始動



追っている被疑者の男は警察からの追跡を逃れる為に顔を変えていることがわかった。唯一手に入っている情報は首筋に星の入れ墨が入っているということだけ。男の足取りが掴めなくなって早数週間。目撃情報を元に班内で分かれ、男が出入りしそうな店や場所をひたすらに張っていた。

聞き込み調査がひと段落したところで本部から報告が入る。なんと被疑者と思われる男が死体で発見されたのだ。現場にいるという高木に連絡を取り、朔の班も合流する旨を伝える。直後、坊やからメールが入った。現場には自分とW彼Wもいる、と。


坊やのお陰で現場に着いても冷静でいられた。彼の存在を視界の隅で捉えつつも今やるべきことに集中する。朔は手袋を嵌めた手で遺体の顔を少しズラし、首筋を見た。ちょうど耳裏より少し下に位置する部分に指第一関節ほどの大きさの星の入れ墨を確認する。調書にあった通りだ。間違いない、この男だ。まさか一連の事件の関与を認めさせる前に殺されてしまうとは…。

朔はすぐ様、長野にいる高明に電話を掛ける。男が殺害された旨を伝え、今後の方針を話し合っている最中、首筋に針で刺されたような小さな痛みが走る。

途端に意識が遠退き、体に力が入らなくなる。暗くなる視界。刹那に見えた坊やの焦った顔。付けている腕時計の蓋が開いていた。まさか、これが眠りの小五郎のカラクリなのだろうか。しかし急激な眠りのせいでそれ以上の思考は遮断される。瞬間、懐かしい匂いと暖かい何かに包まれる。その感覚はまるで誰かに抱きしめられているみたいだったーー…。



目が覚めるとベッドの上にいた。見覚えのない天井。覚えのない部屋。見えた窓にベッドから足を下ろす。ぱさり、と体から何かが落ちる。床に落ちたそれを手で拾う。男物のジャケットだった。きちんと見たわけではないが似たようなジャケットを現場にいた安室透が着ていたような…。いや、と朔はその思考を一旦取り払う。状況確認が最優先だ。スマホや鞄、着ていたスーツの上着までなくなっているのだから。

朔は窓に寄り、外を覗いた。通りの道と、隣接する家に覚えがあった。確か阿笠博士という発明家が住んでいる家だ。ならここは数日前に来た工藤邸ということになる。どうしてここに…。だがここが知っている家だと分かっただけでも十分だった。緊張により張っていた肩の力を抜く。

強制的に眠らされたせいだろうか。寝不足だった体は十分な睡眠が取れた事により体が軽かった。流石にワイシャツ一枚だけでは肌寒さを感じたために、仕方なく手に持っているジャケットを肩にかけ、部屋を出る。廊下に出たが人の気配は感じられない。

取り敢えず別の部屋の扉をノックしてみる。返事はないが、反響音からして大分広い部屋のようだ。

「失礼しま…」

ギッ、と古い音を立てて開けられた扉。目に飛び込んできた景色に朔は息を呑む。

高い天井までびっしりと敷き詰められているそれに文字通りに口を開け、惚けてしまう。ドーム型になっているその部屋は壁一面が全て本で埋め尽くされていた。まるで図書室のような造りの書斎に朔の目はキラキラと光る。目一杯に息を吸い込み、本独特の紙の臭いを肺に取り込む。こんな夢のような部屋が工藤邸にあるとは、なんとも羨ましい。気が緩んでしまったのか、頭がまだ寝てるのか、はたまたどちらもなのか朔は、目的を忘れ本を手に取ってしまったーー…



スープを持って部屋を訪れるとそこはもぬけの殻だった。どこへ行ったのだと沖矢は家中を見て回る。書斎の扉が開いていることに気付く。気配を消し、中を覗くとこちらが入ってきたことにも気づかずに螺旋階段に腰掛け、呑気に本を読み耽っている彼女を発見した。

「ここにいましたか」

沖矢の声に彼女の肩が跳ねる。途端、正気を取り戻したように彼女の顔がみるみると青ざめていく。

「す、すみません、勝手に…!」

「いえ、私が所有しているものではないので、謝らなくて結構ですよ」

「所有…ということはもしかして貴方が居候している沖矢昴、さん?」

「えぇ」

「あの、私は…」

「貴女のことはコナンくんから聞いていますよ。体調は如何ですか?」

「え?」

「熱があると聞きましたが…」

彼女は自分で額に手を添え、首を傾げる。覚えがないらしい。なるほど。推理するならまだしも現場でいきなり眠りこける刑事など仕事に支障をきたすと思ったのだろう。下手したら今後の信用にも関わりかねない。ましてや彼女は長野から応援に来ている身なわけだし。体調不良で気絶したことにすれば世間体にもまだマシだと考えたわけだな、W彼Wが。

「あの…もしかしてご迷惑を…?」

「いえ、きっと謝罪しなければならないのは貴女ではないと思いますよ?」

てっきり彼女は意味が理解出来ずに惚けるかと思ったのだが、苦笑いを作ってこちらに返してきた。どうやら眠らされたという自覚があるのだろう。眠りの小五郎の正体に気付くのも時間の問題かもしれない。

