安室さんと同じマンションに引っ越しました。24
「まずは蘭ちゃん、無事新一君と正式なお付き合いが決まったようで、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
喫茶コロンボで向かい合わせに座っている蘭とかやは何故かお互い頭を下げ合う。隣に座る園子がそれを呆れ顔で見つめる。かやは園子に送ってもらった京都での新一と蘭のツーショット写真を見て、胸がじんわりと温かくなる。
「そして、はじめまして世良さん」
蘭の隣に座るボーイッシュの女の子に、かやは挨拶をする。最近転校して来たらしい。
「あぁ、よろしくな。かやさん」
「世良ちゃんって呼んでもいい?」
「好きに呼んでくれて構わないよ」
「ありがとう。で、蘭ちゃん式の日取りなんだけど…」
「ちょ、ちょっと!気が早いです」
「そうよ、かやさん。いくら学校では公認の夫婦だからって新一君がいないんじゃあ…」
「園子さん、学校ではもう周知の事実なのですね?」
「えぇ、それはもう付き合う前から」
「ちょっと、園子も!勝手なこと言わないで!」
「あはは!かやさんって面白い人だなぁ」
笑った顔にちらりと見える八重歯。それにかやはキュンと胸が高鳴った。
「世良ちゃんって可愛いね。よく言われない?」
ぽろっと出た言葉に世良はポカンと口を開ける。
「えぇ?僕が?あんまり言われ慣れてないから反応に困るな」
「世良ちゃんはね、JK探偵って呼ばれてるんだよね」
「え、世良ちゃん探偵なの?」
「あぁ、依頼も受けてるよ。何かあれば言ってくれ」
「頼もしい」
「あ、でもかやさんには安室さんがいるから」
「いやいや、蘭ちゃん?」
「安室ってあのポアロのウェイターの安室さんのことか?」
「そうそう!」
「二人は付き合ってるのか?」
「付き合ってないよ」
間髪入れずに否定するかやに蘭も園子も不服そうな顔をする。
「でも、二人とも名前で呼び合ってますよね」
「透君は大抵の人は名前で呼んでるじゃない。それに合わせただけだよ」
「ますます怪しい」
「友達以上恋人未満ってやつじゃないのか?」
「いえ、ただのお友達です」
「いやに頑なね」
「安室さんってどんな人なんだ?前に会った時は色んな意味で掴めない人だったけど」
「すっごく優しいよね」
「この間も哀ちゃんが失くしたっていう比護選手の人形ストラップを子供達と一緒に探してくれたっていうし」
「へー、なんか意外だな」
「意外かな?安室さんが彼氏だったら何しても許してくれそう」
「あ、でも確かにかやさんに対しては少し厳しいところがあるような…」
苦笑いしてこちらを見る蘭に、聞く側に徹していたかやも同様の顔をする。
「そういえばあんたって蘭君の彼氏の家に住んでるんだろ?」
「凄く誤解を招く言い方だけど、そうだよ」
「沖矢昴って人と一緒なんだよな?」
「そうそう」
「イケメンと暮らせていいなぁ〜。何か間違いは起きないわけ?」
「園子には京極さんがいるでしょ!」
「間違いが起きる前にあんまり顔を合わせないからなぁ。なんとも…」
「かやさんのこの興味なさっぷりが逆に心配になるわ。結婚願望とかないわけ?」
「ないなぁ」
それに驚いた顔を向けられる。二人の気迫ある表情にかやは頬を掻く。
「ないの⁉なんで⁉」
「園子ちゃん、顔が怖いよ」
「だって、ねぇ?ラブコメ探偵」
蘭を見てそう呼ぶ園子に世良は不思議そうな顔をする。
「ラブコメ探偵って?」
それに蘭は少し恥ずかしそうに肩を窄める。
「ふ、ふたりがふざけて私をそう呼ぶの」
「まぁまぁ、蘭的には昴さんとかやさんの相性は?」
「さ、30%ぐらいかな…」
「ちなみに安室さんとは?」
「98%!」
「もう、それ推理じゃなくてだいぶ偏りのある相性占いだよね」
「ホームズオタクが彼氏なのにねぇ」
「工藤新一君だったらどう推理するんだろうな」
「あいつに聞いてもつまんないだけだよ。物事を論理的に見てるだけだもん」
「そこが好きなんですよね、奥様」
「え、あっ、ちがっ…」
「ご馳走様」
「世良ちゃんまで…!」
「はぁ、泣ける」
かやさん?と蘭と園子がまた泣いているのかとかやを覗き見る。しかし堪えているようでまだ泣いてはいなかった。
