安室さんとデートする14
さほど多くない荷物をようやく片し終え、かやは固まった体を伸ばす。窓を開け、風を入れると陽の暖かさを含んだ風が頬を撫でる。
そういえば今日は蘭たちが学校帰りに書斎を掃除しに来ると言っていたな、と腕時計を確認して、手伝いをしに階段を降りる。するとすでに来ていたようで沖矢や、コナンも交えて何やら話をしていた。
「あ、かやさん!」
「久しぶり、園子ちゃん」
「ほんとーにここに住んでるんですね」
「まぁ、次の家が決まるまでの間だけどね」
「あ、そうだ!かやさんもどうです?ロックミュージシャンの波土禄道のリハーサル見学!」
「波土禄道…」
そう名前を呟き、思い出そうとしているかやに園子は呆れ顔を向ける。
「相変わらず名前を覚えるのが苦手なようね」
「はは、面目ない…」
「なんか17年前に書いた曲に歌詞をつけて5年ぶりに新曲を出すみたいですよ」
「へぇ、蘭ちゃん詳しいね」
「さっき園子が言ってたんです」
ドヤ顔で言う蘭にあははと笑う。かやは少し考え、他のミュージシャンの曲を聴くのもいい刺激になるかも、と園子の誘いに乗った。
「折角だし行かせてもらおうかな。昴さんも行かれるんですか?」
「えぇ、僕、波土の大ファンでして」
「じゃあ決まりね!」
「ありがとう園子ちゃん」
数日後、会場にて波土のマネージャーに言われたのは歌詞はまだ完成しておらずリハーサルがいつになるのかわからないとのこと。蘭たちは明日の学校を考えるとあまり長居は出来ないとのことで帰ろうとしていたところで意外な人物と会う。
「安室さんに、あずちゃん?」
どうやらもとは安室が波土の大ファンだということをポアロで持ち出したことがきっかけで、園子がこのリハーサルを見学出来るように手配したのだそうだ。波土が所属するレコード会社の出資を鈴木財閥が担っているらしい。梓も隠れ大ファンでポアロのシフトが終わり次第安室の後を追いかけて来たという。
それを聞いてかやはピクッと反応し、梓を見る。
「あなたも来ていたんですね?沖矢昴さん。先日はどうも。僕のこと覚えてますか?」
「えーっとあなたは確か…宅配業者の方ですよね?」
「え、えぇ…まぁ…」
「あれ、昴さんと安室さんってお知り合いなんですか?」
梓をガン見していた視線を安室と沖矢に移す。安室が声を発する前に沖矢が口を開いた。
「えぇ、つい先日知り合いまして。かやさんこそ、彼とは面識がおありで?」
「はい!飲み友だちです」
「へー、かやさんお酒飲めるんですね。ぜひ今度僕とも飲みま…」
「そんなことより波土の話をしましょう」
安室は沖矢との会話を遮りかやを睨んだ。ビクッとかやの肩が跳ねる。蘭たちがコナンを連れて帰ろうとしているのが目に入りこれ幸いと何やら機嫌が悪い安室から逃げるようにかやは口を開く。
「じゃあ私も帰ろうかな」
「ではかやさん、今日は間違えてチェーンは掛けないで下さいよ」
「ごめんなさい。昨日間違えて締め出しちゃって。今日は鍵だけ閉めて置きま…」
「ちょっと待ってください」
その言葉に沖矢とかやは振り向く。間に安室が割り込んできた。
「なんですか今の会話」
「えっとチェーンを…」
「そういうことじゃない!」
「今彼女と一緒に住んでるんですよ」
ピキ、とどこだか分からない音が安室からする。
「かやさん、ちょっとこちらへ」
「えっ…え?」
腕を引っ張り皆とは少し離れたところで耳打ちされる。
「どういうことだ?」
「な、なんのことかな?」
「誤魔化すな」
「だって、防音もある部屋で、楽器可能でセキュリティもしっかりしてて、尚且つポアロに近い家ってなかなか見つからなくて…」
「君の生活の基準にポアロを入れてくれるのはありがたいが、男と二人暮らしはないだろ」
「シェアハウスだよ」
「なんだって?」
ギロッと睨まれる安室にかやは泣きそうになる。なんで自分は怒られているのか甚だ理解出来なかった。
するとグンッと安室の肩が下がる。誰かに引っ張られたようだ。
「ごめんねかやさん!ちょっと安室さん借りるわね」
安室を引っ張っていく梓をジッとかやは見つめた。
そんな彼女を背にして安室を盾にし、梓ならぬベルモットは小声で安室に耳打ちする。
「ちょっと一人にしないで頂戴」
「すみませんでした」
「それにあの子なんだか、少し気味が悪いわ。早く調べること調べてズラかりましょ」
「組織の幹部でもあるあなたが一般人を恐れるなどらしくありませんね」
「バカ言わないで。あなたも随分ご執心なようじゃない」
「僕は潜入先に馴染むためにやってることですよ」
「そうかしら?ってほらあの目よ、あの目」
チラッとベルモットが見た先を追えば、こちらをガン見しているかやと目が合う。正確には梓に変装しているベルモットを見ている。まさか気付いているのか?
