松田陣平




高校を卒業し、同じ季節を何度か繰り返し自分たちは警察学校に入校した。少女のあどけなさを残していた彼女はその頃には大人の女性へと成長していた。

伊達眼鏡を外し、三つ編みをやめて長かった髪を短く。彼女は時折、長い時の癖が抜けないのか耳に掛ける仕草をよくするようになる。

「朔」

ちょうど食堂から出てきた彼女に気づき、降谷は呼び止める。名前を呼ばれた彼女は少々片眉を上げていた。

「約束その1」

周りに人がいないか確認し、告げる彼女に思わず苦笑いを浮かべる。

「今は二人っきりだ」

「どこで誰が聞いてるか分からないじゃない」

ここに入校する前、二人で幾つかの約束事を決めた。その一つに付き合っていることは周りに秘密にすること、だった。しかもこの約束を言い出したのは自分からであったが為に降谷も強くは言い返せない。

「その顔の傷、どうしたの?」

顔に貼られた絆創膏とガーゼを指摘する。訊かれると思ったよ。さてどんな言い訳をしよう。こんな派手な喧嘩も怪我も暫くはなかったからな。

「相手もボクサーね?」

しかし傷の具合を間近で見た彼女が先に口を開く。その表情はだんだんと険しくなっていく。殴られ方とその腫れ具合を見て彼女はそう推測したのだろう。流石だな、と感心する。素人が殴ったのならここまで腫れ上がったりしない。

「すぐ冷やしたんだがな」

「共有施設のフロアで昨夜見かけた時にはその傷はなかった。門限を破ってまで貴方が外の人間に会うとも思えないから施設内の人間ね」

やれやれと降谷は胸の内で肩を上げる。

「君に推理小説類の本を勧め過ぎたかな」

「貴方のことならわかるようになった、というだけよ」

で?と彼女は真顔で首をこてん、と傾ける。

「誰?」

いつぞやか朔の父親が降谷の顔の腫れを見て察した台詞と同じである。親子だな、なんて呑気に思っている場合ではない。何の為に自分たちの関係を内緒にしていると思ってる。朔に迷惑を掛けない為だ。何かと絡まれ体質の自分はそれだけで減点されることもある。彼女にまでそのしわ寄せが行かないように止むを得ずそう判断したのだ。

「売られた喧嘩を買った僕にも責任がある。だから君は…」

「わかってる。男の喧嘩に女が入ることほど余計なことはないわ。で、どこのどいつ?」

本当に分かっているのだろうか。納得している人間の表情ではない。このままでは仕返しに行き兼ねない。

「君には関係ないことだ」

「わかったわ」

やけに素直に引き下がる彼女。安心するのも束の間、次には踵を返し、食堂から出てきた景光に手を振った。

「あっ、諸伏くんー!」

明らかに景光に訊きに行こうとしている彼女の首根っこを掴む。

「WここWでは大人しくする約束だったろ?」

「既に破ってる人がいるけどね」

「君こそどうなんだ?親しい人間関係は築けそうか?」

話を変え、矛先を変える。ピタリ、と途端に大人しくなる彼女に零は呆れたように溜息を吐く。

「協調性を高める為にここでは頑張るんじゃなかったのか?」

以前彼女は言った。無理に友達は作らないと。上部だけの関係を無理に継続するくらいなら最初から距離を持って察した方が楽なのだと。

女性の人間関係は複雑で面倒なのだとジムの人たちから聞いたことがある。だからあまり触れないようにしていたが今後そういった人間関係も重要となってくる。連携が必要不可欠のこの職業でそれは致命的だ。警察学校に入ったのなら克服すべきだと彼女自らした約束事の一つだった。