「そんなんじゃ蘭がお嫁に行くときどうするのよ?」
「小五郎さんと夜通しでお酒飲んでる」
「想像出来ちゃうからやめて下さい」
「その時は僕も付き合うよ」
四人で笑って頼んだケーキを頬張る。
いつか、そう遠くない未来。来るであろうその時をかやは待ち望んだ。
25
「かやさん!」
工藤邸のインターホンを押す前に彼女が出てくるとは思わず少し大きめの声で呼び止めてしまった。
「えと…この間、ジョディ先生と一緒だった…」
「キ、キャメルですっ」
「そう!キャメルさん!」
今、もしかして名前忘れてました?と胸の内で涙するキャメル。しかし気を取り直して会話を続ける。
「昴さんに用事ですか?」
「い、いえ今日はあなたに…」
咄嗟に持っている紙袋を後ろ手で隠す。高鳴る鼓動を抑えるように、一呼吸入れる。
「私、ですか?」
「あの、今からどこか出かける用事が?」
「いえ、ずっと篭って仕事してたので散歩に行こうかと…」
「じ、自分もご一緒していいですか?」
緊張でいつもより顔が強張っているかもしれない。しかし彼女は嫌な顔をすることなく優しく笑って頷いた。
「もちろんです。では、一緒に公園に向かいましょうか」
少し歩いた先に見えてきたのは噴水のある公園。ぐるりと一周するように噴水の周りを二人でゆっくり歩く。さらさらと彼女の綺麗な黒髪が風で揺れる。
「今日は髪、結んでないんですね」
「え?あっ、そうですね。あの時はご飯を作っていたので…キャメルさんは今日、お仕事お休みですか?」
「うっ、いや…えっと…」
本当は英語教師ではないため、なんと言っていいか口ごもるキャメルにかやは何かを察したように口を開いた。
「あっ、ごめんなさい。先生、って呼んだほうがよかったですか?」
「えっ?」
「キャメル先生?」
そういう意味で言い淀んでいた訳ではなかったのだが、首を傾げて言う彼女にキャメルは胸を矢で貫かれた感覚に陥った。キャメルはずっと後ろ手で隠し持っていた袋の中から花束を取り出す。
「こ、これ…」
「え?」
「あなたに、と思いまして…」
それに彼女は目を開く。かやの前に差し出された花を彼女は目一杯視界に入れ、優しくその花束を受け取った。
「私、花なんて渡されたの初めてです…。綺麗ですね」
彼女は花に顔を近づけ、いい匂い、と目を細めて言った。愛おしそうに花を見つめる彼女にキャメルは目を奪われる。
「あっ、かやさん。鼻に花粉が…」
「えっ、本当だ」
照れ笑いをしながらハンカチで鼻を拭っている彼女にキャメルは我慢が出来ず彼女の両肩を掴む。まん丸に目を見開いた彼女と目が合う。ずいっとキャメルは顔を近づけ、意を決したように口を開く。
「あの、今夜僕とディナーに…」
「おわっ!」
彼女の腕を後ろから来た男がひっぱり彼女を背中に隠す。ギロっと見覚えのある男がキャメルを睨んだ。彼女もその男とは面識があるようですごく驚いた顔をしている。
「な、なにしてるの?透君」
「このドイツ系の彼と知り合いで?」
それにかやは返答に困る。沖矢から先日二人が来たことは他言無用でと言われたのだ。誰かの為にサプライズを企画しているようで、誰にも悟られたくないと言われてしまえばかやも迂闊に口を開けない。考えを巡らせ当たり障りのないことを口にする。
「この間一緒にお酒を飲んで…」
「彼女の手料理を頂きました」
「は?」
今の言葉は安室が発した言葉だが、かやも驚いてキャメルを見る。どうしてそんなことを言うのだ。手料理なんて言ったら誰かの家でしか作れない。工藤邸を連想するのが自然だろう。これでは沖矢とキャメルが知り合いだということがバレかねない。
「わ、私が家に呼んだの!」
は?と今度はかやを睨む安室にだんだんと肩が小さくなる。
「に、日本の味が知りたいって言うから…ね?キャメル先生」
「あなたこそ彼女のなんなんですか」
賛同して、キャメル!とかやは心の中で叫ぶ。
「君には関係ないだろ」
なんで隠すの⁉とかやは安室を凝視する。飲み友とか、友達とかあるじゃないか。
「かやさんが嫌がってるじゃないですか」
「嫌がってない」
「透君が答えないで」
「彼女の手料理美味しかったですよ」
ぎゅっと握る力が強くなる。
「透君痛い」