「なるべく僕の後ろに隠れていてください」
「そうするわ」
しかし、コナン達と会話をしている間も特に話に混ざるわけでもなく、ただじーっとこちらを見つめるだけだった。その視線に耐え切れず心の中で舌打ちする。仕方なくベルモットは話しかけた。
「どうしたの?かやさん。私の顔に何かついてる?」
困ったように言えば、かやはそれに応えるわけでもなく一度目を伏せ、短いため息を吐いた。クルッと蘭と園子の方を向き…
「ごめん、蘭ちゃんと園子ちゃん、先帰る」
そう言って止める間も無く出て行ってしまったかやに安室やコナンをはじめ、蘭と園子も呆気に取られてしまう。
「ど、どうしたのかな?もしかして具合悪かったのかな」
心配する蘭に園子は少し考えてピンッと思い立った事を口にする。
「ヤキモチじゃない?」
「えぇ⁉」
「だって今日の梓さん、妙に安室さんと親しげじゃない?」
腕とか組んでたしさ!と園子が付け加えれば確かに、と蘭は大きく頷いた。
「安室さんも罪な男だねぇ〜」
そんなことを言われているとは知らずに波土のどの曲が一番か談笑している沖矢と安室にコナンは呆れ顔で見る。
消防査察に来た消防官たちがかやとは入れ違いに会場に入る。マネージャーの静止の声も届かず、魔のホールの扉が開かれる。波土の首吊り死体により、コナン達は事件に巻き込まれていく。
そんなことが起こっているとは露知らず、かやは梓に電話をかけていた。
「あずちゃん?今電話大丈夫?」
《かやさん!電話なんて珍しいですね?大丈夫ですよ!どうしました?》
「今どうしてるかなぁって思って…」
《今ですか?ちょうどお風呂から出たところでして…ってかやさんの方こそ何かあったんじゃないんですか?》
心配そうに聞いてくる梓に申し訳ないと思いつつもかやは表情を緩めた。
「声聞いたらなんか…腹立たしさも落ち着いたよ。ありがとう」
《珍しい…かやさんでも腹が立つことってあるんですか?》
「あるよ、あるある」
《ふふっ、なんだか意外です。あ!そういえば安室さんが新作のケーキをつくったんです!これがすごく美味しくって…》
梓の話す声に目を閉じ、耳を傾ける。
良かった、ちゃんと無事だ。
「へぇ、どんなケーキなの?」
《スポンジの外層はふわふわしていて、内層は半熟になっているんです!口の中でとろけますよ〜。あとはそれに生クリームとフルーツを添えて完成です》
「絶対美味しいやつじゃん。あー、なんかお腹空いてきちゃったなぁ」
《ふふっ…明日ポアロに来てください。ご馳走します》
「え、いいの?」
《はい!いつもお土産頂いてるので、そのお礼です》
「ありがとう。楽しみだなぁ」
《では、明日ポアロで》
「うん!おやすみあずちゃん」
《おやすみなさい、かやさん》
かやは安心したように梓との電話を切る。
この間ポアロで彼女がまたSNSで炎上してしまったと肩を落としていたのをかやは知っている。梓が安室に言い寄ってると呟かれたのだ。そのことが原因でポアロの集客に響いてしまうことをすごく気にしていた。店のことより自分の心配をしなよ、と言ったが店に迷惑がかかる方が気になると返された。梓らしいと思った。
偽物梓のことを言おうか迷ったが、何が目的かもわからず軽はずみな言動は返って不安を煽るだけだと思い、何も言えなかった。きっと変装の達人だという怪盗キッドとかいう輩なのかもしれない。
思い出したらまた少し腹が立ってきて、いかんいかんと首を横に振り、明日のことを考える。ついでにどこか旅行に行こうと足取りは軽やかにゆっくりとした歩調で帰路についた。
後日、かやはモーニングの時間に来た。少し大きめの鞄を持って。
「あずちゃんおはよう」
「いらっしゃいませ、かやさん。今日はすごくお早いんですね」
「うん。ちょっと顔も見たかったし」
「なんだかこの間から熱烈なアピールをされている気がします」
「あはは、合ってる合ってる」
「もう、適当言ってー」
「安室さんのシフト時間がまだならケーキはないかな?」
「昨日ので良ければストックありますよ!」
「やった!じゃあそのケーキと紅茶をお願いします」
「かしこまりました」
コポコポとお湯を沸かす音。かちゃかちゃと梓が皿やティーカップ を用意する音に、店内に流れているBGM。全てに耳を澄まして、心地の良い空間に目を閉じる。
「…寝ちゃいました?」
それにパッと目を開けた。ティーカップ を持って少し驚いた顔の梓と目が合う。
「起きてますー」
「もう、心配しちゃいました」
「ごめん、ごめん。わー!美味しそうだね」
「どうぞ、召し上がってください」
コトっとかやの前に紅茶と例のケーキが前に置かれた。綺麗に盛り付けされたケーキと微かに香る紅茶の匂いが心を落ちつかせる。フォークでケーキを切り、生クリームをつけて一口頬張る。
「ん〜!美味しいっ」
思わず落ちそうになる頬に手を当てる。甘く、とろける食感。添えられているフルーツと一緒に食べるとまた違った味になり目尻が下がる。なるほど、これは美味しい。
「あははっ、カラスミパスタ以来の顔ですね」
「あ、わかる?カラスミパスタをここで初めて食べた時結構衝撃だったからね」
「一週間連続で毎日来られてずっとカラスミパスタを注文されてましたね」
「懐かしいっ。あったね、そういうこと」
二人でお喋りしながら、ケーキも食べ終え紅茶をゆっくり啜った後、腕時計を見た。
「もしかしてこのあとどこか行かれるんですか?」
「実はそうなの。この後飛行機に乗る予定なんだ」
「今度はどちらに行かれるんです?」
「台湾に行こうと思って」
「台湾ですか!いいなぁ」
「お土産買ってくるよ」
そろそろ時間だ、と席を立ちお会計をお願いする。
「いいですよ。本当に今日は私にご馳走させて下さい」
「いいの?あ、でも紅茶ぐらいは…」
「大丈夫、大丈夫!ほら、飛行機の時間間に合わないですよ!」
「ありがとう。ご馳走様です」
「いえいえ。かやさん、いってらっしゃい」
笑顔で送り出してくれた梓にかやは微笑む。
「いってきます!あずちゃん」
安室は考えている。そこまで悩んではいないがスマホをちらり、と確認する。通知はまだ来ていなかった。昨夜彼女の様子が変だったため、念のためメールをしたのだ。事件も無事解決し、ベルモットと別れた時刻は夜も深まっていたため、今朝になって連絡したのだが返信はまだない。そんな気にせずとも直にくるだろうと安室はスマホを仕舞う。しかし、4日経ってもかやから返信はなかった。まさか、本当に園子が言うようにベルモットが変装した梓と腕を組んでいたから怒っているのだろうか。付き合ってもいないのに。
