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上機嫌な寂雷の傍らで、静満はもうお手上げだとばかりに端正な顔を僅かに歪める。普段は人形のようで多少冷たい印象を持たれるほど微弱な表情の変化しか見せない静満だが、今や困惑を隠せなくなっていた。

「うーん…、やっぱり静満君はこっちですね…」
『じゃ…寂雷さん、』
「この型の靴、好きだろう?仕事にも使うし、合わせて買っておこう」
『…、』

現在静満が寂雷に薦められているのは、黒のオックスフォードシューズ。確かに、確かに。静満の好みのデザインだった。流石と言えば良いのか、寂雷は静満の洋服の好みを熟知している。幼少の頃から、何かの祝い事の度、寂雷に連れ出され買い物に付き合わされて来た経験のある静満はもう抵抗が無意味であることを悟ってしまう。

『…、ありがとうございました』
「うん。良い買い物が出来たね」

チャリン、と言うか、ピピッと言うか。会計をスマートに済ませた楽しそうな寂雷の手には紙袋が増えている。それを横目に、静満は思考を巡らせる。どうすればこれ以上のプレゼントが減らせるか、そしてあわよくば何かしらで返させて貰えるか、と。

『…寂雷さん』
「うん?」
『僕、こんなにして貰ってばかりでは本当に申し訳無くて。気遣って頂けるのは嬉しいですが、でも、』

静満が珍しく口籠ると寂雷は僅かに目を見張る。確かに、良い大人が少しはしゃぎ過ぎてしまったか?と薄く端正な唇に指を添える。

「ああ。そうだ。ネクタイを選んで貰えないかな?」

少しの沈黙の後、それならば、と寂雷は言った。眉尻を下げていた静満も、顔を上げる。

『ネクタイですか?』
「うん。今度学会があってね。そこで登壇する機会があるから正装をしていかなくてはならないんだ。取材も来たりして、写真にも残ってしまうから少しは気を遣わないとならなくて」

静満は、させて貰えるのはそこまでか、と僅かに思考する。しかしながら自分が選んだネクタイを寂雷がしてくれるかも知れないと思うと、やはり首肯く以外の選択肢は出てこなかった。

『…そんな事でお役に立てるならぜひ選ばせてください』
「ふふ、ありがとう」

寂雷は静満の髪をくしゃり、と乱すと嬉しそうに笑う。静満の思考は直ぐに、寂雷が学会に着けていくにはどんなネクタイが良いか?と言う物に切り替わった。寂雷はその様子に苦笑しつつ、静満の機嫌を損ねずに済んだことにホッと胸を撫で下ろす。

寂雷は一旦車に荷物を置いて来ようかな、と考えながらビル寄りの歩道で足を止める。静満を近くに引き寄せて横断歩道の信号待ち。新宿はいつだって人が多い。寂雷はかなりの有名人にカテゴライズされているし、静満は息を呑む程の美人。そんな二人が並んでいれば、自ずと周囲の注目の的になってしまう訳である。

「あ…、せ、先生…?」

そして、寂雷に於いては、こんな風に声を掛けられることもしばしば。神宮寺寂雷と言う名医に命を救われたのだ、とか、現在進行形で診察を受けているのだと言う患者が声を掛けて来てくれることも多い。

「ん?…ああ、独歩君。こんにちは」
「こんにちは、その、す、みません。お休みの日ですよね。それなのに、…声を、掛けてしまって」

静満は寂雷の影にすっぽりはまり、ぼんやりと会話を聞いている。どうやらかなり腰が低いらしい、"独歩君"と呼ばれたその人は言葉を詰まらせながらも静かなトーンの声をしていた。時折不安定に揺れるのが少しだけ耳をざわつかせる。

「大丈夫だよ。その格好…今日もお仕事なんだね?」
「あ、はい……今日は休日出勤になってしまって」

静満は少しだけ気になって、寂雷の肩の隙間から相手の風貌を覗き見る。

「ふむ……、君には休息が足りなすぎるのだけど。もしも独歩君が望むなら、私から会社側に声を掛けることも出来るからね」

そこにはふわふわとした毛先だけ水色の赤い髪。長い前髪越しにも目の下の隈が目立つ、陰鬱な雰囲気を醸すスーツ姿の男性が居た。どうしてだろうか。共通項はこれと言って無いのに。瞳が少しだけ、少しだけ、寂雷に似ていた。

「っっ…ありがとうございます。先生はお優しい…こんな俺にだって慈悲深い……なのに俺は…あのハゲの尻拭いばかりさせられる雑魚リーマン…こんな道端で俺と話す先生の図なんか誰も見たいわけ無いのに烏滸がましい……俺のせいで悪目立ちして俺のせいで先生の評判が下がるんだ…全部俺のせい…俺の…俺の……」

静満は突如始まった独歩の、ある意味自意識過剰とも言えるその独壇場がまるで聞こえないかのように、ぼんやりとその姿を見ている。

「独歩君、悪い癖が出ていますよ」
「はっ!は、はい、すみません、すみま……せ、ん、――?」

バチリ、と大きい効果音が聞こえた気すらする。独歩の瞳に気を取られて、視線を反らすのを忘れていた静満は、独歩の視界に入ってしまったようだった。

「あ、あの…そちらの、方は、」

独歩が不安げに尋ねると、寂雷は"ああ"と振り返って静満を独歩に見える場所へ誘導した。

「……静満君、彼は観音坂独歩君だよ」
『はい。…初めまして、観音坂さん。僕は神嵜静満と言います』

静満は口角を上げて、微笑みを象る。薄い唇が綺麗な弧を描く。瞬間的に独歩は驚いた様な顔をして、頭を低くした。

「は、はい初めまして…その、私は先生にいつも、お世話になっていて、…、こう言う者です」
『ご丁寧にありがとうございます』

長年の癖が染み付きつつも、綺麗な姿勢で独歩から差し出された名刺を、特に何でもないように受け取って静満は再度微笑む。寂雷はその様子をジッと見詰めていた。

「静満君は私の甥っ子のようなものでね。まあ、どこかでまたすれ違うようなことがあれば、よろしく頼むよ」

独歩が顔を上げると、寂雷はそう言った。確かに、同じ新宿に身を置く立場としては会うこともあるだろう。

「はい、あの、すみませんでした。お二人の貴重なプライベートの時間を頂戴してしまって…」
「問題ないよ」
『観音坂さんも、お仕事お疲れ様です。早く片付いて、早く帰れると良いですね』
「はい………、」

鬱々とした返事をして、独歩は腕時計を見る。

「あ、やべ。そろそろ、次のアポの時間になるので、失礼します」
「ああ。気を付けて」

静満は独歩を、不思議な人だ。と猛烈に思った。生気は殆ど感じられないのに、何処からか漂うエネルギーがとても強い。チグハグなそれは、魅力でありながら危うさを感じた。それに、何故か目が離せなくなってしまったあの瞳。あれはきっと。
何処と無く、彼と寂雷は親交を深めていくことになるのでは、と静満は予感する。

『不思議な人、ですね』
「ん?ああ。そうだね、彼はとても興味深い」

ポロリ、静満の唇から零れた言葉に帰ってきたのは、久し振りに聞いた"興味深い"、だった。静満はやはりそう。予感は的中するだろう、と寂雷を見上げる。思案するようなその横顔は美しい。

静満は、再び赤になった横断歩道の信号に視線をやる。ゆるゆると発車する先頭にいたラッピングカーが目に入る。それはディヴィジョンラップバトルが半年後に迫っていることを報せていた。


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