小五郎と私


蘭が探偵坊主と付き合っていることは薄々気づいていた。そしてつい最近かやが結婚したというのを本人から聞き、気分はどん底だった。気絶しそうになるのをなんとか耐え、どんな奴なのかと問いただせば民間企業に勤める一般男性です、と芸能人が結婚報告でよく聞くセリフを困ったように笑って答えた。もしかして堅気じゃないのか?と疑ってしまうほどである。

安室透と良い雰囲気だった筈なのだが、結局ダメになってしまったのだろうか。二人で食事に行くところを見かけたときは全力で邪魔をしたのを今でも覚えている。

娘より妹に近い年齢の彼女だが、可愛い娘を二人取られた気分になっている小五郎の心は激しく荒んでおり、その気持ちに輪を掛けるように競馬もパチンコも全て総スカンだった。

イライラしながら街中をぶらついていると前から手を振って歩いてくる女性に小五郎は涙目になる。

「小五郎さん!」

かやちゃん…!君を直視するにはまだ傷が癒えていないんだ…!

「ど、どうしましたっ?そんなに泣いて…もしかしてパチンコ負けちゃったんですか…?」

負けてもここまでにはならないよ、と心配そうな顔をするかやに大丈夫だと無理やり笑う。ズズッと鼻水を啜り、肩からズレたジャケットを着直した。

気持ちも落ち着いてきたところでかやは躊躇いがちに口を開いた。

「あの…実は私、小五郎さんにお願いしたいことが、あって…」

その言葉に小五郎はキリッと顔を正す。

「浮気調査か?」

「違います」

手で制し首を横に振る彼女に、けっ違うのか、と顎を前に出す。だがもし浮気なんかしてこの子を泣かせてみろ。社会的に地を歩けなくしてやる。

「その…また、柔道を教えて頂きたいんですけど…」

それに小五郎は首を傾げた。

彼女はもともと工藤家と面識があったようで、新一との繋がりで蘭も良く世話になっていた。英理が出て行った後、時々有希子が蘭に料理を教えたりと色々面倒を見てくれていたが何かと忙しいあの夫婦は海外へ行くことも多く、英理も仕事で小五郎も帰りが夜遅くなる時は必ずかやが幼い蘭の傍にいてくれた。

そんな蘭も無事中学に上がり、少しずつ彼女の手元を離れていくようになる。しかし疎遠にならなかったのはかやが旅行の度にお土産を持参して事務所に顔を見せに来くるから。時々居酒屋でもばったり会っては世間話をよくした。

ある時、彼女がひったくりに遭うのを偶然見かけた小五郎は一本背負いを決め込み犯人逮捕に協力したことがある。とても大事なものが入っていたらしく、助かりました、ありがとうございますと何度も頭を下げられた。

この時のことがきっかけで彼女に護身術も兼ねて柔道を教えることになったのだが…。彼女は少しばかり運動が苦手なようだった。

柔道は諦め、やっとの思いで相手を怯ます技を習得した彼女はまた柔道を教えて欲しいという。何か理由があるのかと問えば彼女は真剣な眼差しで答えた。

「自分の身ぐらいは自分で守れるようになりたくて…」

確かにこのご時世自分の身を守れることに越した事はない。大事なことだ。その真剣さに負け小五郎は快く頷いた。この後自分の身に降りかかる悲劇も知らないで…。





話は少し変わり、これはまだ高木渉が佐藤美和子と付き合う少し前の話である。

「そこのひったくり犯っ!止まりなさい!」

高木は偶然居合わせたひったくり犯を全速力で追いかけている。しかし中々距離が縮まらず、相手も足に自信があるのか徐々に距離が離される。息も絶え絶えになりかけたとき、横道からスッと出てきた女性に思わず声を上げる。

「かやさん!危ない!」

ビクッとかやの体が跳ねる。高木はしまった、とギリっと奥歯を噛み締める。迫りくるひったくり犯。彼女は突然のことに畏縮して動けないようだった。

「女ぁ!どけぇ!」

するとかやがいきなり視界から消える。

あれ?と高木が思うのも束の間ひったくり犯が派手にこけた。ぜぇぜぇと息絶え絶えになりながらもようやく追いついた高木はひったくり犯を後ろ手で締め上げ手錠を掛ける。

落ち着いたところで状況を一度整理してみる。垣間見えた光景は彼女が咄嗟に蹲み込み、犯人の足元目掛けて突っ込んだように見えた。止まれない犯人が突っ込んだようにも見えるが頭を守りながら体を横に一回転するようにごろんっと地面に転がった姿を見て彼女もまた狙ってやったのだとわかる。犯人が派手に転んだあとなかなか起き上がれなかったのは、そのせいで体を強く地面に打ち付けたからだろう。

