萩原研二(2)


それは陣平も自分も煙草を吸う前の話し。警察学校に入校してすぐのころだ。

とある自由時間。あまり出入りの少ない教室に入り、窓に手をついてぼんやりと外を眺める。陣平が高いところが好きなように、自分にもついつい赴いてしまう場所というのがある。といってもこの教室に拘りがあるというわけではなく、静かで、一人でぼんやりできる場所ならどこでもよかった。

上の階から散り始めている桜を見下ろす。すると桃色の景色に金色と黒が混ざる。あの目立つ髪色をした彼は同じ班であり、昨夜陣平と殴り合いの喧嘩をした優等生…降谷零、だ。全科目オールAで総代まで努めた彼はもっとお堅い人間なのかと思いきや陣平と互角に殴り合える、なかなか破天荒で面白い奴だ。そんな彼が珍しく女生徒と親しげにいる。驚くべきことにその女生徒というのが陣平を天パ野郎と呼んだ子だった。

二人の距離感から友達以上の関係なのは察しがついた。友人である諸伏景光に向ける笑顔とはまた異なる柔らかな表情。話す時の仕草や体の向きを見るに降谷零が彼女を想っていることは一目瞭然だった。

へぇ、意外。

彼が女生徒と親しくしている姿を見なかった為に、恋愛というものに興味がないのかと思った。

しかし彼女の方は彼に想われていることを知ってか知らずが表情は普通だった。微かに口角は上がっているものの、降谷ほど柔らかい笑顔ではなかった。彼の片思いなのだろうか。

興味本位でついつい観察してしまう。しかし腕時計で時間に気づいた降谷が先にその場を去ってしまう。自分もそろそろ次の講義の場所へと移動しなければならなかった。

何気なく最後に彼女を見る。

「……おっと、これは…」

思わず口を薄く開けたまま固まってしまう。先程は普通に話していたというのに、彼が去った後、頬を染め、その背を愛おしそうに見つめている。その表情につい釘付けになってしまう。

