失念してました。

気づいたらベッドの上にいた。全く見覚えのない大人は親だという。鼻に絆創膏をし、髪はオールバックで、柄も目つきも悪い高校生ぐらいのお兄さんが自分を見下ろしている。どなたですか?と尋ねれば彼は眉を顰めた。

「お前の兄の小五郎だろうが」

そう…彼はそう言ったのだーー…



 

「え?頼太くん結婚するの?」

お茶を淹れていたハルは久方ぶりに聞いた小五郎の古き友人の名にその手を止めた。

「あぁ、今朝招待状と手紙が届いてた」

「あの喧嘩っ早くて、女たらしの伴場頼太くん?」

「あぁ、手が早いクセに焼きモチ妬きな伴場頼太だよ」

人違いではないようだ。なら、彼の婚約者は…。

「どうやら一目惚れらしい。会った瞬間運命感じたとか書いてあるぜ」

「そう…なんだ」

「あん?あんま嬉しそうじゃねぇなぁ?」

「そんなことないよ」

「お前結構伴場にべったりだったから寂しいんだろ」

「いつの話してるの!」

「で?お前どうする?高校の同窓会も兼ねた結婚パーティーらしいが…」

「んー、残念。その日仕事だ」

「んだよ、お前もかよ」

舌打ちを放ち、つまらなそうに競馬新聞を広げる小五郎。Wお前もWということはもう一人同じ理由で出席できない人間がいるということだ。

「あ、もしかして英理ちゃんも仕事でこれないんだ?」

「…薄情なお前らの代わりに俺が一人で盛大に祝ってきてやるよ」

何となく喋り方で彼が不機嫌そうに下顎を出しているのが新聞越しでもわかった。

「……ん?」

あれ、ちょっと待って、今一人でって言った?

「代わりに蘭とコナン君連れていけばいいじゃない」

「あぁ?なんで高校の同窓会でまでガキのお守りしなきゃなんねぇんだよ」

「しのごの言わない!」

「あぁ⁉」

巻き込んでしまう蘭とコナンには申し訳ないが彼がいなければ伴場頼太が犯人になってしまうのだ。

「絶っ対!連れて行くこと!」

ドンッ!とお茶の入った湯呑みを小五郎の前に置く。鬼気迫る妹の顔にたじろぐ兄。最後には「分ぁったよ!ったく!めんどくせぇな」なんて悪態をつきながらも了承してくれた。こちらが言わなくても本当は連れて行ったのかもしれないが念のため、だ。

ふとそこで…何かとてつもなく重大な事を忘れているような…

「なんだっけ?」

「あん?」

「ううん。なんでもない」

まぁ、そんな大した事ではないのかもしれない…とハルは特に気にせず自分にも注いだお茶をゆっくりと啜ったーー…





「………」

「あの…?」

金髪で色黒の整った顔立ちの男性にハルは固まる。ひくり、と口の端がヒクついた。今日は仕事が休みで、蘭とコナンが学校に行っている間に探偵事務所の掃除に来ていたのだ。ふと掃除機の音に混ざって微かに聴こえた人の声に、お客さんかな?なんて気軽にドアを開けてしまったのがいけなかった。

「僕の顔に何かついてま…」

とりあえずそのままドアを閉めさせてもらった。

「……ふぅ」

額の汗を拭き、一度深呼吸をした。

「………」

あーーーー!と頭をぐしゃぐしゃと掻き乱す。そうだよ!バーボンじゃん!いや、今は安室?ってそんなことより!普通忘れる⁉ポンコツすぎない⁉全然大した事じゃん!むしろ新しい章じゃん!何してんの⁉っていうかそもそも!弟子が出来たなら言っておいてよ!!と責任転嫁でピンクの羽織を羽織って寝こけているおじさんを睨む。

「落ち着いて、ハル」

とりあえず今は変な人だと思われないようにちゃんと自己紹介をしましょう。妹であるならW安室透Wを知っていてもなんら不自然ではないはず。もう一度ゆっくり深く深呼吸をしてハルはドアノブに手をかけた。帰ろうとしていた彼はその音に気づいて振り返る。

