はじまり(2)



母と仲が良く、時々家に来ていたW成瀬のおじさんWと呼んでいた人が父親になって間もない頃、母が死んだ。

警察の人が事件性がないかを調べる為、後日自宅を訪れる。父に部屋に居るよう言われたが、会話の内容が気になり扉越しからそっと聞き耳を立てる。

「娘さんの名前を叫んで川に飛び込んだらしいのですが…」

現場近くにいた人の証言。頭が真っ白になる。

私だと思って飛び込んだってこと?

ふらふらと体は後ろに下がる。そこでガタンッと体は棚に当たり、その音を聞いた父が慌てて扉を開ける。

「ごめん…なさい」

大人しく部屋に居なかったことを謝罪する。微かに震えている朔に気づいたのか父はとくに咎めることはせず、朔を優しく抱き上げた。

父は、朔が落ち着くまでずっと抱きしめてくれた。

母を亡くした痛みを父と二人で埋める。不慣れな家事を二人で熟していくうちに互いのぎこちなさは消えていくが代わりに母がいない日常生活がW普通Wになって行く。それがなんだか寂しかった。

夜中、朔が起きると父は一人泣いていた。そこで気づく。二人で埋めていたと思っていた傷は自分だけだったのだと。

W娘さんの名前を叫んで川に飛び込んだらしいのですが…W

父の泣いてる姿を知ってしまったら母を奪ってしまったのは自分なのでは、と錯覚してしまう。

段々と積み重なるそのよくわからない感情は心を蝕んでいく。そしてそれは小学六年生になったとき、クラスメイトの心ない一言で爆発してしまう。

「お前の父ちゃんって有名人だったんだな」

その声に称賛は含まれていなかった。嫌な、言い方だった。

再婚したことは皆知っていた。
母が亡くなったのも知っている。
父親と血が繋がっていない、というのは親達しか知らないがもう六年生だ。わかる子はわかる。

「俺の父ちゃんがあんたの親父のファンでさ。タイトル防衛戦が流れたのってお前のせいなの?」

「ち、ちがうよ」

朔は慌てて首を振るが男の子の目は朔を責めていた。

「でも母ちゃんが死んだせいで、引退したんだろ?」

そうだ。朔をより近くに、より傍にいるために父は早い引退をした。でも、タイトル防衛戦が流れたのは相手選手が殺人の容疑で逮捕されてしまったからだ。暫く経って誤認逮捕だとわかったが、その時父は既に引退していた。

「あんたら血ぃ繋がってないんだろ?赤の他人と一緒の家にいるわけ?」

カワイソー

その言葉を聞いてガタンッと席から立ちその男の子に詰め寄る。

うるさい、うるさい!何も知らないくせに!

思わず拳を握り、振り上げる。

W身の危険を感じた時以外は使うなW

しかし直ぐ様、父との約束を思い出す。ボクシングを始める前に父が言った言葉だ。素人からしたらナイフを持っているようなものだから、感情に任せて振るってはいけない、と。