あんな好きで好きでたまらない。って表情を向けられているというのにその本人は背を向けている。

あぁー…あんな顔してるって一生気づかないんだろうなぁ…

つまりは、あの表情を知っているのは自分だけ、という訳で。何故かその事実は萩原の頬を緩ませる。思わず口元を手で押さえ、理解し難い優越感に浸りながら教室を出た。

どうやら降谷零に恋をしている不器用な彼女を可愛い、と思ってしまっているみたいだった。

「あ、萩原!」

次の講義に向かう途中、同じ班の諸伏がどうやら自分を探していたようで、次の教室へと向かいがてら話を聞くことになる。

「それで諸伏ちゃん、話って?」

「松田のことなんだけど」

「陣平ちゃん?」

「うん…ゼ…降谷が何かしたとも思えなくてさ。仲のいい萩原なら何か知ってるんじゃないかって」

「まぁ、それなりには?」

「彼は…警察が嫌いなのか?」

「…恨んでは…いるかもねぇ」

「理由を訊いても?」

まぁ確かに陣平のあの様子だと絶対に己の過去など話さないだろう。萩原は彼の父親、松田丈太郎のことを話した。あの事件がきっかけで陣平は今も警察を恨んでいる。

「でもそんなに恨んでいるなら何故、警察官に?」

「それだけは訊いても教えてくれなくてさ…何か考えが…」

ふっ、と廊下を横切る女生徒を思わず目が追う。透かさず萩原は諸伏の腕を掴む。降谷零と仲が良い諸伏なら何か知っている筈だ。

「ね、ねぇ!諸伏ちゃん!あの子、知ってる?」

「あの子?」

「ほら今あそこで本を片手に持ってる」

「あぁ成瀬か。知ってるも何も高校からの付き合いだよ。彼女がどうかした?」

「陣平ちゃんに向かって天パ野郎って言ったんだ」

「えっ、成瀬が?」

これには諸伏も意外だったようで話を途中で変えたにも関わらず目を丸くして驚いていた。

「でしょ?見た目からしてそんな事言う子に全然見えないよね」

「・・・・」

顎に手を当て少し考え込んでいる諸伏。しかし次には「あー…なるほど。はいはい…」と一人納得したように頷きプッ、と吹き出した。

「まったく成瀬らしいな」

可笑しそうに笑う諸伏に首を傾げる。気づいた彼が困り顔で笑いながら口を開いた。

「Wパツキン野郎Wが気に食わなかったんじゃない?」

ぱちり、と瞬かせる。しかしだんだんと意味を理解し、なるほど…と萩原の顔も笑顔になる。

「どんな子?」

「どんな子って…成瀬のこと気になるのか?」

「うーん…ちょっと?」

あまり話したがろうとしない諸伏に気づいて少しだけ斬り込んでみた。

「やっぱり降谷ちゃんと成瀬ちゃんって…出来てるの?」

ヒクッ、と諸伏の口隅が動く。萩原はそれを見逃さなかった。その表情こそW答えWだと思った。しかし彼はすぐ様硬くなった表情を誤魔化すように口を開く。

「さあ?確かに仲はいいと思うけど…それよりも次の講義さ…」

態とらしく成瀬の話題から逸らそうとする。泳ぐ目を見て薄く笑う。付き合っていることは内緒にしたいんだな。

高校から付き合っているのだろうか。あの様子だと喧嘩など縁がなさそうだな…なんて、その時は思っていたっけ…。




「じゃあ、オッサン!もうおみくじ落とすなよ」

「あぁ、本当にありがとう」

神社の階段を降りた先でおぶっていた中年男性を背中から下ろす。足を骨折している彼は松葉杖をつき、お礼を言って去っていった。

「萩原くん?」

その声に萩原は固まる。オッサンと別れ、いざ合コン会場へ!と意気揚々と足を向けた先に彼女と出会した。

「もしかして…見てた?」

「途中からだったけど…」

優しいんだね、と微笑む彼女に罰が悪そうに頬を掻く。

「惚れちゃった?」

こそばゆい気持ちを隠すように放った戯言は彼女には一切響かず、クスリ、とだけ小さく笑われた。

「今日合コンじゃなかったっけ?」

「これから行くの。成瀬ちゃんも一緒に行く?」

首を横に振り、行かない意思を示す彼女に萩原は態とらしく肩を上げる。

「強情だねぇ。降谷ちゃんにも言えることだけど、互いに素直にならないと後悔するかもよ?」

彼女の目がほんの少し伏し目がちになる。揺れる長い睫毛を萩原はジッと見つめた。

「いいの?降谷ちゃんのこと本気で好きになっちゃう子がいるかもよ?」

バッ、と顔を上げ、萩原を見つめるその瞳には焦燥が入り混じっている。悲しそうに寄せられている眉を見て思わず触れそうになる。

「いやでしょ?」

「…っ…」

目を閉じ、溜まった何かを吐き出すように息を吐き出す彼女。このまま甘い言葉を囁き心を揺さぶってしまえば彼女の心は手に入るだろうか…。

「そうね…いやね」

素直に、はっきりと口にした彼女。胸の奥が疼く。

「合コンに…乗り込んで、彼を連れ出してしまいたいほどに」

その薄く開いた瞳にはもう迷いなどなかった。萩原は察した。あぁ、きっと、どんなに揺さぶっても彼女の心は手に入らない、と。不可解なことにその事実が、萩原の胸をより熱くさせる。我ながら面倒くさい性格をしていることに気づいた。

「なら、乗り込む?」

きっと…自分は…

「えぇ、そうする。どこの飲み屋か教えてくれる?」

降谷零に恋をしている成瀬が好きなのだ。

「・・・・」

「…萩原くん?」

彼女の問いには応えず困った顔でただただジッと見つめてくる萩原に成瀬は首を傾げる。付き合っていることを内緒にしたいのであれば彼女が乗り込むのは得策ではないだろう。

ならば…

「合コンにいる女の子、誰も降谷ちゃんには目を向けさせない」

「えっ?」

「女の子全員、俺に夢中にさせる」

「えぇっ⁉」

なかなか恥ずかしいセリフを言っている自覚はある。そんなことが出来るのかと驚嘆している彼女に萩原は胸を張る。

「こんなこと朝飯前だよ。俺に任せて!こういう時ぐらい頼ってよ」

まだ少し悩んでいるのだろう。困ったように左右に動く瞳を見て、萩原は小さく笑う。

「なら今度売店のメロンパン、奢って?」

「メロンパン…でいいの?」

「うん。それが交換条件」

どう?と腰を曲げ、彼女と目を合わせる。すると彼女は漸く笑ってくれた。

「その条件、飲むわ」

「よし!決まり」

じゃあ俺急ぐから!と走る萩原の背中を彼女が呼び止める。

「萩原くん!」

走りながら後ろを振り向いた。

「ありがとう」

頬を赤らめ、きっと彼を想っているあの嬉しそうな表情で萩原に笑いかける。そんな彼女を見て、つい足は止まりそうになる。

「どういたしまして!」

気持ちを振り切るように萩原は腕を上げ彼女に手を振った。







その頃飲み屋『のんべえ』にて、萩原を除く男四人と別の教場の女子五人がすでに集まっていた。松田の右隣では彼女がいるにも関わらずビールを旨そうに呑む伊達。さらにその左隣では合コンだというのにお通しに夢中の降谷をちらりと見る。

料理が不得意でも良いから降谷に料理を教えてほしいという女子に松田は透かさず年上の女医にしか興味がないと茶々を入れる。するとビールを口にしながらもジロリと睨まれた。成瀬の為にフォローしてやったんだろうがと目で訴えれば、もっとほかに言い方があった筈だと、互いに目で会話する。そもそも成瀬は降谷が女医の為に警察官を目指している事実を知っているのだろうか。

