9


静満が帰宅すると、そこにはひっそりとした静けさが待って居た。大抵週に一度、寂雷が当直の勤務の時にはいつもそうなのだが、今回は数日間居ないことが分かっているが故に、より一層の静寂を感じざるを得なかった。

静満は静寂を最も嫌っている。それは、この世界には自分一人きりなのだと錯覚させられるからだった。――或いは、世界から突き放されてしまったように感じるからだった。

トントントン、と一人だけの足音を響かせながら家の一番奥に与えられた自室に入り、PCを起動する。起動画面が表示されるのを横目に、スマホを充電に繋いだ。
チェストを開き、最初に目に入ってきたシンプルな部屋着に着替えると、静満はデスクトップを振り返る。仕事用のアドレスにメールが幾つか、届いていた。

『あ、』

静満は小さく声を上げた。視線は一つのメールを捕らえている。

差出人には見覚えがありすぎる程の、名前。―――Ramuda.Aと表記されていた。

『乱数さん……、?』

意外だ、と静満は思った。…それもそうだろう。TDDの頃は、乱数の方から毎日のように連絡をくれていたが、解散後はそれも減り、この半年に関しては一切連絡を取っていなかったのだから。
静満は、乱数が寂雷の事を好きではないらしい事を知っていたので、例の件から同居し始めた静満をよく思っていないのだろうと推測していた。
呆けていても仕方がない、と静満はマウスを操作してそのメールを開く。

『……定型文みたいだ』

そこには普段の可愛らしい乱数の面影など一つも見えない程、非の打ち所の無い外行きの依頼文があった。
乱数には個人の連絡先を教えているのにも関わらず、このように依頼はきちんと仕事用の連絡先に送ってくる事は、律儀と言えばいいのか、それとも何か考えがあってやっているのか、静満には掴みきれなかった。

内容としてはこうだ。
"この度、乱数のブランド内で新規のラインを立ち上げる事になった。それに合わせて、ホームページを一新したい。一つ一つのラインごとの紹介ページに力を入れたい。日々新しいものを取り込んで、見る人を楽しませ続けるものにしたい。"
そんな、内容だった。

『乱数さんらしい、ページに出来たらいいな……』

そう呟き、最後まで目を通した静満は、添付ファイルがあることに気が付く。そしてそれをクリックすると、新しいウィンドウの中に、動く乱数が現れた。

「はいはーい、乱数だよ!」


――――、動画だった。



「ちゃあんと見付けて、静満はすっごく偉い偉い!よしよ〜しっ。」

画面の中で、乱数が頭を撫でるような仕草をする。そして、ビスクドールのように端正に整った顔を画面に近付けて、

「まさかボクからのお仕事、請けないわけ無いよねっ?」

可愛らしくむくれたように言う。

「断るなんて〜、メッだよ!」

画面の向こうでも、乱数は、余りにも乱数らしく。片目を瞑って人差し指を立てた。

「詳しい話をしたいから、まずは、静満からボクに電話ちょーだい?あ、ぜーったい、邪魔が入らない時にしてよねっ!
じゃ、よろしく〜!ばいばーいっ」

嵐のように用件を告げて、笑顔で手を振る乱数の動画が、プツン、停まる。ぽうっとそれを見つめる静満は僅かにタイムトリップしたような感覚に陥っていた。一年近く会って居なくても、鮮烈な記憶や印象を、瞬く間に引き戻させる。乱数はマイクが無くても、そう言う才能があった。

今回の件は一見とても一方的な話に思えるが、静満はその裏に乱数の配慮が充分にあるように感じていたし、それは寧ろ乱数の臆病な面でもあるのかもしれないと考えていた。

『電話、』

静満は呟く。乱数の言う"邪魔"と言うのは、紛う事無く寂雷の事である。とすれば"絶対に邪魔が入らない時"と言うのは、どう考えてもこうして寂雷が夜勤や出張で不在にしている時の事を指す訳だ。
乱数は寂雷が学会参加で不在にすることを、きっと知っていたのだろう。顔の広い者同士、情報を得ることは容易いはずだ。その上で、逃げ道を用意した上で静満に連絡を入れ、静満自身の判断で乱数と連絡を取り合う事を決めて欲しかったのだろう、静満はそう推察した。

充電からスマホを外し、ロック画面を解除する。乱数の連絡先を選ぶと、通話ボタンをタップ。

「もっしもーし!乱数だよ!」

ワンコールにも満たないタイミングで乱数は電話に出たのだった。

『乱数さん、静満です。お久しぶりです』
「うんうん、静満だねえ。久しぶりっ!元気だった?」
『はい、お陰さまで』
「――そっかあ、なら、良かった!」
『乱数さんは、お元気でしたか』
「もっちろん!」

静満の固さが残る言葉にも、乱数は鼻唄でも歌い出しそうな軽やかさで応える。

『乱数さん、メールをありがとうございました。お引き受けします』
「そっかそっかあ。嬉しいなあ、よろしくね!静満」
『はい、それで詳細を…』
「それとねっ!!」

静満が言いかけると、乱数は遮るように言う。静満が閉口して続きを待てば、乱数はごっめ〜ん、と付け足してから、言葉を続けた。

「ぜんぜん別件で、静満にお願いしたいことがあるんだあ。だからね、一回僕の事務所に来てほしいんだよね!」

別件で、となると想像もつかなかったが、乱数が態々言うのならば、と静満は断る理由を考える余地は持たなかった。

『お願いしたいこと…、僕で出来ることなら……』
「やっったあ〜!静満ならそう言ってくれると思ってたんだあ!!いつなら来られる?」

乱数の問い掛けに静満はゆっくりと瞬きをする。幸か不幸か、今日明日はカフェの仕事も入っておらず、静満はどのように独りの時間を潰すか考え倦ねている所だった。

『今日明日は、特に何も……』
「ほんと〜!?じゃあさじゃあさっ、これからおいでよ!泊まって良いから、た〜っくさんお話して遊ぼう?」
『…、急、ですが――乱数さんの迷惑にならないなら…行きます』

静満にとっては嬉しい限りの提案だった。少しだけ恐縮しながらもしっかりと答えると乱数は、やったね!と軽やかに言って続ける。

「うんうん、おいでおいで〜!何時でも大丈夫だけど、ボクちょ〜っと手が離せないから事務所まで直接来てねっ」
『分かりました、到着時刻が分かったら連絡を入れます』
「はいはーいっ!じゃ、後でね〜」

通話終了、の文字。
エネルギーを感じる乱数の声の余韻が耳に残る。久しぶりのそれに少しだけ身を預けていると、メッセージの通知が届いた。乱数だった。

『地図だ』

:事務所の場所、ここだよ〜!
:画像
:マップ
:迷ったらすぐtelしてね!

静満は乱数へ、お礼の返信をすぐにしてから、出掛ける準備に取り掛かった。

- 11 -

*前次#


ページ:



ALICE+