旅行ヘッドホンをしてキーボードの前で作業をしていると、寝ていたハロが急に起き上がる。その動作にかやは笑顔になる。
帰ってきた
尻尾を振りながら玄関に向かうハロの後にかやも続く。
ガチャリと鍵が回る音。玄関で待ち構える一人と一匹に彼は笑った。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
飛び跳ねるハロを撫でながら靴を脱ぐ。お仕事お疲れ様、とかやは彼から鞄とスーツジャケットを受け取り、和室へと移動する。ハンガーにジャケットを掛けていると洗面所から戻ってきた彼がネクタイを外しながら和室へとやってくる。表情を見てかやは困ったように眉を下げる。
「だいぶお疲れかな?」
「少しだけ」
「ご飯出来てるよ。それとも先にお風呂がいい?」
お湯沸かしてあるよと言えばいきなり後ろから抱きしめられた。
「わっ…ど、どうし…」
「休みが取れたんだ」
その言葉を聞いてかやは安心する。ここ半月ほど泊まり込みも多く、休みなく働いていたから体が心配だったのだ。
「よかった。やっとゆっくり出来るね。明日は家でだらだらプランにする?」
「そんな勿体ないことはしない」
ストイックすぎる。たまには自分をダメにする日を作ってもいいと思うのだが。彼は動いていたほうが性に合っていると言う。
「今から旅行に行かないか?」
その言葉にかやはせっかく掛けたジャケットを落としてしまう。え、今から?
「すごく嬉しい…けど。…え?疲れてるよね?寝てないの顔見ればわかるよ」
「仮眠はとってる。それに僕が楽しみにしてたんだ…君との旅行を。だからこの三週間切りに切り詰めた」
どう?とかやの肩に顎を乗せ、首を少し傾けたのがわかった。こちらの顔を窺うように見上げている。思わず顔が緩んでしまいそうになるのを咳払いで誤魔化す。そんな甘えた行為をされてもこちらも屈するわけにはいかない。
「せめて明日からならいいけ…」
「もう新幹線のチケットとってある」
「早くない⁉」
言い終わる前に被せられた言葉にかやは目を丸くする。
今まで強引にことを進めることは多々あったが今回は根回しがすごい。
「ハロだって、いきなりの新幹線で…」
「この日のために車移動の時ちょっとずつゲージの時間を長くして訓練した」
「いつなの?いつしてたの?私知らないんだけど…」
「だが、肝心のペット可能な旅館が取れなくて、相談したら風見が預かってくれることになった」
「風見さんが?」
「ちなみに駅まで送ってくれるらしい。一時間後にここにくる」
「嘘でしょ」
「で、改めて訊くけど…どうする?」
そこまでしておいてその質問は意味があるのだろうか。行く以外の選択肢が用意されていない。嬉しい気持ちと休ませたい気持ちが入り混じりかやの口元を歪な一文字が出来上がる。その顔を見て彼はフッ、と可笑しそうに笑った。
一緒に行ける初めての旅行。そんなの嬉しいに決まってる。
「あ、あんまり見ないで」
「喜んで頂けたようでなによりだ」
ふふっとまた小さく笑ったのがわかった。息が首に掛かり擽ったくて少し身を捩る。
「じゃあ急いで準備するから…」
「もう少しだけ」
きゅっ、と抱きつく腕に力を入れる彼にかやは顔を横に振る。
「だ、ダメ!その流れはダメ!」
何度それでベッドに連れ込まれたことか。一時間後には全て準備を済まさなくてはいけないのだ。そんな時間はない、と無理やり彼を引き剥がす。不服そうな顔の彼にかやも絆されてはいけない、と下唇を噛む。
「君が作ってくれた夕飯をせっかくだから風見に少し渡そうと思うんだが…」
風呂から上がった彼が作った夕飯をタッパに詰めているかやにそう提案する。
「いいけど…風見さんのお口に合うかな」
「僕のお墨付きだ。きっと喜ぶよ」
横でひょいっと摘み食いして、「うん、美味い」なんていう彼にかやは困ったように笑う。
確かにハロがお世話になるのに手ぶらはまずいか、と若干味に不安を感じながらも、かやは風見用に新たなタッパを取り出した。