閉店時間が近づくにつれ、今日が終わろうとしていた時、さすがに安否が気になった安室は皿を拭きながらさり気なく梓に聞いてみた。
「そういえば、最近かやさん見かけませんね」
「え?安室さん、知らなかったんですか?」
なにやら梓は知っているような返答に安室は皿を拭く手を止める。
「実はかやさん…」
店のドアが音を立てる。作業を中断し、入られたお客様にいらっしゃいませと声をかける。しかし、客が誰だかわかると安室はすぐさま口を閉じてしまう。
「あ、かやさん、お帰りなさい」
「ただいまー、よかったよ台湾」
台湾?と安室は眉を上げる。
「景色もよかったけど屋台がすごく美味しくてさ!あと、大きなランタンに、願いを書いて夜空に飛ばすんだけど、あれがすごく綺麗で…」
「ご注文お伺いしましょうか」
梓とかやで盛り上がっていたら、笑顔の安室が割って入ってきた。
笑顔…だけど、なんか…怖い。
そんなことを思いながらかやはコーヒーを頼んだ。
「あ、そうだこれお土産です」
「いつもありがとうございます!」
「安室さんの分もあるけど…どうかな…?」
少し安室の機嫌を窺いながら覗き込むように彼を見た。
「ありがたく頂きます」
ニコニコ貼り付けたような笑顔にかやの口隅はヒクつく。
梓が他の客の注文をとりにカウンターを離れたところで、安室はカウンター越しからかやのところにコーヒーを置く。
「返信がないのは台湾に行っていたからか?」
その言葉にかやは急いでメールを確認する。
「あっ、ずっと機内モードのまま過ごしてた…!」
いつもは仕事関係もあるので着いたら解除するのに今回はずっと通信が途絶えた状態だった。かやは慌ててモードを解除し、メールを確認する。安室からのメールが2通きていた。急いで確認する。
【昨日は少し様子が変だったが大丈夫か?】
【メール見てるか?返信ぐらいしろ】
そのメール文にかやは唇を仕舞った。これは心配も掛けてしまったのだろうと安室の態度で察したかやはタッタッと画面をタップする。
【心配かけてごめん。。】
今更遅いが、返信してみる。ズボンに入れっぱなしのスマホが震え、作業の手を止めて彼は画面を見た。仕事中なのに見ちゃうんだ、と送った張本人とはいえそんなこと思ってしまう。彼は慣れた手つきで何やら画面をタップし、今度はかやのスマホが震えた。
【あぁ、まったくな】
あちゃー、とかやは顔面の全てのパーツをギュッと中央に寄せた。
「あ、そうだかやさん!ってどうしたんですか?失敗したー!みたいな顔して」
「こういう時だけ当てないであずちゃん…。じゃなくてどうしたの?」
「この間、かやさんも蘭ちゃん達と一緒にロックミュージシャンのリハーサル会場に行ったんでしょ?」
それにかやはピクッと眉毛が動く。
「いた、けど…それがどうかしたの?」
それにずいっと梓の顔が近づいた。あまりの気迫にかやは少し仰け反ってしまう。
「私に似た人が私になりすましてリハーサル会場に行っていたみたいなんです!!」
それにかやは目を見開いた。
「や…やっぱり?何か変だと思ったんだ」
「だからかやさん、あの夜電話口で怒っていたんですね」
それに反応したのは安室だった。視界の隅で彼がこちらを見ているのがわかる。
「実は、まぁ…そうなん、だけど」
「でもどうしてあの時言ってくれなかったんですか?偽物が私のフリしてるって」
「ケーキの話してたら、なんかホッとして言うの忘れちゃった…」
「え〜!」
その後またかやのペースに持っていかれ、梓はその件について触れるのを忘れたままかやの旅行話で盛り上がる。そんな彼女を安室はじっと見つめ、深く考えていた。
□□□
「ごちそうさまでしたー」
店を出てすぐ、鞄に入れてあるスマホが短く震えた。
【送ってく】
短く書かれたメール文に梓ははぐらかせても安室はそうはいかなかったか、と苦笑いする。ありがとう、と返信しその場で彼を待った。
「気付いてたんだな、彼女が偽物だって」
流れる夜の景色に目を向けていると走り出してすぐ安室はそう口にする。おそらくそれを聞くために送ると言ったのだろう。
「でも確証はなかったから、すぐ会場を出てあずちゃんに電話をかけたんだよ」
「怒ってたのか?」
梓との会話を聞いて気になったのだろう。だがその質問に対してかやははっきりと気持ちを口にすることが出来なかった。
「何か、わかんないけど…腹が立って」
「偽物が梓さんのフリをしていたから?」
「それはもちろん。それに最近ネットでの炎上をすごく気にしてたから、あんなベタベタしてたらせっかくあずちゃんが気をつけてたのに水の泡だなって」
「僕と腕組んだりしたのが気に食わない?」
「気に食わない、っていうより…何だろう…むしゃくしゃする?だってあずちゃんあんなことしないし、ロックミュージシャンが好きって聞いたこともないし」
「そうか」
「なんで、ちょっと笑ってるの?」
「いや、別に」
いまだ口元が上がっている彼に不服なかやは不貞腐れたように少し口を尖らせた。
「それはそうと、来週一日だけ空きが出来たんだ」
約束、覚えてるか?と運転の狭間でかやを見れば、彼女の表情はすでに笑顔だった。それに安室は呆れたように笑ってしまう。
「すごく楽しみ。どこに行こうか?」
「それなんだが、僕に任せてくれないか?」
それに彼女は安室の顔をジッと見たあと、「デートだから?」と戯けたように言った。
「W元気がないWからな」
「あはは!ではお言葉に甘えて、よろしくお願いします」
後日、待ち合わせ場所とその時間が記されたメールが届く。文の最後に滑りにくい歩きやすい靴、と書かれていた。自分でも知らないうちに楽しみにしていたようで、鼻歌を歌いながら、当日着ていく服を今から選んでいた。
デート当日、待ち合わせの場所に車で迎えに来てくれた。助手席を開けて迎え入れてくれる。さすがデートである。彼も運転席に乗り込みシートベルトを装着したところで車は走り出した。住宅街から離れ、景色が変わり高速に乗った。かやはわくわくが止まらなかった。
「そろそろ聞いてもいい?」
「教えない」
「まだ何を聞くか言ってすらもいないのに」
「どうせ行先だろ?時間潰しに君の推理を聞かせてくれ」
ふむ、とかやは顎に手を当てて考える。情報…といえば安室の格好ぐらいか?
