出会い
「降谷くん」
ジムの更衣室を出て階段を降りる途中、踊り場で4、5人の練習生に声を掛けられる。
何やらニヤニヤしている彼らを見て大体の予想は付いていた。
「見たよ」
思っていた話の切り口ではなく、思わず首を傾げる。
「お堅そうに見えて、やることはしっかりやってるんだな」
「はい?」
「硬派なところを俺は推してたのに…!」
「僕は素直に祝福するよ?朔ちゃんと付き合うまであと2、3年は絶対時間掛かると思ってたから」
「でも!最初はお手て繋いで帰るのが先だろ⁉」
「小学生じゃないんだから。いーじゃんキスぐらいしても」
降谷に色々訊きたくて声を掛けたのだろうが本人そっちのけで会話が進められている。付き合ってることがバレている上に何やら会話の内容からキスをしたことまで知られているようだった。
彼女が言うとも思えない。
不可解な顔をしている降谷に気づいた彼らはニヤニヤした顔をさらにニヤケさせた。
「そりゃ、あんなでっかくねぇ。【成瀬ボクシングジム】!!ってロゴが入った男女がイチャイチャしてたら目立つよ」
え…、と固まった表情で降谷は彼らを見る。
「俺らね、時々脚力鍛えるために砂浜でもトレーニングするの」
「降谷くん目立つからすぐわかったよ」
「・・・・」
「いやー!でも絶対付き合うと思ったよ!朔ちゃん、ここに男の子連れてくるの初めてだったし!」
「友達すら連れてきたことないのに!」
「あっ、でもほら中学のあれじゃあ…」
「あははっ!確かに!」
途端、中学時代の彼女の話になる。腹を抱えて笑う練習生に頭の上に疑問符を浮かべる。
「あっ、降谷くん知らない?中学のときの朔ちゃん!」
「いえ…」
「いやー、あれは黒歴史じゃない?」
「当時の写真見る?」
これこれ…と携帯で見せようとしたところで彼らの動きは止まる。降谷の背後を見て何やら冷や汗を掻いている。
「みんなロードワークまだなんじゃない?」
彼女の声に振り返る。一緒に走りに行きましょうか?とニッコリ微笑む彼女の背には黒い何かが見えた。
「やだよ!どうせ朔ちゃん自転車でしょ⁉」
「ほらほら、行きますよ。それぞれのトレーナーには許可を頂いてます」
引きずられていく練習生をポカン、とした顔で眺めていると遠巻きに見ていた別の練習生が声を掛けてくる。
「自転車で緩急つけながら追いかけるだけなんだけど俺らの中ではW朔ちゃん・地獄のロードワークWって言ってる」
いったいどんなロードワークなんだ。
しかし帰ってきた彼らのげっそりと魂を抜かれた表情を見て納得がいった。
「君の昔の写真、気になるな」
翌朝、下駄箱であった彼女に声を掛けると彼女は嫌そうな顔をして振り返った。
「絶対に、ダメ」
「ならどんな写真かだけ教えてくれ」
「……やだ。恥ずかしいもの」
「……太ってる、とかか?」
「多少は今よりぽっちゃりしてる」
「そこは素直に認めるんだな」
「あっ、そうだ。降谷くん、私今日寄るところがあって…その、」
い、一緒に…帰れない、です
と、肩を窄め少し恥ずかしそうに言う彼女にこちらも釣られて顔が少し赤くなる。
普段通りを心がけているが、時々付き合っているのだという自覚が出てくると途端二人とも会話に詰まってしまうことが多々ある。
「わかった」
肩を揃えて歩く距離は以前より近い筈なのに、お互い顔を背けながら教室へ向かった。
景光も今日は委員会で遅くなるため、降谷は一人帰路につく。
曇天の空を見上げる。
雨が、降りそうだった。
湿気を帯びた風の臭い。
途端降谷の記憶を刺激する。
Wほら熱出したじゃん。雨にずっと打たれたとか言ってW
そうだ。大会の帰り、傘もささずに雨に降られたその夜、高熱でうなされて帰りの記憶が曖昧だった。
W私今日寄るところがあって…W
途端彼女の言葉に引っ掛かりを覚える。いつもは真っ直ぐジムに向かうのに、今日は何か特別な日なのだろうか。ジムは休みではないし、買い出しの類いならいつも一緒に行っている。