「で、行き先はどこなのかな?」
新幹線のチケットまで取ってあるのだ。旅館のことも手配済みのような言い方をしていたし、当然行き先は既に決まっているのだろう。
「京都にしようと思ってる」
きょう、と…?とかやは一瞬固まってしまう。
「嫌?」
「ううん!すごく楽しみ!けどなんで京都なのかなって思って」
「ずっと行きたかったんだ」
かやならともかく彼が休みをもぎ取ってまでどこかに行きたいと言ったのはこれが初めてのことだ。余程行きたかったに違いない。かやはこの旅行を出来るだけ大事にしたいと密かに思った。
「君の相談なしに計画を立てて悪かった」
あそこまで根回ししておいて今更申し訳なさそうに眉を下げる彼にかやは笑ってしまう。
「ふふっ、驚いたけどすごく嬉しいよ。それに言わなかったのは期待させないようにでしょ?」
それに彼は困ったように笑った。どうやら当たっているらしい。
「ここ最近忙しかったもんね。ハロがいないのはちょっぴり寂しいけど」
ハロ、少しの間待っててね。と頭を撫でるとハロは少し寂しそうに尻尾を下ろす。それを見てかやの眉尻も同じように下がった。
「準備できた?」
「まだです。せんせー、いくらまでならお菓子買っていいですか?」
「500円」
「そんな、大人なのに…」
「ふざけてると置いてくぞ」
「うそうそ、とっくに準備出来てる」
ちょうどよく鳴るインターホン。子供のように浮き足立っているかやに零は呆れたように笑った。
「かやさん、お久しぶりです」
「お久しぶりです。今回は私までお世話になってしまって…その上風見さんもお仕事あるのにハロの世話まで…」
「いえいえ。降谷さんには普段お世話になってますのでこれぐらいはお易い御用です」
「悪いな風見」
「自分もわんちゃんと会うのを楽しみにしていたので構いません」
「あの、お夕飯まだでしたらこれ…」
「いいんですか?」
「はい。お口に合うかわかりませんが、良かったら食べてください」
「ありがたくいただきます」
送ってくれた風見に頭を下げ、ホームへ向かう。無事新幹線にも乗れ、かやは駅弁を購入ついでに買ったお菓子を袋から取り出す。それを零は覗き見た。
「本当に500円分しか買わなかったのか?」
「飲み物とチョコ買ったらもう買えなかった。世知辛い世の中だよね」
「律儀か」
「ふふっ、だってなんか学生に戻ったみたいで面白かったから」
彼は自分も買った菓子箱を袋から取り出していた手をぴくり、と止めてしまう。ん?とかやは首を傾げる。
「私、変なこと言った?」
「いや…その、君が学生の頃に一度会って見たかったなって思って」
「あっ、私も零君の学生時代気になるかも。制服はヒロが着てるの見てるからなんとなく想像つくけど…」
かやはなんとなく景光が来ていた制服を零に重ね合わせる。彼なら今でもいけるのでは、と思ってしまう。ジッと見ていると彼は不思議そうに首を傾げる。
「どうし…」
「降谷…くん?」
なんとなく、そう呼んでみる。
「どうした、なんで急に苗字呼びなんだ。君も降谷だろ」
「同じ学校だったらそう呼んでたかなって。降谷君は何のお菓子買ったの?」
ふざけてそう尋ねると、彼はぷいっと顔を背けてしまう。おっと、これは…とかやは嬉しそうに手の平を口元に当てる。最近知ったこの仕草。照れているのだとわかる。このままシカトもあり得るがなんと返すのだろうと期待しながら待って見る。
「…如月は?」
ボソッと言った彼にかやの顔は途端にカァッと赤くなる。
「お菓子、なに食べる?」
そういってガサッと袋の中身を見せてくれた。不意打ちだ。会話だって成立していない。名前を呼ばれるより慣れない苗字呼びのほうが恥ずかしいと思うなんて。ちょっと恥ずかしそうにしている彼にきゅっと心臓が締まった。
あぁもうっ可愛いな、まったく。
怒るから声に出して言わないけど。
「はっ、恥ずかしいね。なんでだろ」
「君から言い出したんだ。責任持て」
あはは、と誤魔化すように笑う。また新一にバカ夫婦と言われてしまう。かやは熱い顔を冷たいペットボトルで冷やした。