「安室さんも滑りにくい歩きやすい靴ってことは今日は歩くってことかな?山登りとも思ったけど、そこまで重装備ではないし…」
「他には?」
「うーん…」
「まさかそれだけじゃないだろ」
「それだけ、だなぁ」
「君は本当に探偵に向いてないな」
「探偵になるつもりないし。じゃあ安室さんだったら逆にどう推理するの?」
「まぁ、服に着目したのはいいと思う。あとは今走ってる高速道路の方角と今の季節だったら…」
「ま、まって!」
「君から聞いたのになんだ」
「やっぱり内緒の方が感動も倍な気がする」
その言葉に安室は呆れたようにため息を吐くが口角は微かに上がっていた。
Wかやお姉さん泣かしたら許さないからW
小さな探偵の言葉に苦笑いを浮かべ、安室は目的地を目指す。途中小休憩を挟みサービスエリアに降り立つ。コーヒーを買って二人でベンチに座る。
「本当に運転変わらなくていいの?」
「前にも言ったがペーパーにこの車は動かせないよ。それに運転は全く苦じゃない」
「眠くなったら言ってね」
「どうするつもりなんだ」
「ハンドルだけ持って私が助手席で操作するよ」
「君は日本の警察を舐めてるし、高速道路を甘くみ過ぎている」
「まぁ、冗談はさておき…」
本当に冗談だったのかと疑いたくなる。
「運転出来るかどうかは別として、一応ペーパー用の教習に行ってきましたんで」
何かあったら言ってくださいと続ける彼女に目を開く。驚いている安室の顔にかやは視線を外し、言いにくそうに口を開いた。どうやら少し恥ずかしいらしい。
「だ、だって…何かあった時に運転出来なかったら困るでしょう?」
安室の身を案じて、というのは言いすぎかもしれないが、わざわざお金を払ってまで教習に通うなんて。やはり彼女の行動は予想より斜め上をいく。
「あ、でも高速道路はさすがに難易度高いんで、それまでは無事でお願いします」
「当たり前だ」
そこからノンストップで車は走り続け周りの景色が山や木々に変わっていく。目的地が近づくにつれ、かやは子供のようにうずうずしていた。高速を下り、下道を少し走らせ広い駐車場に車を止めた。安室は少し大きめな鞄を後部座席から下ろして、ここから歩くよ、と以前とは逆の立場で彼女に言う。
天気が良く、空気も澄んでいた。広がる青空に目を細める。しばらく緩やかな山道を登り見えてきた景色にかやは息を飲む。湖畔を囲うように紅葉の木が一面に生えており、風のない湖はその木々と葉を鏡のように写し出した。
スケッチブックを念のため持ってきてよかったと、早速座れそうな岩を探すが、思い留まる。今日は一人で来ているわけではない。安室に連れてきてもらったのに、いきなりこれは良くないと思い直しスケッチブックを仕舞う。
「あれ、描かないのか?」
「え?」
「景色気に入らなかった?」
「違うよ!すごく感動した。言葉が出てこないくらいに…。ただ、今日は…」
「なんだ、デートだからか?らしくないな」
「そ、そうかな?」
「マイペースな君は所構わず描くのかと思ったよ」
「まぁ、当たってるけど…」
「ならいつも通り気を使わないで描いてくれ、こっちもせっかく用意したんだ」
ほら、といつのまにかレジャーシートが敷かれ、ランチボックスまで置いてあった。
「ポアロ特性ハムサンドと温かいコーヒーも入れてきた」
紅葉の木の下でこんな贅沢が待っているなんて。あまりの感動に口元を手で覆う。さすがデートである。
二人でシートの上に座り、かやは風景をスケッチしていく。色も塗ってしまおうと色鉛筆も座っている横に置く。ゆっくり時間が過ぎていく。
心地いい風が紅葉を巻き散らす。クルクルと回りながら、落ちてきたそれはかやの髪に舞い降りた。安室は少し赤くなり始めているそれを手に取り、かやはお礼を言って葉を受け取った。それをまじまじと眺めながら赤の色鉛筆に手を伸ばす。瞬間、朝焼けでのことが蘇り安室を見た。
「あれ?赤嫌いって…」
「あぁ、だから悪いが早めの時期に来させてもらった」
確かに赤というよりまだ少し若い黄色が多い気がする。
「もしかして無理させた?」
「ちがうよ。僕も来たかった」
本当?っと疑いの眼差しで覗き見る彼女に安室は話を逸らす。
「そういえば蘭さんがもうすぐ修学旅行だと言ってたな」
「はぐらかした」
「工藤新一君も来れるか心配していたよ。君は会ったことあるんだろ?」
その名前に頭はそっちの方向に行ってしまう。
「うん。最近は色々な事件に引っ張りだこで会えてないけどね」
スケッチの手を止めてかやは上を向く。
「そっかぁ、そろそろ修学旅行かぁ。学生時代しか体験出来ないから、新一君行ければいいな」
「君はどうだったんだ?」
その言葉にかやはえ?と固まってしまう。修学旅行、と続ける安室にあ、あぁとかやはすぐ様笑って応える。
「えっと、前日にインフルエンザにかかって行けなかった…かな」
あはは、と笑って空気を壊さないようにかやは話を続けた。
「たまにいるじゃない。普段は風邪引かないのに大きなイベントに限って引く奴…」
「それは…残念だったな…」
「大人になってなくなったけど、子供の頃はよくそれで祖母に泣きついて困らせたなぁ」
「犬はいつから飼ってたんだ?」
「私が2.3歳の時に祖母の家に迷い込んできたって。毛並みがすごく綺麗な犬でね。大きなオスのゴールデンレトリーバーだったなぁ」
レイって名前なんだ。
死んだ祖父の名前から取ったって…そう言葉を続けると安室はなんとも形容し難い不思議な顔をしていた。あれ、変なこと言ったかな。とかやは安室の顔を覗き込む。
「い、ぬの名前…?」
「うん…?」
「もしかして毛の色って僕のと似てたりするか?」
確かに、同じ色だ。だがなぜそんなことを聞くのだろう。
瞬間的に蘇る桜並木のベンチ。
確か…あの時、レイの夢をみて、感触が……。
思い当たる節があり、今度はかやが不思議な顔をする羽目になる。そしてだんだんと茹で蛸のように顔が真っ赤になっていった。両手で顔を隠し、膝に埋もれる。
「ご…め、ん」
「いや…いい…」
あのしっかりした感触は安室をレイと間違えて抱きしめたのか。しかも撫で回した気がする。恥ずかしい。あの時はだいぶ酔っていたから…。ここまでやらかしたのはいつぶりだろう。このまま景色と同化したい…。
両手で顔を隠し、尚且つ膝に埋もれているため彼女の表情はわからなかったが、耳まで真っ赤だった。初めてみる反応に興味深く見てしまう。そうか、犬だったのか、と彼女に見えないように安堵した息を吐く。
「落ち着いたか?」
「…うん」
顔を膝に押しつけていたせいか鼻がほんのり赤い。おずおずとまた色付けを再開する。手に持っていた紅葉の葉で顔を少し隠しながら…。
スケッチもひと段落し、安室の作ったハムサンドを頬張る。目を輝かせて美味しいと目一杯頬張る姿にまるでリスのようだと思う。
「詰まらせるなよ。コーヒーも飲むか?」
コクコクと頷く彼女に笑ってしまう顔を抑える。
「食べ終わったら畔を少し歩いて見ようか」
その提案に彼女は嬉しそうに頷いた。
ゆっくりと湖の畔を歩く。歩くとまた違って見えるその景色にかやはうっとりと目を細めた。
「夕方になればもっと色濃く映りそうだね…」
赤が、と強調して言うと安室はジト目でこちらを見る。それにかやは苦笑いを浮かべる。
「理由を聞いてもいい?」
その言葉に彼は言い淀む仕草をしたが、次には口を開いてくれた。
「僕が嫌いな人物の名前に赤が入ってるってだけだ」
立ち止まるかやに、気づいた安室は歩みを止めた。
「やっぱり…無理していたんでしょ?」
今日、と続けるかやに安室は彼女のペースにハマっていたことに気づく。振り向けば、少し悲しそうな顔をしていた。だが次には…
「ありがとう」
優しく目を細めてそう言った。
風が吹いた。紅葉の葉とともに髪が靡く。
「本当は安室さんを元気にしたかったのに…」
彼女は、困ったように眉を寄せて、
「私が元気になっちゃったよ」
破顔させて言った。
また湖と紅葉に目を奪われながら、歩き出した彼女の手を取ってしまう。びっくりしている彼女の顔が瞳に映る。
「安室さん?」
あぁ、そうだ。赤なんて大嫌いだ。殺したいほど憎い男の名前を連想させるから。
ならなぜ、ここを選んだ?