「…実は一人、話しかけたい人がいるんだけど…」

意外な言葉に首根っこを掴んでいる手を離す。

「君からなんて珍しいな」

「でも、一度貴方に許可を貰ってから…と思って」

朔の言葉に降谷は眉を寄せる。

「君の交友関係に僕の許可はいらないだろ」

「ほ、ほんと?」

嬉しそうにホッとした顔を向ける彼女。この時点で気づくべきだった。何故彼女がわざわざ許可を取ろうとしたのか。

「なら、今度話しかけて見ようと思う」

しかし積極的な姿勢の彼女が珍しく、そちらに興味が出てしまった。

「どんな人なんだ?」

「えっと…その、面影が…あって」

「面影?」

「違ってたら失礼だし、でもやっぱり私にとっては憧れの人だから…だから、ちょっとお話をしてみたくて」

少し興奮気味の彼女。いまいち要点が捉えにくいのはそのせいだろう。ますます気になった。

「上手く友達になれたら、僕にも紹介してほしいな」

「うん、頑張ってみる」

頑張れ、と彼女の背中を押した。両手拳を胸の前で作り奮起する彼女に降谷は嬉しそうに笑顔を作ったーーー。





「…あのパツキン野郎マジで気に食わねぇ」

昼休みの自由時間。廊下を歩いていた松田はそう愚痴を溢す。そんな松田を萩原は苦笑いで返す。

「陣平ちゃん、喧嘩も程々にね」

「気に食わねぇもんは気に食わねぇ」

「相変わらずだなぁ…あっ、そろそろ術科訓練棟に移動しようぜ。次は鬼塚教場の拳銃訓練だし」

「そうだな」

今の場所からだと少し距離があるその場所に時間を見て二人は早足に廊下を歩く。角を曲がったところでトンッ、と軽く誰かにぶつかった。女性だと分かると松田はすぐ様謝る。

「おっと、悪…」

「彼をパツキン野郎と呼ぶなら私は貴方を天パ野郎と呼ぶけどいい?」

「あ?」

自分がぶつかってもビクともせず、代わりにキッと睨まれた。思わずたじろいでしまう。いきなり知らない女にそんなことを言われたら誰だって困惑する。しかしすぐ様パッと顔を逸らし、その女は「ごめんなさい、つい…」と口を押さえて走り去ってしまった。

「陣平ちゃん、何したのあの子に」

「知らねーよ!なんなんだあの女」

あの野郎のせいで差し歯が抜けて、昼に食べたカレーの肉が詰まっている。イライラしながら松田は術科訓練棟に向かった。



事件は拳銃訓練が終わり拳銃を回収した直後に起こる。屋根の補修工事の点検に来た作業員が天井の内側から落下。上の階にいた鬼塚教官が咄嗟に助けに入ったが作業員が付けていた命綱が首に絡まりその作業員と一緒に宙吊りになってしまう。作業員の男は気絶しており屋根に登って誰かが命綱を切るしかないが一刻を争う事態にその時間はなさそうだ。

しかし教官をいち早く助けるにはあの命綱を切る他ない。伊達班は瞬時に状況把握。拳銃で命綱を撃ち抜く以外道はなさそうだと彼らは判断した。だが拳銃と実弾は既に回収され保管庫にある。鍵を開け取りに行っている暇はない。

幸か不幸か松田が拳銃の不備に気付いて分解してしまったバラバラの拳銃が一丁、返却されていないと行方不明の実弾が一発。そして訓練中5発全ての弾をほぼど真ん中を撃ち抜いた男が一人いる。行方不明の実弾は萩原に任せるとして、松田は己のやるべきことを最優先に集中する。

ふと、パツキン野郎が拳銃を組み立てるのにどれぐらい時間が掛かるか訊いてきた。1R(ワンラウンド)だと応えると彼は片眉を少々上げる。もっと早く出来ないのかと言いたいのだろう。

もともと故障していた拳銃。それを試射なしで正確に発射できる精度が必要となるとそれなりに時間が掛かる。

それに加え…

「あのロープを…」

パツキン野郎、と言い掛けてあの女が頭に浮かんだ。

「パツキン大先生に一発で仕留めてもらわなきゃならねぇからな。今、萩原が見つけてくるであろう…弾丸を込めて…」

でもやっぱり気に食わないからパツキンは変えなかった。

「大先生?」

なんでお前は逆にそこに疑問を持つんだよ、と思いながらも松田はカチャカチャと拳銃を弄りながら口を開く。

「さっき変な女にてめぇをパツキン野郎呼ばわりしてたらキレられたから」

フッ…と奴が鼻で笑ったのがわかった。顔を上げる余裕はなかったから表情は分からなかったが、彼女らしいな、と零すように出たその優しい声色はきっと空耳に違いないーー…。






夜の自由時間。門限まであと少し。共有施設のフロアの隅にある椅子で本を読んでいる彼女を見かけた。しかし本は開いたままでその目は活字を追っていない。ぼーっとしている彼女の肩に触れればびくり、とその体は跳ね上がる。

「おっ、どろいた…」

「どうした、ぼーっとして」

「別に」

降谷から顔を逸らし、肩を落とす彼女に元気がないことがわかる。寮施設に戻らずここにいる、ということは部屋に居たくないのだろう。もともと彼女は開放的なところで本を読むのを好む。そんな彼女が本を読まずにぼんやりしているのは何かがあったのだろう。

