五日目


「わー!今日の朝ごはん鮎飯だ!しかも土鍋で炊いてる…!!」

「奥の方で眠っているのを見つけて…」

よく見つけたね!と彼女は土鍋で飯を炊く小学生に感心しながらその中を覗き込む。

「んー!いい香り!すっごく美味しそう!」

ほかほかに炊かれたご飯の香りを極限まで吸い込み、幸せそうに目尻を下げながら息を吐く彼女に安室は小さく笑う。

「私はなにをしたらいい?」

「ではご飯を装ってください」

「了解です!」

朝ごはんにしては少し豪勢だが、せっかくの新鮮な鮎を無駄にはしたくなかった。

味噌汁を一度お玉でかき混ぜ、お椀に装りながら「残りの鮎は冷凍しておきますね」と告げたら不意に彼女が言葉を洩らす。

「透くんはいい旦那さんになりそうだねぇ」

装っていた手が止まる。椅子に乗っているとはいえまだ高い位置にある彼女の顔を思わず見上げる。パチッと目が合った。途端昨日の温泉での出来事を思い出しふいっと逸らしてしまう。

「…なら、いいお嫁さんを…見つけないと、ですね」

誤魔化すように口を動かす。味噌汁を装ったお椀を彼女がトレーに乗せ、テーブルに運んでいく。

「透くんなら、引く手数多に決まってる」

瞬間的に見えた彼女の表情がほんの少しだけ、寂しそうに笑った気がしたのはそうであってほしいと願った幻覚に違いなかった。






「ナノカさんは…その、彼氏さんとかいらっしゃらないんですか?」

ごふっ、と含んでいた味噌汁を吹き出しそうになっている彼女。訊いてはいけないことだっただろうか。咳払いをし、落ち着きを取り戻した彼女に苦笑いを浮かべた。

「い、いない、いない。急にどうしたの?」

「僕がいたら会えないんじゃないかと思いまして」

「例え居たとしても君との時間の方が大事だよ」

微笑む彼女に胸が騒つく。言動や行動のそれは子供に対してのものが多いが、彼女は時折自分を大人として扱う。

だから今みたいなセリフを言われると、勘違いしそうになる。

「しばらくそういう類のものとは無縁だから安心しておくれ」

言っていて寂しい女だということに気づいたのか、己で言ってショックを受けていた。

「でも、いたことはあるんですよね?」

つい食い気味にそんなことを訊いてしまう。なにを訊いているんだ。だいたいそんなのを知って何になる。と勝手に動いていてしまった口に叱咤する。

不意に思い出された衣装棚の奥にしまってある男性用の衣類。拳銃とスマホの隠し場所を探している際に目にしたものだった。今になってチクチクとそれが心を刺激する。

「いたけど…」

歯切れの悪い彼女。元彼を思い出しているのか視線を少し上に向けながら眉を寄せている。そんな彼女にこちらも何故だが顔を顰めてしまう。

「別れた原因は?」

だからそんなこと訊いてどうするんだ、と己に問う。

「えー?別れた理由?うーん…」

自分で訊いておいてなんだが、今彼女の脳内は元彼のことでいっぱいだと思うと面白くなかった。眉を寄せる彼女に合わせてこちらの表情も険しくなる。

「価値観の、相違?」

いや、何か違うような…とまだ悩んでいる彼女に安室は別の質問をする。

「今もその彼のこと…忘れられないですか?」

うん…。なんて頬を染めながら言われてしまったら持っている箸を折ってしまいそうだ。しかし彼女の表情は頬を染めるどころか八の字に眉を寄せたままだった。

「あー…ある意味?あんまりいい別れ方しなかったんだよねぇ…って、こんな話してもねぇ?」

あはは、と空笑いしながら場を和ませようとしてくれている彼女に対し安室はもやもやとしたものを抱えたままだった。

あの置かれている服はそのW彼のものW…なのだろうか。

「透くん?」

テーブルに目を落としている安室に気づき、心配そうな顔をするナノカ。安室は取り繕った笑顔を浮かべてなんでもありません、と誤魔化した。

ピリリ…と突然の着信音。

「だれだろ?」

彼女は立ち上がりソファーに置きっぱなしのスマホを取りにいく。画面を見て彼女は「はい、多田野です」とすぐ様電話に出たーー…。






「本当にごめんね。仕事すぐ終わると思うから」

「いいえ、気にしないでください。僕はここで待ってますので」

