18
イケブクロの山田家から、ホームタウンであるシンジュクの寂雷宅へと帰れば、少しだけ難しい顔をしたその人がリビングのソファに腰掛けていた。手元には何らかの書類を持っている。
『寂雷さん、ただいま戻りました』
その背に、静満はソッと声を掛ける。すれば寂雷はピクリと肩を跳ねさせてから振り返った。
「ああ、お帰り静満君。一郎君達とは楽しく過ごせたかい?」
『はい、二郎くんや三郎くんとも久々に話せましたし、いい機会でした』
静満の返答に寂雷はふ、と優しく微笑んでから「良かったね」と答えた。
『珈琲、お淹れしましょうか』
「そうだね…、お願いしようかな」
静満の提案にゆっくりと頷いた寂雷は見ていた書類をテーブルに伏せてから、サイフォンに向き合う静満の元へと移動する。
コポコポ、とフラスコのお湯が沸く。てきぱきと準備をする静満の手元を目で追いながら、寂雷は尋ねた。
「私は弟君達に会ったことはないのだけど、どんな子達なんだい?」
『そうですね…、二人とも一郎くんを心から尊敬していて。真っ直ぐで優しい子ですよ。盲目的になる瞬間もありますが、ちゃんと戻って来られる冷静さもありますし』
「昔から顔を合わせていた事もあるかな?良く見ているね」
『そうでしょうか…』
そう思うよ、と寂雷が続ける。静満は抽出された珈琲をカップに注いだ。
『寂雷さん、イケブクロのチームはその3人になったようですよ』
「へえ?そう…。一郎君が弟君達を…、興味深い選択だ。闘わなければならない事がとても苦しかったけれど…、少し血が騒ぐ部分も否めないな」
『どこの方々も手強い存在ですね。……どうぞ、』
「ありがとう」
珈琲を受け取った寂雷は、カップにひとつ唇を寄せる。そして、思案するようにゆっくりと言葉を舌に乗せた。
「明日は休日なのだけど、帰りが遅くなるかも知れないんだ。知り合いの――――ああ、前に静満君も会ったことがある、独歩君の友人に助けるべき事案が発生してね。彼らの手伝いに行ってくるんだ」
『そうでしたか』
静満はやはりそうか、と思った。今日1日を通して、予感させられ続けていたのである。カフェに来店した独歩と一二三や、その後お邪魔したイケブクロでは一郎ならびに二郎が、その件に関わっている気がしているはずだろうともはや確信していた。
『観音坂さんも伊弉冉さんも、寂雷さんが興味を持ちそうな人ですね』
「あれ?静満君、一二三君を知っているのかい?」
『知っている、と言えるのかは分かりませんが。調度今日、観音坂さんと一緒にカフェに来てくださったんです』
寂雷はなるほど、と頷いてから静満の頭に手を伸ばす。
「…そう言うわけで明日は予定が読めないから、私の事は気にせず過ごしてくれれば大丈夫だからね」
長い睫毛を伏せて、寂雷の大きな手を甘受する静満は、はい、と静かに頷いてから自分の分の珈琲を唇に運んだのであった。
翌日、昼過ぎに寂雷を見送った静満はカフェのバイトも無いため、自室で依頼を消化して過ごしていた。
8割方終えたところで静満はグッと伸びをする。パソコン画面の時刻表示を見れば、そろそろ夕方になる頃であった。夕飯を作るだけ作ろうかと思案していると、今度はスマホに通知が入って来る。
『あ、』
乱数からだった。
静満は画面をタップしてメッセージを表示する。
「やっほー☆静満!この前の写真のデータ上がったよ!確認しに来てね♪」
乱数らしい可愛い文面は、先日乱数のブランドの洋服を着せて貰って写真を撮った時の事を思い出させてくる。頑なに顔の一部だけしか見せない事を約束して貰ったものの、着せ替え人形のように次々と衣装を替えたり、写真を撮られ続けることは静満にとって羞恥以外の何物でも無かった。
『ご連絡ありがとうございます。分かりました。来週水曜日にはお伺い出来ます』
予定表を確認しつつ翌週でカフェのバイトの無い日を告げれば、可愛らしいスタンプで"ラジャー"と返ってくる。静満は『よろしくお願いします』と返信してから、スマホ画面の明かりを消した。
それから、静満がゆるゆると夕飯の用意をしている内に、寂雷が帰宅する音が聞こえてくる。静満が出迎えて、『お疲れ様でした。如何でしたか?』と尋ねれば寂雷はいつものように、少しだけ困り顔で笑って。