「髪を結んでる姿も可愛かったです」
「痛い痛い!手首折れる!」
「安室さん、彼女痛がってるじゃないですか」
若干君のせいだけどね!と心の中で突っ込む。
「わっ!ちょっと!」
ぐんっと手首を引っ張られ黙って歩き出した安室にかやは困惑する。
「ちょ、ちょっ!あっキャメルさん!お花、ありがとうございます!」
茫然と立ち尽くしているキャメルにかやは引っ張られながらも礼を言った。
「透くん!透くんってば!」
グングンと手を強く引かれ、早足で歩く彼に足がもつれてしまう。
車の前まで来ると安室は大きく深呼吸した。そして背を向けたまま、「悪い…」と口を開いた。
「キャメル先生にね」
かやは怒った顔で安室の前に周り、彼の顔を覗き見る。目を合わせようとせず、黙ったままの安室。その姿はまるで拗ねた子供のようだった。ふぅ、と短くため息をついて、かやは口を開く。
「ご飯、食べたかったの?」
「・・・」
「作る?」
「…作れるのか?」
やっとこちらを向いた安室の目はどこか小さな子供のように揺れ動いていた。
「透君の家に行っていいならね」
機嫌が少し直ったようでやっと手を離してくれた。少し赤くなっているかやの手首を申し訳なさそうに摩る。
「悪かった」
ふるふるとかやは首を横に振る。何も言わず、安室の顔を見つめた。
もういつもの表情に戻っているが、どこか落ち込んでいるようにも見えた。どうしてあんなことをしたのかわからないが、きっと彼の機嫌を損なうようなことを自分がしてしまったのだろうと無理やり納得することにした。
「どんなものが食べたい?」
「同じもの」
「同じもの⁈」
□□□
買い物をして、安室の家に行くと、小さな白い犬が出迎えてくれた。かやの目はキラキラ輝く。荷物を置いて、しゃがんで両手を広げる。しかし警戒しているのかなかなか来ない。立った状態で安室は座るかやの頭を挟むように上から両手を広げる。
「ハロ!おいで!」
胸に飛び込んでくる白いわんちゃんを胸いっぱいに抱きしめる。わしゃわしゃと撫で回した。
「ハロちゃんっていうのね。ハロちゃん!」
わふっと返事をする。頬を擦り付けかやからもぶんぶん振る尻尾が見えるようだ。
「とりあえず入ってくれ、僕が家に入れない」
「あ、ごめん」
畳がある部屋は陽の光で溢れカーテンが優しく揺れる。どこか懐かしく、温かい。初めてくる感じがしなかった。ぼんやり部屋を眺めていると安室が首を傾げて尋ねてくる。
「かや?」
「あっ、ごめん。いい部屋だね」
「まぁな。防音もしっかりしてるし、割と住みやすいよ。エプロン使うだろ?」
「うん、ありがとう」
髪を結んで、安室からエプロンを借りる。米を洗っていると安室が背後に立つ。同じシチュエーションで香水の匂いもしないのに少しドキリとしてしまう。誤魔化すように言葉を発する。
「犬飼ってたんだね」
「あぁ、少し前からな」
トテトテ歩くハロをかやは懐かしい目で見る。犬種は違うのに、小さい頃のレイを思い出す。
「米はガスで炊くって?」
「うん。コンロ一つ占領しちゃうけどね」
「浸してる間に一品、米を蒸している間に味噌汁、にするか」
「そうしよう」
「魚の処理は任せてくれ」
「じゃあ私は煮物準備しようかな」
「あ、出汁冷蔵庫にストックしてあるから好きに使って」
「透君の方が絶対料理上手だよね」
「君の手料理が食べたい」
「わかった、わかった」
安室はかやをチラリと見る。髪を結っているせいで露わになるうなじが目に入る。
「彼の前でもこうやってご飯を?」
「え?あ、まぁね。話の流れでそうなっただけで、最初は日本酒に合うつまみを…あっ」
「つまみ?」
「誘導尋問だったよ、今の!」
「君が勝手に露呈したんだろ」
「そうだけど…」
「ちなみに何作ったんだ」
「えと、だし巻き卵と大根の煮付け、ほうれん草のお浸しに、子持ちししゃもと豆腐の味噌汁…」
「塩分少し高いんじゃないか」
「言われると思ったからメインをブリ大根に変更したよ」
「抜け目ないな。っておい、切り方少し雑じゃないか?」
「気にしない気にしない」
「おい先にそれをいれるのか?」
「あんまり変わらないって」
「おい…」
「もー!集中出来ない!」
