一線を超えないと出られない部屋で過ごした後の話《諸伏景光》


「また、ですね」

「まただね」

肩を上げ、お互い困ったように笑い合う。
白い壁に囲われた部屋。中央にポツン、と置かれたベッドの端に彼女は慣れた感じで腰掛けた。

「今日はどっちが主導権握ります?」

少し戯れた言い方で見上げてくる彼女の隣に自分も腰掛け、「うーん…」なんて悩んだふりをして後ろに手をつき、天井を仰いだ。

この不思議な部屋に招かれたのは今回が初めてではない。こういう類いの夢は普通知り合いが出てきそうなものだが顔も、名前も知らない彼女と夢の中だけだが肉体関係を結んで三ヶ月ほどが経った。もはや幽体離脱してるのでは?と思うほど、目覚めた後もその記憶はハッキリと頭に残っている。

初めは初対面どうしというのもあり、なかなか事が進まず、会話で繋いでいたのだが一向に部屋から出られる気配もなければ、夢から覚める気配もないために、致し方なく行為に及んだ。二回目、三回目と同じことが繰り返される中、義務的に済ましていた行為は気づけば次彼女に会えるのはいつだろうかと待ち焦がれるようになる。

夢は不定期で、一週間後の次は三日後だったり、かと思えば二週間会えなかったり。

困ったことは、初めは厄介な夢だと思い悩んでいたのに、今や満更ではないと思っている自分がいること。

彼女に、夢中になっていた。

実在してるかわからない女性に恋を?
ふざけている。
そんなことあってはならない。

そう、頭ではわかっているのに終わると現実世界に戻ってしまうのが嫌で、彼女と少しでも長く居たいがために、なるべく一線を超えないギリギリの辺りを責めることが多くなった。だんだんと熱を持ち始めた行為に彼女も気づいてると思う。ずっと避けていたキスをした時、目を見開いて驚いていたから。
彼女だって知らない男とキスなんて…まぁそれ以上のことをしているわけだけども、それでもしたくない筈だと言い聞かせてキスは絶対にしないと誓っていたのに。一度垣根を越えてしまえば歯止めが効かなくなり、今ではしたくてしたくて仕方がなくなってしまった。

それでもお互い名前を名乗ることはしなかった。
建前でも自分の気持ちをセーブしていると思いたかったのかもしれない。
だから今も彼女の名前はわからない。
彼女も景光の名前を知らない。

ーー君はどんな、名前なのだろう

視線を感じ、顔を戻すと彼女がこちらを見ていた。

「ん、なに?」

「んーん。綺麗な顔立ちしてるなぁって思っただけ」

指の背で彼女の耳先に触れると「んっ…」と甘い声が漏れ出た。ココが弱いことは散々抱いて知っている。すりすり…と指を往復させれば猫のように身を捩り、頬を摺り寄せた。

熱を帯びた瞳が、景光を見る。

あぁ、好きだな。と思った時には彼女の腕を引っ張り、押し倒していたーー。



「おい、…ろ!」

「………」

「ヒロ!」

「………」

おい、景光!と肩を叩かれ我に返る。ゼロが片眉を山なりに釣り上げていた。

「悪い、聞こえてなかった」

「大丈夫か?」

「ああ」

彼女とはあの日を境に夢の中で会うことはなくなってしまった。普段と違うことをしたとすれば、名を名乗ったぐらい。

そう…景光はその日、自分の名を彼女に教えてしまった。言ったそばから…と今更反省しても遅い。職務を考えれば教えるべきではなかったのに。

荒れた二人の呼吸が混ざり合い、部屋に轟き始めた頃。乱れた息が互いの肌に触れ、余裕のない瞳が絡み合う。彼女がもう何も考えられなくなってきているのがわかった。

Wな、まえ…!よびたいっW

絡めた指に力が入る。彼女の前では理性なんてなんの役にも立たない。涙を溜め、そんなことを言われてしまったら名乗らずにはいられなかった。

「今日はもう帰ったらどうだ?あとの仕事は僕がやっておくから」

「わるい…。ちょっと外の空気吸ったら戻るから」

「あ、おいっ」

あれはやはり夢だったのだろうか。彼女の名前を聞く前に事が終わってしまったのも致命的だ。ずっと呼んで欲しかった名前を彼女に呼ばれれば余裕だってなくなるさ。

「…っ…」

あ〜もう言い訳ばかりだ。彼女のことは忘れよう。これ以上は仕事に支障が出てしまう。ゼロにだって迷惑がかかってしまうだろう。所詮は夢の中の出来事だと景光は気持ちに蓋をしたーー。