駅弁を食べ暫くするとコテンと彼の頭がかやの肩に乗る。小さな寝息。腕を組んで寝ている彼にかやは困ったように眉を下げる。口では平気と言っていたが疲れているに決まってる。起こさないように膝にかけてあった上着を彼の体に掛けた。
京都駅に着いた頃はすでに夜も深まろうとしている時間帯で、すでに取ってあるという中京区のホテルでゆっくりするのかと思いきや部屋に荷物を置いた途端に彼は下の階にあるバーへ行こうという。嬉しい反面、彼の体を本気で心配する。そんな複雑な思いと葛藤していると顔に出てたのか「僕が行きたいんだ」と言われてしまう。
「できればもう少し嬉しそうな顔をしてくれ」
そんな苦虫を潰したような顔は見たくないと言われ無意識にしていた顔を元に戻す。
「スコッチをニートで」
メニューを見て、うーん、と悩んだあとかやはバーボンを頼んだ。
「君がバーボンなんて珍しいな」
「実は最近飲めるようになったの」
「他には何を飲むように?」
「スコッチとライ」
「ライはダメだ」
「えぇっ⁉」
理由を訊いても彼は頑なに教えてくれなかった。何故だ。
「そういえば君は京都、来たことあるのか?」
すぐ様別の話題に切り変えた彼にかやはジト目で睨むが、訊かれた内容にほんの少しだけ緊張してしまう。
「実は初めてなの」
「一度も?」
「うん。意外?」
「日本全国を網羅していると思っていた」
「あはは、さすがの私もまだまだ行ったところがない場所たくさんあるよ」
「いつか二人で全国巡れたらいいな」
さらりと言ったその言葉にかやは惚けてしまう。いつかの未来を想像して次には嬉しそうに頷いた。たった1杯しかまだ飲んでいないのに雰囲気がそうさせるのか少し顔が火照る。
「明日はもうどこに行くのか決まってるの?」
「プランは練ってある。急だったから君には相談しなかったんだが…」
「せっかくだからそのプランに沿って行きたいかも」
初めてデートしたときを思い出す。何も知らないで行くのはやはりわくわくする。
「あっ、でも蘭ちゃんが美味しかったって言ってたフルーツサンドは食べたいかも」
「言うと思ったから明日午前中に行く予定」
さすが元探偵ですね、とふざけて言えば彼は「探偵は関係ありませんよ、かやさん」と安室透で返された。
「私たち何気にバーで飲むのって初めて会った時以来じゃない?」
「そうだったな」
当時を振り返って視線を少し上に向ける。ブルーパロットでバーテンダーの柚嬉と話していたら安室透が話に割って入ってきたのだ。当時は気にしなかったが今思えば少々強引だった気がする。
「もしかしてあれはお仕事で声を掛けたのかな?」
「彼女にシンガポールスリングを」
「ごめん、遠回しにまさかそうくるとは」
カクテル言葉、W秘密Wをこんな形で使われるとは思わなかった。飲むけども。
彼女の顔がほんのり赤くなり始めた頃合いでバーを後にする。
部屋の鍵を閉めるや否や、軽く屈んで彼女の腿の裏に腕を回す。そのまま体を持ち上げれば彼女は「わっ」と驚いた声を上げた。いきなり持ち上がった体はバランスを取ろうと零の首に抱きつく。腕の上に彼女を座らせ、その黒い瞳をジッと見つめる。彼女は恥ずかしいのかほんの少し身を捩る。劣情が含んだ瞳に気づいてかやは酔っているそれとは別に頬を染めた。
「わたし…大浴場に、行きたい」
「あぁ…あとで行こうな」
抱き上げたまま寝室へ向かう。彼女の首筋に顔を埋め、溺れるようにベッドへ沈んだ。
翌日
まず最初に向かったのは清水の舞台となった場所。見える景色に手摺りに手を掛け少しだけ身を乗り出す彼女。
「落ちるなよ」
「うん、私も今ちょっと頭に過った」
本当にやりかねないかやに零は咄嗟に彼女の服の裾を掴む。それに彼女は「流石に大丈夫だよ」と可笑しそうに笑った。本当に大丈夫なのかと疑いたくなる。
続いて訪れたのは美容と縁結びで有名な神社。社殿前には、神水が湧き出ており、二、三滴顔につければ肌の健康と心が美しく磨かれるらしい。彼女は指先に少し付けると零の肌にピト、と触れる。