いってらっしゃい、と言えば彼女は表情を緩める。

「うん、行ってきます」

彼女は安室の頭を優しく撫で、病院の談話室を出る。本棚に置いてある本を適当に取り、暇つぶしに開く。しかし目は活字を追ってなどいなかった。

会ったこともない、顔も知らない元彼という人物にW嫉妬Wした。

撫でられた部分を手で触れる。
この容姿でいったいなにが出来る。
消えるかもしれない、本名すら名乗れない人間を誰が愛するという。


不意に視線を感じ、安室は本から顔を上げる。パチリ、と安室は目を瞬かせた。





「ナノカ先輩お休みでしたのにすみません。教わる予定だった方がお子さんが熱を出してしまったようで早引きしてしまって」

「いいよ、いいよ。まだこの検査のやり方教えてなかった私にも責任あるし」

「実習で似たような検査はしたことあるんですけど、どうも勝手が…」

「病院によって違うよねぇ。とくにうちのは少し古いし」

「本当にありがとうございました。そういえば例のイケメンボーイフレンド君はどうしてるんですか?」

イケメンボーイフレンド君。多分、安室透を指しているのだろう。親戚の子を預かってると皆には言ってある。ここで変に慌てても逆に不審に思われるだけだ。動揺見せることなく淡々と話を返す。

「連れてきてるよ。ちょっとの間だけだし、談話室で待ってもらってる」

「あ!多田野さんたち!ちょっと待ってちょうだい!」

歩いていた病棟廊下から婦長の声が響き渡る。振り返るとひどく慌てた様子の婦長がそこにいた。

「どうしました?」

「花束が盗まれちゃったの!あなたたち心当たりない?」

「え?花束?」

「今日別の病院に移る先生がいて、その先生の為に用意してたのよ〜」

「でもどうして盗まれたって?」

「花束を包装していた用紙だけが何故か無残に放置されていて…」

「あっ!多田野ー!ちょうど良い所に!」

別の声に三人は顔を見合わせ、声のした方へと顔を向ける。

「先輩?ここの科に来るなんて珍しいですね。どうしたんです?」

婦長も一緒だと分かると先輩は姿勢を正した。

「婦長もいらしてたんですね。是非一緒に訊いて欲しいことがありまして」

「あらあら、どうしたの?」

「病室から女の子が何人か抜け出してしまったようで」

「えぇっ⁉いなくなっちゃったんですか?」

後輩の驚いた声に、先輩も苦虫を潰したような顔をした。

「それで今看護師の何人かで探していまして…こちらの科で見掛けなかったでしょうか」

「ここの階では今のところ見かけてませんが…」

「多田野さん!」

さらにまた別の新たな声に四人は一斉に顔をそちらに向ける。呼ばれ過ぎではないだろうか。

「新出先生まで!どうされました?」

「浅井先生を探してるんだ。見掛けなかったか?」

「浅井先生って外科の浅井成実先生のことですか?」

「そうだよ」

「あれ?花束渡す予定の先生って…」

「そうよ、外科の浅井先生に渡す予定だったの。浅井先生までいなくなっちゃったの?新出先生、PHSで呼んでみたら?」

「いや、緊急を要するものでもないので…」

「と、とりあえずは子供達をみんなで探しましょう」

「消えた子供、盗まれた花束、いなくなった浅井先生…」

途端に顎に手を当て何やら深く考え始めた後輩。次には真剣な表情をナノカに向けた。

「この事件、繋がってるかもしれません」

「知恵を絞ってくれるのは有り難いがとりあえず探しにいってくれ」





まずは自分のいる階を後輩と分担して隈無く探したが、子供達は見つからなかった。他の看護師にも協力を頼もう、と最後に談話室を覗く。

見た光景にナノカは盛大にズッコケそうになる。

えぇぇぇ…⁉

開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。え?まさかずっとここにいたの?

どこかに隠れているとばかり思っていたから誰もここを探さなかったらしい。

探していた女児たちと、浅井先生をあっさりと発見してしまった。

きゃいきゃいと色めき立っているその雰囲気にナノカはたじろぐ。その中心にいる人物を見て額を手の平で覆う。

何故こんなことに?

