みなと様



「あっ、名前さん」

最後の客も帰り、店の掃除をしているとホウキを持った彼が名前に声を掛ける。彼が掃いたゴミを蹲んで塵取りで受け取っていた名前はパッと顔を上げ首を傾げる。

「どうしました?」

「明日、僕も一緒に行ってもいいですか?」

その言葉にぱちり、と目を瞬かせる。え?と惚けていると彼は小さく微笑んで名前と同じようにこてん、と首を傾げた。

カッコいい…。

なんて思っている場合ではない。実は明日、マスターが町内会の旅行に行く為、ポアロは休みなのである。昼休憩の時に「名前さんは明日何をする予定なんですか?」と訊かれ、隣町にある最近話題のレストランに一人で行く予定なのだと話した。ポアロの新メニューに何か役立てられたらいいな、と。

まさかそれに彼がついて来てくれるなんて思ってもおらず、名前は上手くリアクションが取れずにいた。

黙っている名前に「やはり迷惑でしたかね?」とちょっと気恥ずかしいそうに頬を掻く彼を見て、ハッと我に返る。

「い、いえ!嬉しいです!是非、一緒に行きましょう!」

あっ、つい食い気味に返事をしてしまった…。恥ずかしい。けど、彼は嬉しそうに笑ってくれた。

「車は修理に出していて歩きになってしまうんですが…」

「もともと歩いていくつもりでしたし、お構いなく!ゆっくり周りの景色を見ながら歩くの好きですし」

良かった、と安心したように微笑んだ安室に名前も嬉しそうに笑った。が、その笑顔の裏では内心ダラダラと汗を掻いていた。完全に一人だと思っていたので気軽な服を考えていた。彼が来るとなると話は変わってくる。寝る前にあれでもない、これでもない、とクローゼットの中を引っ掻き回している自分が目に浮かんだ。




翌日、米花駅の改札前に行くとすでに彼がいた。腕時計に視線を落としてるその仕草でさえ、ドキドキと心臓が煩く音を立てる。

うぅ、今日一日心臓もつかな…

再度手鏡で変なところがないか確認して、スカートもシワが寄ってないか見る。よし、大丈夫そうだ。

すー、はぁー、と深呼吸をする。気持ちを落ち着かせてから彼の元へと向かった。

「安室さん!お待たせ致しました!」

こちらに気づいて優しく微笑む彼に心臓を矢で射抜かれてしまう。既に撃ち抜かれてはいるのだが、仕事場とはまた違った雰囲気に心臓は今にも爆発してしまいそうだった。

「まだ約束の10分前ですので、謝らないでください。今日が楽しみで早く着き過ぎてしまっただけですので…」

困ったように笑いながらそう言った彼。名前は放心してしまう。ハッと気づいて心の中で自分自身をビンタする。一瞬でも自分との外出を楽しみにしてくれていたのだという都合よい解釈をしてしまうところだった。

今の言葉に深い意味はない!今日はデートじゃないのよ!ポアロの新メニューの為に行くんだからね!勘違いしちゃダメ!と寝る前に何度も唱えた言葉をここでもう一度繰り返し、「では、早速向かいましょうか」と持ち前の営業スマイルで誤魔化して二人で電車に乗り込んだ。




平日だというのに乗客は多く、車内は結構な人で溢れていた。すると大きなエナメルバックを持った学生たち数人が扉が閉まる直前に慌てて乗り込んで来た。

後ろから押される体は反対のドアまで押し流される。無理して履いてきた高さのあるヒールは踏ん張りが効かず、前に倒れそうになる。

「わっ…と、」

ぽふっ、と前にいる誰かに抱きついてしまう。よく見たら安室で、慌てて体を離した。

「す、すみません!」

あぁ、もう…何やってるんだろう。
見栄張って脚なんて長く見せようとするからだ。

「大丈夫ですよ。結構揺れますし、このまま捕まってください」

「い、いえ!そんなことは…」

ガタンッ、とまた車両が大きく揺れる。咄嗟に彼の腕を掴んでしまった。

「・・・・」

「ね?」

優しく諭すように、でもちょっと笑いを堪えながら彼は言った。

「す、少しだけ…腕を、お借りします…」

「どうぞ」

場所も交換しますか?とドア側にいる彼が気を使ってくれたのだが、揺れる車内でこれ以上の移動は危険だと自分で判断し、やんわりお断りした。これ以上の醜態は見せたくない。

無言になってしまうのを恐れ、名前はちらり、と先ほど乗ってきた学生を見る。

「帝丹高校のジャージですかね」

試合後なのだろうか、とても嬉しそうに今日のことを話している。

「バスケ部でしょうか?」

皆が肩に掛けているエナメルバックには何が入っているのだろう。帰宅部だった自分にはあまり想像がつかなかった。

バレー?いや、ハンドボール部の可能性も…

「名前さん」

「あっ、はい」

探偵の彼ならこんな推理楽勝であろう。どんな推理を聞かせてくれるのだろうとわくわくしながら彼を見上げたら、くるりと彼との位置を交換させられる。いつの間にかドア側にいる名前はポカン、と口を開けた。

