Largo


第一段階


冬が近づくとブリッグズを思い出す。要害の地として存在しているそこは緯度とその標高故に厳冬期の雪山は乾いた大地のイシュヴァラとはまた正反対の厳しさを持った。

厳しい環境とされているイシュヴァラ。強靭な民族とも謳われ、その地で育った身であるが故、武術は男どもに比べたら劣るが、生きる力、耐え忍ぶ力は他のどの種族よりも長けている。と、思っていた。しかしそのプライドはブリッグズに赴任してすぐズタボロに折れる事となる。

一面の銀世界、美しい霧氷、凍える寒さに凍てついた大地。

晴れていても雪原による紫外線の照り返しで目がやられ、風が強い日は地吹雪により視界を奪われる。雪原の雪が吹き上がり白一色になるため、方向感覚や上下感覚、距離感すら掴めず何度も遭難しかけた。また地形の起伏の識別が困難で崖への境目が分からず地だと思って踏みしめれば積もった雪の塊であった、なんてことも。そのまま踏み外して崖から落ちそうになったところをバッカニアに間一髪で助けられた。

吹雪に当たれば晒されている肌は裂けるような痛みがあり、冷気と乾燥で唇はよく切れた。耳を何かで覆っていないと文字通り凍り付いてしまう。約二名は信じられない不思議な髪型をしているが、指先にまで気を配らなければすぐさま凍傷になり、切断しなければならないほどに注意が必要だった。

砂塵が舞い、乾いた大地と岩で覆われたイシュヴァラがひどく恋しかった。

一瞬の判断ミスが命取りになるあの場は何度も死ぬ思いをした。またそんな状況下で戦闘せねばならないのだ。慣れるのにだいぶ苦労した。それでいてさらにあの氷の女王の下に就いているのだ。鍛えられないほうがおかしい。

オリヴィエはエナンが女だからといって決して特別扱いしたりはしなかった。

あそこは女であろうが男であろうが関係ない。強いものが勝ち、弱いものは死ぬ。異種族間で起こる障害も彼女にとってはなんの弊害にもならない。むしろ何の問題があるのだとアームストロング家代々伝わりし名刀を地に突き立て、胸を張りながら言いそうなセリフである。

赴任してまだ間もない頃、吹雪で右目に装着していたレンズが外れ、紅い目をオリヴィエとマイルズに見られたことがある。

「嘘をついてる私を、粛清しますか?」

緊張した顔でジッとオリヴィエを見る。しかしそんなエナンの不安を一蹴するようにオリヴィエは鼻で笑う。

「フンッ、貴様といいマイルズといい全く…」

どうして今ここでマイルズの名が出るのだろう。エナンはオリヴィエの隣にいるマイルズに目を向ける。すると彼はサングラスで隠していた紅い目を自分に魅せ、驚いているエナンを他所にオリヴィエはさらに言葉を続ける。

「ここは訳ありのものが多い。お前の“それ”もとるに足らん」

踵を返し、去っていくオリヴィエの背中。真っ直ぐに伸びた凛々しいその背を今でも鮮明に覚えている。

後にマイルズに聞いた話だが彼の祖父はイシュヴァール人だったそうで、殲滅戦時その祖父と親族は殺されたという。軍の粛清規約にわずかに外れていたマイルズは粛清対象にはならなかったそうだが、殲滅戦時以降も補佐として使い続けるオリヴィエに疑問を持ち、ことを荒立てるかもしれない自分を何故そばに置くのかと食ってかかったことがあるそうだ。

多様な民族の血が流れている彼に対し、オリヴィエは言った。

生れも育ちも血もアメストリス人であるオリヴィエが上に立つには、多様な価値観を持ち様々な角度からこの国を見る事ができる血を待つマイルズのような人間が必要なのだと。

そのことをマイルズから聞いたときエナンは言葉が出なかった。

オリヴィエのその考え方はエナンに衝撃を与えた。今までに会ったアメストリス人にもイシュヴァール人にもいないタイプの人間だった。こんな人もいるのだと。こんなにも辛く厳しい地で氷の女王などと呼ばれているくせに可笑しくも人の心を溶かし、動かす力をこの人は持っている。だから皆がついていくのだと納得した。

