Largo


復讐の炎



中央司令部の東西南北の全ての門が閉鎖されていた為、マスタングとホークアイは第三研究所へと向かっていた。そこは以前アルフォンス達と侵入し、ラストと対峙した場所だった。

研究所の前で様子を伺っていると好都合にも表にいるはずの警備兵が伸びていた。

「誰の仕業でしょうか」

「ここが地下施設へ繋がってることを知っているのは限られた人間しかいない。鋼のがやったのかもしれんな」

研究所内には研究者しか居らず、中に入っても銃を持っているホークアイと発火布を装着しているマスタングに逆らうものは誰一人としていなかった。足早に歩みを進め、悪趣味な扉を見つける。

「エドワード君ですね」

「鋼のだな」

二人は扉を開け、奥へと足を踏み入れたのだったーー…。








エナンは中央司令部から地下施設へと続く地下道へ入り、入り組んだその道を当てもなく歩いていた。コツコツと靴音が響く中、あちこちで人ではない悲鳴が微かに聞こえてくるのは気のせいだろうか。

「大佐…?」

発火布を両の手に、ピリついた空気を出した男が前から歩いてくる。ただならぬその雰囲気にエナンは背中に背負う太刀の柄を思わず後ろ手で掴む。

「ガーネットか?」

名を呼ぶ声に怒気が含まれている。親指と人差し指の先を合わせ指先の標準をこちらに合わせているのを見て、エナンは体勢を低くし、ジリっと少し後ろへ下がる。

様子が変だ。

「どうしました、少し様子が…」

「本人だという証拠を見せろっ」

威圧的な態度。エナンは眉を寄せる。目尻を吊り上げ、まるで獲物かどうかを見定める獣のようである。人相まで変わってしまっている彼にエナンは嫌な予感が頭を過ぎる。

「なんて面ですか、マスタング大佐」

「早く証拠を見せろ!!」

声を張り上げ、いつでも炎を繰り出さんばかりのその体勢にエナンは仕方なしに両の眼に装着しているものを指で外す。左も外したのは初めてだ。アメストリス人である蒼い瞳が姿を表す。

そして服を捲り、腹を見せた。

そこまでしなくても瞳の色だけで証明出来た。肌まで見せたのは単なる腹いせである。まだら模様の皮膚を見てマスタングは目を開く。腕を下ろす動作に合わせてエナンもたくし上げた服を下ろす。本人だと納得したようだった。

「これ以上私に近づくな。巻き添えを喰らいたくなければすぐにここを去れ」

踵を返し、歩き出した彼。その背中にエナンは透かさず声を掛ける。

「…誰を、殺そうとしているのですか」

ピタリ。と動きが止まる。鬼のように吊り上がった横目がエナンを睨む。

「君には関係ない」

「関係なくはないでしょう」

「関係ないと言っているだろうっ!」

「大佐、貴方ひょっとして…」

「黙れっ…!」

「マース・ヒューズを殺した相手を見つけたのではありませんか」

「その顔でっ、喋るなっ!!」

チリッ、と空気中の塵が導火線のようにエナンの頬を掠め、後ろの壁が爆炎と共に崩壊する。

ガラガラとレンガが崩れ落ちる音を背後に感じながらも視線はマスタングから外さない。

「黙りません」

「…っ…」

深紅の瞳が、群青の眼が、マスタングを見据える。ぐっ、と押し黙る彼を見てエナンは一歩、前に出る。


ヒダカの顔で、


イシュヴァール人の瞳で、


エナンは彼の前に立つ。


復讐に身を燃やしている今の彼にとってこの容姿は見るに耐えないものかもしれない。だが、それでいい。少しでも躊躇すればいい。

「貴方がその顔で復讐を遂げるというのなら…私も貴方を殺してもいいんですかね…」

マスタングの瞳が揺れる。エナンの声色は暗く冷たかったが、どこか悲しみを含んでいた。

先程の爆炎で煙が立ち込める。

焼け焦げた臭いが鼻をつく。

ヒリヒリと、ジリジリと、

冬でもないのに皮膚が引き攣る。

「この臭い…貴方は苦手ではないんですか…?」

ピクッとマスタングの下瞼が動く。小さな変化をエナンは見逃さない。そしてさらに追い討ちをかける。


「私は、苦手です。…自分の…」


自分の皮膚が焼けた臭いを思い出すから


吐き出されたその言葉はマスタングの心を抉る。吊り上げた目尻のまま悲痛に顔を歪めた。

臭いは記憶を呼び起こす。とても不思議な感覚だ。その時の情景までもが頭に浮かぶのだから。既視感よりもよっぽどはっきり思い出せてしまう。

「貴方だってそうなのでしょう。吐き気すらするこの臭い。貴方は業を背負うように未だその手袋を嵌めている。わざわざ辛い道を選び、この国を変えようとしている」

引き攣る皮膚が燃えるように痛い。悲しみで喉奥が焼けそうだ。

「貴方は英雄の言葉に浸らず、真摯に取り組んでいたではないですか。イシュヴァール人である私がせっせと復讐に勤しんでいる間、貴方はイシュヴァラの地で起こった惨劇を繰り返さない為に常に前を向いていた」