「僕につけてどうする」
そんな突っ込みに彼女は満足そうに笑う。ずっと嬉しそうにしているかやを見て零の頬も上がる。
次の場所は欲を捨てると願いが叶うと言われている神社。カラフルな布地で作られているWくくり猿Wというものに叶えてほしい願いをペンで書き込み、それを吊るすと願いが叶うと言われているらしい。
「お手玉?にしては変わった形だね」
「手足をくくられた猿らしい」
「あっ、それでくくり猿なんだね」
「欲に走るものを戒めることを意味しているんだそうだ。欲を一つ我慢すると願いが叶うらしいが、どうする?」
「もう願い叶ってるしなぁ」
「どんな?」
「貴方と一緒にいること」
さらりと何の恥ずかしがりもなく言う彼女に零は咄嗟に言葉が出ない。今の言葉にどれぐらいの破壊力があるかなんてわかってないんだろうな、と何を書くか悩んでいる彼女にやれやれと肩を上げる。
本当、君には敵わない。
「あっ、ハロと零君の健康を祈ろうかな」
「人の健康を願って、自分の欲を我慢するのか?」
「じゃあ零君は私の健康を祈って?」
「ちょっと理不尽じゃないか、それ」
クスクス笑う彼女にまったく、と呆れたように笑う。
金箔で覆われた舎利殿へ赴いた後には1001体もある千手観音像を見た。その後お待ちかねのフルーツサンドで有名なお店にやってくる。
目の前に置かれたフルーツサンドにかやはきらきらと目を輝かせる。
「あむサンド、懐かしいな」
「その変な呼称はハムサンドのことじゃないだろうな」
「女子高生にそう呼ばれてたらしいよ。あむぴのあむとハムを上手く掛け合わせたよね」
当時を思い出し零はフルーツサンドを頬張りながら苦笑いする。
「彼女たちには時々驚かされるよ」
あそこで働いていた期間は短かったが、それでも安室透を求めてくる女性は多く、顔写真を拡散されるというヘマはしなかったが、彼女たちの情報網は侮れなかった。
「意外と彼女たちの方が探偵に向いてたりしてな」
「これ以上米花町に探偵を増やさないで」
次に訪れたのは血染めの天井があるという供養寺。
伏見城落城の際、自刃した武将たちの血のりと脂の浸みた板があるお寺だ。彼らの魂を成仏させるために徳川家康がこの寺の天井に使用したと言われている。
石田三成と激しく争っていた家康は、会津の上杉討伐に向かうため伏見城を鳥居元忠という人物に守らせた。
「この鳥居元忠って、確か家康の幼い頃からの側近だったんだよね」
「意外だな。知ってたのか?」
「うん。たまたま仕事で勉強する機会があって」
最後の夜、二人は朝まで想い出を語り合ったと言われている。
幼い頃からの…。
零は天井を見上げる。時代が戦とはいえ、どんな思いで彼らを送り出したのだろう。
住職が天井にある血痕を木棒を使って説明してくれている。
凝らして血の跡を見ればわかる。胡座を掻いているであろう跡に、肘が伸びている様にあそこは恐らく顔の跡…。
遺骸は関ヶ原の戦いが終わる約二ヶ月もの間そのままだったと聞く。早く弔ってやりたかったろうに…。
「どうして、天井だったんだろう…」
ぽつりと呟いたかやの言葉に零は口を開く。
「足で踏むなんて出来なかったんだろうさ」
かやの手を掴み、零は歩き出した。なにも言わず、優しく握り返した彼女に彼は見えないよう、寂しく笑った。
お昼は先斗町にある『急山』という料亭で済ました。
「すごく美味しかったね」
「あぁ、あの店にして正解だった」
「人気のお店でなかなか予約取れないって聞いてたけど…」
「前にこの店前で殺人事件があったらしくて、その解決に携わったのが新一君で…」
「新一君が?」
「表向きは内緒だけどね。そこの店主がそれから彼のファンらしくて、彼が電話を掛けたらすぐ予約が取れたよ」
「あとでお礼のメールしておこう」
軒下の竹でできた丸い防護柵を見てかやはふと口を開く。
「あっ、これ犬矢来だっけ?」
ところかしこにあるそれに零は頷く。
「犬の放尿避けや雨除け、他に泥棒除けや道路との境界線の役目も果たしているって聞いたな」