「うまくいかなかった?」

だいたい察しがついたそれに降谷はそう問いかける。彼女の瞳が左右に揺れる。こくり、とゆっくり頷いたその顔は少し寂しそうだった。

「でもいいの。友達をつくりにここにきたわけじゃないし…全員ライバルなわけだしね」

なんだろう。がっかりしている、というよりはなんだか少し怒っているような…。

「降谷くんこそこんな時間にどうしたの?」

話を逸らしたがる彼女。折角だし彼女も誘おう。いい気分転換になる筈だ。

「実はこれから野暮用で屋上へ行くところなんだ」

「屋上…?」

萩原に彼が居そうな場所を訊いたらきっとそこだと教えてくれた。

「君も来るか?」

上から見る夜桜が綺麗だぞ、と言えば彼女の表情が少しだけ明るくなる。それに降谷も満足げに頷いた。





「ちょっと話をしてくるからここで待っていてくれないか?」

「うん」

連れてこられた屋上に続く踊り場。そこで朔は大人しく待つ。W話をしてくるWというからには先に誰かいるのだろう。会話は聞き取れないが話し声が微かに聴こえる。自分がここにいて大丈夫なのだろうか。

W…あのパツキン野郎マジで気に食わねぇW

「…っ…」

彼の言葉を思い出しギュッと拳を握る。父には因縁の相手だった人が居た。父にとってはタイトル防衛戦。やっと決着が着くのだと意気込んでいたが相手選手が殺人容疑で逮捕されてしまい試合は流れた。誤認逮捕だと分かったときには既に父は引退していた。

何度も、何度も、その人の録画した試合を父と観てきたから分かる。若い頃の彼と全く同じ顔をしている彼はきっと息子さんだ。話してみたい。君もボクシングをやっているのか訊いてみたい。

そんな期待を胸に、たまたま廊下にいた彼を見掛ける。話しかける前に二人の会話を盗み聞きしてしまう。降谷と殴り合いの喧嘩をしたのは彼だったのだ。最悪な事に我慢が出来ずについ出しゃばった真似をしてしまった。事情も知らない、ましてや女の自分が出ていったらより拗れるのはわかっているのに。本当に学習しない。あとで謝らなくては…。降谷にも、彼にも…。

ギッ、と屋上の扉が開く。その隙間から降谷が顔を出した。

「成瀬!お待たせ」

笑顔で手招きされ、階段を上がる。夜の風に髪が靡く。するとそこに天パ野郎がいた。うぐっ、と互いに気まずい顔をする。

「お、おいゼロ…その女…」

「やはり成瀬のことだったか」

WゼロWと言った彼に顔を上げ、降谷を見上げると朔を見てゆっくりと肯いた。少し上がっているその口元に無事和解出来たことが窺える。

「おい…えと、なんだ…その」

口籠っている松田に朔はすぐ様頭を下げる。

「ご、ごめんなさい。貴方のことを天パ野郎だなんて言って…」

「ぷっ…そんなこと言ったのか?」

「うん…ごめん…つい余計なことを」

抑えるように喉でクツクツ笑ってる降谷に朔は恥ずかしそうに肩を竦める。

チラッと松田を見る。彼が身構えたのがわかった。スッと朔は申し訳なさそうに右手を差し出す。

「お…お友達に…なりませんか?」

松田は驚いた顔をする。しかし次には少し照れ臭そうに右手を律儀にズボンで拭いてからぎこちなく朔の手を握る。それに朔は嬉しそうに頬を上げた。

「父直伝のクロスカウンターはどうだった?」

その言葉にパチクリ、と目を丸くする松田。朔は口角を目一杯に上げる。

「当時のお父様に面影がそっくりね」

彼は何かに気付いて空いてる手で朔を指差した。そしてパクパクと口を開閉させる。

「成瀬ってまさかWあのW成瀬か⁉」

「丈太郎との試合はいつも大変だったって父が言ってた」

「俺の親父もよく言ってたぜ!中々倒れなくて、手を焼いたって。まさかあんたの親父とはな!」

彼の口が大きく開かれる。しかしその口角は目一杯に上がっていた。見えた抜けた歯が少し可愛かった。

「ちょっとまて」

握手している二人の間に降谷が割り込む。え?なに?と二人は首を傾げながら降谷を見る。

「君が友達になりたがっていた人物というのは同性じゃないのか」

「いえ、こちらの松田くんよ」

「つーか、お前ら知り合…」

「ダメだ!」

「は?」

「え?」

「ダメだ!」

二回同じことを言われた。

「な、なんでダメなのよ!この間はW僕の許可はいらないWって…!」

「男だとは思わなかったからだ!」

「おい…」

「そんな!応援するって言ったじゃない!」

「応援するとは言ってない」

「なにそれひど…」

「俺を無視すんじゃねぇ!」


何はともあれお友達が出来ました。



2020.11.20
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