今の朔がしようとしている行為はまさにそれ。怒りで拳を振るうのはマチガッテイル。

朔は握りしめたそれを震えながらも解く。

しかし殴られると勘違いしたその男の子は足を滑らせ机に頭を打つけてしまう。そのまま気絶してしまい、救急車を呼ぶ大騒ぎに。親も呼び出されることとなった。

クラスメイトの証言はバラバラで…

朔が殴ったという人もいれば、勝手に転んだという人もいる。殴り合いをしていて、なんていう人もいた。

朔が幾ら否定しても、父が元プロボクサーだということもあり先生は朔の言葉を完全に信じてはくれなかった。

「うちの子は、自分の身に危険がない限りは他所様を殴ったりはしません」

父の、言葉が胸に重く響く、、  

結局すぐに目覚めた男の子の証言により自分はお咎めを受けることはなかったのだが、友達だと思っていた子の掌を返した証言や態度に酷く傷ついた。

そんな状態で小学校を卒業した。

いつかまた心ない言葉を言われたら今度こそ拳を使ってしまいそうだった。せっかく信じてくれた父の言葉を嘘にしたくない。裏切るようマネは絶対にしたくない。

もう誰も近づかないでほしい。
誰にも話しかけられたくない。
上辺だけの友達もいらない。

ふと、コンビニの前で屯している不良を見掛ける。コンビニに用がある人は皆、彼らを避けるようにして店に入って行く。

それを見て、見た目が怖かったらあんなことを言われることもないんじゃなかろうかと考えついた。

その浅はかな考えは後の黒歴史になるとも知らず、朔はその足で薬局へ向かい、染め剤を買ったーー…。



金髪にジャージにマスク。
姿鏡の前で自分の姿を見る。 

これは…

なかなか、似合ってるのではないだろうか。などとあろうことか思ってしまう。

ガタッ、と開いていた部屋のドアに誰かがぶつかる音。まぁ、父と二人暮らしだから父しかいないのだが、振り返ると目が飛び出すほど驚いている父がいた。声が出ないようでパクパクと口を動かしている。

「朔よ…」

「…なに?」

イメチェンを指摘されるのは恥ずかしい。なにも突っ込まないで、と少しぶっきら棒に応える。

「何か…言いたいことがあるのか?」

「え?別に、ない…けど」

「学校は?学校はあれからどうなんだ」

「学校…は、あー…とくに何も…」

どこか余所余所しいクラスメイト。間違った証言をして気まずい顔をしている友達が頭を過るが自分は至って普通にしている。ただ、あの男の子には殴らなかったにしても驚かせたことは事実なので、後日きちんと誤った。

「そ、そうか…」

何やら肩を落として部屋を出て行く父に首を傾げる。





「朔ちゃん!何っ?不良になったの?」

ジムの手伝いをしていると髪色が変わった朔を練習生達がからかう。

「ちがう」

「金髪とは思い切ったねー!」

「ちょっと、髪触らないで」

完全な不良にならなかったのは練習生がいつも明るく、楽しく、朔に接してくれたからかもしれない。見た目が変わっても以前と同じように話してくれる彼らにとても救われていた。

「会長がすごく心配してたよ。悩みがあるんじゃないかって」

「寧ろこの姿になって清々しい気持ちなのに」

「中学で友達は出来た?」

「全く出来ない」

「逆効果じゃん!わかってたけど」

「いいの。所詮その程度だったんだ」

学校の先生にも初めは凄く怒られたが、成績は常に上位であったし、後半は何も言われなくなった。同小の子も朔を遠巻きに見るようになり、望み通り誰も朔には近づかなかった。

まぁ要はグレたのだ、と思う。
しかし、家ではそんなことはなく普段通りに過ごす朔を父はさらに心配していた、と後日談で知る。


彼と、出会ったのはそんなとき


そんな、少しだけやさぐれた心の時に彼とは出会ったーー…。





その日は学校をサボって母の墓の前に一日中いたら墓石の後ろで何やら騒がしい声が聞こえてくる。

「外人の血が入ってるなんて卑怯だっつーの」

グシャ、バキ、と何やら嫌な音とともに嫌悪する言葉が耳に入ってくる。

ぽつり、と水滴が頬に当たる。朔の頬がピクッと引きつるように小さく動いた。

次第に雨脚は激しくなってくる。

「しかもあいつ、高校ではテニスやらないらしいぜ」

「マジでもうラケットいらないじゃん!」

「こんなんじゃ打てねーけどな!」

墓石の影から覗き見る。学校名が入ったジャージを来ている数人の男子がラケットをひたすら地面に叩きつけていた。

聞こえてくる会話の内容から壊しているラケットは自分のもの、というわけではなさそうだった。

顔を顰め、携帯を取り出す。一部始終を動画に収め、顔と学校名をしっかりと撮る。

「まぁ、学校が有名になるのは悪い気がしないけどな!俺たちの分までどーも!って感じだわ」

「物に罪は一つもないけど」

穏便に済ます方法はないかと考えを巡らせていた筈なのに、気づいたら横槍を入れていた。あまりにも酷い扱いを受けるラケットをこれ以上見ていることが出来なかった。

他に人がいるなんて思ってもいなかったのだろう。直ぐ様動きを止め、全員が口を閉じる。

顔を歪め輩の一人が言う。

「今なら襲わないでおいてやるからその動画を消せ」

「無理ね。その持ち主に土下座して謝る動画まで撮らせてくれたら消すわ」

自分に謝られても困るが彼らが素直に持ち主に謝罪をする人間にも見えなかった。

激しい雨が痛いぐらいに体に当たる。

「よっぽど痛い目に遭いたいらしいな…!」

詰め寄ってくる彼ら。煽ったのは自分だか、やる気満々の彼らに朔は口隅を上げる。

これは正当防衛に入る筈よね?

