微かな灯りのなかで
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忙しい恋人から数ヶ月ぶりにそんな連絡が入ってくる。仕事で疲れているだろうからその日は家で映画でも観ようかと提案したところ、彼はせっかくだからレイトショーに行こうと言ってくれた。本当に?デートなんていつぶりであろう。ふらっと立ち寄った店でデート服を即買いしてしまうぐらいには浮かれていたと思う。
【ごめん。少し遅れる】
先に観てて、と当日そんな連絡が入る。ポップコーンの種類を二人で選んだり、パンフレットを買って上映前に話をしたり、買った服を褒めてもらったりと色々想像していた頭は一気に冷めてしまう。いや、連絡があっただけでもマシではないか。事件の時は連絡もないのだから。心配するタネが一つ減っただけでもいいと思うことにした。
結局飲み物だけ買って予約していた後方の席へと座る。時間帯のせいか見渡すと人は疎らであった。照明が暗くなっていく。隣の空席に寂しさを感じつつ、スクリーンに映し出される映像を空虚な気持ちで見つめる。しかし内容は中々に面白く、三十分経ったころには映画に集中していた。
ふと空席だったそこに人の気配を感じる。視線を向ければスーツ姿の彼が既に座っている状態だった。
「れ…!」
上映中であることを思い出し、慌てて声のトーンを落とす。いったいいつから居たのだろうか。したり顔をしている彼に驚かせる為にわざと気配を消していたことがわかる。お望み通りの反応に彼は満足そうだ。
「遅かったね」
嫌味たっぷりにそう耳打ちする。
「悪い」
嘘。本当はどこかで思ってた。彼が時間通りに来ないこと。だから遅れてもいいよう目立たない後方の席にしたのだ。
久々に会えた彼。隣にいると分かると途端心はそわそわとどこか落ち着かない。飲み物でも飲んで落ち着こうと手に取ったアイスコーヒー。入れ物のプラスチック容器は大分汗をかいていた。
ストローに口をつけながらスクリーンに目を向けている彼の横顔をちらりと盗み見る。やっぱり、かっこいい…。先程まで抱えていたもやもやは綺麗さっぱり消えており、今は会えた喜びの方が上回ってしまっている。なんて単純なのだろうと我ながら思う。
「ちゃんと観てるのか?」
視線に気づいた彼がこちらを向いた。いいえ、全く観ておりません。など正直に応えられるわけもなく、慌ててスクリーンに視線を戻す。いかん、いかん。今は映画に集中しなくては。
途端アイスコーヒーを持っている手に自分より一回り大きな手が重なる。
「へっ?」
軽く下に引っ張られ、咥えていたストローが口から離れる。彼の顔が近くなり、顔が熱くなる。
WキスされるW
そう思って、目を閉じた。
ズズッーー。しかし期待した感触は訪れず、聞こえてきた微かな啜る音に弾かれたように瞼を開ける。目の前にあると思っていた彼の顔はやや斜め下にあるストローに口をつけている。こくん、と彼の喉仏が動いた。パチパチと目を白黒させている自分を放って何事もなかったかのように元の体勢に戻る彼。私のアイスコーヒーなんですけど、などという嫌味は出てこなかった。悔しいことになんと胸はドキドキと高鳴っているではないか。不本意ながらこの心臓はときめいてしまっているようだ。
「期待した?」
その言葉に一気に顔が熱くなる。わかっていてワザとやったんだ。なんで久々に会ったのにいじわるばかりするのよ!と文句を言いたかったが、場所が邪魔をする。声を出せない代わりにあからさまに頬を膨らませ、プイッと顔を背けた。しかしすぐに彼の指が顎に触れ、元に戻される。
「んっ…」
重なる唇。汗をかいたプラスチック容器から水滴が滑り落ち、買ったばかりのスカートを濡らす。冷たいはずなのに突然の行為にそれどころではない。
離される唇。スクリーンの光だけが頼りのこの空間。微かな灯りに照らされる彼の瞳は熱を孕んでいた。
「服、似合ってる」
「…っ…」
なんでこのタイミングで言うのよ。もう一度近づく顔。彼の柔らかい髪が鼻先に触れる。服を褒められ、絆された心は受け入れるように目を閉じていく。
だんだん彼がこちらに体重をかけてくるのがわかる。微かに残る理性。こんなところでダメだよ、と彼の胸板を押すが形だけのその手に力はない。口を開けろと言わんばかりに彼の唇が自分の下唇を軽く吸った。拒む姿勢を見せながら簡単に開いてしまうのだからまったく呆れてしまう。
誰にも気づかれないまま、深く、長いキスを交わす。キスの深さが増していく度に名前の体は徐々にシートに沈んでいった。すると手摺りに頭をぶつけないよう彼の手が後頭部に回った。そんなさりげない優しさにもときめいてしまう。長いゴツゴツした男らしい指が名前の耳裏に触れた。名前の少し弱いところだ。頭がとろとろに溶け始めたころに支えていた手がゆっくりと離れていく。
『また、あとで』
そう、唇が動く。ぽんぽん、と最後に頭を撫でられ、彼は元の体勢へと戻ってしまった。
もう、おわり…?
心は物足りなさを感じてしまっている。その気にさせておいてそれはない。咄嗟に彼の袖を引っ張り、金色の髪がかかったその耳に唇を寄せる。
「もう、待てない」
会いたくても会えなくて、連絡すらも途切れがち。いつも心配ばかりかけさせる。さんざん…さんざん待たされたんだ。これ以上のおあずけはごめんだ。名前の言葉に彼はどこか満足そうな顔をする。これもきっと彼の思惑通りなのだろう。それでもいい。なんでもいいから早くひとつになりたい。手を引かれ映画館を出る。絡められた指。このまま深い夜までこの甘い雰囲気が続くのだと思うと、想像するだけでのぼせ上がりそうだーー…。
おわり
2020.10.24
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