手錠姿の犯人を見てかやは安心したように体についた汚れを手で払う。

「お、お久しぶりです。かやさん」

「…お疲れ様です高木刑事」

「ありがとうございます。…あの、えっと…今のは…」

「昔小五郎さんに教わった私が唯一習得出来た技です」

あれは、技…なのだろうか…。

「小五郎さんが命がけで教えてくれたんです」

「今のを…?」

すでに連絡してあるパトカーが来るまでの少しの間、高木はかやとそんな話をしたのを何故だか今思い出していた。

現在、高木は小五郎の腫れた顔を見て驚いた声を上げる。

「ど、どうしたんですかっ?毛利さん」

「あぁ、これはな…気にするな」

「だいぶ気になるんですが…」

殺人事件に偶然居合わせたという小五郎の隣には同じく居合わせた新一と蘭の姿も確認する。小五郎の顔に二人とも心当たりがあるのか苦笑いをしていた。

「そういえば、佐藤さんから聞いたんですけどかやさん、毛利さんから柔道を習ってるみたいですね。なんか佐藤さんはサジを投げたみたいなことを言ってたんですけど…」

それに小五郎は言葉に詰まった後、腫れた頬を気まずそうに掻いた。

「…かやちゃんはな、壊滅的に向いてないんだ」

え?と小五郎に目を向けると奥にいる新一と蘭も知っているのか同調するかのように、うんうんと染み染み頷く。

「前に教えた技は向かってくる相手の意表を突くことに重きを置いた。これなら咄嗟に体が動かなくなっても逃げ切れるしな。それをひたすらに体に叩き込んだ」

命がけでな、と顔を腫らした小五郎に何があったのかと新一に尋ねる。

少し前にかやと会い、柔道をまた教えてほしいと小五郎に申し出たらしい。初めは美和子に習っていたらしいのだが高木の言う通りあまりにも才能がない為サジを投げられ、最後の頼みの綱で小五郎にお願いしに来たらしい。因みに蘭にも世良にも断られている。

蘭の監視の元、以前と同じように小五郎を暴漢に見立て、襲いかかってくる相手に一本背負いを決め込む練習をひたすらにした。しかしタイミングが合わず何度か抱きつきそうになるのを蘭が拳と足で阻止する。その度に小五郎の顔が凄いことに…。最後はかやも小五郎も涙目だった。何度も途中止めると言ったかやだが小五郎自身がそれを許さなかった。

「犯罪者は待ってはくれない。自分の身は自分で守るんだろう?だったら俺に気を使うな!」

と普段は奥底に潜んでいてなかなかお目にかかることが出来ないキラリとした眼差しをかやに向ける。その瞳にかやも覚悟を決めて頷いた。

(小五郎が)死線を潜り抜けようやく習得することが出来た一本背負い。あとは旦那に決めることが出来たら完璧だ。と一般男性と結婚してると思ってる小五郎はそんなことをかやに言う。旦那へのちょっとした嫌がらせも兼ねていたのかもしれない。技を掛ける前に受け身を取ってもらうよう一言言うんだぞ、なんて口添えする小五郎に遠くから新一が「いやぁー、やめた方がいいんじゃ?」と声を掛けるが誰の耳にも入る事はなかったという。

「その後、かやさんは旦那さんに決めることが出来たんですか?」

首を横に振る新一に高木は乾いた笑いをした。






おまけ

Wあとは旦那に決めることが出来たら完璧だっ!W

小五郎の言葉を思い出し、かやは身をボロボロにしてまで教えてくれた小五郎の為にも一本背負いを成功させるべくトレーニングを終えて帰ってきた彼に声を掛けた。




「れ、れいくん…」

かやに呼ばれ、シャワーを浴びようとしていた零は汗を拭きながら振り返る。すると姿勢を正して座っているかやの姿がそこにはあった。

「どうした、そんな畏って…」

「お願いしたいことがあって…」

彼女からこんなお願いは初めてだった。なにを言われるのだろうと期待もある中不安も混ざる。平静を装うように「なに?」と普段通りに聞いてみる。

すると彼女は言った。「一本背負いを決めさせてほしいの」と。

小首を傾けながら手を合わせる姿に一瞬でも頬に赤みがさしてしまう。しかし言葉の意味をだんだんと理解し、次にはなんだって?と目が据わる。全然可愛いとは程遠い頼み事だった。

W一本背負いを決めさせてほしいのW

ほー、そのセリフを僕の前で言うのか、と心中穏やかではなかったがとりあえず頷いてみる。承諾を得られた彼女は嬉しそうに立ち上がった。

零の手を掴み、床が柔らかい畳の部屋へ移動する。腕を掴もうとしたところでハッと何かに気づいたように口を開く。

「う、受け身を必ず取ってください」

だから誰に向かって言ってるんだと思いながらもわかった、と素直に頷いてみる。

彼女は体を沈め、吊り手で零の右肩を抱え背中を向ける。零の体を背負い上げようとしたところで悪戯にがっしりと背中から抱きしめた。いくら動いてもびくともせず、技がかからないことに疑問を持っているかやに零は可笑しく笑った。そしてそのままヒョイっと抱き上げ、未だ状況が飲み込めていない彼女を他所にニコニコしながら風呂場に連れて行く。





あれ?





end
2020.4.6
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