パタパタ、とタイミングよく小さな足音がこちらに向かって走ってきているのがわかる。勢いよく開いた扉に少年が転がり込むように入ってきた。

「成瀬刑事!」 

「坊や、ごめんなさい。勝手に家の中を見て回って…」

「い、いや…それは別にいいんだけど…」

口籠るコナン。彼女は困ったように笑った。

「何か後ろめたいことがあるって顔ね?」

「そ、その…博士に作ってもらったオモチャが壊れて、その…成瀬刑事に…」

「オモチャ…ふーん…あれがオモチャねぇ…そっかー」

わざと含みのある言い方をする彼女に、コナンも苦しい言い訳をしているという自覚があるのだろう。顔中に汗をかいていた。

「ご、ごめんなさい」

知らぬ存ぜぬを貫き通せば良いものを、敢えて正直に話して謝罪するところが彼らしい。そのせいで今、足元を掬われ兼ねているのだが。

申し訳なさそうに頭を下げるコナンに彼女は小さく笑った。

「お陰で久しぶりにぐっすり寝られたわ」

彼女もまた咎めたりせず、許してしまうところが甘い。読んでいた本を閉じ、丁寧に棚に戻した後、彼女は沖矢に視線を寄越した。

「私を運んでくださったのは貴方ですか?」

「えぇ。コナンくんに連絡を受けてね」

「ではこれも貴方が?」

彼女は沖矢に見せるように肩にかけていたジャケットを軽く引っ張ってみせた。

「いえ、私のでは…」

「それは…安室さんのジャケットだよ」

コナンの言葉に彼女の視線はゆっくりとジャケットに落とされる。揺れる瞳から彼女が彼を慕っているというのが十分に見て取れる。その気持ちを今から利用させてもらうのだが。

「成瀬刑事…実は貴女をここに連れてきたのは別の理由も兼ねてます」

「別の理由…ですか?」 

「貴女が寝ている間に、少々状況が変わりましてね。我々に協力するかどうか、今ここで判断して頂きたい」

「我々…?」

「そう、我々FBIに」

彼女の目付きが変わる。伸びた背筋に緊張が走ったのが分かる。全てが終わった後、一発殴られる覚悟を決め、沖矢は座る彼女の前に蹲んだーー…







「ジン?そんな怖い顔してどうしたっていうのよ」

ジンに呼び出されたベルモットは彼の異様な空気に嫌な予感がしていた。

「先日殺された男の話だ」

ジンの話によると、その男というのはコードネームも与えられてない人間だという。ハッキングを得意としており、聞く限りジンのお気に入りだったようだ。しかし数ヶ月前、彼は組織を抜け出した。組織の手から逃れられるわけもなく、暫くしてその男の足取りを掴んだジンは先回りし、組織から二度と逃げられないよう強盗殺人の濡れ衣まで着させるという執着ぶりだった。大方、いうことを聞けば疑いを晴らせてやるとでも言ったのだろう。

「で?コードネームも与えられていないその男が死んだからなんだっていうのよ」

「死んだのはお前とバーボンがいた店だ」

そこで漸く自分が呼び出された理由を理解した。つまりその男を殺したのがバーボンか自分なのかどうか疑っているわけだ。

「馬鹿言わないで。殺せる瞬間なんかなかったわよ。それに真犯人は捕まったんでしょ?」

「あぁ。問題はそこじゃねぇ。奴が死ぬ直前に送ってきたメールだ」

「なに?」

先程から回りくどい言い方をするジンにベルモットは眉を寄せながら、向けられた画面に目を向ける。

【バーボンは公安の人間】

「…っ…」

そのメール文にベルモットは感情を出さないよう表情筋を必死に抑える。

「バーボンを呼び出せ」

「一度貴方に殺されそうになって、のこのこ呼び出しに応じるほど馬鹿な男じゃないのは貴方も知っているでしょう?」

「やけに奴の肩を持つじゃねぇか」

「そういう話しをしてるわけじゃ…」

「いいから呼び出せ」

向けられた銃口に口を閉じる。

「奴は…」

あぁ、バーボン…

「組織の裏切り者だ」

貴方とはここまでのようねーー…








「…以上が我々が考えた作戦です。どうします?」

作戦を聞いて朔はこの男の右頬に一発お見舞いしたい衝動を必死に抑える。この沖矢昴という男は初めから自分を利用するつもりだったに違いない。

あの射殺すような視線を感じてから部外者ではないことは大体予想していたが、まさかのFBIか…。この家には至る所に盗聴器が仕掛けられていそうだな。まぁ、だからあの日彼に問うたのもあるが。本当にWここWで君の秘密を話して良いのかと。

しかし坊やと一緒に行動しているところをみるに沖矢昴もまた彼の正体を知っているのだろう。

ふぅ、と胸の内でそっと息を吐く。迫られる選択に喉はカラカラだ。一度朔は目を閉じる。頷いてしまえばもう引き返すことは出来ないだろう。この作戦に自分が加担していると知ったら零は自分を嫌悪するだろう。一生会ってもらえないかもしれない。

でも…
それでも…
それでもいい

覚悟を決めて長野を出たのだから。

コクン、と気休めに生唾を飲み込んだあと、肩にかけているジャケットの前裾を抱きしめるように握りしめる。

「あの、このジャケットに細工をすることは可能ですか?」

真っ直ぐに、決意を固めた目で朔は見上げた。その言葉にコナンと沖矢は顔を見合わせたのだったーー…。



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2021.2.7
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