「えっ…と…?」

今し方やんわりお断りしたばかりだ。困惑した顔で前に立つ彼を見上げる。しかし彼とは目が合わなかった。

いつもの穏やかな表情とは異なり鋭い目で、とある方向を見ているようだった。安室の視線の先を追うとあるサラリーマンと目が合い、その男性は名前に気づくとパッと気まずそうに顔を逸らした。

「安室さん?」

あの男の人がどうしたというのだろう。
こんな雰囲気の、こんな険しい表情をする彼は初めて見た。

電車は次の駅で止まり、学生たちが降りていく。あの男の人も何やら慌てた様子でホームを降りていった。他の人も降りて車内は結構ゆとりが出来たのに彼との距離は近いままだ。

「名前さん」

いつもより少し低い声。戸惑いながらも返事をする。

「なにも、されませんでしたか?」

え?と首を傾げると、彼は安心したように首を横に振った。

「何もなければそれでいいんです」






好意を寄せている女性にいくらアピールをしてもいつもうまい具合に交わされてしまう。彼女はポアロの従業員で、梓よりも長くあの喫茶店で働いている。

今日出掛けるという名前に半ば無理矢理ついてきてしまった。迷惑なんかじゃないですよ、と柔らかく笑う彼女についつい勘違いしてしまいそうになる。

その嬉しそうに笑う口元を見る度に自分が特別に思われているのでは…と。

車内は混雑しており、ふと彼女の近くに立つサラリーマンに目がいった。なんだ?少し彼女と距離が近いような。学生たちが乗り込んで来たところでわざわざ彼女の真後ろに移動して来た。スマホを手にし、腕を下ろした仕草を見て慌てて彼女を守るようにその男から彼女を引き離す。

ギロリと睨めば男はやはり何か後ろめたいことでもあったのか次の停車駅で慌てて降りていった。

盗撮犯。慣れた手つきに恐らく初犯ではないだろうと踏む。顔は覚えたし、この近辺を縄張りにしてるなら近々また現れるだろう。

後で風見に連絡しておこう。

彼女の肩を掴んでいるその手は自然と力が入ってしまう。そんな自分を見て、どうしたのかと逆にこちらを心配する彼女に安室はこのまま抱きしめたい衝動に駆られる。

「レストラン、楽しみですね」

肩から手を離し、場の空気を壊さないよう笑顔を貼り付けて誤魔化す。

君に全てを打ち明けて、堂々とそばに居られたらどんなにいいだろう。

近ければ近いほどもっと、もっと君に触れたくなる。

降ろした安室の手に彼女が触れる。驚いて彼女を見れば顔が真っ赤だった。

「あ…の…」

すり…と彼女の人差し指の先が安室の人差し指の側面に触れる。躊躇いがちに触れるものだから少し擽ったい。

「さっきの、もしかして…」

ま、まもって…くれました?と自信なさげに言う彼女。無意識にしてることなのだろうが困ったように眉を下げ、控えめにこちらを見上げてくる顔はとても可愛い。

彼女に応えるように、触れる指先に反応を示す。指先同士が触れ合い彼女の肩がピクリ、と小さく跳ねる。

互いの反応を見るように、少し躊躇いながらちょっとずつ絡まっていく指。

耳まで赤い彼女。

どうしよう。
このままレストランではなく、別のところに連れて行ってしまいたい。
散在に愛を囁いて、自分のものにしてしまいたい。

しかし、一緒に働いていて思ったが、彼女はあまり男性に免疫がないようだった。安室だからこの反応なのかもわからなかった。

だからーー…






ーーー彼は前から人との距離が近いな、とは思っていた。


彼女とはよく目が合う人だな、と思っていた


ーー仕事中だって結構な頻度で、よく目が合う。


でも、たまたまかも。


ーーーー彼は探偵だからよく人の目を見て観察してるだけかも。


車で送ると言えば嬉しそうな顔をする。


ーー遅くなった時は必ず家まで送ってくれる。 

他の人が言っても同じ笑顔を向けるのだろうか。

ーーでも、みんなにそうなのかもしれない。


貴女は優しい人だから


ーー貴方はよく気がつく人だから


今日もポアロの新メニューの為に二人で出掛けているだけ。


ーーだから…


だからーー…



((勘違い、してはダメだ))



絡めるように触れる指先の意味を互いに考えながら、降りる駅はとうに過ぎているということに気づくまで、まだもう少し時間が掛かりそうだった。


おわり
2020.10.13
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