トテテとハロが安室の足元にやってくるとくいくいっと彼の裾を引っ張る。ずっと二人で話してたから何やら寂しそうだ。
「私のことは気にせずぜひ!ハロちゃんと遊んであげて」
「…仕方ないな」
安室はハロのところにおもちゃを持っていく。トントン、と包丁がまな板に当たる音。微かに聞こえる鼻歌。ゆらゆらと結った髪が揺れる。安室は目を細めて彼女の後ろ姿を眺めた。ずっとここにいればいいのにとその背を見つめた。
「はい!出来ました!」
ほかほかのご飯を安室の前に置く。安室は並べられた料理を嬉しそうに眺めた。
「旨そうだな」
「口に合うといいけど…」
手を合わせて頂きます、と二人の声が重なる。ハロもご飯を貰い、みんなで食べる。
パクっと米を口にし、安室はかやを見た。
「美味いっ」
「あはは、よかった」
「歯応えや甘みが違う」
「あ、わかる?炊飯器でも美味しく炊けるんだけど、たまに食べたくなるんだよね」
「あんな雑な作業工程だったのに不思議だ。ブリ大根も美味いな…」
「はぁ〜やっと肩の荷が降りたよ。雑は余計だけど。今度は透君の手料理を食べさせてよね」
「あぁ、もちろんだ」
不意に畳の部屋に立てて置いてあるギターが目に入る。飲んでいた味噌汁のお椀をゆっくり置いて、躊躇いながらも口を開く。
「あの、ギター…」
気づいた安室も一旦箸を置く。寂しそうな瞳の色がギターを見た。
「一緒に弾きたくて、猛練習したよ」
当時を振り返るように、大切な思い出を取り出すように、そう口にした。その一言だけで十分だった。
「ギターのタコを指摘出来たのはそれがあったから?」
「さぁ、どうだろうね」
また、再開する食事。かやは心のどこかで寂しさを感じながらも、小さく微笑んだ。むず痒く、少し痛いこの気持ちを誤魔化すように足先を擦り合わせた。
食べ終わり、二人で一緒に洗い物をする。安室が食器を洗い流しかやはそれを拭いていく。
「あ、そうだキャメル先生にもらった花、早く生けないと…」
「その、先生ってなんだ」
「え?ジョディ先生と同じ職場っていうから英語教師だと思ってたんだけど…」
「・・・」
「え、違うの?」
「まだ新しい家見つからないのか」
「急に話が変わったね。別にいいけど。実は昨日内見に行ってきたんだけどどれもイマイチで」
ここにすればいい、という言葉を飲み込む。付き合ってもいない男からこの申し出はさすがにない。彼女をどうしたいのだろう。付き合うつもりがないのなら、あのFBIの男とどうなろうが良いはずなのに。なのに、花を愛おしそうに見つめ、まるで彼とキスでもするかの様な距離感に体は勝手に動き、彼女を背中に隠していた。まるで自分のものだというように。誰にも見せたくなかった。それは大切なおもちゃを取られた子供のようだった。
「ここのアパートは空きあるの?」
ピクッと皿を洗う手が止まる。安室は彼女を見た。彼女もまた安室を見上げていた。
□□□
黙ったまま、何も言わない安室にかやは自分が発した言葉の意味をだんだん理解し始める。
「あ、いや!さすがに透君と同じアパートはないよね。ごめん、忘れ…」
「調べてみる」
「え?」
「何号室か空きがあったと思うから大家に確認してみるよ」
「いいの?」
「君こそいいのか?ここはオートロックではないし、君の稼ぎならもっといいところがあるだろ」
「そんな言うほど稼いでないよ。なんか家の雰囲気が実家と似てて…すごく落ち着くから…ここがいいな、って…」
畳がある部屋は祖母と住んでいたあの家を思い出させた。このキッチンの作りもどこか馴染みがあって今はもうない実家が恋しくなりつい、そう口走ってしまった。かなり迷惑だっただろうかと安室を覗き見る。
「・・・・」
初めてみる安室の顔にかやはぽかんと立ち尽くす。
食器に視線を落としているが、頬を緩め、優しく目を細めていた。その柔らかい表情を食い入るように見つめてしまう。かやの視線に気づいた安室はもういつもの表情に戻っていた。
「なんだ」
「あ、いや…」
この人は、もしかして…と思ったところで思考を止める。もし、そうだったとしても自分はそれに応えることは出来ない。
ならなぜここに住むと言った?
甘えるのが怖いと言っておきながら彼にお世話になっているどの口がそれを言う?
