萩原研二


父親のバイク屋を継いでから随分と経つ。父の代から贔屓にしてくれている萩原研二は自分の代になっても変わらず店に来てくれる。ここ最近は特に用がなくても仕事が休みの日は必ずと言っていいほど顔を出してくれるようになった。時々店も手伝ってくれる。悪いからとやんわり断っても彼は優しい笑顔で「俺がここにいたいからいいの」と勘違いさせる言葉ばかり言ってくる。

いつも他愛のない話をして、笑わせてくれる。いつしか自分も彼が来るのを待ちわびるようになり、次第に惹かれていった。

そんな絶賛片思い中のある日。その日も彼は店に来た。しかし今日はなんだか口数が少ない。ガレージで作業する合間に盗み見た彼の表情は何やら思い詰めていた。どうしたのだろう。何か悩み事だろうか。工具を置いた音で彼が顔を上げる。自分が話し掛けるより先に口を開いた。

「あの…さ…明日って暇?」

「…あした?」

「そう、明日」

「明日は…特に仕事入ってないけど…」

「そしたらさ、飯でも…食いに行かない?」

「ご飯?」

「うん」

そういえば彼とはここ以外で会ったことがない。店が始まるころにふらっと来て、閉める頃に帰ることが多かった。

「ダメ?」

返答の遅い自分に渋ってるように思われたのか小首を傾げ、眉をしょんぼりさせている彼に、ゔっと心臓を鷲掴みにされる。

「行ける。全然ダメじゃない」

すると先程まで暗かった表情がみるみると明るくなっていく。終いにはよっしゃー!と喜ぶ彼に、勘違いしちゃうよ、と赤い顔を隠すようにまた工具を手に持ち、背中を向けて作業を続けた。

でも明日って…バレンタインだよね。どうしよう。明日会えると思ってなかったから今日渡そうと思ってたんだけど…。彼の反応をみて告白するか義理だと言って誤魔化すかどちらかにするつもりだった。

でも明日誘ってくれるってことは少しは期待してもいいのかな。この関係が崩れるのが怖くてずっと言えなかったけど…。

明日勇気を出して告白してみようかな。




しかし翌朝、買い出しの途中で目撃してしまう。彼が女性と歩いている姿を。さらに追い討ちを掛けるように腕を組んで二人で仲良く花屋へと入っていった。

つん、と鼻の奥が痛み出す。
泣くのを堪えて、家に戻る。

するとタイミング良くお得意様から急な依頼が来た。急ぎだと言われてしまったこともあるが自分自身も仕事に没頭したかった為に、二つ返事で引き受けてしまう。気づけば夕方になっていた。ご飯に行く時間には間に合いそうになかった。風呂に入らなければ間に合うかもしれないが、さすがにオイルの臭いが着いてしまってる体で行くのはお店に迷惑がかかってしまう。仕方がない。すごく行きたかったけど、今回はお断りしよう。

スマホを手に持ち、彼にメッセージを送る。タップしている自分の指先が目に入る。綺麗な女の子の爪とは程遠い。手袋はしていても日頃、工具を弄っているからか荒れている。

今日一緒に歩いていた人、すごく綺麗だったな…。

何となく返信を見たくなくて、デスクの上に画面を下にしてスマホを置く。店のシャッターを閉めて、立ち並ぶバイクを眺める。オイルの臭いも好きだし、機械を弄るのも大好き。陣平くんとどちらが速く機械を分解出来るのか競争した時はとても楽しかった。

この仕事が嫌だと思ったことは一度もない。ただ、今日みたいな…彼と並んで絵になる女性を目の当たりにしてしまうと羨ましいと思う自分がいる。

デスクの前に戻ってきて、引き出しに入れっぱなしの包装されたチョコを取り出す。

結局渡せなかったなぁ。

いや、今度会った時、義理だと言って渡せばいいじゃないか。あの、一緒に歩いていた人は彼女さんなのだろうか。

彼は優しい。それにすごく紳士で、背も高く、カッコいい。チョコなんか貰いまくりだろう。

「お風呂…入ろう」

店の明かりを消そうと電気に手を添えたとき、外からシャッターを叩く音が聞こえる。「まだいる⁉」と知ったその声に慌ててシャッターを開ける。するとそこには少し怒った顔をした彼がいた。

「はぎ…くん…」

「…っ…」

「…あの…今日は…ごめ…」

「俺と飯行くの嫌だった?」

「え!ち、違うよ!急な仕事が入っちゃって…」

彼が手に持っている一輪の薔薇を見て、心は沈む。今朝一緒にいた女性から貰ったのだろうか。

「なら今からでも…」

「で、でもオイルの臭い、ついちゃってるし…」

「俺だけ?」

「え?」

「飯行けるのすげー嬉しかったの、俺だけ?」

その言葉に何故か泣きそうになる。ブンブンと顔を横に振り、嬉しかった、と応えた。

「じゃあなんで、メール無視すんの」

「あ…ごめん…メッセージ、見てない…」

「どうして?」

「作業着のままじゃ、どっちみち行けないし、準備するの待ってもらってたらお店閉まっちゃうから…」

彼の顔を見れなかった。あの優しい彼がすごく怒ってるのが声のトーンでわかる。

「これ、今日君に渡したくて買ってきた」

カサッ、と自分の目の前に差し出された一輪の薔薇に目を見開く。

「う…そ…」

「ずっと、好きだった」

「…っ…」

WだったWの過去形に、心臓はずきりと痛む。嫌われたのだと理解した。当たり前だ。きちんと理由を話さず、彼を傷つけたのは自分だ。

「ごめん、今日は帰るわ。頭冷やしてからまた来る」

そう言い残して帰ってしまった彼。手渡された薔薇を見つめる。

彼は今、自分を好きだと言った。
なら、あの女の人は…

デスクの上の包装箱が目に入る。

本当にこのままでいいの?
自分の気持ちを告げずに、誤解されたまま、彼を傷つけたまま、
このままで本当にいいの?

「…っ…」

箱を手に持ち、全速力で彼を追いかけた。

勝手に勘違いして、告白もしないで、振られた気になって、

嫌われたかもしれない。
もう、友達にも戻ってくれないかもしれない。

でも、でも…!

もう遠くなっている背中。でも目一杯息を吸って足を動かした。

「まっ、て!」

彼の背中を掴もうと手を伸ばす。すると彼がくるりと体をこちらに向けた。全速力で走っている体は急には止まれず、伸ばした手を彼が握ると同時に、そのまま引き寄せられるようにして彼の胸の中に飛び込んだ。

あ、れ?なんで、抱きしめられて…

「ごめん、追いかけてほしくてわざと困らせた」

強く抱きしめられている体。酸素が足りない頭は状況をうまく理解出来ないでいた。心臓がバクバクと今にも爆発しそうなのは必死に走ったからだけではない。

「チョ、コ…!」

「ん?」

「チョコ…!あるのっ、萩くんに…」

切れた息を整えるようにして彼に箱を見せる。

「好き…です…!」

「…っ…」

「お花、すごく嬉しかった…!」

私の気持ち、受け取ってくれますか?

そう彼に告げたら、返事の代わりにキスが降ってきた。そのあと彼は満面の笑顔で自分を高く抱き上げたのだったーー…



後日、一緒に歩いていた女性は彼のお姉さんだということが発覚した


2021.2.14
いいね♡

- 50 -
←前 戻る 次→