父視点


妻が川で溺れてる子を助けたあの日、今朝方まで降っていた雨のせいで水量は増し、川の流れは速かった。

妻の誕生日に手作りのヘアゴムをプレゼントしたいと意気込んでいた娘は友達の家でその作業をしていた。自分はサプライズで注文しておいたケーキを受け取り、家に戻ってきたところで電話が鳴る。電話に出て、ぐしゃり、と持っていたケーキの箱が落ちる。何かが潰れた音がした。

震える指先で娘の友達の家へと電話を掛け、急いで迎えに行く。

着いた病院。

終始真っ青な顔で放心している娘。その小さな手は酷く震えており、それでも強く、強く包装袋を両手で握りしめていた。その姿が痛々しかった。


あぁ、なんで…


なんで、今日なんだ


明日なら、皆休みでずっと一緒にいられた。


川で子供が溺れても自分が助けに行けた。


なんで、なんで、今日なんだ…


手術室からストレッチャーに運ばれ出てきた妻。一緒に出てきた医者に「全力は尽くしましたが…」と言われる。そのままカラカラと音を立てて妻を運ぶ看護師。子供ながらにもう手遅れなのだとわかっていたのだろう、ぐしゃぐしゃに握りしめていた袋が手から滑り落ちる。

ぽすっ、と弱々しい音と共に震える小さな手が自分のズボンの裾を握る。彼女は泣きながら懇願した。


「お、おかあさんを連れて行かないで…」

「…っ…」

「連れて、行かないで…ください」

「朔ちゃん…」

「おねがい…します…おねがいっ…しますっ…おねがいします…!」

嗚呼を漏らしながら泣く彼女の体を思い切り抱きしめた。

妻が遺してくれたこの子を全力で愛し、守ろうと強く抱きしめ、誓った。






「朔、この進路表はなんだ」

妻は正義感のある、立派な警察官だった。だけど、娘が同じ道に進むとなると話は別だ。嫌な予感が過ぎって仕方なかったのだ。

「血が繋がってないから…反対、するの?」

珍しく少し興奮気味に頬を上気させ、口から衝いて出た言葉に思わずこちらも感情的になってしまう。気づいたら手を上げていた。はじめてのことだった。

顔を歪め、泣くのを堪えた表情でジムを出て行く娘を降谷零が追いかける。

しばらくそのまま動くことが出来なかった。ひりひりと痛い手の平を見つめる。娘の心はこれ以上に痛いだろう。

娘の心を抱きしめるように、
しても遅い後悔を閉じ込めるように、

ギュッとその手を握りしめた。



降谷零と一緒に娘は帰ってきた。思わず抱きしめる。大きくなった娘の手がぎこちなく背中に回り、「ごめんなさい」と掠れた小さな声が聞こえる。「俺も叩いて悪かった」と出た声は元チャンプにしては酷く弱々しい情けない声だった。


先に娘を中に入れ、彼にもう一度礼を言うため二人きりになる。

すると彼は言った。

「あの…僕が、傍で彼女を守りますから…だから、」

出そうとした言葉を飲み込むように彼は一旦口を噤む。そして一度目を伏せ、少し間を置いた後、改めて口を開いた。

「たくさん、話し合って決めてください」

眉を下げ、優しく微笑みながらそう口にした。きっと本当に言いたかったことは別の事なのだろう。言葉のニュアンスから推測するに大方娘の夢を認めてやってほしい、などという言葉だろうが、彼はそれを一度飲み込み、別の言葉にした。

Wたくさん、話し合って決めてくださいW

その言葉のお陰か、娘とは文字通りたくさん話し合い、最後には娘の熱意に負けしぶしぶだが頷いた。その瞬間娘の顔が途端に笑顔になる。感極まって抱きついてきた娘を困った顔でやさしく受け止める。

傍で、守ってくれる…か

こうやって手元を離れて行くんだな、と両の手の平を見つめる。

彼の存在に嬉しくもあるが、同時に寂しくもあった。

それにしても後ほど娘から聞いて驚いた。まさか彼のなりたいものも警察官だったとは。


「いやー!あれはマジでチューしてたって!」

「いやだ!まだ心の準備出来てない!朔ちゃんが人のものになるなんて!」

「あの朔ちゃんがついにねぇ…ってやべ!会長っ」

何の事情も知らない練習生がロードワークから戻ってくる。会話の内容を聞いてピシッ、と体が石化して燃え尽きたように暫く動けなかった。


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2020.7.12.
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