軽はずみな自分の言動を酷く恥じた。
「ごめん、透君。やっぱり…」
「君が同じアパートなら時々ハロの世話も頼める」
「あっ…」
「ん?どうした?」
「ううん!なんでもない」
なんだ、ハロを思っての顔だったのかとどこかホッとしている自分にこれは一体何に対しての安心なのだろうと自分に問う。
後日部屋が空いていると安室から連絡があり、かやは彼と近くに住めることを喜んでいる自分がいることに気づく。
26
「あの…昴さん、今ちょっといいですか?」
リビングでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた彼は、カップを置き新聞から顔を離す。
「大丈夫ですよ。どうされました?かやさん」
「実はやっと家が見つかりまして…」
その言葉に普段開かない沖矢の目が薄ら開く。
「それは…寂しくなりますね」
眉を落とし、残念そうに口にする沖矢に社交辞令でもかやは嬉しかった。
「私も家に誰かいる生活は久々だったので、すごく楽しかったです」
「どの辺に引っ越されるんです?」
「えと…ここからだと少し距離があるんですが、毛利探偵事務所はギリギリ歩いて行ける距離のところで…」
新しい住所をスマホの地図アプリに入力し、表示された地図を見せると彼は興味深しげに覗き込む。
「ほー…偶然ですね。僕も昔この辺に住んでましたよ」
「えっ、そうなんですか?」
「住んでたアパートが火事になってしまって、それでここに引っ越して来たんですけど…もしかして火事の後建ったアパートでしょうか?」
「詳しくは知らないんですけど、そうだったらすごい偶然ですね!」
「以前のアパート、オートロックではなかったのですが…このアパートは…」
「このアパートもオートロックではないみたいです」
「一人暮らしの女性には少し危険では?」
「あっ、でも友人が近くに住んでるので…」
「それって以前お会いした彼?」
纏っていた空気が途端に変わる。鋭い眼光がこちらを捉え、思わずたじろいでしまう。以前会った彼、とは安室透を指しているのだろうか。かやと沖矢が共通する人物で三人で会っているとなるとロックミュージシャンのリハーサル見学の時しか思い浮かばなかった。
「彼、とは…」
見当はついていたがわからないふりをする。
「あの宅配業者の…安室透さん?でしたっけ」
宅配業者?と思いつつもやはり安室のことを指していたのだと、かやの心臓はドキリと音を立てた。どうして沖矢は安室だとわかったのだろう。
誰にも内緒にしていたかった、というのが本音。理由はわからない。二人の秘密にしようなんて約束はしていないのに、どうしてそう思ったのだろう。しかし嘘を吐くわけにもいかずかやはぎこちなく頷く。
「そ、うですね」
「彼とは親しいみたいでしたが、恋人ではないんですか?」
「い、いえっ…彼は本当に飲み友達で…」
なんで、そんなこと聞くの?
かやは不意に熱くなる顔を手の甲で隠す。いつもはそんなこと聞かれても平気だったじゃない、と速くなる鼓動に疑問を抱く。
「あの、最後に一つ伺っても?」
「はいっ、なんでしょうか」
「昔…アメリカにいませんでしたか?」
先程とは全く違う話の内容にかやの顔の熱は一気に冷め、驚いて沖矢を見る。
「えっと…失礼ですけど、昔どこかでお会いしてますか?」
「私の古い友人が、昔酒場でアコーディオンのアルバイトを…」
「あ!白井さん⁉」
「赤井だと思います」
間違えた。彼の友人に失礼である。しかも思いっきり合ってると思って自信たっぷりに言ってしまった。
「す、すみません」
「いえ、赤井のこと、覚えているんですね」
「あの場に日本人でしかもアコーディオン奏者は中々インパクトありますから。覚えています」
彼と沖矢が知り合いだったという事実にかやの目が徐々に輝いてくる。あんな広い世界で出会った人と、一緒に住んでいた人が友人だったなんて、そんな奇跡あるのだろうか。だんだんと高揚してくる気持ちが抑えられず思わず飛び跳ねた。
「うわー!ご友人だったんですね!会いたいなー!彼元気ですか?」
「どうでしょう?暫くお会いしてないので…。連絡着きましたら是非会ってやって下さい。彼も会いたがってましたから」
「はい!ぜひ!わー、すごい運命感じます!世間は狭いですねっ」
興奮が冷めず一人はしゃいでいるとかやの頭にポンッと沖矢の手が乗る。そのままポン、ポンと頭を優しく撫でる沖矢にかやは困惑して彼を見る。
「なるほど、これは落ちる」
「落ちる…?どこになにが?」
「いいえ、なんでも。どうです?最後にディナーでも」
首を傾げていた彼女だが次には嬉しそうに頷いた。
その日は沖矢に教わりながら二人でシチューを作った。
□□□
「短い間でしたが、お世話になりました」
「いえいえこちらも楽しいひと時でした」
「コナン君もお見送りありがとう」
「またいつでも遊びに来てね」
引っ越し業者の車に乗り込み、車が発車したと同時に彼女は車の窓から顔を出して笑顔で手を振る。コナンも大きく手を振り返し、沖矢はタバコに火をつけ遠ざかる車に紫煙を吐いて送り出した。
「彼女は彼の近くのアパートに住むそうだな」
「えっ?彼って…」
コナンは少し考えてからかやの身の回りの男性なんて一人しか思い浮かばず、まさかと目を剥いて沖矢を見上げる。
「もしかして、安室さん?」
意味深な笑みを浮かべる沖矢にコナンは信じられないという表情を浮かべる。
「探偵事務所から歩いて行ける距離とは聞いてたけど…。どうして安室さんの近くってわかるの?」
「彼女の態度を見てればわかるだろ」
「わかるって…え?」
思わず目を瞬かせる。沖矢はいったい何を言っているのだろう。コナンは首を傾げ、頭に疑問符を浮かべる。
「俺はだいぶ惚れ込んでいるように見えたがな」
だれが、だれを?