「へぇ、そうなんだ」
「確か殺人事件があったのもここだったような…」
「うそ、ここなの?一応手を合わせておこうかな」
「かやごめん。本当にここかは定かではないから」
半分冗談で言ったつもりだったのだが、本気で手を合わせようとしている彼女に慌てて謝罪する。昨日泊まったホテルもこれに関与した殺人事件があったことは内緒にしておこう。
芸舞妓の稽古場や茶屋、料理店など地元の人々が通う風情ある店を眺めながら二人はゆったりとした歩調で歩く。
「ポアロで零君が働いてたの懐かしいな」
フルーツサンドのお店での会話をふと思い出したのか彼女はそう口にする。
「ポアロ、たまに行きたくなる?」
「コーヒーが恋しいと思う時がある」
「あはは、あそこのコーヒー美味しいよね」
「君は、会いたくなる?」
「え?」
「安室透に」
「たまに懐かしいなって思うこともあるけど、後半もうほとんど今の零君に近かったから」
「君の前では厳しくしたほうが情報を得やすかったからな」
「どうりで!今も時折厳しいのはいったいなんの情報が欲しいというの」
「あ、風見から電話だ」
「はぐらかした!」
安室透のときによく見せていた笑顔でにっこり笑いながら少し道脇に逸れる。
それにかやはまったく、と肩を上げ仕方なしに店外に並ぶお土産に目を向ける。
ふと視界に入った竹刀を持った男の子にあれ?っと顔を上げ、よく目を凝らす。気付いたら走り出していた。
「新一君っ⁉」
そう、肩を掴み声を掛けると彼はキョトンとした顔で振り向く。よく見たら顔はすごい似てるのに髪を一つに縛ってる時点で別人だった。
「あっ、ご、ごめんなさい!人違いでしたっ」
「姉さん、結婚してるみたいやけど…新手のナンパ?」
「ちっ、ちがいます!」
指輪をしているのを見て彼は怪訝そうに眉を寄せるもナンパされたという事に少し嬉しそうだった。いや、これはそう捉えられても仕方がない。どう弁解しようか考えあぐねていると彼はいきなり納得したように頷いた。
「新一君って、もしかして工藤新一?」
「え!知ってるの?」
「そらもう。よぉ似てるらしくてな蘭ちゃん言う子も、服部っちゅう奴にも言われんねん。あんたもそいつらと知り合いなん?」
思いがけない出会いにかやの顔は途端に明るくなる。
「うそ!蘭ちゃんと服部君を知ってるの?」
「服部は試合でよぉ当たってたしなぁ。蘭ちゃんは…秘密や」
頬を染め、意味深な言い方をする彼にかやは慌てる。
「だ、ダメだからね!いくら顔が似てるからって蘭ちゃんは新一君にしか目がないんだから」
「顔似てるんならイケるんとちゃう?」
「新一君はもっとこう…顔も、性格も…キリッとしてる…気が、する」
何故だか思い出すのは蘭のことで鼻の下を伸ばしている彼が出てきてしまい、だんだん語尾が小さくなる。
「ハハッ、冗談や。俺にも好きな人おるしな」
その言葉にかやはほっと胸を撫で下ろす。
「観光で来たんやろ?もういろいろ行ったん?」
それにかやは今まで巡った場所を話す。すると彼は顎に手を当て片眉を上げる。視線を上にしながらなにやら考え込んでいた。その仕草は新一も良くするものであり実は生き別れの双子なのではと疑ってしまう。
「何か気になる?」
「いやぁ、前に来た蘭ちゃんたちみたいな巡り方するんやなぁ思て」
「…え?」
「前に蘭ちゃんに会うた時にな、今みたいにどこ行ったんか訊いてな?そしたら今あんたが言ってた順に巡ってはったから…」
「それって修学旅行、だよね?」
「せやせや」
途端かやの心は温かくなる。違うかもしれない。でも、彼が何処かに行きたいと強く申し出たのは今回がはじめてで。もしかして、彼はわかっていたのかもしれない。
かやが修学旅行に行かなかったこと。
もちろんそれはかやが決めた事で、今も後悔はしていない。だけどなんとなく京都を避けていたのは本当。意地もあったのかもしれない。
Wずっと行きたかったんだW
昨日言った彼の言葉が蘇る。
嬉しい
愛おしい