「・・・・」
一度立ち止まり雲に覆われた空を睨み付ける。
降谷は踵を返す。記憶を辿ろうと、あの時と同じ道を歩くことに決めた。
大会の帰り、ラケットの入っていないラケットバックを背負い、景光と帰路についていた。
この道まで景光と一緒だったのは覚えてる。そこのコンビニでアイスを買おうとしたところで、雨が降ってきて…
ぽつ、とあの時と同じように降谷の頬に滴が落ちる。
ぽつ、ぽつと次第に降り始めたそれ。気にせず降谷は歩みを進める。
そぼ降る雨。しかしあの時はスコールのように当たると痛い篠突く雨だった。
記憶を拾い集めるようにゆっくりとした歩調で、一歩一歩、歩みを進める。
当時、予報にもなかった雨。折りたたみ傘も持っていなかったため、降り頻る雨を手で雨除けしながら走った。そして普段は使わない小道に確か入った。
その道をいつも使わないのは墓地を横切ることになるから。多少の罪悪感を感じながらも当時の自分は早く抜けてしまおうと泥が跳ねてもお構いなしに足を動かす。不意に視界に入った違和感に走る速度を緩めてしまう。次第には止まってしまった。
現在、降谷も同じ場所で歩みを止めた。
墓の前に誰かいた。
「成瀬…?」
場面がオーバーラップする。
制服を着ている彼女と違い、重なる記憶は髪を金髪に染め、ジャージ姿の女の子。
今の彼女とその記憶の子は全く異なるのに、情景は変にダブって見えた。
脳に流れてくる映像。
見える筈はないのに、降谷には別の光景が見えていた。
髪が雨水を吸い、ポタポタと水滴が落ちている。そのびしょ濡れ具合から長いことここに居たことが伺えた。
そして、
切られたガットにぐしゃぐしゃに変形したラケット。そしてその周りにはうずくまり地面にひれ伏す男たち。
その中心に金髪の少女は佇んでいる。
地面に散らばっているラケットを見て、当時の自分は顔を顰めている。
「成瀬…?」
彼女が降谷の声に気づいて振り返る。
あの時の少女とシンクロする。
「『ここで何を?』」
彼女を見ているはずなのに、頭の中では違う映像が流れ、当時と同じセリフを彼女にぶつける。
見えている景色と、当時の情景が交互に混ざり合う。
そぼ降る雨と篠突く雨が混ざり合う。
茫然と立ち尽くしていた彼女はこちらに気づくとその口元は寂しそうに笑ったのだった。
「『母の命日なの』」
同じセリフ。重なって聞こえたその声に降谷の脳は途端弾いたように記憶が蘇る。
思い、出した…
思い出した…!
そうだ、
そうだっ!!
「僕と、君は以前もここで…」
言葉はそこで終わってしまう。何故なら突如現れた輩に意識がそっちに持っていかれたからだ。わらわらと鉄パイプやら金属バットやらをもった結構な人数が降谷たちの前に現れた。
「おい、あれ降谷じゃねぇか?」
マスクをした柄の悪い男が降谷を指さしそう口にする。降谷は目を凝らし男をよく見た。
見覚えのある顔。
同中のテニス部員だった奴だ。
そして降谷はその隣にいる男に目を向ける。降谷だと口にした瞬間、目の色を変えたのだ。立ち振る舞いから見るに恐らくこの男がリーダー格。バットを肩に掛け、髪を長く伸ばしたその男はギロリと降谷を睨みつける。
こいつも見覚えがある、と降谷は記憶を引き出す。瞬間、想起させたのは路地裏での出来事。
そう。確か、前に彼女を路地裏に連れ込んだ連中の中に彼がいた。
「ハッ!まさかここでまたお前らに会うとはな」
WまたWWお前らW
繋がっていく真実。
以前ここで倒れていた連中と、路地裏での彼らは恐らく同一人物。
あの狼狽たような顔は見られたくない場面に自分たちが遭遇したのではなく、W降谷Wに気づいたから。
そして降谷が殴られたあの日。Wお前を襲ったやつWとは恐らく彼らのこと。
雨が顔に当たる。それが酷く鬱陶しく感じた。
「おいおい、まさか俺を覚えてない?記憶にすら残らないってか?」