頭の傍らで語りかけるもう一人の自分。
安室は彼女の真っ直ぐな瞳に耐えきれずスッと視線を彼女から外す。
これは潜入捜査に必要なことなのか?
そうだ。ヒロの件がまだ残ってる
「安室、さん…?」
ならなぜ、携帯を盗み見ない?それにもう死んでいる男の事を調べても組織になんの利益もない。赤井の時はまだ理屈が通った。
W彼の事は今でも悪かったと思っているW
ギリッと奥歯を噛みしめたーー…。
スッ、と頬に手が添えられる。
彼女は握られている手とは逆の手で安室の頬に手を当てた。導かれるように、安室を見上げている綺麗な黒い瞳と目が合った。しまった、と眉を寄せる。何を聞かれても言い訳出来ない。この状況をなんて言えばいい。自分でもわからないのに。何か適当なことを言って誤魔化さなければ。
しかし、安室は息を飲む。
彼女は首を横に振り、
「紅葉、すごく綺麗だね」
そう、目を細めて柔らかく笑ったーー…
ドクンッ、と心臓が音を立てる
無意識だったと思う。彼女は今自分の腕の中にいる。ぎゅっと力をいれて、胸板に顔を押しつけた。彼女の温もりが心をほぐしていく。
何も言わなくていいからと、言われている気がした。前に詮索されるのを嫌がったから、何も聞けずに困ってそう言っただけかもしれない。それでもあの表情は衝動を与えるのに充分だった。
愛おしいーー・・・
全てを忘れ、純粋に安室はそう心の中で呟いた。戸惑いながらも彼女の手が背中に回るのがわかる。優しく、包み込むように背中に触れる。思わずそれに目を細めてしまう。
「・・・」
よし、よしと背中を撫でる仕草に表情は一瞬で元に戻る
「子供じゃない…」
ぶっきらぼうにそう言えば胸に埋もれている彼女が小さく笑った気がした。
15
抱き合っていた体をお互いぎこちなく離し、帰ろうか、と安室は小さく笑って言った。かやは頷き、先に歩く安室の背を見つめ、ふいっと顔を背ける。この全身から込み上げてくるものは一体なんだろう。湖に映る自身の顔が赤く見えるのはきっと紅葉のせいだ、と誤魔化すように服の袖でごしごしと顔を拭ったーー…
「あっ…」
帰りのサービスエリアで車に乗り込む際にかやは声を上げる。ちょうど安室は席を外しており、気にせずスマホを取り出す。一年で一番月が綺麗に見える日、つまり十五夜が今日だとわかるとホッと胸を撫で下ろす。昨日だったら泣いていた。今年こそ月見酒をしよう。
車のドアが開き、彼が戻ってくる。かやの分まで買ってくれたコーヒーを受け取り、礼を言う。
「なに、一人でにやにやしてるんだ」
「に、にやにやなんてしてないよっ」
「鏡を見てみろ。その顔はこのあとまたどこかに飛ぶつもりだな」
「人を逃走犯みたく言わないで」
「で、なにを見てたんだ?」
「今夜は月がすごく綺麗に見えるってニュースの記事を読んでただけだよ」
「あぁ、そういえば今日だったな。まさか夜な夜な出歩いて一人で月見酒をするつもりじゃないだろうな」
「なっ…」
なんで、わかったのだろう。
「その顔は図星だな」
うぐっ、と言葉に詰まる。反対されると思ったから黙って行こうとしたのに。
「一人で花見酒をしようとしてたぐらいだからな。見当はつくよ。」
そうだ。今年の花見酒は首を締められたあとだというのもあり、なんとなく家にも帰りたくなくて人の多い居酒屋で飲んだのだ。お陰で飲み過ぎて安室を愛犬と間違えた。ってそこじゃない!だからこそリベンジに月見酒をしたかったという話だ。
朝焼けと同じに誘ったら彼は来るのだろうか。チラッと下から覗き込むように安室の表情を窺う。コーヒーに口をつけている彼と目があった。
「あの、一緒に月見酒…しませんか?」
つい敬語になってしまった。ドキドキしながら返答を待つ。
「止めたって夜一人で行くつもりなんだろう?仕方ないから付き合ってやる」
わざとらしいため息にかやは笑った。結構ツンデレだよね、と機嫌を損なわないよう心の中で呟いた。
□□□
かやと一旦別れ、安室も車を置いてくるついでに自宅に寄り、楽な服に着替える。歩いて待ち合わせ場所に向かうとちょうど向こう側からかやが小さく手を振って歩いて来た。彼女も楽な服に着替えてきていた。
途中コンビニに寄り、酒が入ったビニール袋をぶら下げてたどり着いた先はだだっ広い公園。少し歩けば運動場やアスレチックもあるような広い公園だ。休みの日は団体や家族で埋めつくされているに違いない。それが今は人一人おらずガランとしている。
かやは当たり一面の芝生のど真ん中にシートを引き、そこにちょこんと座る。安室もその隣に腰を下ろした。
プシュッと飲みごたえがありそうな音を立てながら缶を開け、こつん、と互いの缶を当てる。
「運転お疲れ様。お陰で素敵な紅葉も見れたし、すごく楽しいデートだった」
「こちらこそ。日常を忘れる一日だったよ」
乾杯、と言ってぐいっとビールを流し込む。ぷはぁっと豪快に缶から口を離す彼女に安室は呆れた顔をする。
「とても女性とは思えない」
「いやー、月が綺麗だわー」
「一人の時もそうやって飲んでるのか」
「はー!外で飲むビールさいっこー!めちゃくちゃ美味い」
「だいたい夜な夜な一人で出かけるのも…って」
僕の話し、聞いてるか?と彼女の鼻を摘む。いつぞやかの桜道を思い出す。彼女は時々人の話を聞かない。
まん丸に目を見開いてコクコクと頷く彼女にまぁ、許してやるかと摘んでいる鼻を離すと、彼女は鼻を摩りながらホッと胸を撫で下ろす仕草をした。
「あんまり夜中に一人で出歩くなよ」
「善処します」
「どうしても行きたいなら僕を誘え。その方がまだ安全だ」
「ふふっ、そうする」
やけに素直だな、と安室は缶から口を離す。安室のことはそっちのけで彼女は膝を抱え、月を見上げている。摘んだ鼻が少し赤くなっていた。
「月が…綺麗だな…」
「うん、とても綺麗…」
こちらの視線に気づかず、かやは嬉しそうに笑って頷いた。
話をしながらお酒を少しずつ飲んでいると彼女はもう3缶目に手をつけていた。いつもよりペースが早い。安室が口を開く前に彼女は突拍子もないことを言った。
「体の相性と似てる気がする」
その言葉に咳き込みそうになるのを堪え、彼女を見た。急に何を言い出すんだ。
「勉強も兼ねてたまにジャズクラブの人たちと話しをするんだけど異性とセッションしてるとき、そう感じる時があるんだって」
