春の夕暮れ

「なるほど、理解した。つまり…」

「………」

「W面白ぇ女Wってやつだろ?」

「………」

「俗に言うイケメンとやらに効果覿面な…」

「ちーちゃんには2度と恋愛相談しないね」

「何故だハル…」と心外そうな顔をする千速にハルは遠い目をする。安室透と現在交際している旨を伝え、全てを伝えることは出来なかったが掻い摘んで話した結果がこれだった。面白ぇ女を狙ったつもりはないが、意味不明なことを口にして彼を混乱させた上に告白して去ったのだと言えばそう思われても仕方ないかもしれない。

「それよりもお前が元気そうで安心した」

「ちーちゃん…」

もう絆されかけている自分は本当にちょろい。

「あの、ちーちゃんが大切にしてたバイク…」

「気にするなハル。お前がこうして生きてることが大事だ」

「ちーちゃん…」

「謝罪するのはナシだぞ」

「ありがとう」

嬉しそうに笑う千速にハルも眉を下げて笑う。この人が男の人だったらきっと恋に落ちていた相手は彼女だったかもしれないと思うほど千速は魅力的な人間だ。

「重悟くんが羨ましい…」

「デートの頻度はお前との方が多いぞ」

嬉しい反面、彼の顰蹙を買ってそうだとハルは困ったように笑ったーー。

千速と別れ、少し海を見て帰ろうと近くの海岸へ寄る。シーグラスや貝殻に混ざり、どこからか風で飛ばされてきた桜の花びら。さざなみに揺られては渚に打ち上げられる姿に春の終わりを感じた。
日中は暖かいが夕刻にもなるとまだ少し肌寒さが残る季節。沈みかけの夕陽。橙色に染まった海を眺めながら歩いていると突然スマホが震えた。

それは恋人からだったーー。




「ハル」

白い車から降りてきた彼が視界に入った途端、心臓はソワソワと落ち着きなく動き出す。彼とお付き合いを始めて一ヶ月が経つというのに未だこの心臓は慣れる気配が全くなかった。
会えた嬉しさと少しの緊張が混ざった指先は少しだけ震えている。悟られないよう手を振りながら駆け寄ると彼の手がハルの手を包み込んだ。垂れた目尻をさらに下げ、柔らかく笑う彼にハルは困ったように笑う。彼には全てお見通しのようだ。

「悪い。近くの店で待ち合わせるべきだった」

少しだけ冷えた指先に気づいた彼が温めるように繋いだ手をコートのポケットにしまう。

「ううん。私も海見たかったし」

このまま少し散歩でもどう?と誘えば彼はこくりと頷いてくれた。波の音を背景に会っていなかった時間を他愛無い会話で埋めていく。たまたま仕事で近くまで来ているという彼と急遽会えることになってハルは大層浮かれており、きっと顔や頭から花が飛んでいたに違いない。「僕に会えたのがそんなに嬉しい?」と聞かれ慌てて緩みっぱなしの口元を結んだ。
陽が全て海に飲み込まれる前に車へと戻り、クラッチペダルを踏み込んだところで彼がふとフロントガラスに目を向けた。

「どうしたの?」

前を通る子供連れの家族。幼き子供を真ん中に、夫婦で子の手を取り合いながら通り過ぎて行く家族を目で追っている彼。不思議に思い、ハルもその家族を目で追った。

「あの家族がどうかした?」

トントン…とハンドルを軽く叩いていた指先の動きが止まる。しばしの沈黙の後、ハルを見る彼の目がほんのり寂しげに下を向いた。

「本当に僕の…お嫁さんになる覚悟はある?」

「え?」

心配で寄せていた眉は降谷の問いに弛む。

「もしかしたら…君が思い描いてる結婚生活とは、かけ離れた生活に…」

「私が思い描いてる結婚生活…?」

「大切な人にウソをつき続ける人生を送ることになるってこと」

その覚悟はある?

再度ハルは降谷が見ていた家族に目を向ける。もうだいぶ遠くなってしまったが仲睦まじく歩く三人を見つめた後、一度目を伏せた。

「…そうだね」

今後、場合によっては人目を避けて生活しなくてはならないこともあるだろう。多忙な彼と会うよりも千速とご飯を食べる回数が勝るだろうし、一緒に暮らしても顔を合わせない日の方が多いかもしれない。兄や英理、蘭たちに言えないことも確かに増えていくだろうし、それで心苦しくなることもきっとある。でも…