ガンッ!と持っていたバットを苛立たしげに地面に叩きつける。
髪の長い男は、酷く降谷を恨んでいるようだった。
「お前、本当邪魔」
降谷が口を開こうとしたところで彼女が走り出す。「こっち!」と放った彼女の声に反応して降谷も走り出す。
「おい!逃すなっ!!」
相変わらず彼女は足が速い。彼らを巻くように墓地という立地を利用し墓石に体を隠しながら走る。
しかし裏まで来たはいいが、敷地を囲んでいる竹垣は高さがあり、遮蔽垣にもなっているそれはそう易々と敷地から出られそうにない。このまま降谷が入ってきた小道や門へ戻っても既に待ち伏せされているだろう。
「成瀬、乗り越えよう」
先に行って竹垣をよじ登る。降谷の身長よりも少し高いそれは自分より背の低い彼女では飛び越えられないと踏み、竹垣の上で手を差し出し待ち構えていると瞬間、ひょいっと彼女が押縁部分に足を掛け上部に両手を突いて軽々と飛び越えていった。
「・・・・」
ひらりと翻った制服のスカートを整えて上で待っている降谷に気づいた彼女は「あっ…」と声を漏らす。
「も、もう一回やり直す?」
「そんな時間はない」
ぶっきら棒に言いながらそこから飛び降りる。小さく笑っている彼女の手を取ってその場を後にした。
少し離れた河川敷。橋の下まで来て息を整える。走ってる途中で結んでいた髪ゴムが片方外れたようで彼女はもう片方も外していた。
「あの連中は君を狙っているのか」
今日降谷がここにいることは全くの偶然で。彼らも降谷がここにいることに意外な顔をしていた。つまりあの輩は自分ではなく彼女を狙ってやってきたということ。降谷の問いに彼女は苦笑を漏らす。
「昔、ちょっと色々あってね…」
「あとは僕が引き受けるから君だけでも…」
「私の問題よ」
柔らかい口調、だけど厳しい目で制される。しかし思い出す限りで彼女が狙われる要因となったのは恐らく自分にある。
「おい!こっちにいたぞ!!」
漸く追いついた彼らが降谷たちを取り囲む。
彼女を守るように降谷は前に出る。しかし彼女は降谷の肩に手を置き、首を横に振る。
「降谷くん」
今度は優しい口調で降谷の名を呼んだ。そして何故か彼女は背を向ける。
解けて乱れた髪に手を差し込み、グシャグシャと軽く乱した後、髪を整え左手首につけているパールビーズのヘアゴムで髪を高く一つに結い上げた。
「私、闘えるわ」
そして、両手を高く上げ
「諸伏君のように、とまではいかないけど…」
拳を作りながらゆっくり腕を下ろし、少し丸まったその背中で、「後ろは任せて」と凛とした口調で降谷に告げる。
「ハッ!ここまで逃げてきてよく言う」
長髪の男が彼女の言葉に噛みつく。しかしそんな彼女も彼のセリフに鼻で笑って返した。
「別に逃げてないわ。墓を荒らされたくなかったから場所を移動しただけ」
「またそうやって俺の邪魔をするんだな成瀬朔」
「貴方もね。あの頃と全く変わってなくてお互い嫌になるわね」
男がバットを高く上げ、振り下ろしたのを合図に、一斉に襲いかかってきたのだったーー…
次々と殴り倒されていく仲間を見て、リーダー格の男はギリッと奥歯を噛み締める。
当時、ジュニアテニス界ではちょっとは名の知れていた自分はプロを目指して、部活とスクールを同時に熟し、毎日テニスに明け暮れていた。
天才。期待の星。神童とまでもてはやされ、あの日の大会でも当然自分が優勝するとばかり思っていた。
しかし、
一回戦目であいつに当たり、まさかのストレート負け。
周りの期待を一身に受けていた手前、失望されるのも大きく、周りの信頼も、そして自分のプライドさえも、バラバラと一瞬で崩れ落ちてしまうのだった。
どのスクールにも所属していない。
今までどこの大会にも出ていなかった、こんなぽっと出の奴に自分が負けた…。
しかもストレートで。
初めての挫折。
ショックよりも苛つきの方が大きかった。
なんで俺が負けなきゃならない!
