約束の日まで
死から目を背けるな
前を見ろ
貴方が殺す人々のその姿を正面から見ろ
そして忘れるな
忘れるな
忘れるな
奴らも貴方の事を忘れない
紅く光る右目が、キンブリーの言葉を呼び起こす。イシュヴァール殲滅戦の時に彼が我々軍人に放った言葉だ。
あの惨状で、彼女が経験したものは計り知れないと思う。あの場にいた全員が悪魔に見えただろう。自分でさえ、己を恐ろしく思ったのだから。
発火布を着ける度、血の混じった砂の臭いが時々鼻を突く。人を焼く臭いを嗅ぐ度に耳をつんざく悲鳴が聞こえる。
どうして許せるだろうか。
人をたくさん殺しておきながら、たった一人、親友のヒューズが殺されただけで己の心に巣食う闇に呑まれたというのに。マスタングはヒューズを殺した奴をとてもじゃないが許すことなど出来ない。
「君は…」
「勘違いしないで下さい。憎しみが消えたわけではありません」
変わらない彼女の態度にマスタングは「…そうか」と悲しげに苦笑を漏らす。協力はするがあくまでマスタングの背後を狙っているのは自分だと言いたいのだろう。
「それと今回のようなことがあっては困ります。しっかりしてください」
「み、耳が痛いな…」
「では、私はこれで」
「ま、待て!」
踵を返し、出て行こうとするエナンをマスタングは慌てて呼び止める。
「なんですか」
「書類を…少し手伝ってくれないか…」
「・・・・」
軽蔑するような眼差しを向け彼女は今度こそ出て行ってしまった。パタン、と冷たく閉まった扉にマスタングはがくりと肩を落とす。
よろっと、体の力が抜けるように机に手をついた。ハァ、と腰に手を当て重い息をつく。やれやれと首を横に振り、マスタングは苦笑いを浮かべた。中尉よりも手厳しいのが後ろについてしまった、と。
「少将」
ブリッグズで行方不明となったレイブンの件で中央司令部に呼ばれたオリヴィエは久方ぶりに聞くその声に歩みを止める。ちなみにレイブンはオリヴィエが斬殺し今はコンクリートの中である。
後ろに居る見張り二名が訝しげに彼女を見る。昔のクセが咄嗟に出たのかオリヴィエが彼女を視界に入れるとビシッと敬礼した。
「久しいなエナン・ガーネット」
「お久しぶりです。中央にいらっしゃるとは珍しいですね」
「私がいたらおかしいか」
「“ブリッグズの北壁”で満足していると思っていたもので」
わざと癇に障る言い方で挑発するエナンにオリヴィエはハッと鼻で一蹴する。
「馬鹿をいえ、隙あらばこの国のトップの寝首をもぎ取るつもりだ」
冗談には聞こえないその言動に見張りの顔が険しくなる。明らかにブリッグズから連れてきた部下ではないその反応に、彼女は眉を寄せる。所用で訪れるなら付き添いはいらない。いたとしてもブリッグズの部下だ。そのことに気づいたらしい彼女はわざとペンをオリヴィエの元へ落とした。
「失礼しました」
オリヴィエはペンを拾う。エナンも一緒になって身を屈めた。気をつけてください、と去り際に耳打ちされ、オリヴィエは鼻で笑った。
「ふんっ、誰にものを言っている」
「要らぬ心配でしたか」
ペンをオリヴィエから受け取った彼女は胸ポケットへ仕舞う。
「貴様もあんな不甲斐ない男のもとに就くほど腑抜けになったか」
先程のエナンと同じように挑発めいた言い方をする。
「確かに貴女より少々刺激が足りませんね」
「いつ戻ってくるんだ」
それはオリヴィエのもとに、という意味が含まれていた。エナンは少しだけ目を細める。誰にもわかることはないその目には微かに嬉々が含まれていた。
「あの男の寝首を掻いてから、ですかね」
「ふんっ、お前らしいな」
長い金糸の髪が翻り、エナンの視界を横切る。エナンも踵を返し歩き出した。
「どうか、ご無事で」
去り際に聞こえたエナンの声にオリヴィエは口角を上げた。
ブリッグズに血の紋を刻む。