色の違う両の眼がマスタングを映す。イシュヴァール人とアメストリス人の瞳がマスタングを見据える。

「その“焔”で、本当に復讐を果たすおつもりですか…?」

徐々に目尻が下がっていく。ピリついた空気が少し和らぐ。

もう一押し、でいけるか…?

「大佐…」

バンッバンッバンッ!

瞬間、どこからか何発もの銃声音が耳に届く。まるでスイッチを押されたかのようにマスタングの目はまた吊り上がり、止める間もなく引き寄せられるようにして音の方角へと走って行ってしまった。

「…っ…」

くそっ、とエナンは心内で舌打ちをする。ダメだった。説得することが出来なかった。それほどにマース・ヒューズという男は彼にとって大切な人間だということだ。この国を変えるために、イシュヴァールの未来の為に、貴方はそちら側に堕ちてはいけない。


エナンはマスタングの後を追った。





「おめでとう。マスタング大佐、やっとたどり着いたって訳だ」

ホークアイは悲しげに目を閉じる。
あぁ、やはり…と予期していた最悪な事態に胸が締め付けられた。

ヒューズの愛する妻に姿を変えたエンヴィー。瞠目したマスタングの表情には憤激の色が漲り、肩が小刻みに震えている。

「決まりだ。貴様がヒューズを殺した」

まるで人が変わってしまったようだ。怒りで吊り上がる目。口元は笑っているのにその顔は歪んでいた。ホークアイの頬に汗が伝う。私怨の炎がゆらゆらと瞳を揺らしている。

ずっと危惧していた。彼が、マース・ヒューズを殺した相手を見つけた時、どうなってしまうのかと。

マリア・ロスのダミーを焼いた時、ダミーだとバレないようにしたとはいえ、あの黒焦げになった様は宿敵が迎える末路で、さらにそれ以上のことが待っていると暗示しているようにも見えた。

ここで待っていろと指示されても、余計なことをするなと罵られても、この人の背中を追わなければならない。後悔することがないように。沢山の業を背負うこの人をこれ以上壊してはいけない。

怒りに身を任せてエンヴィーを追いかけて行ったマスタングの背をホークアイは追いかけたーーー…









血管のように張り巡らされているいくつもの配管。元来た道を戻っているとはいえ、同じような景色に正直迷いそうになる。

「げっ!あんた…!」

前から歩いてくる久方ぶりに会う女にエドワードは嫌そうな声を上げる。初めて会った時のようにその背には太刀を背負っていた。

「お久しぶりです。生きてたんですね」

「言い方!!」

「失礼致しました。生きておられたんですね」

「そういうことじゃねぇよ!」

ビシッと手の甲で空を叩き、突っ込みを入れる。相変わらず人の神経を逆撫ですることばかり言う。そんなエドワードを無視して彼女は自分の横にいるスカーを見た。

「仲良く歩いてるところを見ると貴方は今そちら側なんですね」

仲良くねぇ!と開きかけた口は閉じてしまう。薄暗で分かり辛かったがふと彼女の瞳に目がいく。

「大佐を見かけませんでしたか」

その質問にエドワードは答えようとするが瞳の色が気になって上手く言葉に出来なかった。黙っているエドワードの代わりにスカーが口を開く。

「彼らならエンヴィーを追うと言って、今別行動を取っている」

「そうですか。どこかで入れ違いになってしまったようですね」

そんなエドワードに構う事なくスカーとエナンは話を進める。

「あなた方はどちらへ?」

紅い瞳と蒼い瞳がエドワードを見る。はっきりと見えたその瞳に見間違いではないのだとエドワードの体に小さな電流が流れる。

「鋼の錬金術師がマスタングを止めに行くと言うので引き返しているところだ」

「なるほど。私も同行して構いませんか?」

「構わん」

既に歩き出している二人。暫くして一人置いてけぼりにされていることに気づき、エドワードは慌てて二人の後を追った。





「なぁ、あんたその瞳…」

漸く冷静さを取り戻したのか、ずっとぎこちなかった彼はエナンの右横に移動し、そう声を掛ける。ちらりとエドワードを見れば彼は表情を隠すこともせず、ジッとその瞳を見据えた。きっと彼の位置からは紅い瞳がよく見えるのだろう。

