一線を超えないと出られない部屋で過ごした後の話《萩原研二》


想い人の萩原研二こと萩くんはすごくモテる。カッコいいし、優しいし、頼りになるし、女性が悲しむことは一切しないし、言わない。まさに理想の男性そのもの。しかし警察学校に入学してから休憩中、昼食中、自由時間と講義以外は常に女子が彼を囲んでおり、自分なんて入る隙が全くないほどにとにかくモテる。ので、遠くから眺めさせてもらってるのが常だ。
ただ教場が同じなだけの、程々に会話をする程度の仲。時々彼と目が合うような気もするが、特に秀でたものがない、顔もいたって普通の自分を彼が見るわけがないので気のせいであろう。

そんなある日、事件が起きる。
事件といってもそんな物騒なものではなく変な夢を見ただけなのだが、夢にしてはあまりにも現実に近いその感覚に、初めは夢だと気づかないほどだった。白い空間にベッドだけが置かれている部屋。隣には彼がいて、壁にかけられたボードを見て、お互い二度見。記された内容に顎が外れそうなほど開いた口が塞がらなかった。どうやら彼と一線を超えないとこの部屋から出られないらしい。ちょっとネットの見過ぎかな!?なんて思いながらも緊張した面持ちで隣に立つ彼を見上げれば、夢の中でも彼は余裕そうな顔をしていた。そしてまるで繊細なものでも扱うかのようにそっと自分の手を取り、「優しくするから」と手の甲にキスをしたのだったーー。



「………」

ぼんやりと窓外を眺めていると、伊達班たちはキャッチボールをしていた。ぼーっとしすぎて、今日はもう一日なにをしたかも覚えてないくらいだ。

夢の中の萩くん、キスすっごく上手かったな。
絶対さくらんぼの茎、舌で結べるタイプだ。

なんてことをずっと頭の中でぐるぐる考えてはドジばかりするので今日はもうポンコツデーである。
色々やらかしまくりなので、鬼塚教官にも怒られ、現在使われなくなった資料を旧資料室に運ぶよう命じられてしまった。

「はぁ、重ッ…」

ダンボールを持ち上げ、率直な意見が口から出れば「たるんどる!」とさらにダンボールを上に追加された。余計なこと言わなきゃよかった。

「わわっ、」

階段でよろめいた瞬間、誰かが咄嗟に肩を支えてくれる。

「ありがと…う!?」

彼だとわかった途端、触れられている肩に熱が帯び初めた。なんて正直な体なんだ。

「どういたしまして」

ほいっ、と二個の段ボールを自分の手から軽々と奪われ、唖然。

「は、はぎくん!」

「旧資料室までっしょ?俺が運んどくよ」

「いーよいーよ!私が頼まれたんだし、私が持ってく!」

すると彼は少し考える素振りをしたあと、「んじゃあ、道案内よろしく」と言った。

「え?」

「箱で前がよく見えねぇのよ」

おねがい♪とキラキラスマイルを向けられれば従うしかあるまい。

「い、一個は持つから!」

その点、なんて自分は可愛げがないんだろうなどと思いながら上に乗せられてるダンボール箱を一個、自分に戻す。苦笑いしている彼と目が合い、きっと頑固な女だと思われたに違いないと落ち込んだ。




「ありゃ、電気つかねーや」

「暗いね」

旧資料室は普段殆ど使われていないのか、電気のスイッチを押しても明かりは点かず、仕方なく薄暗い中、資料が入ったダンボールを言われていた場所へと下ろす。部屋を出ようとしたところで、彼が「あれ、開かない」と言い出した。

「えっ」

ガチャガチャと回すドアノブ。押しても引いてもびくともしないそれに二人で顔を見合わせ、眉を寄せ合う。どうやら閉じ込められてしまったようだ。

「スマホ…は預けちゃってるし」

「気づいてもらうにも今日はもう講義ないからねぇ。誰かがここを通るのを気長に待ちますか」

こちらを安心させるよう彼はそう言ってくれたのだろうが、好きな人と突然の密室に心臓はずっと慌ただしい。それに今日の自分はとことんポンコツ。二人でいるのは不安でしかない。
ふと彼がジッと何かを探るような目つきでこちらを見ているのに気付いた。

「な、なに?」

「今日、調子悪い?」

「へ?」

「いつもよりぼーっとしてるし、鬼塚教官にも珍しく怒られてたしさ」

俺らは日常茶飯事だけど…なんてフォローになってないフォローを付け足してくれたけど、格好悪いところを好きな人に見られていた事実に今すぐここから立ち去りたいと思ってしまう。

「大丈夫、ちょっと寝不足なだけだから。心配してくれてありがとう」

「ふーん」

彼の手が伸びてきたのがわかり、変に意識してしまった体は過剰に反応してしまう。薄暗がりのなか、後ろに一歩下がれば、ダンボールに足を引っかけてしまい、そのままバランスを崩すはめに。

「危ない!」

ガンッ!と壁に後頭部を強打し、あろうことかそのまま気を失ってしまったーーー。





意識のない彼女に萩原は焦っていた。

「おい!しっかりしろ!」

「んぅ…」

頭を打っているため、極力動かさずに声をかけると彼女が目を覚ます。しかし目はどこか虚ろだ。

「大丈夫か⁉︎」

「………」

反応がなく、ただただぼんやり萩原を見つめる黒い瞳。こんなことになるならさっさとドアを蹴破って脱出すればよかったと後悔する。

「ちょっ、まだ動かねぇほうが…」

起きあがろうする彼女の肩に触れようと伸ばした手は先ほどのことが脳裏によぎり、躊躇する。今日一日、顔色が優れない彼女が心配だったとはいえ、彼女の許可なく額に触れようとしてこの惨事だ。仄暗い中、男と密室で二人きりの状況にもっと配慮すべきだったと反省する。

「いたた…」

後ろ頭を押さえながら、「あれ、またあの夢だ…」とどうやら夢現の境にいるようだ。

「今ドア蹴破っから!そしたらすぐ医務室にっ、」

スッと彼女の方から萩原の頬に触れ、目を見開く。

「どうし…」

「萩くんって、キス…上手だよね」

「………」

え?と言葉を理解するのに数秒かかった。聞き間違い、じゃない…よな?

