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『寂雷さん、早かったですね』
「ああ、そうだね。思いの外、道も空いていたから」

寂雷は微笑むと、静満の肩に手を添えてエレベーターへと進んだ。乗り込んだ箱は二人を乗せて音もなく当該階まで上昇していく。

『学会、お疲れ様でした』
「ありがとう。夕飯を食べながら、静満君のこの3日間について聞かせて欲しいな」
『はい、』

ポツリ、静満が返答するのと殆ど同時に、エレベーターがベルの音を鳴らして停止した。


静満は、家に足を踏み入れるとすぐ寂雷に向かって、お風呂の準備をしますので先ずは楽に為さってください。と声を掛け、小走りで浴室に消える。寂雷は少しだけ目を見開いてから、クスクスと笑う。そしてお言葉に甘えて、とばかりに自室へと足を向けた。


学会で配布された資料や、着替えなどを整理する。毎度毎度、知識を増やす、情報交換をすると言う点に於いてはかなり優れている機会ではあるが、他院の院長、理事長など余り好ましくない錚々たる面子のご機嫌取りをしたり、うちの病院に来ないか?などと言うヘッドハンティングの類いに一々反応せねばならないことにはほとほとうんざりするところである。

寂雷がある程度の整理を終えると、スマートフォンの点滅が視界に入った。

「おや?」

呟きながら手を伸ばして、画面を明るくする。

「珍しいな…左馬刻君だ」

差出人は碧棺左馬刻だった。寂雷は未だ知らずに居るが、彼こそが先程まで静満を謎の拉致&ドライブに連れ出していた張本人である。
メッセージの内容は正にそれに関することだったようで、

――さっきまで静満借りてた。アンタの帰り心配してたから帰してやったけど、間に合ったか?――

「――何だか、これでは誘拐犯なのか、それとも優しい兄なのか分からないね」

余りにも彼らしい言い回しに寂雷はふ、と笑ってから、左馬刻宛てに「大丈夫だったよ。連絡ありがとう」と打ち込んで送信した。

これで合点が行ったな、寂雷はそう思った。普段の静満であれば、寂雷が帰宅する時間に合わせて家事やら何やらを全て終わらせようとしており、あのタイミングで外に出ている何てことは有り得ないのだ。
別段、そう言う風にしなさいと言った覚えはない。寂雷としてはむしろもっと遊んだって良いと思っているくらいなのだが。静満はその意向を伝えた際も、必要ありません、とばかりに首を横に振っていたのが記憶に新しい。その律儀さが胸を打たれる程可愛くもあり、何処か寂しくもあった。

「…ふむ。」

やはり遠慮から来る思考、行動なのだろうか。寂雷は顎に手を添える。兄と慕った従兄の息子である静満は、幼い頃から寂雷に懐いてくれていた。当初から所謂"良くできた子"だった静満は、欲の薄い、我が儘を言わない子として親類の中でも一等可愛がられ、育っていた。寂雷としても、自分を他の誰より慕ってくれる静満をとてもとても可愛く思っていたし、今もその気持ちは変わらない。寧ろ例の事件があってから、自分が守らなくては、と言った意識は高まったように思う。ただしその考えが静満にとって重苦しいものにならないように、表現の仕方には工夫を凝らす。静満が事件の事を無闇に他者から思い出させられて傷付くのを防ぐためだ。その点については、医者である自らの知識が役立てると感じる所だった。


――コンコン、

控えめなノックと共に静満が湯張りが出来た事を報せてくれる。

「ありがとう、静満君」

寂雷は静かに応えてから、部屋の片隅にある写真立てを見詰める。ぎこちなさは有れど、本当の意味で微笑む静満が家族と、寂雷と一緒に写っている写真だった。

「…笑顔か、」

小さく呟き、幾つかの瞬間を想い起こしながら寂雷は浴室へと足を向けるのだった。



―――





静満は入浴後の寂雷と食卓で対峙していた。テーブルには、寂雷がヨコハマで買ってきたという中華系惣菜の数々が並んでいる。その横には寂雷が入浴中に静満が作ったあっさり中華スープが添えられていた。

「そういえば選んでくれたネクタイ、とても評判が良かったよ」

寂雷のにこやかな様子に、静満はそれは何よりです、と返答しながら、帰宅時の寂雷を想起した。
黒スーツをスタイリッシュに着こなし、低めの位置で1つに束ねた長い髪が殺人的に素敵だった。ネクタイなんて最早何だって良く見えてしまうくらいに。

「左馬刻君にも会ってね、ついつい自慢してしまったんだ」

ぼんやりと思考していた静満は、寂雷が発した人物の名前で引き戻される。

『ああ…左馬刻さん、さっきシンジュクに居らして…、久しぶりに話をしました。新しいチームメンバーの方も一緒でした』
「そうみたいだね。左馬刻君から少し前にメッセージが入って居たよ。"静満君を借りてたけど帰りは間に合った?"という主旨のね」
『そうでしたか…。ヨコハマにも顔を出すように言われました』
「ふふ、今度行っておいで。左馬刻君は面倒見が良いから、きっと楽しいよ」

はい、と小さく答えてからスープをひと口。寂雷は変わらず、優しい瞳で静満を見ている。

「昨日と一昨日はどんな日だった?」

そう言えば。と静満は思う。その2日間についてはどう話すべきなのか、と。寂雷とは犬猿の仲である飴村乱数がどうしても濃厚に出演する回想になってしまうのだが。そんな風に少しだけ考えたものの、やはり嘘を吐くのは巧くない上に、嘘を吐く必要性すら無いように感じられたため、最終的には起きた出来事を全て話すことにしたのだった。

『一昨日、乱数さんから仕事の依頼が入って、』
「…飴村君、から」
『はい。それで打合せ等のために昨日まで事務所にお世話になっていました』
「そう、だったんだね」

穏やかで優しい寂雷の雰囲気が僅かに揺らぐ。静満は、選択肢を間違えただろうかと過ったものの、事実には変わりないから、と寂雷の出方を待った。

「…楽しかったかい?」
『あ…、はい。そうですね。乱数さんも新しいチームメイトさんを紹介してくれました。とても賑やかで、少しだけ疲れましたが…』
「そう。それなら良いんだ。君が楽しいと感じる時間は、何よりも大切だから」

寂雷は元より下がり気味の眉をより下がりがちにしながら、微笑む。静満はツキ、とどこかが痛むような気がした。

『…ありがとう、ございます。まだ何度か足を運ぶことになると思いますが、寂雷さんにはご迷惑にならないようにしますので、』
「静満君、迷惑なんて事はないよ。良いんだ。私の私情を汲んで、可能性を諦めるのはいけない。良いね?」
『――はい』

静かに返答すれば、寂雷は幾分か和らいだ顔で微笑みを作る。

『…左馬刻さんのチームの方も、乱数さんのチームメイトさん達も、とても個性豊かな方々でした』
「そうか…、私もうかうかしていられないな」
『寂雷さんの元にはどんな方が来るんでしょうね…楽しみです』
「私もだよ」

冷たくなりかけた空気を静満は機転を利かせて暖める。言った言葉に嘘偽りはなく、静満は純粋に、シンジュク代表のお眼鏡に叶うのはどんな二人になるのだろうかと気になっていたのだった。


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