「…安室透くん…ですね?」

くん、なんて馴れ馴れしかったかな。しかし彼は嫌な顔一つせず、ゆっくりと肯いてくれた。

「はい…失礼ですが、貴女は…」

いや、絶対調べてきてますよね、なんて思いながらもなるべく顔には出さないように努め、自己紹介をする。ついでに先の無礼も謝した。彼は「あぁ、妹さんでしたか」なんてすっとぼけた笑顔を向けてくる。くっ…いい顔。なんて思いながらもこちらも笑顔を崩さない。大丈夫かな、ちゃんと笑えてるかな。

「いえいえ。むしろ驚かせてしまったようですみません。実は今日、お近づきの印にサンドイッチを持ってきたんです」

彼の存在に必死で気づかなかったサンドイッチがここでようやく視界に入る。ま…まさか…これが噂の…!と期待に満ちた目でいらんことを口にしてしまう。

「ハムサンドも…ありますか?」

ポカン、とする彼にサァ、と顔を青くする。

「ハムサンド…ですか?今回は用意してないですけど…お好きなんですか?」

そうですよね!まだ入って日が浅いですもんね⁉考案すらしてない状態ですよね⁉

「ご、ごめんなさい!いいんです!気にしないでください!わざわざ兄のためにありがとうございます」

己の失態に落ち込みながら彼の手から皿を受け取る。あー、もう何やってんだろ…

「今度持ってくる時は…飛び切り美味しいハムサンドを持ってきます」

え?本当?と彼の言葉に思わず食いついてしまう。顔を上げれば彼はプッと吹き出した。途端、顔に熱が集まる。やばい表情に出過ぎた?全然隠せてないじゃない。絶対食いしん坊だと思われた。

「すみません…笑ってしまって」

「いえ、私こそ、せっかく作っていただいたのに…」

「お気になさらず。新しい看板メニューを模索していたところでしたので、考えるいい機会です」

そして気を使わせてしまった。忙しいのに逆に申し訳ない。本当は家に上がってお茶でも出したいところだが、眠りの小五郎がまさに今寝ている状態なのだ。気まずい空気を出すハルに何故だか分からんが彼は首を少し傾け、優しく微笑みかけてきた。

「…っ…!」

うわぁ、半端ないな!笑顔!とその破壊力に思わず後退りする。

「それで毛利先生は?」

気を利かせて話題を変えてくれたのかもしれないが、一番訊かれたくなかったことである。

「それが…」

「どうかされたんですか?」
 
答えずにいるハルに彼は少し体をズラし事務所内を覗く。遅かれ早かれいずれかはあの姿を見せることになるのだ。物凄く恥ずかしいが致し方ない。事情を察したのか彼は体を元に戻し、ハルに苦笑いを浮かべた。何も言わないところが彼の優しさだと思った。

「何度も起こしたんだけど…」

「悪いのは突然来た僕なので」

眠りの小五郎があんな感じでがっかりしてない?大丈夫?

「優しいんですね。さっきまで沖野ヨーコちゃんのライブのオンエア観てて…今日は依頼も入ってないから…彼女のドラマの再放送が始まるまでは多分あぁ…」

今日はもう起きない事をさり気なく伝えると彼は残念そうに肩を下げた。

「なら仕方ないですね。僕もまだ仕事が残ってるのでこのまま失礼します。毛利先生によろしく伝えてください」

階段を降りていく安室。再度丁寧に作られたサンドイッチを見つめる。偵察に来たとはいえ、手間暇かけて兄の為に作ってくれたのだと思うとハルは嬉しく感じた。

「安室さん!」

「はい?」

「サンドイッチ、ありがとうございます」

それに彼は小さく笑い、軽く頭を下げて階段を降りて行く。いつか心の底から笑う本当の彼を見てみたいと思いながらハルはその背を見つめた。



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