もう酒が回り始めたのか頬を染めながら、こちらが口を挟む間もなく彼女は続ける。
「でね、恋人がそれを見て嫉妬するという…」
「な、んの…話しだ?」
話の糸口が全く見えない。こちらの声は届いているのだろうか。未だ月を見つめたまま彼女は話を続けた。
「曲を好きになるきっかけも、そうだったりするのかなって…」
なんだ仕事の話か、にはならない。訳がわからず彼女を凝視する。
「何回か曲を聴いて好きになる人もいれば、イントロで既にだめだったり、きっかけがあって好きになったり、あと聴きすぎて飽きちゃったり…」
それがどう体の相性に繋がるというのだ。一つ言えるのはふにゃふにゃ笑いながら話す内容ではない。
「キスでだめだったり、何回か肌に触れて互いを好きになったり?あとはあの人が歌ってるから、とか…中にはパッケージが…つまり顔が好みだったからって人も…」
共感はできないが、なんとなく言おうとしていることはわかってきた。理解は出来ないが。しかしこうもあっさり日常会話をするようなテンションでする話でもない。
「まず曲を知ってもらわなきゃいけないけど、そこからどう優しく抱けるかが勝負っていうか…」
ふと彼女の持っている酒が目に入る。安室の目がだんだん据わってくる。安室が飲むようで買ったアルコール度数が高めの酒を手にしていた。手元が暗くて間違えたのだろう。
「私はここの国の人たちを抱いてるってことになるんですかね?」
「おい、酔いすぎだ。さっきから変だと思ってたんだ。水飲め。僕の好きな日本をふしだらにするんじゃない」
「ふふっ、心を抱いてるんだよ」
「…っ…」
そんな幸せそうな顔をして言うなよ、とこみ上げてくる感情を抑える。
純粋で、無防備で、人の話は聞かないし、向こう見ずで、こちらの予想とは違う行動ばかりする。沖矢昴と一緒に暮らしているのも気に入らない。
自分の好きなタイプの女性とかけ離れすぎていて、この感情がなんなのか彼自身、不思議でならなかった。
彼女の雰囲気がそうさせるのか、酒のせいかはわからない。いつの間にか安室は胸の内の真情を吐露していた。
「君は、本当に仕事が好きなんだな…。情熱を持ってやってるのが伝わってくるよ。そんな、君を…僕は…素敵、だと思う」
「・・・・」
反応のない彼女を不思議に思い、下から覗き込むように様子を窺う。すると安室の肩にコテン、とかやがよりかかる。ドキリとするのも束の間、聞こえてくる寝息に肩を落とす。すやすやと気持ち良さげに寝ている彼女に、安堵が混じったため息が出る。
今日は歩いたから疲れていたんだろう。そんな状態では酒も早く回る。あとで説教だな、と心に誓う。
W心を抱いてるんだよW
彼女が書いた曲を聴いてしまうと彼女に抱かれている、ということになるのだろうか。その考えにやれやれと頭を振り、肩に寄りかかる彼女を愛おしそうに見つめた後、安室は月を眺めた。
その夜、ほんの数秒間だけの録音した彼女の歌声を耳元で聴きながら眠りについた。
数日後ーー…
かやはいつものようにポアロで遅い昼食を食べていた。お客も少なく、ゆったりとした時間が流れている空間にドアのカウが忙しなく音を立てる。
「いらっしゃいませ」
男は帽子を目深に被り、大きなヘッドホンを首にかけている。キョロキョロと何かを探しているようだった。安室は再度声をかける。
「あの、お客様?」
「かやさん、デザートどうですか?」
「あっ、食べたーい」
何に反応したのか梓とかやに視線が定まりこちらの静止の言葉も聞かずズカズカと歩いていく。
「あんたがかや?」
「え?」
男はキャップを少し上げ、かやと目を合わせた。
「えと、誰かな?」
「はぁ?あんた、俺がわからないの?」
「え、ちょ、かやさんこの人って」
「店員さん、騒がないで。事務所に内緒にしてきてるからさ」
そう言って男は梓に向けてアイドルスマイルを決めた。赤くなっている梓を他所にかやはジト目で彼を見る。
思い出した、とかやは一ヶ月前に送られてきた資料を思い出す。プロデューサーからとあるアイドルグループの作詞作曲をお願いされたのだが、彼はそのアイドルグループの一員だ…ったはず。名前は…なんだったかな…。しかし曲は一週間前に仕上がっておりプロデューサーからもOKが出た。
ならなぜ、この青年がここに来たのか。それは彼もグループのプロデュースを担っているからだ。曲が少しでも気に入らないのであればプロデューサーの意見を押し除けてまでボツにすると聞く。もしかしたら曲が気に入らなかったのかもしれない。
しかし問題はそこじゃない。なぜ彼が自分を知っているか、だ。彼らのプロデューサーとはメールでしかやり取りしていないはず。それが顔に出ていたのか彼はスマホを取り出す。
「彼女、覚えてる?」
写真を見せられたのは以前曲を書いた別のアイドルグループの子だった。
「この子がね、自分のプロデューサーにあんたのことを聞いて、俺がそれをさらに又聞きしたわけ」
どうしても会いたいっていうから他言無用を条件に会ったのに、あいつ…!と表情を変えずに心の中で罵倒する。確かにこのポアロに入り浸っていることをぽろっと口を滑らせた気がする。そこは自分にも非がある。だからといってここに来るとは思わない。
「で、私になんのようかな?ここは私にとってプライベートなところなんだけどな」
「あんたが作ったやつさ、いいんだけど…ちょっと物足りないんだよね」
やはり曲が気に入らなかったのか、とかやは納得する。噂通り厳しいようだ。だが意見を言ってもらえれば修正するし、次手掛ける時に参考になる。
「わかった、作り直す。他に注文があれば後でメールを…」
「でさ、あんたラップかける?」
だからメールにして…という言葉を飲み込んだ
「らっぷ…?」
今回依頼された内容と大分かけ離れた。
専門外だ。ストリートでやっているのを聴いたことはあるが作った経験はない。その手の人に依頼した方が遥かに良い曲が出来そうだが…。
「そう!今ちょーきててさ!だから直接お願いしに来たんだ!」
カラコンが入った目をキラキラさせながら近づいてくる彼に、手で近いと押し返す。
「専門外の私でいいの?その手の人にお願いしたほうがよっぽど…」
「あんたしかいないんだ!頼むよ!!」
へらへらと笑っていた顔が急に変わる。真剣味を帯びたその表情につい流されそうになる。気付いたら頷いていた。