安室透の話ではないのか?
含みのある笑顔にコナンの頭にはさらに疑問符が浮かぶ。
「はっ、えっ?安室さんの話…だよね?」
「違う。彼女だ」
「えぇっ⁉かやが?だって、そんなそぶり…」
コナンは顎に手を当て、持てる探偵の力すべてを駆使して考える。二人の関係が上手くいけばいいと思っていたが、かやの心情までは完璧に理解しているわけではなかった。確かにかやは安室に心を許しているように見えたがそれが恋に発展しているかと言われると…。
難しい顔をしているコナンに沖矢はフッと笑った。
「さすがの坊やもわからなかったみたいだな」
「で、でも!かやお姉さんってその辺は疎い気がするけどな!」
沖矢の言い方についムキになってしまった。ガキかよ、と間を置くように短く溜息を吐き一旦冷静になる。しかし沖矢はさらに追い討ちを掛ける。
「キャメルに入る余地はなさそうだな」
「えっ?キャメルさん?なんでキャメルさんが出てくるの」
「まぁ、本人も自覚してないようだがな」
一人、また置いてけぼりを喰らっているコナンを他所に沖矢はフッと鼻で笑った。
□□□
もともと少ない荷物は半日もあれば荷ほどきは終わってしまった。工藤邸は沖矢昴が居たというのもあり常に人の気配がしていた。それに慣れてしまったせいか、一人ぽつんといるこの空間が酷く静かに感じた。かやはそれに苦笑いする。一人なんて慣れているではないか。元の生活に戻っただけ。まったく、と自嘲気味に笑い、気分転換に外を散歩しようと部屋を出る。
「あっ…」
かやは目を開く。ハロを抱っこしたジャージ姿の安室がインターホンを押す姿勢で固まっていた。
「ハロの散歩の帰りに寄ってみたんだが引っ越しの手伝いはもしかしていらなかった?」
黙っているかやに安室は不思議そうに首を傾げる。
「かや?」
まさか会えると思っておらず、惚けていたかやは彼の声に我に帰る。
「あ、ごめん。ジャージ姿がなんか新鮮で…」
誤魔化すようにそう口を切れば安室は自分の姿を見てから再度かやを見た。
「トレーニングもしてきたんだ」
「トレーニング?」
「探偵業も体力がいるのさ」
「そうなんだ。ハロちゃん、抱っこしてもいい?」
「どうぞ」
安室からハロを手渡しで受け取る。温かい小さな鼓動に目を細めた。安室の視線を感じ、かやは察する。
「ごめん、中入って」
「いや、せっかくだからこのまま散歩に行かないか」
「え、でも今行ったばかりじゃ…」
「少しだけだ。この辺の地理をわかってたほうがいいだろ?」
「うん」
ゆっくりとした足取りで安室と河川敷を歩く。夕焼けに染まる道。伸びていく影。家に帰る子供たちが安室達の間を走り去っていく。
「沖矢昴は何か変わったところはなかったか?」
「変わったこと?」
「例えば声が変だったり、顔が変な時があったり」
「ただの悪口…?」
「そうじゃない」
「うーん…仕事中は部屋に篭ってたしな」
「いつもハイネックを着てただろ」
「言われてみればそうだったかも」
「時々誰か来て食の管理とかしてなかった?」
「いや?昴さん、ちゃんと自炊してたよ。作りすぎちゃった時は私にも部屋に届けてくれたし…」
「あの男の手料理を食ったのか」
「時々ね。それでも余っちゃった時は阿笠博士の家にお裾分けによく行ってたよ」
「ふーん」
「…なんでちょっと機嫌悪い?」
「別に」
「そう?」
「今日は引っ越し祝いも兼ねて僕が君にご飯を作る」
「透君の手料理…」
そう言ったまま黙っているかやに何か不満でもあるのかと顔を覗き見ればすごく嬉しそうに顔を綻ばせていた。
その表情に安室の頬に赤みがさす。
視線に気づいた彼女がこちらを見る。
ふいっと安室は視線を外した。
「何作ってくれるの?」
「そば」
そう、ぶっきらぼうに答える安室にかやは首を傾げる。
「私が引っ越してきたのに?」
「不満か?」
それにかやはふるふると顔を横に振り、楽しみと言った。その返答に安室も満足そうに口角を上げる。
「いやいやいや、安室氏」
家に帰ってきて、蕎麦粉を捏ね始めた安室にハロと遊んでいたかやは横から覗き込む。