「私の最大の秘密…知ってるの零くんだけなんだよね」

「………」

「だれも知らないの。そしてこれからも言うつもりはない」

そして私はあなたにも言っていないことがある。
別の世界から来たこと。本当の両親は別にいて、前の世界でここは紙の上の物語だということを。

「今も、そのウソはつづいてる」

それを墓場まで持っていくつもり。

「でも、それは零くんだって同じでしょ?」

彼の仕事上、付いてきたウソはハルよりも多く、その負担は大きいはずだ。

「覚悟なら、あなたと再会出来たあの日から出来てるよ」

「…っ…」

「零くんは?」

「え?」

「本当に私でいいの?私たぶん演技下手だし、絶対あなたの足を引っ張る…」

自分が彼の人生に入り込むことで彼の苦労が増えることは目に見えていた。

「確かに…君の演技は下手だ」

ぐさっ!と刺さるが、その通りなのでなにも言えない。

「でも、些細なことだ。演技なんて…全部僕が教えるし、必要事項があればその都度君に伝える」

それよりも、とハンドルから離れた手がハルの手を掴む。

「君がいいんだ。君と人生を歩んでいきたい」

「…っ…」

手の甲に彼の唇が寄せられる。

「君に覚悟なんて問うたけど…」

触れる唇は柔らかく、

「今更僕から逃れようとしても…離す気なんてさらさらない」

きゅっ、とハルの心臓を締め付ける。

「わたし、も…だよ?」

彼のまっすぐな瞳に映る、首まで真っ赤な自分。

「それは、わたしもだよ…零くん」

だいすき。

だいすきだよ、零くん。

「本当だな?」

「本当だよ」

「じゃあ今日この紙を役所に出しても?」

「うん……え?」

えっ!?と目の前に出された婚姻届に目を丸くする。きょうって…今日!?いや、別にもともとそのつもりのお付き合いだし、いつでもいいんだけど…

「で、でも保証人とかいるんじゃ…」

「実はもう毛利先生と黒田管理官からいただいてる」

「いつのまに」

本当にいつのまに?

というか、兄さんそのことに関してなんにも連絡ないんだけど…

「用意周到だろ?これからもこんなことはしょっちゅうだよ」

あっ…と直感的に思った。きっと試されてる。これは本気で後悔しても知らないからな、と再度念を押しにきている。

「僕は口が上手いし、平気でウソもつく。君さえも騙すことだってあるだろう。この婚姻届だって、毛利先生を言いくるめて…」

言いくるめたんだ…というツッコミは今は無しだ。籍だって内緒で入れられた筈なのに…それでもわざわざ兄のところに行ってサインをもらってきてくれたんだね。

「上等だね。あとは私が書くだけなんでしょ?書いてやろうじゃない」

カバンの中にあるペンとたまたま持ってきていたハンコも一緒に取り出す。千速と会う前に寄った銀行の書類云々で必要だったのだが、それに合わせて今日動いていたとしたら感服の至りである。聞かないけど。

「一発書きか…失敗しないか不安だな」

「…三枚もらってきてるから大丈夫」

「さすがです」

彼から用紙を受け取り、少し身を乗り出して車のダッシュボードの上で記入する。

降谷零と記されてる名に兄に本名を打ち明けたのか訊くとそこは空欄のまま先に保証人だけ書いてもらったのだとか。最初は訝しんでいたそうだが、沖野ヨーコの春ライブプレミアムシートのチケットをチラつかせればあっさり書いたという。数日前に彼と婚約してる旨を伝えていたとはいえ、ちょろい兄に今後何かの詐欺に遭わないか心配になった。

「表向きは安室透の妻として生活してもらうことになるけど…」

「わかった」

「……」

ポアロの客が知ったら炎上待ったなしの案件である。

「……それとこれから公安の、ゼロの人間の身内ともなると状況によっては監視されることも…」

「うん」

「……」

監視か。あれかな。GPSとか仕込まれたりするのかな。

「よし!終わったよ!一発で成功!」

「……」

「え?なに?」

「いや、やけにあっさりだなと。ちゃんと理解…」

「うん。普段は安室性を名乗って、時々監視がつくんだよね?」

ちゃんと聞いてたよ?と首を傾げると彼の眉間のシワはより一層深まった。

「なら僕に何か質問は?言っておきたいこととか…」

「いやー…別にあまり…」

彼との結婚はそもそも周りに内緒だと思っていたし、それが安室透との結婚だったとしてもハルの家族に伝えることを良しとしてくれたのだ。それだけでもう十分だった。

「あ、でも…」

「なに?」

詰め寄る彼にハルは少し距離を取る。

「大事な書類書いてる時に色々話しかけられるのは困った…かも」

ポカンと口を開けたまま固まってしまった。何か変なことを言っただろうか。不安をよそにしばらくして彼が「ごめん」と可笑しそうに笑った。

「君は本当に面白いな」

突然そんなことを言うものだか危うく用紙を破ってしまいそうになる。

『W面白ぇ女Wってやつだろ?』

千速の声が脳内で被り、思わず遠い目になる。

「べ、べつに面白い女を狙ったわけでは…!」

スッと彼の指がハルの頬に優しく触れ、抗議しようとしていた口は閉じてしまう。嬉しそうに目尻を下げた彼と目が合う。もうその瞳に哀愁は宿っていない。顎を軽く持ち上げられ、引き寄せられるように近づいてくる唇をハルは目を閉じて受け入れる。優しく挟むようなそれは時々軽く吸われ、下唇の甘噛みを最後に名残惜しそうに離れていく。目を開けると、熱のこもった瞳がハルを見つめている。なんとなく恥ずかしくて下を向けば彼の額がコツン、とハルの額に当たった。すりっ…と彼の指先がハルの首筋に触れるものだから身を捩りながら「く…く、すぐった…い、」と訴えるとハルの肩にポスン、と頭が乗る。次には「はぁぁー…」と長いため息を吐かれた。

「帰したくないな」

ごくり、と喉を鳴らしたのはハル。彼に耳元でそう囁かれれば誰だってそうなる。

「いい…デスヨ?」

耳先まで真っ赤に染まっているであろう顔でそう応えると何故だかジト目の彼がそこにいた。えぇ?なん、え?

「挙式するまで手を出さない約束だから」

「入籍じゃなくて?」

首肯く彼にキスはセーフなのかな?という質問は今は置いておこう。

「えっと…誰と、約束したの?」

「毛利先生と」

「……」

全く、気にしてないようで気にしてるところが兄らしい。いくつだと思ってるの兄さん…と困った顔でハルは笑ったのだったーー。




おわり
2025.04.06.いいね♡

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