「わかった。やってみる。そのかわり納期を伸ばして」
「うひょー!サンキュー!」
そう言って抱きしめられたあと、頬にキスをされ彼はすぐ店を出て行った。一部始終を見ていた梓は口元に手を当て赤くなっている。嫌そうにかやはゴシゴシと服の袖で頬を拭い、鞄を手に取った。財布を出して、会計をお願いするかやに梓は驚く。
「かやさんのそのスルースタイル、時々びっくりします。そして何事もなく帰られるんですね。もっと彼とのお話聞きたかったのにー」
「別の仕事が入ったから急遽取り掛からなきゃ。あずちゃんごめんね、また来るよ。安室さんも」
そう言って出て行ってしまったかやに梓は肩を落とす。ふと安室を見てきゃっと小さく悲鳴を上げた。
「あ、安室さん!コップ!コップにヒビが入ってます!」
いつの間にか手に力が入っていたようで、安室は笑って誤魔化した。
「ほんとですね。劣化してたんでしょうか?」
危ないから捨ててきます、と言ってバックヤードに下がる安室に梓は呆然と立ち尽くす。
数週間後すごいクマを作ったかやが店を訪れた。
「ど、どうされましたかやさん⁉」
「気分、転換しに…ここに来た」
「お家で寝てなくて平気ですか?」
「ちょっとここで仕事したら帰って寝る」
用紙を取り出し、トントン、とペン先を紙に当てて考える。カランカランとドアが鳴り別の客が入ってきた。派手な服装に例の青年が来たのだと一目でわかる。
「いらっしゃいま…」
「いたいた!」
かやを見つけて嬉しそうに隣に座る。案内をしようとしていた安室は静かにその手を下ろす。
「あ、お姉さんコーヒーお願いね!」
安室を素通りして、梓にコーヒーを頼む。彼の中で安室は見えていないのかもしれない。そしてそんな青年をかやはガン無視して作業している。
「ねぇ、かや!この間のラップの件やっぱなしで!」
走るペンが止まる。かやは目線をノートに向けたまま、彼の話を聞いた。安室も彼の態度にぴくっと反応する。
「よくよく考えたらさ!俺ってラップやったことないわけ。あんたも書いたことないって言ったろ?それで大コケするのは勘弁って感じでさー」
ゆっくりかやの瞳が彼を捉える。
「だからナシの方向で!んじゃよろしく!」
そう言って注文したコーヒーも飲まずに出て行こうとする彼の胸ぐらをかやが掴む。こんなかやの姿を初めて見る梓は彼が頼んだコーヒーを持ったままオロオロしてしまう。青年はタンマタンマと両手を上げる。
「ちょちょちょ?怒った?俺仮にもアイドルだよ?あんたの仕事なくなるよ?」
「聴け」
低くそう呟き、無理やり座らせる。彼が首にかけてあるヘッドホンを勝手に耳にかけ、繋がっていたコードをブチ抜き自分のプレイヤーと繋げた。再生をタップし流れ始めた音楽に初め怪訝そうな顔をしていたが、だんだんと顔つきが変わってくる。中盤にはリズムに乗り出した。曲が終わると先程とは打って変わり彼の目は大きく開いていた。キラキラと輝いて見えるのはカラコンのせいだろうか。
「こ、これあんたが?」
「そうだよ」
「途中詞が抜けてるのは?」
「ラップの部分。そこはあなたが書く」
「は?おれ?」
「そうだよ。大コケしたくないんならあなたが書いた方がいい。話題にもなるし、ファンも喜ぶ」
「何言ってんだよ!書けるわけねーじゃん!」
「他のメンバーに聞いたよ?誰よりも努力をしてるって。ラップだってずっと専門の人に習ってるんでしょう?」
かやの言葉に青年は顔を真っ赤にする。年相応の反応にかやは笑った。
「ななな、なんで、そのこと!」
「プライドは大事だよ。ちなみに私にもある。だからここに君の言葉を載せてそれで完成。いい?」
「じゃあさっき悩んでたのは何なんだよ」
あぁ、それでラップはなしにしてくれと言ったのか。見た目に似合わず意外と気にする性格らしい。何やら悩んでいるかやに曲が書けずに悪戦苦闘していると思ったのだろう。
そんな青年にかやは苦笑いしながら答えた。
「タイトル考えるの苦手でさ…」
「タイトル⁉はぁ?なんだよ!心配して損した」
「まぁとりあえずやってみてよ。プロデューサーや他のメンバーには許可とってあるし」
「かや…」
「それに君が曲を気に入らないからボツにしたのではなく、ラップは無理だと向こうが断ったってことも聞いた」
「なんで、そこまでして俺のこと…」
「おっと、勘違いしないでね。あくまで仕事だからしたこと。あとここには来ないで」
あと、梓が入れたコーヒーを飲んでいけ、と言葉を添える。
「俺…あんたのこと好きかも」
「人の話聞いてた⁉」
「なぁ、今彼氏いるの?いないなら俺と…」
「かや、コーヒー冷めるよ」
安室がカウンター越しから話かけてきた。かやも青年も安室を見る。
いきなりの呼び捨てに驚きつつもきちんと返答した。
「ほ、ほんとだ。せっかく入れてくれたのにごめん…」
「ちょっとコーヒーぐらい自分のタイミングで飲ませてくれたっていいんじゃない?」
「他のお客様のご迷惑となりますので、ナンパはご遠慮下さい」
「は、ちょっ、なん…」
青年の言葉を遮り突然勢いよく店のドアが開いた。
「見つけたぞ!!」
「やべ、マネージャーに見つかった!」
「帰るぞ!まったく!すみません!ご迷惑おかけして!」
マネージャーはペコリと頭を下げて、青年を引きずって行く。引きずられながらも梓が手に持っているコーヒーカップを手にとり、アツッとか言いながらも飲み干して、お金をちゃんと置いて去っていった。
嵐のような男だった。そして意外と律儀…と店内にいる全員が心を一つに思った。
閉店間際になってようやく曲のタイトルをつけたかやはふらふらと立ち上がって帰ろうとする。梓は早めに上がり、お客はもう誰もいない状態だった。安室はカウンターから身を乗り出しかやを呼ぶ。寝不足で安室との距離が掴めず、ふらつきつつも呼ばれた方へと顔を向けると、ちゅっと頬に柔らかいものが当たった。
ハッと頬を手で抑える。
「ご、ごごごごめん!」
「いや、僕こそ距離が近かった。悪い」
真っ赤になるかや。あの青年には見せなかったその表情に安室は満足する。音楽は体の相性と似ていると聞いてから、彼とのやり取りに腹が立って仕方なかった。仕事とはいえ彼のために徹夜してラップの勉強をしていたことや、彼女のことを呼び捨てにしたことも。
こんなにも己に独占欲があるとは思わず、赤井やコナンの次に厄介な相手であると安室は顔を未だ赤くしているかやに苦笑いする。