「なんだ」
「まさかの手打ち⁉」
「手作りと言っただろ」
「言ったけども」
「何か不満でも?」
真顔の安室にかやは思わず吹き出す。
「あはは!さすがだね」
「笑うなら食べなくていい」
少し拗ねた顔をする安室にせっかくの手料理が食べられなくなると思ったかやは慌てて謝罪する。
「ごめんごめん!透君の手料理なら喜んで食べたいな!」
それに、ふんっと鼻を鳴らしたが、表情は元に戻っていた。直った機嫌にホッと胸を撫で下ろす。
「何か手伝う?」
「薬味を切っといてくれ」
「オッケー」
二人でキッチンに立つ背中をハロは尻尾を振って眺めた。
「おいしい!」
コシのある喉越しにかやは感動して目を丸くする。かやの言葉に安室は満足そうに蕎麦を啜る。
「ポアロに出せるレベル」
「店に蕎麦は合わないだろう」
「いや、お金取れるよ。それぐらいおいしい」
「その言葉が聞けただけで十分さ」
蕎麦を啜る音が部屋に響く。安室と二人で彼が作った蕎麦を啜っているのがなんだか可笑しくてかやは笑ってしまう。そんなかやをみて安室もつられて笑ってしまう。二人でクスクス笑っている様をハロは小首を傾げて見つめた。
27
ヘッドフォンをして、書き起こした楽譜をキーボードで弾く。ところどころ修正しながら思いついた歌詞を書き足して行くがサビの部分がどうしても気に入らない。何度も何度も弾いているうちに見えない沼に嵌っていく。ぐぅ、とお腹がなる。お腹に手を添えて少し休憩するか、とかやは冷蔵庫からチーズを取り出す。咥えながら、戻ってくるのはキーボードの前。休憩、と思っていても楽譜を眺めてしまう。しかし何も出てこず頭を垂れる。
どこか行って気分転換してこようかな。そもそも今何時だろう。
「げっ、朝の4時か」
まだ電車も動いてないな。うーん、と考え込んでいるとスマホが震える。こんな時間に誰だと、だいたい見当がつきながらも画面を確認する。案の定安室からだった。
【まだ、起きてるのか?】
部屋の電気が点いてるのが見えたのだろう。こちらの生活も不規則だが、彼の生活も大分不規則だった。探偵業というのは余程忙しいらしい。それに加えポアロのバイトとは体を壊さないか心配だった。かやは画面をタップし返信する。
【おかえり】
実に簡潔な文が返ってきた。帰り際に彼女の部屋の明かりが点いているのを見て、メールをしたのだがまさか本当に起きてるとは思わなかった。ここに引っ越してきて早数週間。彼女の不規則な生活スタイルが垣間見え始める。
【ただいま。早く寝ろ】
そう送るとすぐまた返ってきた。そのメール文に思わず笑ってしまう。
【ハロちゃんに会ったら寝る】
引っ越してきた当初は仕事で籠りっぱなしの彼女のところへ安室が訪れていたが、最近ではこうやって家にいるとわかると彼女の方からも訪れてくれるようになった。安室もそういう時でしか連絡はしないようにしている。
さっそく鳴るチャイムに無意識に上がっている頬に気づき、元に戻す。わざとらしく大きめなため息を吐いて扉を開けた。
「まったく、ハロの都合も考えて欲しいよ」
「あはは、確かに」
文句を言いつつも扉を開けて入るよう促している自分もどうかと思いながら、かやを招き入れる。
「ハロちゃん、首の下が温かい。さっきまで寝てたのね」
「当たり前だ」
少し眠そうなハロ。起こしたのは安室だが、あえて黙っている。
「透君もお仕事お疲れ様」
「君もお疲れ様」
それに彼女は薄らクマのできた目で小さく微笑む。その表情に安室は眉を上げる。
「寝てないだろ」
「バレたか…」
時々ポアロでも寝不足な顔で来る。仕事の時は時間を忘れるほどに没頭してしまうらしい。寝るのを忘れるくらい。
「大分煮詰まってるのか?」
「うん…サビが気に入らなくて…」
「規則正しい生活をしてないから出るものも出ないんじゃないか?」
「そうかも…」
「やけに塩らしいな」
ハロと遊んでいるその背中は少し小さく丸まっている。ネクタイを外しながら彼女の横に座る。
まさか、落ち込んでる…?