大尉に拘る理由をオリヴィエは訊かなかった。能力以外重要視していないあの人らしいと思った。

大総統に大尉であることを条件に国家錬金術師の証である銀時計を受け取った。上の階級より、下の階級を選んだのがまかり通った理由の一つかもしれない。

しかしそれでも生意気と捉えられたのか、変わり者と称されたエナンを望んで招き入れようとする支部はないに等しかった。

噂を聞きつけたオリヴィエが面白いという理由だけでブリッグズ勤務は決まった。力のあるものがそれに従うブリッグズ方式でエナンの立ち位置は錬金術が使えるただの小娘に過ぎなかった。

兵法、部下への立ち振る舞い、言葉遣いなどをエナンに教えたのはマイルズ。

実戦での戦場のイロハを教えたのは同じ階級のバッカニア。

彼は未だにエナンを名前ではなく、“嬢ちゃん”と呼ぶ。そんな年齢はとうに過ぎているというのに。

バッカニアだけではない。彼らはエナンを決して大尉とは呼ばなかった。呼ぶに値しないと思われていたのかもしれない。しかし目的はマスタングに気づかせることにあったからあまり気にはしていなかったのだが、いざ他の支部で階級呼びされると自分が軍に染まったようですごい嫌悪感があった。

中央に来てからは誰にも呼ばせないように常に働きかけた。



“嬢ちゃんよ、雪山で潜む時は息を潜めな。吐く白い息で場所がバレる。口の中に雪を入れろ”

“馬鹿野郎!濡れたままにするな!凍傷になるぞ!”

“ガーハッハッハ!本当にピクリとも笑わねぇな”


思い出されるバッカニアとの会話。

無愛想で無表情のエナンを誰よりも気にかけたのはバッカニアだった。



そんな、



エナンを



バッカニアは面倒を見てくれたのだーーー…



「さらばだ同士。ブリッグズの峰よりすこし高い所へ…先に…行ってるぞ…」








ピクッ、とエナンは背後で何かを感じ取り歩みを止める。

いま、バッカニアの声が聞こえた気がした。こんなところにいるはずはないのに。

「どうした、ガーネット」

「なにか気になることでもありましたか?」

立ち止まったエナンを先を歩いていたスカーとホークアイが振り返りエナンに声を掛ける。

妙な胸騒ぎを抱えながらもエナンは首を横に振り、「いえ、なんでもありません」と歩みを再開させたーー…





諸所に張り巡らされた配管の密が濃くなってきた。地面にあった配管は徐々に天井に向かうよう配列されているのを見てエナンは目を細める。

ズズッ、ズズズッとうごめき、何かが這いずっている音が段々とはっきり聞こえてくるようになってきていた。

5人で歩みを進めていると前から白衣を着た初老が姿を現す。

「おやおやこんな所にギャラリーが来るとは…緊張してしまうね」

さぁ、始めようかとその男は不気味に口角を上げた。

「誰だ?」

エドワードが戦闘態勢でその男に何者か問う。

「私かね?うーん…キング・ブラッドレイを作った男…といったところかな」

「という事は“そっち側”の人間か」

ブラッドレイは元は生身の人間であり、賢者の石を注入され人を越えた能力を身につけたという話を思い出したマスタングは彼を敵と見做しギュッと発火布を装着する。

男はスッと片手を上げた。

「おっとっと、やっぱりそうなるのかい…しょうがないね」

人の気配。ピクッと反応を示す5人。天井に張り巡らせた配管はさらに上に向かって伝っており密集されたそれは大きな管のようになっていた。そこから剣を持った連中が管を伝うように降りてくる。