「そういえば伊達くんさっき彼女がいるって言ってたけど…それってもしかして成瀬さん?」

へ?と男性陣たちの目は点になる。なぜにそのようなことになったのか。

「あー!それ私も思った!」

「時々二人が仲良さげに話してるの見かけるし…」

「それにそれに!二人の空気?がとっても合ってるっていうか…」

やばい、と皆ビールを飲むフリをして横目で降谷を見る。話がややこしくなってきている。

「あ、いや…えと違うんだが…」

「伊達くん照れてるー!可愛いー!」

ゼロの…ゼロの顔も見て察してくれ!と諸伏は顔に冷や汗が出る。そんなに怒るなら公表しろよ!めんどくせーな!と青筋を立てる松田。伊達はなんとか弁明しようとするが言葉が上手く出てこない。

それぞれに思ったことは口に出すことが出来ず言葉を飲み込むとともにゴクン、とビールを流し込む。萩原!早く来てくれ!と皆、彼の到着を待ち望んでいたとかいないとか…。




翌日…


「降谷…くん…ちょっと、いい…かな?」

久しぶりに彼女に話しかけられた気がする。いや、そもそも警察学校に入ってから彼女から声を掛けたのは初めてだった。深刻な顔をする彼女に、降谷の表情も険しくなる。

昨夜の合コンは朔に話がいっているとはいえ、降谷自身がきちんと話した訳ではない。後ろめたさも多少あったために、こちらもつい気まずい空気を出してしまう。


手を引かれ、屋上へ続く階段に連れてこられる。しかし屋上へは行かず途中の階段でそこに座るよう促された。

「ここに、座るのか?」

こくん、と頷く彼女。まだ怒っているのか、いつもより口数が少ない。言われた通り降谷は階段に腰を下ろす。すると彼女は一段下に降り、降谷の前に腰を下ろした。

思わず体が硬直してしまう。

降谷の足の間に体を置いた彼女は膝を抱え背を少し丸めた。髪を短くしたせいで露わになる首裏や耳は真っ赤だった。

「このまま、後ろから…抱きしめて、欲しい…」

「…っ…」

言葉を失う。彼女からこういった申し出は初めてだった。

「好…き…です」

震える声。さらに背を丸め、小さくなったその体を思わず抱きしめる。応えるように降谷の腕に朔の手が重なる。

「零が…好き…」

重ねている手にぎゅっと力が入る。

「大好き」

あぁ、待ってくれ、と降谷は緩み切った表情を隠すように彼女の肩に額を乗せる。きっと彼女と同様、自分も首や、耳が赤く染まっていることだろう。それ以上、愛を呟かれると自制を失いそうだ。

今度は間違えない、と。ぎゅっと抱きしめている腕に力を入れる。彼女が頑張って作り出してくれたこの空間を台無しにはしたくなかった。

「この間は…ごめん」

なんとも情けない絞り出した声。彼女がふるふると顔を横に振ったのがわかった。

「わたしも…叩いてごめん…」

「仲直りのキスを…しても?」

顔を少し晒し、彼女の横顔を覗き見る。顔を真っ赤に染めながらもゆっくり肯いた彼女に降谷の目尻は嬉しそうに下がる。

後ろから回した手で彼女の顎を持ち、顔をこちらに向けさせる。そのまま顎を上げ、触れるか触れないかの距離で目を合わせる。ゆっくりと、応えるように目を閉じる彼女に併せて降谷は唇を重ね合わせたー…。


その後、仲直りにデートの約束をしたのだが、事件に巻き込まれた挙句教官の大事な車に傷をつけることになり、デートがお預けになったのはまた別のお話ーー…。






彼女に買ってもらったメロンパンを頬張り、今日もぼんやりと外を眺める。すると仲直りしたらしい彼らを見かける。仲睦まじく歩く様に、あの二人は本当に交際を隠す気があるのだろうかと疑ってしまう。

悪趣味にも程があるが、何となくメロンパンを食べながら仲良く話している彼らを上から覗き見る。これは失恋…したことになるのだろうか。彼氏がいる子を好きになるなんて、我ながら変に性格が歪んでいる。実はドMなのだろうか…なんて胸の内で嘲笑してみる。

時間に気づいた彼女が今回、先にその場を去ってしまう。あぁ、あの可愛い表情を見ることが出来なかったか…と残念そうに彼女を目で追うと視界の端で捉えていた降谷が顔を上に向けたのがわかった。

え?と思わず頬杖をついていた手を離す。目があった瞬間、べっ、と舌を出しその場を大股びらきで去っていく降谷に思わずメロンパンを口から落としそうになる。

え、なになになに、いまの?最初から俺に気づいてたってこと?しかも今牽制された?

「ハハハ…」

思わず乾いた笑いが出る。少ししょっぱい気持ちになりながらメロンパンを頬張る。表面に塗された甘いはずの砂糖が何故か心に染みた。


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2020.1.8
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