少し影がある顔はクマのせいではない。疲れてはいるようだが、どことなく元気がない。
「もう、二度と曲が書けなかったらどうしよう…」
はぁ?とかやの顔を覗き見る。真顔の彼女に冗談で言っているわけではなさそうだ。
多くのソングライターはフリーで働いている人が多いと聞く。彼女もその一人で専属の契約を結ばない代わりに多数のレコード会社から仕事を受け持っている。頓挫したソングライターの代わりに急遽曲を書くことだってある。時には一ヶ月に何曲も作っている姿も見かける。また彼女が手掛けた曲をきっかけに無名の歌手やアイドルが注目されることも多々存在した。
安室からしたらそれを導く彼女は間違いなく音楽の才があるのだろうと思うのだが、彼女はそうは思っていないらしい。この件に触れれば必ず万人受けをする曲を書いているに過ぎないと言う。
自分の才を過信するわけでもなく、ひけらかす訳でもない。だからだろうか、時折自分に自信がないような言い方をする。
何かを生み出す人は同時に心も蝕んでいくらしい。理由は少し異なるがあのロックミュージシャンの波土禄道も歌詞が書けずに自殺した。自殺、の言葉が景光を思い出させ、きゅっと拳を握った。
「君の…その症状は寝不足からくるものだ。人間の記憶は大脳皮質に蓄積され、寝不足はその機能を低下させる」
寝不足の目が安室を捉え、パチリと目を瞬かせる。
「そうなるともちろん集中力は低下するし、物事を論理的に考えるのが難しくなる」
「うん?」
「脳だって老廃物が溜まるんだ。ちゃんと睡眠をとることで日中に溜まったそれを掃除してくれる」
「溜まるとどうなるの?」
「意欲低下。つまりやる気がなくなる。それともう一つ…」
別に怖い話をしているわけではないのに、彼女はゴクリと唾を飲み込む。
「自己評価が低くなる」
「自己評価…」
先程安室に言った弱音を思い出したのか納得したように肯いた。
「人間の感情や記憶は脳の扁桃体という所が司ってる。そこが正常に機能しないと物事を後ろ向きに捉えがちになったり、イライラや憂鬱感を引き起こし易い」
「つまり寝ろってことかな?」
「そうだ。寝られないなら今ノンカフェインの梅昆布茶入れてやるから待ってろ」
お湯を沸かし、梅昆布茶を入れたカップをかやの前に差し出す。カップを受け取り、立つ湯気を吸い込むように匂いを嗅いだ。
「いい匂い…」
「疲労回復とリラックス効果がある」
「ありがとう」
ふー、と息を吹きかけゆっくり口をつける。少し出汁に近い昆布のまろやかな味と梅の酸味が効いたそのお茶は不思議とかやの心を落ち着かせた。ほぅ、と息を吐く彼女の表情に安堵した安室は隣に腰掛け用意した自分の分に口をつけた。
静寂の中、茶を啜る音を互いに心地いいと感じながら安室が口を開く。
「君は以前、聴く側の心を抱いてると言ったな」
ふと安室が発したその言葉にかやは思わず咳込んでしまう。酔った時に言った言葉だ。反応からみて覚えているようだが、意地悪で聞いてみる。
「覚えてない?」
「コホッ…お、覚えてる。私、そんな恥ずかしいこと言ったね、確か」
「体同様に心だって疲れるんだ。少し休んだらまた優しく抱いてあげればいい」
「透君が言うとエロスをカンジマス…」
「君から言ったんだろう」
「う〜わかった、ごめんなさい」
「ちなみにこうも言った、ここの国民を抱いていることになるのかと」
「あー!もう、大丈夫デス!」
膝を立て、カップを持ったまま顔を埋める。だがそれは安室の加虐心を煽るだけとなる。
「恥ずかしいのか?」
「は、恥ずかしくない!」
「その顔で言われてもな」
「っ!!」
顔を真っ赤にして固まるかやに安室は笑った。
「帰ってきたばかりなのに押し掛けちゃってごめんね。お陰でこの後すぐ寝れそう」
「梅昆布茶少し瓶に分けてやったから持って行くといい」
「いいの?」
「あぁ、構わない」
「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとう」
「君もゆっくり休め、おやすみ」
「うん。透君も体大事にね。おやすみなさい」
すっきりした顔の彼女に安心し、扉を閉める。どこか満たされたような感覚に疲れた心を癒されたのは自分もか、と呆れたように笑った。
後日、良い曲が出来たと笑顔のかやがポアロを訪れた。
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