「俺、キス上手だった?」

試しにそう聞いてみると彼女は「うん、すごく」とまるで萩原とキスをしたことがあるような口ぶり。確かに昨夜はたくさん彼女と口付けを交わしたが、あれは萩原の夢の中の出来事。彼女が知っているわけがない。はずなのに…

「まいったな…」

頭の後ろをガシガシ掻きながらそう、言葉を漏らす。

「そんなこと言われたらキス…したくなるじゃんよ」

「うん」

「WうんW…?」

「して…ほしい」

「…っ…」

いやいやいや!危ねぇ!流されるところだった!

「でも頭ッ…」

「大丈夫」

「大丈夫って…」

「こんな都合のいい夢、もう見れないかもしれないから…」

ぎゅっと萩原のジャージの胸元を掴む彼女の手。

「…っ…」

数秒黙ったあと、萩原は真剣な眼差しで彼女の目を見る。

「手足の、痺れは?」

「ないよ」

「気持ち悪かったり、視界が見えにくかったりとか…」

「それも大丈夫」

「……マジで後悔、しないな?」

喉奥が震えるのを感じながら、低く、そう彼女に問いかける。

「絶対しない」

「オーケー」

彼女の頭を優しく撫でた後、両手で顔を包み込んだ。見つめ合い、軽く唇に触れ、少し離し、また唇を重ね合わせる。時折感触やぬくもりを確かめるように、はむっと優しく挟むように噛むと「萩くんの唇って、柔らかいよね」なんて嬉しそうな顔で彼女が言った。

おいおい…

「…っ、あんま煽りなさんなって」

困った顔をする萩原に不思議そうな顔で返す彼女。柔らかいのは君の方さ。なんていつもの余裕があれば言えるその口も今は役に立たない。他の子とはもっとうまく話せるのに…。彼女の前だといつも変に口がもたついて、上手くいかない。

舌先で彼女の唇を舐めれば快く開いてくれたので、ゆっくりと舌を入れる。探しあてた温かい、柔らかな感触。舌先に触れ、じゅっと吸い付くと彼女の体が小さく跳ねた。かわいい。

ーー理性…持つかな。

押し倒さないようにするのがやっとで、思春期野郎並みにがっついてる自分に嗤ってしまう。昨日の夢の方がまだ現実世界じゃないと思っていた分、余裕があった。

深く、奥へと舌を絡め始めると彼女の呼吸がだんだん浅いものへと変わっていく。必死についてこようとする慣れない舌の動き。苦しそうに、乱れはじめた吐息が萩原の昂ぶる感情をさらに煽っていた。歯止めが効かなくなる前に止めようと思っていたのに…。

全然止められそうにねぇや。

そう、胸の内で苦笑いを浮かべる。知らぬうちに前のめりになっていて、彼女の体がだんだんと倒れていくのがわかった。床に頭が当たらないよう後頭部に回していた手も、今はもっと深く、もっと奥へと彼女の頭が逃げないよう引き寄せるものに変わっていく。

触れたい…

「んっ、はぁ…は、ぎくん」

「…っ…」

触れたいッ

「〜〜っ、やっぱりダメです!!!」

べリッと剥がすように彼女から離れると、とろんとさせた瞳と目が合う。なんで?なんていう顔で見てくるから顔を手で覆いながら、こうべを垂れた。

「夢じゃ…ないから」

「…え?」

「悪い。正直に言えばよかった」

こんなに後悔するなら初めから打ち明けておけばよかった。

「きちんと俺の気持ち伝えてからじゃないとこの先は進めないっつーか。いや、夢の中ではちゃんと伝えてたけど…」

何言ってんだろ。彼女が自分と同じ夢を見てたかどうかなんてまだわからないのに。

「…うそ、だよ」

「へっ?」

顔を上げると悲しそうに眉を寄せている彼女がそこにいた。

「これ、絶対に夢だもん…」

「……なんで?」

「だって…萩くんが私と同じ気持ちなわけ、ない」

ポロポロと涙を流し始めた彼女に、開いた口が塞がらなかった。なんでそんなこと…

「萩くん、すごくモテるし…こんなどこにでもいそうな女に惚れるわけ…」

「ちょいまち」

咄嗟に彼女の口を手で塞ぐ。驚いたように彼女が瞼を瞬かせると弾みで目の端から涙が溢れ落ちた。

「たとえ本人でも、俺の惚れた女のこと悪くいうのはナシ」

「…っ…」

切なげに細められた目からまた涙が溢れ、萩原の手を濡らす。

「好きだよ」

口元から手を離すと、彼女の手がやんわりと萩原の手を掴んだ。

「わたし…も、好きっ」

「うん」

俺の方が好きだけどね、と嬉しそうに抱きしめれば、彼女は小さく笑った。そして照れ臭そうにお互い見つめ合い、ゆっくりと唇を重ね合わせていく。閉じ込められていたことなどすっかり忘れ、彼女とのキスに夢中になっていると、ドアを蹴破って助けに来てくれた松田たちが察したのかすごい顔で見てきたのは言うまでもない。



おしまい
2025.05.04.
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