それから一年ほど経ったある日。組織に、自分が公安の人間であることがバレてしまった。ライから奪った拳銃で胸に銃口を押し当て、硬い感触を確かめる。情報が入った端末ごと逝くつもりで指先に力を込めればライにリボルバーのシリンダーをつかまれてしまう。そして彼もFBIから潜入している赤井秀一だと明かされた。自分を逃がすことぐらい造作もないと、つかまれているシリンダーから少し手が離れる。しかし上がってくる階段の足音に、景光は引き金を引いたーー。





「………」

消毒液の臭いと、胸の痛みで目が覚めた。

「あ、起きました?」

聞き覚えのある声に目を見開く。風で揺れる白いカーテンを背に、彼女は看護師の服を着て、景光の前に立っていた。

「先生呼んできますから、少し待っ…」

彼女の手を引き、よろけた体を抱き止め、後頭部に手を回す。

「まって…!ひろ…」

言われかけた名前にやはり彼女本人だとわかり景光はその唇にかぶりついた。

「んっ…まっ、」

久しぶりの彼女とのキス。口内全てを確かめるかのように舌を這わせれば、彼女の体が小さく揺れる。

「ふっ、まっ…て!」

そのまま服に手をかけると気づいた彼女が慌て始めた。

「だ、めっ。ほん、とに待って!」

「待たない」

待たない。待ちたくない。少しでも気を緩めてしまったら…

「ひろみつ、本当に…!」

「オレは…死んだんだな」

動きを止め、少しはだけた彼女の胸元に額を押し当てた。自分で覚悟を決めた選択であるのに、掠れた情けない声に自嘲めいた笑いが出る。抵抗していた彼女の力が少し弱まったのを感じた。

「もしかして私、幽霊かなにかだと思われてます?」

えっ?と顔を上げると彼女が困ったように微笑んでいた。

「大丈夫。大丈夫ですよ。生きてます。ここはあの変な部屋じゃなくて、現実世界です」

負った傷がツキリと痛んだ。けれど、その痛みで頭は徐々に冷静さを取り戻していき、サーっと顔が青ざめていく。慌てて彼女から体を離した。

「ごめん!!オレ無理やり…」

「全くですよ!夢の中の人が運ばれてきたと思ったら、死にかけてるんですもん!で、起きたと思ったら襲われるし!点滴だって…あー!ほら、針外れてる!!」

全く反論出来ず、押し黙るしかない。本当に申し訳ない、とただただ深く頭を下げた。

「警察関係の人だったんですね」

「え?」

点滴の針をやり直してる彼女が伏し目がちにそう口にする。

「ここ警察病院…ではないんですけどそういうW訳ありWの人がよく来るので。安室さん…?という方がすごく怒ってましたよ」

あとでゼロにも謝らなくては。景光は困ったように眉を下げて小さく笑う。あの時、上がってくる階段の足音に逃げ道はもうあの世しか残されていないと指先に力を入れた。駆け巡る走馬灯に一瞬の迷いが生じ、同時に気づいたライの刹那の行動が運命を変えたようにおもう。お陰で心臓を撃ち抜いた筈の弾は僅かに逸れ、あの世行きは免れた。

「会いたかった」

走馬灯の中に、彼女が映り込んだのは忘れたくても忘れられなかったから。
再度彼女の胸に埋もれ、今度は点滴をしている腕を気にしながら、腰に手を回す。彼女の手が優しく景光の頭を撫でた。

「うん。私もずっとずっと会いたかった」

私の名前です、と差し出されたネームホルダー。記されてる名に景光はやっと君の名前が知れたと嬉しそうに笑ったのだった。


おしまい
2025.4.30.
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