ある夏の夜


蒸し暑さにふと目が覚める。
喉の渇きを覚え、隣で寝ている恋人を起こさぬよう、ゆっくりと起き上がると同時に感じる倦怠感。
連日の暑さのせいとも考えたが、昨夜の行為が頭をよぎり、元凶である彼を恨めしそうに見ながらベッドから足を下ろす。一糸も纏っていないことに気づき、熱くなる顔に気づかないフリをして床に散らばった服から羽織れるものを手探りで探したー…。

明かりをつけなくても暗闇に慣れた目は、とくに支障なく台所まで辿り着く。冷蔵庫の扉を開けるとひんやりとした冷気が頬に触れ、熱の篭った体を少しだけ楽にした。庫内灯の昼白色は寝ぼけ眼には眩しく感じ、目を細めながら麦茶の入った容器を取り出す。

先日二人で買ったペアグラスに、コポコポと音を立てながら麦茶を注いでいき、渇いた喉を潤していく…はずだった。

「ぶっ!?」

えっ、え?え?と混乱しながらパチパチと瞼を開閉させ、麦茶ではないそれに目を丸くする。
ま、ずくはないけど…え?なにこれ。
口はすっかり麦茶だと思い込んでいたために、それがなんなのかわかるまで少し時間がかかった。容器を確認するとWかつお出汁Wとしっかり付箋が貼られている。

「………」

持ったままのグラスに視線を落とす。並々に注いでしまったこれをどうしようか。口をつけてしまった手前、残しておくのも衛生的に心配である。幸い容器にはまだ出汁が残っているが恋人が手間暇かけて作ったものを捨てるというのも…。仕方ない飲むか!と意を決してグラスに口を近づけたとき、にゅっと後ろから伸びてきた手にグラスを奪われる。気配なく現れた恋人に思わず「ひっ!」と悲鳴をあげてしまった。

「驚きすぎ」

「ご、ごめん。幽霊かと思っちゃった」

そんなわけないだろう、と彼の拳がこつん、と名前の額を軽くこづく。

「起こした?」

「いや、暑さで目が覚めた」

本当だろうか。最近はあまりなくなったが、付き合いたての頃は寝返りを打っただけでよく起こしてしまっていた。だが、暑かったのは本当らしく、額には薄らと汗が滲んでいる。グラスに口をつけようとしている姿が目に入り、あっ…と止めようとして開いた口はすぐ閉じてしまう。働いたイタズラ心を悟られぬよう、真顔を心がける。

「………ん?」

「ど、どうしたの?」

あと少しで口の中に!という時に彼は動きを止めてしまう。グラスを水平に戻し、クンクンとニオイを嗅いだあと、彼の目がこちらを向いた。

「………」

「………」

「…おい」

「い、いや!騙そうと思って騙したわけじゃ…」

「まさか、間違えて飲んだのか?」

思わず泳いでしまった目を見て「…ふっ」と彼が吹き出したのがわかった。夜中というのもあり、声を抑えて笑う彼に悔しそうに下唇を噛む。

「なんでわかったの?」

「君の表情と飲む前に鰹節の香りがしたから…。気づかなかったのか?」

「気づいてたら飲んでないよ」

「それもそうだな」

彼が新しいグラスを出して、今度こそ本物の麦茶が注がれる。

「それは朝食の味噌汁に使おう」

「口つけちゃったけど」

「大丈夫」

ちゅっ、と彼の唇が軽く触れる。何年経っても慣れることはなく、唇を内側に仕舞い、少し照れているのを隠す。途端、彼がおかしそうに笑った。

「な、なんで笑って…?」

「ごめん、出汁の味がするなって」

湧き上がる羞恥心に顔はまたも赤面する。

「もー!いいから麦茶ちょうだい!」

彼の持つグラスに手を伸ばせば、その手はやんわりと阻止されてしまう。握られる手。彼がグラスに口をつけたかと思えば、そのまま口を塞がれる。口内に広がる麦の味。こくん、と喉を動かせば彼の舌先が名前の舌の形を確かめるように触れ、口の中に残っている水分ごと絡め取っていく。思わず漏れる吐息と声。彼の手が腰に回ったところで、明日早いことを思い出す。

そのために昨夜は手加減してもらったのだ。こうして倦怠感だけで済んでいるのも明日大事な会議があるからと説得してのこと。

「今日は…もう、しない…からね?」

「なにを?」

低く囁かれる声にきゅんっ、と胸の奥が締め付けられる。熱を帯びた目に絆されかけ、自然と首に腕を回しているのだから恐ろしい。微かに残ってる理性で、気持ちを振り払うように彼の胸板にぐりぐりと額を押し付けた。「ゔぅ〜」と唸ると、彼はくすぐったいのか、軽く身を捩る。降参だというように両手を挙げたあと、笑った吐息が前髪を揺らした。

「そんな格好をしてるからつい」

上半身裸のあなたに言われたくないんですけど、なんて思ったが、彼の視線を追うように着ている服に目を落とす。暗闇のなか、適当に選んだ服は彼のだった。

「ごめん、気づかなかった」

「いいよ、そのままで」

彼の腕が名前の膝裏に回り、そのまま軽々しく抱き上げられた。

「ちょっ、ちょっと…!」

向かっている寝室に慌てる。薄目で睨めば「わかってるよ」と諦めた声が返ってきた。ベッドに優しく降ろされた体はそのまま抱きしめられる。

「せめてこのまま」

「あ、暑い…よ」

「エアコンつけるから」

「また喉乾いちゃうかも」

「ミネラルウォーター持ってきた」

いつの間に。

「寝坊するかも」

「僕がちゃんと起こすよ」

乾いたエアコンの風の音。カラカラと回る室外機。肌を滑るように落ちてくる冷気に合わせて彼が頭を撫でる。大好きな人の肌の香り。微かな弾力のある胸板に額を押し付け、心地よい鼓動に目を閉じる。

美味しそうな味噌汁の匂いにつられて目が覚めるまであと少し。


おわり
2022.7.17
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