その様を店の外から見ていた青年は諦めたように肩を上げる。あえて自分がキスした頬と同じところにするなんて。
「彼氏、いるんじゃん」
そう、笑って彼はその場を去った。
おまけ
「かやさんのお仕事って…」
「あー、さすがにバレるよね…」
「詩吟か何かですか?」
「……逆にどうして?」
「かやー!今度はこのダンスに合わせて曲を書いて!!」
また来たヘッドホン野郎にかやは頭を抱えた…。
16
「コーヒー、もう少し飲むか?」
彼女はチラッと腕時計を確認して、首を横に振る。
「今日はそろそろ帰ろうかな」
前から気になっていた。店に時計があるのに彼女は絶対に腕時計を確認する。もちろん店の時計より自分の時計を見たほうが近いし正確だという人もいるだろう。しかしだいぶ使い古されたその腕時計を時折大事そうに撫でているのが気になった。
今あるコーヒーを飲み終えたところでかやは席を立つ。安室は作業の手を止めレジに回った。再度ちらっと腕時計を見た彼女に安室はすかさず聞く。
「誰かと待ち合わせか?」
腕時計のことは聞き出せず、咄嗟に違うことを聞いてしまう。
「待ち合わせじゃないんだけど、夕方に美容院の予約してて」
その前に買い出しなどを済ませて置きたいから早めに出るのだと彼女は財布から細かいお金を探しながら言った。
ご馳走様でした、と手を振って店を出て行くかやを営業スマイルで見送る。お客に呼ばれ、安室は接客へと戻った。
ポアロのシフトが終わり、本庁に向かう途中風見から連絡が入る。
「どうした、風見」
路肩にハザードランプをつけて停車する。風見と会話をしながら反対車線側の道路を歩く女性に目が行く。かやだ。
店に入っていく彼女を見て、たまたまとはいえタイミングが悪いな、と安室はやれやれと首を横に振る。
《それで、予定を明日に変更していただきたいのですが…》
「あぁ、わかった。明日本庁に向かう」
《恐れ入ります》
本日寄る予定だった本庁は明日に変更になったため、安室は行き先を変えるべくギアに手をかけた所で動きを止めてしまう。店はガラス張りのため店内までよく見え、彼女は案内された席で雑誌を読み、奥から来た男性のスタッフと何やら話している。『今日はどんなかんじにする?』と口の動きでそんな会話をしているのがわかった。男は彼女の背後に回ると、彼女の髪に触れた。
少し頬を染めて話す男の表情に気付いた安室は車のエンジンを切り、彼女にメールを送っていた。何をしているんだろうと頭の傍らで思いながらも彼女の反応を見てしまう。
スマホの震えに気づいたらしいかやは男が席を一旦離れた際、掛けられたマントの下からスマホを取り出す。画面を操作し、次には頬が嬉しそうに上がった。その横顔に苛ついていた気持ちが落ち着いていくのがわかる。
彼女の返信を待たずに続け様にメールを送った。メールに気づいた彼女は文を読むと困ったように眉を寄せた。その顔に思わず笑ってしまう。まるで悪戯が成功した子供のようだ。
戻ってきた男にかやは申し訳なさそうに頭を下げ、マントを取りレジで預けていた荷物を受け取る。再度頭を下げて店から出てきた。
横断歩道を渡りこちら側の歩道を歩きながらメールの返信をしている。安室は車から降り、このまま行けばわざと彼女がぶつかる位置で立ち止まる。案の定前を見ていない彼女は安室に軽くぶつかった。
「わ、ぷっ…す、すみません!」
急いで顔を上げ謝るかや。だがそれが誰だか分かると驚いた表情に変わる。
「えっ、安室さん⁉」
「歩きスマホとは感心しないな」
「あ、ごめんなさい。って、あなたのせいじゃない」
このメールは一体なに?と少し怒った口調で画面を見せてきた。
【今からご飯を食べにいかないか】
それと、これ!と画面をスライドし、次のメール文を見せる。
【髪、今のままがいいんじゃないか?】
ズイッとさらに画面を近づけるかやに安室はそれを特に気にする風もなく答える。
「何か問題でも?」
「美容院行く前に言って欲しかったよ。両方とも!」
「それは悪かったな」
「お店の人に申し訳なくてシャンプーとリンスを買う羽目になった」
「悪かったって。お詫びに飯は奢る」
その言葉に表情はころりと変わる。待ってましたと言わんばかりの満面の笑顔。安室もつられて表情を緩めてしまう。
互いに車に乗り込み、安室は車のエンジンをかける。隣では先程の雰囲気とは一変、上機嫌の彼女がいた。
「ふふっ、沢山食べよ」
「現金なやつだな。もう機嫌はいいのか?」
「まぁ…白状すると実は切るの迷ってたんだよね。やっぱり私もここままがいいって思っちゃったし…」
「ならいいが…」
「安室さんは髪、いつもどこで切ってるの?」
「僕は自分でやってる」
「自分で⁉」
「君も自分で切ったらどうだ?」
「自分で切ったの小学生以来なんだけど…出来るかな。しかもその時失敗してるんだよね」
「難しい髪型にしたいとかじゃなければ僕が切ろうか?」
無意識に発した言葉に、ハッと口を閉じる。今日行かなかったとしてもまた美容院にはいずれ行くのだろう。相手もそれが仕事だ。手に職をつけた立派な職業なのはわかっている。それでも彼女の髪に、あの男が触れただけで、己の独占欲が浮き彫りになった。かやは安室のものでもなんでもないのに。
「ちなみにどうやって切るの?」
こちらを見るかやに安室は心境を悟られずにいつもの雰囲気で答える。
「ピン留めを使って、少しずつ鏡を見ながらハサミで切ってる、かな」
「なら、ちょっと自分でやってみようかな。もともと少し切れればそれで満足だったし」
「そうか」
その言葉に安心している自分と、少しだけ残念と思う気持ちが混ざり合う。雰囲気には出していない筈だが、まるで察したかのようにかやは口を開いた。
「でも、失敗しちゃったらその時はお願い」
そう、少しはにかみながら言うかやに安室はつい憎まれ口を叩いてしまう。
「修復できる長さを残して置いてくれればな」
素直に慣れないぶっきら棒な言い方。しかし彼女は全く気にしていないのか突然プッと噴き出した。
「さすがに丸坊主にはならないから安心して」
「なんの話だ」
翌日、少しだけ前髪を失敗した彼女がポアロに訪れるのはまた別の話。
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