「それは、こっちのセリフ。面倒臭いから吐いたりしないでね」




ドスッ、と腹を抉る音。体を左右に振り、次々と彼らは文字通り地に伏せていく。

朔は呆れたように溜息を吐く。陰で嫌がらせばかりしていても、正面から喧嘩をしたことはないらしい。

全員、腹を押さえて倒れているのを見て、朔は口を開く。

「ちょうどいい格好になったわね。そのまま土下座して謝ったら動画は消してあげる」

「くっ…そっ…」

「貴方たちの中学はバレてるし、証拠もある。これ以上この持ち主に嫌がらせをしたらどうなるかわかってるわね?」

「なに…してるんだ」

ザッ、と誰かが現れる足音。

自分の紛い物の髪色とは違う、本物の綺麗な髪色をした男の子。

男の子は広がっている光景に酷く驚き、目を丸くしていた。寂しげな色をした瞳が濡れた髪の隙間から見える。

W外人の血W

先程彼らが言っていた言葉を思い出す。
あれは彼のことを指していたのだろうか。ならこのラケットは彼のもの、ということになる。

「何か御用?」

とりあえず訊いてみる。すると彼は倒れている彼らより散らばっているラケットに目を向けた。

「それは、僕のラケットだ」

ピクリ、と反応したのは彼らだった。

「降谷!俺らこいつに脅されて仕方なくやったんだ!」

皆、ある男の子を指差す。指を指された彼は慌てふためき、あろうことか朔を指差した。

「ち、違う!俺じゃない!俺はこいつに頼まれて!!」

それに朔は眉を寄せる。どこまでも卑劣で愚行。しかし金髪の男の子に目を向けると彼は顔を顰めて朔を見ていた。

あー…と彼の表情を見て朔は内心ぼやく。途端に小学生の時の記憶が蘇った。

恐喝まがいのことをしている上に、見た目は完全に不良のそれだ。

結局どんな姿でも疑われる、ということなのだろう。

誤解を解くのは難しいだろうか…

「そうなのか?」

険しい目つきで彼は朔に問うた。

「違うわ」

例え誤解されてしまっても、伝わらなくてもいい。朔は真っ直ぐな目を向け、彼に真実を伝える。



「わかった」

たった一言。そのたった一言だ。朔が放った言葉に対し、彼はそう応えた。

「おい」

低く、倒れている彼らに金髪の男の子は呟く。声をかけられた彼らはビクッと体を揺らした。

「他校生の君がラケットを盗むようそそのかしているのを他の部員が目撃してる。彼女に頼まれただって?見え透いた嘘をつくなよ」


驚いた。


こんな、人もいるのだと朔は衝撃を受けた。雨に掻き消されることなく凛とした、透き通った声が鼓膜を震わす。真っ直ぐな目で彼らを見据え、その殺気だった雰囲気に相手はたじろいだ。

その姿に、何故か母が重なる。
母は清く、正しく、美しい人だった…と不意にそんなことを思い出した。




殴られた腹を押さえ、情けない声を上げて逃げて行ってしまった彼らにハッと我に返る。

「ちょ、ちょっと!」

ポカン、と口を開けてしまう。

謝罪…とかないの?
人のものを壊しておいて、反省の色無しなの?