「何とかなったよ。…頼まれていた案件も、ラップバトルのチームも」
『それは良かったですね』
「そうだね。今度静満君にも正式に紹介するよ。時々打合せで此処を使うこともあるだろうから」
静満は頷いてから、寂雷を労ったのである。
――
そして数日後。昼休み中だったらしい寂雷から「今日は帰りが遅くなる」との連絡を受けていた静満。寂雷が戻る可能性がある中では、外に出るわけにもいかず、やはり自室で仕事を進めていたのである―――――が。
深夜にも近い時間だった。静満のスマートフォンに「着信中・・・神宮寺寂雷」の文字が表示されたのは。
『…はい、静満です』
静満は、戸惑いながらそれに応じるのだが。電話の向こうからは、ザワザワ、ガヤガヤ、――怒声?―――呻き声。
『――――寂雷さん?あの…もしもし』
静満は更に戸惑いを強くしながら声を掛ける。
「おい静満!」
『えっ…は、はい』
「お前も来い!一二三の店だ!!」
突然聞こえてきた寂雷の荒々しい言葉に、静満は困惑しながら返答すれば、耳に入ったのは記憶に新しいその名前。静満はなんとなく状況が読めた、と思った。
「返事はどうした!?」
『――はい、伺います。伊弉冉さんのお店ですね』
そう。この電話口はどう考えても飲酒した時だけに現れる寂雷の人格、その人だった。そして今、ホストである一二三の店に居るとなれば、…まあ、そういうことである。
「よし。おい!独歩!」
「ひぃっ…はいぃ…」
「静満を迎えに行ってこい!!」
『「えっ…」』
『寂雷さん、僕、伊弉冉さんのお店の場所は分かりますよ』
「ああ!?なんでそんなもん知ってんだ!良いから早く行け!独歩!!」
「はっはいぃ…」
『あ…ちょ、』
可哀想なほどか細い独歩の声が電話口に聞こえた所で、ブツッ、とスマホの通話が切れる。静満は眉尻を下げて、呟いたのだった。
『…観音坂さん、この家知ってるのかな…』
この状況に困惑して言葉を零しつつも、静満はその疑問の答えがNOであることを感覚的に理解していたのである。
役に立つかどうかは扨置き、机の引き出しに入れていた独歩の名刺をポケットに入れて、マンションの外に出ることにした。
歌舞伎町までは、歩いて15分程度の距離ではあるが、それは、迷わず歩ける者の時間でしかない。マンション前の道に出た静満は、考えた末に分かりやすい交差点まで歩くこととする。そして角のビルの影に立ち止まると、名刺の電話番号に掛けてみることにしたのだった。
「…っ、もし、もし、観音坂、です」
『えっ…』
「あの、もしもし、」
2コール手前で聞こえてきた独歩の声に静満は驚きつつ、「どちら様ですか」と尋ねてくる独歩の声に答えねばと切り替えた。
『突然すみません。神嵜静満です。頂いた名刺に連絡先が書いてあったので…』
「あ、静満さん、こんばんは…っ今、お迎えに…」
ホッとしたような、しかし悲壮感漂う独歩の声色を受けて静満は『その事なんですが』と返す。
『観音坂さん、今どちらですか?あの状態の寂雷さんを余り放置するのは気が引けるので、僕もそちら側に向かいます。どこかで落ち合って行きましょう』
「あ、あの、ありがとう、ございます。その…今ドラッグストアが…」
独歩が示した店が良く知った物であったため、静満は早足でそこに向かったのである。
薄明かりのドラッグストア前で佇む独歩を見付けた静満は、嫌に良く馴染んでいるその姿に少しだけ悲しい気持ちになりながら、呼び掛けた。
『こんばんは、観音坂さん。お待たせしました』
「あ、全然…待ってないです。あの、静満さん…すみません、来て頂いて…」
『いえ、どちらかと言えばこれは寂雷さんのせいですから。…行きましょうか』
「は、はい…」
静満がさくさくと話を進めるので、独歩はカフェの時とはまた違った印象を受けて、目蓋を瞬かせる。そして一二三の店の方面に向かって何の躊躇もなく進んでいくので、独歩は更に首を傾げることとなった。
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