両手いっぱいに花束を抱え、苦笑いを浮かべている少年はクランクアップか何か迎えたのだろうか。

ってそれよりも…

「こーら君たち!勝手に病室抜け出したな!」

きゃー!オニババが来たなんて言われたが気にしない。とりあえず先輩に連絡だ、とPHSで先輩に一報入れる。

「みんなで探してたんだよ」

「だってー!王子様がいたんだもん!」

「王子様?」

きらきらした眼差しを向けられている王子と呼ばれている彼と目が合う。王子様は遠い目をしておられた。

「ねぇ、どこに住んでるの?お城?」

「今日は帰らないでずっとここにいて?」

「あっちの方で私と二人っきりで遊ぼうよ」

「抜け駆け禁止だよー!」

すごいことになっている。王子をみんなで取り合っている。あまりの勢いに王子もナノカもたじたじである。

「で?浅井先生まで何してるんですか。新出先生探されてましたよ」

にやにやしながらこの光景を見ているだけの先生にジト目で話しかける。

「いやー!この子たちから談話室に王子様がいるからお花を渡したい、だなんて相談受けちゃってついつい…」

「あ!もしかして花束がなくなったのって…!」

「そうそう!自分宛のカードが入っていたし問題ないかなって…」

「一声掛けてください。婦長が盗まれた!って大騒ぎしてましたよ」

「いやー!お騒がせして申し訳ない」

絶対悪いと思ってない…。ナノカはハァと諦めたように溜息を吐く。

チラッと安室が助けを求める目でこちらを見た。今度はお菓子を手渡されている。モテモテだな。

全ての事件が繋がっていると言った後輩をナノカはこれから名探偵と呼ぼうと決めた。



先輩に連れられ、子供たちは名残惜しそうに病室へと帰っていく。泣きながら王子様ー!バイバーイ!と手を振る彼女たちに王子はひらひらと疲労困憊の表情で手を振る。

「モテモテでしたね、王子」

「からかわないでください」





婦長に事情を説明すると、もともと浅井先生に渡すつもりの花を先に浅井先生がどうこうしただけの話。このまま持って帰ってしまって構わない、ということだったのでせっかくなので頂いてきてしまった。

包装され直しているところを見ると花束をいったんバラシ、それをわざわざ喧嘩しないように人数分に分けて、個々に包装し直したのだろう。さすが優しいと評判の浅井先生が考えることだ。

下手したら退院患者よりも豪勢な送り出しである。

「どこか帰りに寄りたいところある?」

「ならスーパーに寄りたいです」

随分庶民派な王子である。






「透くん。君がそこまでセロリ好きだということは十分にわかった!だがね、そんなに買わなくてもいいんじゃないかな⁉」

カゴの中身を見てナノカはそう訴えかける。野菜置き場に数束あるうちの何束か戻そうとするナノカの手を阻止するように小さな手が掴む。

「セロリはとっても栄養が高いんです」

「この間熱弁されたから知ってるけど、こんなにはいらないよ」

また置こうする手をガシリと安室が掴む。ビクともしないそれはとても子供の力とは思えなかった。

「一本…!せめて一本だけでも減らさせて!」

「……いいでしょう」

「お情け感謝致します…!」



買い物袋を下げ、二人で帰路を歩く。あっという間に一日が終わってしまった。セミの鳴く声がやけに寂しく感じる。

ナノカは夕焼け空を見上げる。白い雲までもが茜色に染まっていた。

「透くんは大人になったらもっとモテそうだねぇ」

ポツリと空に投げかけるように言葉を洩らす。彼がチラッとナノカを見上げたのが視界でわかった。

「僕が…」

続けようとしていた言葉は一度閉じられてしまう。地面を見つめたまま立ち止まってしまった彼の頭部を不思議そうに見つめる。

彼がゆっくりと息を吸ったのがわかった。

「僕が大人だったら…貴女の恋人候補に少しは入れますか?」

ガサッ!!と持っている袋を思わず落としてしまう。次にはパカッと口が開いた。壊れた機械のようにそのまま停止してしまう。

「…そんなに驚かれます?」

「お、驚かれます」

「冗談です」

寂しく、そう笑った彼。
ナノカは顔を元に戻す。

どこか哀愁漂わせているその横顔にどうして冗談なんかで済ますことが出来ようか。

「こんな子供に言われても貴女も困るでしょう」

誤魔化すように眉を下げて笑う彼の手を掴み、同じ目線になるよう蹲み込んだーー…






「逆だよ」

握りしめられている手が暖かかった。

「私がもっと遅く生まれれば良かったって思っただけ」

照れ臭そうに、はにかんだ。

それほど君は魅力ある男だと彼女は言った。そして「あと二十歳若かったらお嫁さん候補にしてもらいたかった」と彼女は笑った。

安室は優しい彼女の言葉に目を細める。こんな傲慢な自分をそんな風に受け止めてくれてありがとう、と心の中で告げる。

「手を…繋いで帰ってもいいですか?」

「もちろん」

落とした買い物袋を拾い上げ、手を繋いで帰る。見上げた景色は茜色に染まった空が彼女を包み込んでいた。

好きです、と安室は胸の内で彼女に告げる。知りもしない彼女は安室と目が合うと小さく笑った。






繋いだ指先がほんの少しだけ透けていることにーー…

彼も、
彼女も、

まだ知らない。




2020.8.26
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