篠突く雨が墓石を…石造りの道を…壊れたラケットを強く弾く。呆れたように肩を落とし、朔はそのラケットを静かに拾う。

可哀想に。
こんなにされてしまって。
痛かっただろうに。

ひとつ、ひとつ丁寧に、これ以上壊れないようなるべく優しく拾い上げる。茫然と立ち尽くしている彼の元に、集めたそれを持っていくと彼は寂しげにその瞳を細めた。

綺麗な色の髪が雨水を含んでポタポタと滴っていた。

「ここで何を?」

ラケットを受け取った彼は視線をラケットに落としたままポツリと呟く。長い睫毛が伏せられ、それが酷く寂しそうに見えた。

「母の命日なの」

墓に目を向け、そう答える。彼は「そうか」とだけ応えた。

雨脚が徐々に弱まっていく。

「悪かった。巻き込んで」

「別に、たまたま居合わせただけだし」

朔は気休めになればと壊れたラケットに優しく手を触れる。

昔、母が言っていた。物が痛いと言わなくても持ち主の心は壊された物と同じぐらいに痛む。されたことと同じように心も折れて、凹んで、ぐしゃぐしゃになるのだと。

そこで自分は母の死を未だに受け入れられていないのだと気づいた。自分の心もこんな感じだったのかもしれない、と壊れたラケットと自分の心を重ね合わせる。

心に触れられない代わりに変形してしまったラケットをゆっくり撫でる。

渡せなかった母へのプレゼント。捨てることも、使う事もできないまま机の奥に仕舞いっぱなしのそれ。頭の傍らで寂しそうに袋に入っている。チクリ、と心が痛む。

ーー帰ったら、探してみよう…

彼は黙って朔を見つめた。その視線に気づき、朔はバツが悪そうにパッと手を離す。初対面の人間にすることではなかった。

「ごめんなさい、勝手に」

「君は…」

彼は、一度開いた口をまた閉じてしまう。瞳を左右に揺らしたあと、朔を見た。まっすぐにこちらを見る、その瞳にドキリ、と心臓が音を立てた。気づけば視界は明るく雨は上がっていた。

「君は…随分とお人好しなんだな」

小さく笑った彼に朔は目を逸らすことが出来ない。気づいた彼が不思議そうに首を傾げる。誤魔化すように慌てて口を開いた。

「えっと…証拠の動画があるけどどうする?」

「消してくれて構わない」

「そう」

こんな動画がなくても彼は前を向けるのであろう。完全に余計なことをしたのかもしれないな、と朔は苦笑いを浮かべ踵を返す。じゃあね、と言って去ろうとする朔を彼は引き留めた。

「何か、礼がしたい」

その言葉に今度は朔が首を傾げる。ラケットは壊されてしまったし、彼らは謝罪もせずに去ってしまった。根本的な解決はなにも出来ていない。

「いらない。結局はそのラケットが壊されているのを見てただけだし」

「それでも、赤の他人の僕の気持ちを汲んでくれただろう?」

その言葉に朔は困ったように眉を下げる。しかし、それで彼の気が済むのなら、と軽い気持ちで提案した。

「なら、その鞄の中に入ってるもの、何か一つ頂戴」

タオルでも何でもいい。と言えば彼は悩んだ末にテニスボールを渡してきた。よく見たら日付と大会名が刻印されている。

「これ、大事な物なんじゃ?」

「もう一つあるからいい」

「二つでセットとか…?」

「違う。けど二つあるうちのひとつを君に。また引き逢わせてくれますように、と願いを込めて」

「少しクサイわね」

「うるさいな」

拗ねる彼に小さく笑ってしまう。
そんな自分をみて、彼も柔らかく笑った。

その優しい笑顔に朔の心にストン、と何かが落ちる音がする。

「その髪…地毛か?」

「違う、けど…」

「黒のが似合うと思う」

そう言って彼は去っていく。
途端に自分の紛い物の髪が恥ずかしくなる。黒に染め直そう、と朔はそれを指先で摘んで見る。

彼は真面目な子が好きなのだろうか。

「名前、聞くの忘れたな」

手にあるテニスボールを見つめる。
ぎゅっとそれを握りしめた。

また、会えたらいいなーー…。





机の奥の方に仕舞っていた母へのプレゼントは直ぐに見つかった。袋から取り出し、手首につける。


母と重なったあの、凛とした声。
真っ直ぐに伸びた背筋。
揺るぎのない瞳。

とても格好良かった。

パールビーズのヘアゴムを握りしめ決意する。母と同じ警察官になろう。あんな格好良い人達に自分もなれるよう努力しよう。

翌日朔は髪を黒に染め直した。





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2020.7.27
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