進路
空から降る雨は光の反射でキラキラと、まるで宝石が降っているみたいに、とても綺麗だったーー…
「だから…その…」
声が震えた。先にキスをしておいて、言葉にするほうが緊張するなんてどうかしている。
「僕と…付き合って…くれません、か…?」
思わず敬語になる。今まで告白してきた子達は皆、このような気持ちだったのだろうか。
顔が熱い。
彼女も顔が真っ赤だった。
返事を訊きたい。
でも訊きたくない。
矛盾した気持ちがぐるぐると渦巻いている中、彼女は意味を理解し始めたのか徐々にその瞳は大きくなる。次にはふいっと俯いてしまった。
ドクン、ドクン、と心臓が壊れてしまうほど強く脈打っている。
「……うん」
コクン…と頷いた彼女。
降谷の目は徐々に見開いていく。その瞳には歓喜が含まれ、降る雨と同じぐらい輝いた。
嬉しい
嬉しいっ
純粋にそう、思った。
砂の上に降ろされた彼女の手を掴む。
「もう一度、…していい?」
今度はきちんとキスの許可を得ようとする。俯いていた彼女がその言葉にピクッと肩を揺らす。顔を近づける。こつん、と彼女の額に自分の額を当てた。
「…いい?」
もう一度訊く。
ぎゅっと目を瞑り、茹で蛸のように赤い彼女はコクコクと小刻みに頷いた。両手で彼女の手を握りしめる。
俯き加減の彼女の角度に合わせて、首を傾げて少し下からキスをする。
ぎゅっ、と閉じた彼女の目は口までもが一緒になって固くしっかりと閉じていた。かぷっ、と唇を軽く挟めば、彼女は驚いて瞑っていた目を開けた。
漸く目があった彼女にクスッとしたり顔で笑えば、赤い顔をしながらも頬を膨らませた。
「随分、そっちは余裕なのね」
「そんなわけないだろ」
心臓なんて壊れるくらいドキドキしてる。しかし口には出さず降谷は黙って立ち上がる。未だ蹲んでいる彼女に手を差し伸べた。躊躇いがちに重ねられた手を降谷は嬉しそうに優しく握った。
夕陽に染まったうろこ雲。
雨は止み、澄み渡るような茜空を見上げる。
もう、秋の空だったーー…。
帰りのバスの中で、隣に座る彼女が左手首のヘアゴムに触れながら口を開く。
「帰ったら…お父さんにちゃんと謝る。…ちゃんと、話す」
「それがいい」
父親にはここにくる前に一報入れたから大騒ぎにはなっていないと思うが、やはり心配しているだろう。
「そばにいようか?」
「ううん」
首を横に振り彼女は少し照れ臭そうに笑った後、大丈夫と応えた。
「その、ヘアゴムはお袋さんの?」
母親の話をした時、彼女はそれを強く握りしめていた。
「うん」
彼女はビーズの部分に触れ、ゆっくり頷いた。
「正確には母の誕生日に私が作ったもの」
くるくると、前後に回すようにビーズを指の先で弄る。
「結局、渡せなかったけど」
そう、寂しそうに眉を下げて彼女は笑った。
夕陽が沈んでからは暗くなるのもあっという間で、彼女を送り届けた時にはすでに外灯に燈が灯っていた。すっかり遅くなってしまった。
ジムの外でずっと待っていた彼は自分たちに気づくと走り出し、彼女を思い切り抱きしめた。彼女は驚いた顔から徐々に泣きそうな顔へと変わり、耐えるようにその目を閉じたーー…
「降谷くん、連れてきてくれてありがとう」
娘を抱きしめながら、父親は降谷に礼を言った。しかし彼のその言葉に対し「いえ、連れ回したのは僕です」と言ったら彼は困ったように笑った。
その顔は彼女がよくする笑い方だった。
「で、無事付き合えたんだな」
その言葉に未だ慣れず降谷は机に頬杖を突いている手で口元を隠す。
少し顔を背けたままコクリ、と頷いた。
「で、肝心の彼女は?」
「昼は…一人で本を読みながら弁当食べたいって言われた」
「ゼロ、嫌われてない?」
茶化すように言う景光。彼女を尾行した日が懐かしい。あの時と同じ台詞をわざと言った彼に降谷は小さく笑って返す。
「あの頃とはもう違う」
「なんだか、ゼロが急に大人になっちゃったなぁ…」
「ヒロだって、中学の時いたじゃないか」
「去年も一応いた」
「・・・・」
「・・・・」
「やめよう」
「あぁ、やめようこの話は」
優しすぎてフラれることが多々ある彼から哀愁漂う空気が出る。掘り下げれば虚しくなるだけだとわかり早々にこの話題を切り上げた。
チラッと半袖から出る降谷の腕が目に入る。明日から衣替えなのを思い出すのと同時に以前より逞しくなったそれを景光は指摘する。
「ゼロ最近筋肉ついたよね。背だって伸びた」
「まだ背はヒロのが高いけどな。筋肉はこれ以上つけると打つ時邪魔になるらしいから一応セーブしてる」
「いいなぁ、俺も何か始めようかな」
「実は来月からちゃんと正式にジムに入ろうと思ってるんだ。いつまでも彼女の父親に面倒見てもらうわけにもいかないし。ヒロもどうだ?」