国土錬成陣を完成させるためプライドからキンブリーに出した指示は隣国ドラクマ兵を使いブリッグズを血の海に染めることだった。“ブリッグズの北壁”の異名を持つ女王様がいないにも関わらず結果はブリッグズの圧勝に終わった。血を流したのはドラクマ兵のみだったがこれにより国土錬成陣は完成されてしまう。あとは来たるべき日を待つだけとなった。
この戦闘が要因で北方軍と東方軍の毎年恒例で行われる冬期合同演習が来春に延びた。そして今年、北での演習はなくなり時期をずらして東方軍担当で場所を東部に変更し行われることとなった。
“約束の日”というのが近づいているとホーエンハイムから聞いたアルフォンスはカーティス夫妻にそのことを伝える。表立って動けないアルフォンスの代わりにイズミは北へ赴き、アルフォンスの指示通りにマイルズとバッカニアに“約束の日”についてを知らせる。マイルズ達からそのことを聞かされたファルマンは急いでグラマンに電話をかける。
グラマンはマスタングへ伝達すべく、まずはホークアイと親しみのあるレベッカに言伝を頼んだ。レベッカは休日に友人とショッピングを楽しむように見せかけてホークアイに“約束の日”が近づいていることを伝える。
ホークアイは入院中で唯一接触が図りやすいハボックに見舞いと称して言伝を言い渡す。『大佐によろしく』と。
ハボックからそのことを受け取ったマスタングはその日に向けて着々と準備を進めた。
「やぁ、エナン・ガーネット」
その声にエナンは眉を寄せる。にこやかに、しかしどこかピリついたその空気にエナンは悟られないように身構えた。
「これは大総統閣下、視察のお帰りですか」
自分に何か用かという目を向ければ彼はにこやかに目を細めた。
「君と少し世間話をしたくてね」
「私のような下っ端と話してもつまらないだけではないですか」
「君は相変わらず、付き合いが悪い」
細めた目が薄く開かれる。片眼しか見えていないのに、全てを見透かしているようなその瞳は不気味さを感じた。
「まぁ、敢えてするならば…そうですね…」
エナンは一歩、ブラッドレイに近づいた。
「北と東の合同演習を東部でやることは既にご存知かと思いますが…」
エナンは目を細め、含みのある言い方をわざとする。
「グラマン中将がいらっしゃるそうですよ?」
ブラッドレイはエナンの言い方にピクリと眉を動かす。
「グラマンが?」
「昔はかなりやり手と伺いました。どのような戦略で北を追い詰めるのでしょうね」
「君も以前は北だっただろう」
「北方での合同演習は年寄りには応えるからと私が所属していた間は一度もいらしたことはないのです」
気になりませんか?とさらに含みのある言い方をすればブラッドレイも目を細めた。
「ふむ…ならば私が視察にいこう」
「機会がありましたらどのような演習だったかお聞かせ下さい」
クーデターを目論んでいる可能性があることをブラッドレイにチラつかせ、予想通り彼を中央へ行かせることに成功した。
家に帰り、地下へ行くとブラッドレイから話を聞いたのだろう。案の定プライドがすでに部屋にいた。ざわりと、背筋に走る殺気にエナンは眉を寄せる。
「来るとは思っていましたが了承も得ず、家主より先に家にいるのはどうかと思います」
「マスタングと何をこそこそしているのです?」
世間話も許さない。約束の日が近づくに連れ監視の目が厳しくなってきた。だが焦っているのは向こうも同じ。それを逆手にとる。
「私と彼が?ご冗談を。マース・ヒューズを殺したのが未だ私だと思っているんですよ?」
影にある無数の目が細められる。エナンの真意を確かめているようだった。
「……何を企んでいる、エナン・ガーネット」
「マスタングを殺すのは私の役目だと言っているんです。余計な邪魔は入れさせない」
例えホムンクルスであろうとも。冷たく、そう言い放つ。その為ならこの国がどうなろうが構わないとプライドに吐き捨てた。
「人柱候補に彼が入っているのは分かっています。奴を殺したら私がその穴埋めになるということも。マスタングより私が適任ではないですか?」
「それを決めるのはあの方です。貴女はあまり出しゃばらないように。まだマスタングを殺してはなりません」
