑え切れなかったのだった。

『額に掛かっているよ』
「へ。あ……!んなっ……黒岩!!?」
『ああ…素晴らしい反応だと思うよ国木田』

最早何もかもがわやわやな国木田独歩。手と足と首とを右や左に絡ませながら何とか眼鏡を定位置に戻すと、大きく深呼吸をした。そして襟元をピシッと正すと、黒岩へと真剣な眼差しを向けた。

『お帰り国木田』
「嗚呼…」
『福沢さんはこの調子だと不在かな?』
「残念だが…暫くは」
『そう、なら仕方がないね。其れなら僕は、奥で此方を見詰めている小虎君にご挨拶をさせて戴こうかな』
「はへっ…」

医務室の寝台の上、身体を起こしながら涙香を食い入る様に見詰めていた中島は、自分に話の中心が移ることに驚いてよろめきながら立ち上がる。

「おい小僧、客人だぞピシッとしろ!」
『いいよ国木田、大した客でもないんだから』
「ふん…」

自らの新人指導方針に合わない、とばかりに眉間に皺を寄せて見詰めてくる国木田へ黒岩は春風のような微笑みを向けた。

「あ…」
『初めまして、中島敦君?』
「は、い…初めまして。えっと…」
『僕は黒岩涙香。フリーの情報屋、みたいな事をやっているんだ。探偵社には結構出入りするからお見知り置きを』
「情報屋…」

ポケーッと現実感のない表情で黒岩を見詰め、中島は目の前に差し出された細い手にやんわりと応じ、握手を交わした。

「あの…」
『ん?』
「その…、黒岩…さんも、異能力を?」

可哀想なほど辿々しい、中島の口調。黒岩は彼には国木田に言われた何かに因って探偵社への引け目と、異能力者への戸惑いがあるのだろうと分析した。

『ああ…そうだね。在るよ。僕にも異能力』
「どんな…」
「おい小僧、…」

険しい顔で咎める国木田を目線で制して黒岩は少し考えたあと、こんな提案をしたのだった。

『そうだなあ、…今日の所は秘密にして置くよ。また次回、この探偵社で会った時にゆっくり話そう。』
「は、い…」

ね?、と毒気のない黒岩の表情に一層の戸惑いを見せる中島。その何処か思い詰めた様子を見て、黒岩は僅かに目を細めた。

「黒岩、小僧は此れでも一応怪我人だ。退室するぞ」
『ん、そうだね。其れじゃあ、中島君またね』
「は、はい」

軽やかに手を振る黒岩に、大きな瞳をパチパチとさせながらぺこり、中島は会釈をした。

パタン、医務室の扉が閉まる。国木田は隣にいる黒岩の喰えない表情を見て、小さく嘆息。

「何を考えてる?」

国木田は怪訝な顔で尋ねたが、返ってきた答えは、かなり気の抜けた物だった。

『んー…彼は素敵な探偵社員になるんじゃないかな、って』
「…はぁ、」
『其れから』
「?」

国木田の溜め息を気にも留めず、黒岩は悪戯に続ける。

『今日は"理想"に固執しては駄目だよ国木田』
「なっ…固執だと!?これはなあ…って聞け!」

ゆったりとした空気を纏いながら、黒岩は探偵社出口の方へ進む。国木田はその背に向かって吠える、のだが。

「黒岩、おい!」
『ふふ…福沢さんによろしく伝えておいて。また来る』

黒岩は綺麗に切り揃えられた黒髪を揺らし藤色の瞳を細めて笑いながら、背後で憤慨している国木田を瞬間的に振り返り去っていった。

「全く…どいつもこいつも…」

国木田は嘆息しつつも少しだけ笑って、自身の"理想"の実現の為に執務に取り掛かった。


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