それに景光はジッと降谷を見た。少し拗ねている顔をしている彼に降谷は首を傾げる。
「どうし…」
「やっと、誘ってくれた」
「え?」
「気づかなかった?少し前まで誰にも彼女に近づけさせなかったこと」
それに降谷はハッとしてここ最近の行動を思い起こしてみる。図書室に行こうとする彼女にわざと話しかけて邪魔をしたり、昼時も何回か屋上で景光も交えて三人で飯を食べていたが、近頃はまたギターの練習だなんて言って以前と同様に空き教室を使って二人で食べていた。
「・・・・」
「気づいた?」
冷や汗を掻いている降谷に対し、景光はしたり顔でこちらを見てくる。
どうやら自分よりも景光のが降谷の気持ちを大分わかっていたようだ。
「悪い…」
「謝るなよ。無意識だったのわかってるし。いい機会だし俺も一緒に通う」
それでチャラ。という景光に降谷は眉を下げて笑った。
「あっ、そうだヒロ」
チューニングをしていると思い出したように降谷が口を開く。
「ん?」
「ジュニアの大会で僕が優勝した日のこと覚えてるか?」
「あぁ、俺が捻挫してダブルスに出られなかったやつだよね。もちろん覚えてるよ。帰りすごい大雨だったよなー」
「えっ、雨?」
「覚えてないの?それでゼロは近道して帰るからって途中別々の道で帰ったんじゃないか」
「・・・・」
「あとその大会、トラブル続きで大変だったよな。ゼロはラケット盗まれるし。武勇伝なのがガットのテンションも素材も違う慣れない俺のラケットで結局優勝しちゃうっていう…ゼロ?」
目を見開いて固まっている降谷に景光は心配そうに声をかける。
「ほかに、何か言ってたりした?」
「他?うーん…あっ、結局出てきたあのテニスボール。失くした時の記憶がないって言ってたなぁ。ほら熱出したじゃん。雨にずっと打たれたとか言って」
途端、顎に手を当て何やら深く考え込み出した降谷にもう一度声を掛ける。しかし景光の声はもう聞こえていないようだったーー…。
午後の授業がまた自習になり、旧校舎の屋上にいるであろう彼女に知らせに行く。
ドアを開ければ柔らかい陽の光に包まれて、本を読んでいる彼女の姿があった。
「成瀬」
声をかけると彼女は本から顔を上げる。
「降谷くん、どうしたの?」
「午後は自習になった」
その言葉に彼女は嬉しそうに目尻を下げた。
「知らせに来てくれてありがとう」
「このままここにいる?」
「うん」
当たり前のように彼女の隣に座り、ちゃっかり自分も持ってきた本を開いた。そんな降谷に彼女はクスリと笑った。
「お父さんとあの後…たくさん話したの」
落ち着いた口調で話し出した彼女に、少なからず安堵する。きっと良い話し合いが出来たんだな、と感じた。
「最後はしぶしぶ…といった感じだったけど…」
「うん」
「一応は納得してくれたみたい」
「そうか」
小さく口角を上げた降谷の顔に彼女は柔らかく笑い、「うん」とだけ応えた。
それ以上お互い言葉を発しなかった。いつの間にか繋いでいた手は言葉の代わりに心を埋める。それはじんわりと温かく、優しい気持ちにさせた。
南京錠のツルを差し込み、二人はその場を後にする。
歩きながら彼女が胸に抱えるように持っている古い本。ラベルがないあたり図書室で借りたものではなさそうだった。降谷は興味本位で訊いてみる。
「成瀬の本?」
「うん。詩集、なんだけど時々読みたくなるの」
その本は読みジワが出来ており、何度も繰り返し読んだのが窺える。
「特に気に入ってる詩は?」
彼女は躊躇いがちに、そして少し恥ずかしそうに本を開く。
「W進む道は違っても、見上げる空は繋がってる筈だからW」
詩を指で辿りながら読み上げる。
「だから…ね」
その…と彼女は口籠る。ほんの少し寂しそうに眉を下げて。
「卒業して離れ離れになっても…」
「卒業後も僕たちは一緒だよ」
被せるように言った降谷の言葉に彼女は「え?」と目を瞬かせる。口角を上げる降谷に対し、ぱちぱち、と数回瞬きをした。
「じ、じゃあ降谷君がどうしてもなりたいものって、もしかして…」
「あぁ、君と同じ警察官だ」
ちなみにヒロも、と言えば彼女は、はぁー…っと長い溜息を吐いた。
「割と真剣に悩んだわ」
「驚かせたかったんだ」
嬉しい?と訊けば彼女は「別に」と不貞腐れていたが、その口元は嬉しそうに笑っていたーー…
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2020.6.23
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