「あくまで私は補欠ですか」
「あの男の末路はどの道哀れなものに変わりありません。すべてが終わったらくれてやります」
エナンはわざとらしく溜息を吐き、まぁいいでしょうとしぶしぶ納得する素振りを見せる。
「それよりグラマンが近々クーデターを起こすと小耳に挟みました。合同演習を狙って仕掛けるかもしれません。必要なら私が閣下の護衛に着きますか?」
「いえ、あなたにはマスタングの傍にいてもらいましょう。私がブラッドレイに同行します」
「エルリック兄弟の所在も掴めないと聞きましたが?」
「グラトニーを連れて行くので問題はありません。彼なら臭いで辿れます」
「そうですか」
ようやく気配が消えたプライドにエナンは肩の力を抜き、ふぅ、と柄にもなく安堵の息を漏らす。明日、良いタイミングでハクロが中央司令部を訪れる。エナンは総仕上げだと、気を引き締めた。
翌日
エナンはハクロが一人になったのを見計らいそのタイミングで透かさず話しかける。
「お久しぶりですねハクロ少将」
「あぁ、君か」
「東方司令部に移られてからお会いするのは初めてですね」
「マスタングの下についたそうだな。あのような田舎出身の奴に従うなど耐えられん」
それはきっとグラマンの嫌味も含んでいるのだろう。まぁ彼はもともと中央勤務であったそうだが。
エナンはハクロに悟られないように胸の内で溜息をつく。この男は東方司令部にいながら何もわかっていない。北にいた時、嫌という程味合わされた。東方軍はイシュヴァラの地と最も近かった所為かあの戦争を経験した軍人が多い。北のブリッグズが鉄壁の守りなら東方の軍は正に攻めに長けている軍と言えるだろう。称賛などでは決してないが、この男が鼻で笑いながら話す内容ではない。
グラマンと反りが合わないのならばより好都合だ。
「私も好きでマスタングの部下になったわけではありません。出来れば貴方の下で働きたかったですよ」
「戯言をいうな」
遠目から見たら他愛ない世間話をしているように見えるだろう。ハクロはコソッとエナンに耳打ちする。
「なにかわかったか」
その言葉にエナンは口隅を上げる。相変わらずのようで安心した。マスタングが失墜する情報を欲しがっている。
彼に合わせてエナンも声を潜めた。
「東部で行われる軍事演習の視察に大総統閣下が行かれるそうです」
「ブラッドレイ大総統が?」
「えぇ。加えてイシュヴァール人が中央付近に入り込んでいるとの情報もあります…そんな時にテロでも起こされたら溜まったものではありません」
その言葉にハクロは息を呑む。
「まさか…」
「私が彼なら、その時が中央司令部を乗っ取るのにいい機会と考えるかもしれませんね」
「わざとグラマンに目を向けさせ、その隙にマスタングがクーデターを起こすとでも?」
「可能性の話です。貴方が中央(ここ)へ異動となれば私も働きやすい」
それを聞いたハクロはでかした、と卑しげに笑う。
「流石だな」
「お褒め頂き光栄です」
ポンポンと軽快にエナンの肩を叩き、その場を去る。一つ、一つ仕掛けが掛かっていくのをエナンは一人ほくそ笑む。
「今のはハクロ将軍か?」
背後でマスタングが声を掛ける。会議が終わったのだろう。小脇に資料を抱えたままエナンの傍へ寄った。
「えぇ。所用で一度こちらへ訪れたそうです」
「世間話をするような仲にはとても見えなかったが?」
「彼とはこれでも気が合うんですよ。嫌いなものが一緒なようで」
「まさかそれ、俺とか言うなよ」
無言のまま否定をしないエナンにマスタングはおい、と突っ込む。
「貴方に敵が多くて助かりますよ。妬みや恨みがある人はそれだけで付け入る隙がある」
チラッとマスタングを横目で見れば自分のことも含まれていると分かった彼は困ったように片眉を上げ、やれやれと肩を上げた。
終わり
更新日2020.3.24
修正2020.4.22
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