「私…イシュヴァール人なんです」

その言葉に反応したのはエドワードだけではなかった。前を歩くスカーもまた驚きの目でエナンを振り返る。一瞬惚けたエドワードだったが次には「そうか…。だからか。だからあの時…」と、呟くように小さく言葉を発した。そしてどこか納得したように頷いたあと、彼はエナンをまたジッと見つめた。

「俺、あんたに結構無神経なこと言った?」

立ち止まり、ポツリと零した言葉。肩を落とし、ジッとエナンを見つめていたその視線は少し下を向く。頭についてるアンテナの様な癖毛まで萎れて下を向いていた。


12歳。


たった12歳で国家錬金術師になるほど聡明で、それ故に引き起こした禁忌は子供ならではの純心さもあったのだろう。

いや…愛する人を亡くす、ということに年齢もなにも関係ない。決して許されることではないのだろうが彼は研究者としての探究心とその可能性を信じ、行為に及んだのだ。

ヒダカもまた彼と同じ気持ちだったに違いない。

妹に会いたかった。その一心だったのだろう。自分がヒダカをそう思ったように。


もう一度、名を呼んでほしい。

もう一度、あの笑顔で笑ってほしい。

もう一度、あの温もりを、あの優しさを

もう一度…、もう一度…


彼らは悲しみではなく、希望に満ちた何かに没頭したかったのではないだろうか。

「エドワード・エルリック」

名を呼ぶと、彼の肩が少しだけ跳ねる。
叱られた子供のような顔をしている彼にエナンは目尻を落とす。

「熱でもありますか」

「おい、てめぇ…!」

せっかく俺が勇気を出して…と下唇を出してぶつくさ言う彼に「そのほうが貴方らしい」とエナンは口を開くと彼は驚いた顔をした。

「貴方は何も悪くありません。私もまた、愚かだったのです」

「愚か?あんたが?」

「スカーと同じ、復讐に身を委ねていたのは私も同じ。あの時言った貴方の言葉は正論で図星だった為、自分に刺さっただけです」

「あんたも…誰かを、恨んでるのか」

まっすぐな瞳がエナンを映す。先程まで左右の瞳の色を見て狼狽えていたというのに。研究者故の探究心もあるのだろうが、彼は今エナンを理解し、知ろうと努力している。包み隠さず、真っ直ぐな己の気持ちをぶつけている。

この兄弟を見ていると、日陰を歩いてきた自分には酷く眩しく、胸が痛い。己の心が汚れているのを思い知らされ、一緒にいるのは少々堪える。

「あなた方錬金術師は一度でも錬成される側の気持ちを、考えたことがありますか?」

自分を焼いたマスタングも、命を犠牲にしてまで助けたヒダカも、助けてくれなかった太陽神イシュヴァラも、

もう誰も恨んではいない。

己の足で立たなくてはいけない。

「自分にそこまで価値のある人間かどうかはわかりませんが…犠牲云々の話を抜きにして、その人にとって自分は生き返らせたいと思うほどの価値があったということなのでしょう」

死んだ人間を生き返ることは不可能で、無いものねだりをした挙句、通行量として己の大事なものを持っていかれる。

「孤独が支配するこの世界で、そんな人間が一人でもいたというのは、それはきっと幸せで喜ばしいことなのかもしれません」

「あんた、いったい…」

「それほどに愛してくれていたのでしょう?」

死んだ人間の体はただの器に過ぎず、魂は別の場所へ行く。

「私も…手放しで喜べたら良かったのですが…私には心苦しく、悲しみとも取れぬ矛盾した心理が胸を衝くのです」

「なんの、話を…」

「生き返りたいとは思っていませんでしたが、死にたくないとは思いました」

死後の世界というものがあるとするならば…。しかしその手の空想話は科学者にとっては受け付けないだろう。

「また会いたいと願ってくれたこと、寂しいと思ってくれたこと、触れたいと思ってくれたこと、全てに感謝しています。貴方の母君もきっと…」

驚いた顔をして固まっているエドワードを見て口を噤む。つい彼の真っ直ぐな言葉に当てられ余計なことまで話してしまった。エナンは気持ちを切り替えるように一度目を伏せ、ゆっくり開いた。

「無駄話をし過ぎましたね。忘れてください」

急ぎましょう、と歩く速度を速め、三人はマスタングの元へ急いだ。





おわり
2020.5.12

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