「おまえ達、少し時間を稼ぎなさい」

ヒュッと素早い動きで一気に距離を詰め、こちらに攻撃を仕掛けて来る。

「なんだ、こいつら!!」

エドワードは振り下ろされた剣を機械鎧で防ぐ。ホークアイが「人形兵…」と声を漏らした。エナンは応戦しながらも近くにいたエドワードに問う。

「人形兵とは?」

「賢者の石のエネルギーを人形に注入したものだ!」

「これがそうなんですか?」

「いや…人形兵とはあきらかに動きがちがう!」

スカーが彼らの動きを見てそう指摘する。すると男がニヤリと口隅を上げた。

「“キング・ブラッドレイ”になれなかった男達だよ」

男は話す。生まれてすぐここに集められ、大総統になるためにあらゆる訓練を耐え抜き生き延びたのに、12人目にして“キング・ブラッドレイ”が出来上がってしまった為に用無しになった…

「賢者の石を入れられる事の無かった余り物だよ」

その言葉にスカーのこめかみにピクッと青筋が浮き立つ。

「言っておくがこの者達は60年間ただひたすらに戦闘訓練を積んできている。キング・ブラッドレイほどではないが…強いぞ」

確かにこちらの攻撃は素早く交わされ、熟練された剣捌きに受け止めるのも一苦労だった。

ホークアイは構えていた狙撃銃が兵士の肘で弾かれ、両手はその攻撃で跳ね上がる。兵士がホークアイに斬りかかる。スッとエナンがホークアイを守るように素早く間に入り、振りかざした剣を太刀で受け止める。その隙にホークアイは拳銃を引き抜き見学を決め込んでいる白衣の男目掛けて数発撃ち込んだ。しかしそれを察知した兵士が男を護るように身を盾にする。

「なっ…!」

感情や意志が彼らにないとわかっているからこそ、その行為に舌打ちが出る。

なんて、クズなんだ。この男は。
人一人の人生を60年間も縛り付けるなど。

エナンはホークアイに援護を頼む。その男の寝首を狩ろうと思い切り地面を蹴った。

「っ!?」

横から兵士がエナンに突っ込んでくる。体当たりされ、仰向けに倒れる体はそのまま兵士に馬乗りされる。突き立てられた剣先が顔面目掛けて振り下ろされる。エナンは寸前のところで顔を横に逸らし直撃は免れた。刃が頬を掠め、ガキンッと剣先が地面を抉る。足を割り入れ兵士の腹を蹴り飛ばし、後方に飛び距離を測る。

「どうしてその男を護るっ」

「無駄だよ、エナン・ガーネット」

すると男は「16号、17号、21号、23号、26号…おいで」と兵士を呼ぶ。名前すらも与えられず番号で呼ばれる彼ら。言われるがまま集まり出した兵士は錬成陣の上に立っている男を囲うように並んだ。

「なんだ!?」

エドワードは嫌な予感がした。

「行くよ」

男が錬成陣の上に手を置く。バキバキと錬成陣から錬成光が稲妻のように地を走る。

「何をした!!」

「何、ただの第一段階だよ」

「この中央に大総統府直轄の錬金術研究所がいくつあるか知っているかね?」

「今使われているのは市内に四か所…」

いや、ちがう。とエドワードは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。刑務所の隣にあった廃屋。バリーとスライサー兄弟が番人をしていたその元研究所は以前、第五研究所と呼ばれていた。ならば全部で五か所。不意に第五研究所地下で見た賢者の石の錬成陣とクセルクセスの遺跡にあった人体錬成の陣が頭に過ぎる。

「五つの…頂点を持つ錬成陣…‼?」

ホークアイは第三研究所に忍び込んだ時の事を思い出す。あの廊下は微妙にカーブしていて方角がはっきりとわからなかった。だから歩数と歩幅を使っておおよその距離を円で引いたのだ。

「まさか第三研究所のあのカーブした地下通路…研究所を繋ぐ正円を描いていたの⁉」


真理の扉が開く。


エドワードの下に大きな目が姿を現し、無数の黒い帯状の手がエドワードを引き込んでいった。

「鋼の‼!」

「ガーネットっ!!」

マスタングはスカーの大声に振り返る。

エナンの体もその黒い手に引っ張られそうだった。しかし…

「アッ…アァッ!…」

片膝をつき、苦しそうなエナンは何かがおかしかったーー…




終わり
2020.6.1

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