灰原と私
それは幼児化させる薬を服用して、灰原哀となって間もない頃の話。
江戸川コナン含め少年探偵団の子たちの傍にいると度々如月かやという女性が道端で話しかけてくる。工藤新一が幼少期から懇意にしている人だそうだ。既に少年探偵団の子たちとは仲が良かった。
誰とも馴れ合うつもりはなかった。毛利蘭とも少年探偵団の子たちとも。勿論その中に如月かやも含まれており、彼女のあのなんとも言い難い独特の雰囲気が苦手だった。こちらが避けているのがわかったのか彼女も無理に接触しようとはしなかった。
そんな、少年探偵団とも少し距離があった頃、吉田歩美が道端でなにやら成人男性と涙目になりながら揉めているところに遭遇する。
今日は周りに江戸川コナンも小嶋元太も円谷光彦もいないようだった。
はぁ、と仕方なしに気怠げに短く溜息を吐き出してから灰原は歩美の元へ向かった。
近づくにつれ、どうやら福引きで並んでいた順番を前の男が割り込んできたらしいことがわかる。
「あなた、大人なのに恥ずかしくないの?」
そう声をかければ驚いた顔をする歩美だったが次にはカタカタと震える手で灰原の袖を掴んだ。呆れたように溜息を吐く。怖いのなら見過ごせば良いものを。
しかし男は灰原の一言で言うことを聞くような人間ではなかった。まぁ、子供の前をわざわざ割り込むような男だ。弱い者には強く出るタイプなのだろう。
自分が元の体であれば顔を歪める程度で済んだのかもしれない。はたまた悪態を突いて終わったのかもしれない。しかし小学生という身なりがより男を逆上させてしまった。男は目を剥き、拳を握り振り上げる。咄嗟に歩美を手で庇う。険しい表情ながらも灰原はほくそ笑む。手を上げて困るのは向こうだ。これで法的に彼をどうにか出来ると迫りくる拳をまっすぐに見つめた。
「うちの子になにか?」
その声に男は動きを止める。前に立ちはだかる女性に灰原は目を大きく開いた。
「何かしたなら謝りますけど…手を上げるのはどうかと思います。まずはそれに対してうちの子達に謝ってもらえませんか」
普段の穏和な彼女からは考えられない程低く、冷たい声。顔は見えないが明らかに男は彼女の表情を見て怯んでいるようだった。雰囲気でわかる。すごく怒っている。そして彼女の行為に便乗するかのように周りにいた人たちが声を揃えて割り込んだ男を責め立てた。皆、先程まで見て見ぬフリをしていたというのに…。それに居心地が悪くなったのか悪態をついてわざと彼女にぶつかってその場を立ち去った。
しばらくそのまま動かない彼女に対し、灰原は怪訝そうに前に回り込む。すると彼女は、ぶはーっと息を吐き出して蹲み込んだ。
「あの人すごく怖かったねぇ!二人とも大丈夫だった?」
もう普段の優しい口調の彼女に歩美はホッとしたのか泣き出しかやに抱きついた。本当に怖かったのだろう。わんわん泣く歩美に偉かったね、と彼女は片手で歩美を抱きしめながら頭を撫でた。
あんな行動を彼女が取るとは思わず、呆気に取られていると優しい眼差しが灰原を捉える。目尻を下げ、灰原を招き入れるように空いてるもう片方の腕を広げた。
微かに目を開く。
小声で「双子っていう設定だから」と困ったように笑った。
おかしな人。もうそんなこと誰も気にしてないわよ。親子にしても二卵性双生児だったとしても似てないにもほどがある。だけどそうね、助けてくれた礼くらいはしないと…。少しだけその設定に付き合ってあげる、と灰原は足を踏み出す。
ゆっくり彼女の腕の中に入る。優しい匂い。陽だまりのような温もりが灰原を包み込む。あぁだから苦手なのだ。これはきっと母親のそれに似ているのだろう。このむず痒い気持ちは不慣れで、居心地の悪さすら感じる。だけど、どうしてだろう。不思議と今だけはこのままでも良いと思えた。彼女の手が灰原の頭を優しく撫でる。それに身を委ねるようにゆっくり目を閉じた。
そんなことを思い出しながら志保は今、既視感を覚える光景を遠目から眺めている。
歩美がまた揉めている。今度は店員と。
どうやら化粧品のサンプルが欲しいらしい。以前米花デパートで店員に歩美と二人でマスカラを塗ってもらったことが懐かしい。あの時と同じように子供には無理だとやんわり断られて肩を落としている歩美に志保は肩に掛けてるショルダーバックを掛け直す。以前の彼女と同じように母親と名乗ったら無理があるだろうか。
「歩美、待たせてごめん」
スッと当たり前のように横から出てきた男性に志保は歩みを止め、目を開く。
歩美も驚いた顔をしていた。
「この子の父親です。妻が誕生日でして、プレゼントにあげたかったのだと思います。サンプル、この子の分まで頂けますか?商品は別で買いますから」
ポアロで見せていたあの人懐っこい笑顔を向ければ、途端に頬を染め申し訳なさそうに歩美にサンプルを渡す店員に降谷零、否今は安室透として接しているのかもしれない彼は笑って頭を下げる。
すると見覚えのある女性が走ってやってきた。
「れ…あっ、えぇっ?歩美ちゃん?」
事情の知らない彼女は歩美に笑って話しかける。
「久しぶりだね。元気だった?」
「かやお姉さん!うんっ!今ね、安室のお兄ちゃんが助けてくれたの!」
話を聞けばどうやら本当に母親の誕生日だったらしい。この店の化粧品を愛用しているらしくお小遣いではとても手が届かなかった為、期間限定のサンプルがどうしても欲しかったのだという。
「…それでね安室さんがお父さんのフリしてくれたの!」
安室とかやに会えたのが嬉しかったのか少し大きめな声でことの経緯を説明する歩美に、察したかやと気づいた歩美が、あっ…と二人で店員を見る。顔が引きつっている店員に、少し気まずそうな顔をする安室。
今更装っても遅いのに慌てて親子のフリをする彼女。歩美を間に挟むようにしてかやと安室が歩美の手を繋ぐ。
まぁ、今のはかやが悪いわけではないが普段は完璧な彼も彼女の前だと振り回されることが多いようだ。その光景がなんとも可笑しく思わずクスッと笑ってしまう。
指輪をしている二人を見て志保は嬉しそうに目尻を下げる。
そう、彼と一緒になったのね。
いつかまた、今度はこの姿であなたに会える日が来ることを楽しみにしているわ。
僅かに口角を上げ、志保は踵を返し歩き出した。
end
2020.3.28
いいね♡