抱きしめたい
そんな気持ちが零れ出る。顔がすごく熱かった。
「旦那さん、羨ましいわぁ」
いきなりそんなことを言う彼にかやは目を瞬かせる。
「えっ、ど、どうして?」
「そんな顔すんねんなぁ思て」
可愛いやん
そう言った彼にかやは怪訝な顔で首を傾げる。するとぐいっ、と腰を誰かに持たれ、引き寄せられる。ぽすんっ、と彼の胸板に顔を軽くぶつけた。痛くはなかったが、驚いて見上げる。
「れ、零くん?」
「えっ!もしかして、旦那さん?」
新一とそっくりな顔がポカン、と口を開けて零を指差す。
「えぇ、妻になにか?」
何やら怒っている口調にかやは慌てて口を開く。
「私が新一君と間違えて声かけちゃったの!名前は…えっと」
「あっ、沖田いいます」
「沖田君って言うんだって」
いや、聞いてたからわかるやろと的確な突っ込みを沖田から頂く。
「なんかね、蘭ちゃんたちとも面識があったみたいで、それで少しお話しさせてもらってたんだ」
「そうでしたか。すみません、僕の早とちりだったみたいで」
完全に他所行きの笑顔にかやの顔は引きつる。ピクピクと口隅がひくついた。
「いやぁー、旦那さんびっくりするぐらいイケメンやなぁ」
「ありがとうございます。妻がお世話になりました」
では僕たちはこれで、とかやの腰を持ったままぐいっと方向転換させられた。
「あっ、沖田くん!いろいろ教えてくれてありがとう!」
首だけ後ろを振り向きながら彼に手を振る。彼は困ったように笑いながら手を振り返してくれた。
「あれは奥さん大変やな」
ぽつりと言った言葉は誰の耳にも入ることはなかった。
「急にいなくなるから探した」
「ごめん。つい、走って呼び止めちゃった…」
「何の話を彼と?」
「修学旅行…」
その単語に彼は歩みを止める。ようやく腰から手が離れた。
「今回の旅行って、私のため?」
覗き込むように彼を見る。すると彼は、はぁと溜まっていた息を吐き出した。
「君が、入院している祖母と愛犬を置いて遠出するとは考えられなかったから…インフルエンザにしても時期は違ってたし、敢えて行ってないと思ったんだ」
だから少しでもそれっぽく出来ればと思って、と続ける彼。
無理して、仕事切り詰めて、せっかくの休みを自分の為ではなくかやの為に?
「…っ…」
そう思ったら堪らなかった。
手を掴んでかやは人気のない路地へ入る。キョロキョロと周りを見渡し人がいないことを確認する。
「かや?どうし……っ!」
彼の襟元を引っ張った。精一杯爪先立ちをし、彼の唇に自分のそれを重ね合わせる。
驚いた彼の顔。
唇を離し握っている彼の手を自分の頬に当て、かやは目一杯顔を破顔させる。
「ありがとう!お陰で一生の思い出が出来た…!」
籍を入れても彼女のこととなると心に余裕がなくなってしまう。おそらく新一と同い年ぐらいであろう年下の彼にでさえ嫉妬し、照れた顔をした彼女を見せたくなくて、つい威圧的な態度をとってしまった。しかし今、彼女の表情はそれとは比にならないくらいに嬉しそうに目を細め、頬を赤く染めながら笑っている。この可愛い笑顔は自分だけのもの。この笑顔にすることが出来るのも自分だけ。そんな、自惚れたことを思いながら零は頬に触れている手で彼女の髪を梳かし、それを耳に掛ける。
顎を持ち上げ、顔を近づける。
「可愛い」
触れる瞬間にそう洩らす。目を丸くするかやの顔。お構いなしに唇を重ねたーー…
長い長いキスをしていると後ろのポケットに入れている零のスマホが震える。
新一から届いた一着のメッセージ。
【俺らが修学旅行に行った場所上手く巡れました?】
わざわざ彼に確認までして再現したかったなんて…とても格好がつかないから言わないけれど、君が喜ぶならなんだってしてあげたいとそんなことを思ってしまうんだ。
腕の中で嬉しそうにしている彼女。大成功なサプライズに零の目は嬉しそう細められた。
end
2020.7.16
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