なんで!なんでなんでなんで!!
怒りを抑えることが出来ず、準決勝前日、トイレであいつと同じ部員が悪口を言っている声をたまたま耳にする。金で買収する覚悟でラケットを盗むよう話を持ちかける。もともと降谷のことはよく思っていなかった彼らはすぐに頷いた。それは怖いくらいに酷く協力的だった。
だが、
それでも彼は優勝してしまった。
当て付けのように慣れない友人のラケットで。
天才、とは彼みたいなことを言うのだと。自分はただの凡人に過ぎなかったのだと思い知らされた。絶望感が押し寄せる。立ち直り方がわからなかったそれはもっと卑劣な行為に出る。
あとで落ちてたなんて言って返すつもりだったそれを盗みに働いた彼らと一緒に人目につかないあの墓地へと持っていく。
そして溜まった鬱憤を、
どうしようもない怒りと妬みを、
それにぶつけるかの如く何度も、何度も何度も何度も地面に叩きつけた。
自分にこんな破壊衝動があるとは。
そしてそんな自分の行動を見ていた他の奴らも触発されたように残りのラケットを同じように壊していた。
微かな罪悪感。しかし高揚感の方が優っていたと思う。
「外人の血が入ってるなんて卑怯だっつーの」
「しかもあいつ、高校ではテニスやらないらしいぜ」
「マジでもうラケットいらないじゃん!」
「こんなんじゃ打てねーけどな!」
「まぁ、学校が有名になるのは悪い気がしないけどな!俺たちの分までどーも!って感じだわ」
汚い笑い声。そして、口々に出される罵詈雑言。それが空を刺激したのか、激しい雨が降り始めた。
そんな中、異質の声が一つ混じる。
「物に罪は一つもないけど」
ピロリン、と鳴る機械音。
全員動きを止める。
「人のもの壊してる暇があるなら、その歪んだ醜い嫉妬心を練習に当てたら?」
ジャージ姿の髪を金髪に染めた女の子が墓石の影から出てくる。
見られ、た…?
いったい、いつから?
それにその手に持っている携帯…
まさか…撮られ、た?
「それにそういうセリフって死に物狂いで練習した人が悔しがりながら言う言葉じゃない?」
ねぇ?と低く呟く彼女。一気に頭が冷える。冷静になり辺りを見渡す。悲惨なラケットを目の当たりにして、今更しても遅い後悔がズンッと重くのし掛かる。狼狽ている自分とは対照的に他の奴らは彼女の言葉に反応し、声を荒げる。
「はぁ?マジうざ。なんなんお前」
「どうでもいいけど、人ん家の墓の前で馬鹿なことするのやめてくれる?」
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!
こいつらはともかく俺はヤバイ!
仮にも有名私立中学に通っている自分は恐らく今後の進路にも関わってくる。
「まさかチクる気か」
「口は黙ってるかもしれないけど、この動画は拡散されちゃうかもね」
携帯で撮った動画を自分らに見せつけるように画面をこちらに向ける。流れる映像はどう言い訳しても言い逃れできないものがそこには映っていた。
だんだんと顔が歪んでくる。
「おい、今なら襲わないでおいてやるから…その動画を消せ」
動揺を隠すよう落ち着いて低く、そう呟く。これ以上の罪を重ねるのは痛いが、この女のトラウマになりそうな写真をこちらも撮れば、迂闊にその動画は流せないはず。
「無理ね。その持ち主に土下座して謝る動画まで撮らせてくれたら消すわ」
「よっぽど痛い目に遭いたいらしいな…!!」
恐らく、みんな油断していた。
彼女が小柄で、女で、一人だったから
どうにか出来るとタカを括っていた。
「それは、こっちのセリフ。面倒臭いから吐いたりしないでね」
タン、タタンッと前後にステップを踏み始める。彼女は腕を一度高く挙げ、ゆっくり腕を下ろしながら拳を構えたのだったーー…
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2020.6.27
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